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私の弟姫  作者: 赤井 鈴
9/11

第九話 また一緒に…… 後編

『こんにちは』

 千広の、たったその一言。それだけで今まで喧騒に包まれていた体育館という場所は、まるで外部と隔離されたかのように音を失った。

『先程、校長先生から紹介がありました、速水千広です』

 千広の澄みきった声が体育館に響きわたる。

 誰ひとり声を出さない。いや、出すことが出来ないのかもしれない。

『実はボク自身、どうしてこんなことになってしまったのかさっぱりわかりません。この前の、土曜日の朝。目が覚めたらもうこの身体になっていて……。まだ夢でも見てるのかな? なんて』

 みんな、千広の姿に目を奪われ、千広の声に耳を奪われる……。

『結局のところ、夢なんかじゃなくて現実だったみたいなのですが……』

 そう、その光景はまるで――

『それでも優しい家族に支えられて、手探りではありながらもなんとかやれているといった感じです』

 お姫様の舞台……。



『――ところで、皆さんはこの学校のことはどう思いますか?』

 空気がほんの少しだけ変わった……。千広が本当に伝えたいこと。それはきっとここから……。

『まだ入学して一月も経っていませんが、それでもボクはこの学校が好きです……。友達になれたクラスメイトのみんな、厳しくも本当は生徒思いの先生方』

 飾り気のない言葉。でも、千広の素直な気持ち。

『――そして、大好きな姉さんのいるこの学校が……好きです』

 だから、こんなにも心に響いてくるんだと思う……。

『だから――』

 一度言葉を切って会場全体に目を向ける千広。一人ひとりと向き合うかのように。そして――

『もう一度この場所で、ボクと一緒に過ごしてくれませんか……?』

 とても小さな願いを言葉に乗せて飛ばした。





 静寂に包まれた体育館。五秒、十秒、二十秒、三十秒……。完全な沈黙が場を支配していた。


〈パチ……パチ……〉


 そんな折りに、その場を切り裂く小さな音。この広い体育館の、たった一ヶ所からだけ聞こえてくる本当に小さな音。



 春香……。理奈……。



 私の幼馴染みで、親友の二人。理奈は優しい表情を浮かべて、春香はやれやれとちょっぴり苦笑気味に手を叩いてくれている。

 ん? ……あー。

 不意に目があった春香から「何で黙ってた?」といった感じの目線が飛んできた。これは後が大変かもしれない……。


〈パチ……パチ……〉


 別の場所からも手を叩く音が聞こえ始める。

 何人かは見覚えがあった。千広のクラスメイトの子たち。


〈パチパチ……パチパチ……〉


 手を叩く人の数が増えていくにつれ、音は段々と大きくなる。やがて――


〈パチパチパチパチパチパチ……〉


 この体育館にいる全員が手を叩いて、千広に拍手を送ってくれるようになっていた。それはつまり、みんなが千広を受け入れてくれたということ……。

『速水ー!』

『俺も好きだぁー!!』

『千広くーん!』

『結婚してくれー!!』

 みんなの気持ちが私の方まで伝わってくる。

『ありがとう……ございます』

 千広も言葉を返す。本当に、嬉しそう……。



 よかった。本当によかった……。千広がみんなに受け入れてもらえて。





 ……よかった、筈なのに――



「姉さん、どうしたの? 大丈夫?」

「……うん、大丈夫……だよ」



 どうして私はこんなに悲しい気持ちになっているのだろう?

 どうしてこんなに心が痛いのだろう?



「校長先生、後はお願いします。……ほら、姉さん。行こう?」



 涙が、止まらない。



   ◇◆◇



「……落ち着いた?」

「……うん。ごめんね、千広」

 ここは体育館にある控室。そして、ここにいるのは私と千広の二人だけ。

 あの後、私は千広に抱きついて泣き続けた。そして、そうしているうちにやっとわかった。どうして素直に喜ぶことが出来なかったのか……。



 私の手の届かない遠いところへ、千広が行ってしまったような。そんな気がしたから……。



 今日一日の千広の様子を思い返す。

 ――「一人で大丈夫だよ」

 ――「ボクにやらせて?」

 ――「そこで見ていてほしいんだ」

 ――「行ってきます。姉さん」

 私に頼ることなく、自分でやるという意思が込められた言葉。

 そして、先程みんなを前にした時の堂々とした姿……。

 その時々を思い出す度に胸が締め付けられる。本当は千広の成長を喜ぶべきところなのに……。

 千広が私の手を必要としなくなること。今、伝わってきているこの温もりが、いつかは手に入らなくなってしまうこと……。

 そのことに、気付かされてしまった。

 想像するだけで、胸が苦しくなる……。



「姉さん?」

 そっと千広から身体を離す。なんだか、とても寒くなった気がする……。

「ありがとう、もう大丈夫だから……」

 いつか、千広が私から離れていってしまう日が来るのだろう。そうなった時には、この温度が当たり前になるのかな……?

 それならば、いっそのこと――

「でも、よかったね。みんなに受け入れてもらえて……」

「うん――」

 私の方から離れてしまおうか。そうすれば傷は軽くて済む筈だから……。

 最初のうちはとても辛いと思うけれど、千広のためにもその方がいいのかもしれない。

 千広にはみんながいる。だから、私ひとりがいなくなってもきっと……。



「これで、また二人で一緒に通えるね」

「……えっ!?」

「これからもよろしくね、姉さん」

「あっ……」

 そう言って、千広は自分の手で私の手をそっと包み込む。それは、とてもとても温かくて……。



「大好きだよ――」



 ……どうして。



「お姉ちゃん……」



 どうしてこの子はこんなにも……。





「――って。ね、姉さん? どうしてまた泣いてるの!?」

「……え?」

 知らないうちに、また涙が溢れてしまったらしい。でも、さっきまでとは違う種類のもの。

 嬉しい時も涙が出るというのは本当みたいだ。

「……千広が、意地悪だから……だよ?」

「えぇっ!? ボ、ボク何かしたっけ!?」

 思いがけない私の言葉に慌てふためく千広。でも、嘘じゃないよ……?

 無理して、我慢して、諦めて決めた筈の私の決心。それを千広はたったの一言で揺るがして、二言で崩壊させて、三言目では粉々にしたのだから……。

 もう、元に戻すことは出来ない。



 そんな意地悪な千広には仕返しをしないと……だよね?



 千広がもう嫌だって言っても、許してあげない。私の気が済むまでは絶対に離れてあげないし、逃がしてもあげない……。



 だから――



「覚悟してね? 千広……」



こんにちは、赤井 鈴です。

今回でようやく導入部の山場を越えることが出来ました。シリアスな話は苦手な方なので執筆に時間がかかってしまうのが難ですね……。

それでも今回の話があってこその今後の展開があるので、避けて通ることも出来ず大変でしたが、これでようやく自由に話を書いていけると思うと嬉しいです。(と言っても後一話+αは固定なのですが……)


それ以降は深雪たちの折りなすちょっとズレた日常をノンビリと描いていく予定です。なのでお時間が許されました時、また深雪たちにお付き合いいただけたら幸いです。

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