[01] オペラハウスの密室
厚いカーテンに囲まれたボックス席は、外界から切り離された静かな箱庭のような席だった。
眼下の舞台では歌姫の高音が響いているが、ボックス席の空気は別の音に満ちている。
椅子の上で、男は跨るようにして身を寄せている女に囁く。
「可愛い義妹よ……もっとだ」
オペラハウスのメイド服に身を包んでいたテオドラ・ハラハは、顔色一つ変えずに、椅子の上でうごめく二人を見つめていた。
絡み合う二つの影。
関係を言い逃れる余地は、どこにもない。
舞台の光は届かず、足元の魔法ランプが静かに事実を浮かび上がらせていた。
これ以上、先延ばしにする必要はない。証拠は揃った。
テオドラは、出入り口の扉をノックして合図した。
その途端、扉が静かに開くと、カール・ベルナドッテ侯爵が一歩だけ間を置いて姿を現した。
不快な臭いと熱のせいだろうか、カールは一瞬、眉間に皺を寄せた。
テオドラはカールに黙礼をし、視線を席に移した。
椅子に座って動き回っている男女。
息を殺すような吐息と、抑えきれない衣擦れの音。
カールの唇が微かに震えた。
カールは剣を抜くと、男の右頬に刃を突き付けた。
「ヨハン・スキール男爵子息、お前は誰と何をしている?」
ヨハンの動きが止まった。
ゆっくりと目だけを動かし、刃先から剣を持つ手に視線を移す。
「ヒィッ!」
顔を強張らせたヨハンは、上に乗っていたジェシー・スキールを突き飛ばした。
「え? 何? 痛いわ、お義兄様……」
スカートからお尻を丸出しにして、ジェシーが振り向く。
髪は乱れ、上半身の服は捲れて胸を出したジェシーの顔が固まる。
「こ、侯爵様……」
「汚らわしい。黙っておれ!」
カールは凄みのある声でジェシーを威嚇した。
ジェシーはハッとし、慌てて胸を隠した。
「こいつは、お前の義妹ではなかったのか? ヨハン・スキール男爵子息?」
無表情のカールの問いにヨハンは唇が震え、恐怖に抗えず、足元を濡らした。
次の日。
テオドラの目の前で、エステル・ベルナドッテ侯爵令嬢が嬉しそうに座っていた。
「本当に、あなたのお蔭だわ、テオドラ様」
「お役に立って光栄です」
「父は私の言うことには耳を貸しませんもの。現場を押さえない事には、婚約破棄なんて到底無理でした」
エステルは扇子で口を隠し、小さく笑う。
「虫唾の走る男とのお金だけの政略結婚。おまけに愛人みたいな義妹もいて。妹だと言えば、イチャイチャしてもいいと思っているなんて、浅慮の極み……あら、失礼」
テオドラは思わず微笑んだ。
エステルは、小切手を机に置いた。
テオドラへの手数料だった。
「……予定の金額より、多いようですが」
「これは、正当な、あなたの取り分ですわ。お蔭で慰謝料も誓約以上にもらえましたの」
「さすがはスキール商会ですね」
「これで侯爵家も、立て直せますわ」
扇子の向こうで、エステルの目が微笑んだ。
「ただ、残念なのは新聞沙汰にはしないと、一筆取られたこと」
エステルは残念そうな声を滲ませた。
元婚約者の不貞を白日の下に晒したい。
その思いにテオドラも覚えがあった。
「……その分も慰謝料に上乗せされましたでしょうし、令嬢も傷つかずに済んだのでは?」
エステルは扇子の向こうで、少しだけ声を立てて笑った。
「婚約破棄で傷つかない人は、おりませんでしょう? 男も女も……あなただって」
「ええ、身をもって知っております」
テオドラは微笑んだ。
だが、今更、昔話をする必要はないし、思い出す価値もない。
エステルも意に介さず、扇子の向こうで話を継いだ。
「今回の件で私が一番嬉しかったのは、父に褒められたことですのよ。よくやった、と! これが何より嬉しいのです」
エステルは立ち上がると、護衛騎士と共に静かに部屋を出て行った。
テオドラは小切手を手にし、窓から差す日の光で銀行の透かしを確認した。
「本物だ! やった!」
500ゴールド。中級官吏の年収に匹敵する額だ。
無邪気に喜びを体で表現していると、隣の部屋からルイーズ・コリニーが顔を出した。
「おっとぉ、テオドラ、この平民に美味しい物でもご馳走してよ」
テオドラは慌てて懐に小切手を隠した。
「ルイーズ、あなた、私にたかる気? これは、直ぐにでも銀行に持っていくんだから」
「うわー、しっかりしてるね。今回はさ、記事にできないんだよね?」
「そうよ。どうせ、聞き耳を立ててたんでしょ。記事はダメよ」
「はーい。こういう記事が一番、部数を伸ばすんだけどなぁ」
ルイーズは不貞腐れながら、エステルが座っていた椅子に掛けた。
「ね、オペラハウスでは凄かったんだって?」
テオドラは大きく目を開いて顔を赤らめた。
「ちょっとは興奮した?」
ルイーズの問いに、テオドラは顔をしかめた。
「それが、全然。今、思い出すほうが恥ずかしいし、気持ち悪い」
「令嬢がボックス席を買い、行けなくなったって元婚約者殿にチケットを二人分渡したら、義妹を連れ込むのは想像できたけど、やり始めるってわかってたの?」
「まぁね……エステル嬢が相談に来たあと、2週間くらい調査したんだけど、そういう場に何度も出くわしたから」
「やばい。やるねぇ、テオドラ」
「この仕事は、確実性が大事なのよ」
テオドラはコートと鞄を手に取った。
「あれ? もう帰るの? 貴族院の官吏より早いお帰りね」
「いいえ。銀行に寄って、それから、次の相談相手に会うのよ」
「私も行く!」
「お断り!」
テオドラは、ルイーズに小さく手を振った。




