第七話 決戦前夜
「――羊が三千二百四十二匹。羊が三千二百四十三匹……」
私は今、眠れない夜を過ごしている。理由は、横で寝ている千広が気になって。当人はすーすーと規則正しい寝息をたてて、気持ちよさそうに眠っている。その寝顔はまるで天使のようだ。
……まぁ、実物は見たことないんだけどね。
それに、仮に本当に天使いたとしても千広の方が可愛いのではないか? と思う。我ながら少々姉バカかもしれない。
「羊が三千二百四十四匹。羊が三千二百四十五匹」
もちろん、こんな状況になったのにはわけがある。それは、今日のことと明日のこと……。
◇◆◇
ファミレスから出た私たちはそのまま街へと繰り出し、色々な場所を見て回った。ファンシーショップで小物を見たり、ペットショップで動物と触れ合ったり……。ゲームセンターに寄って、プリクラを撮ったりした。
優にお願いして一枚だけ千広とのツーショットを撮らせてもらったりもした。「貸しひとつだよ?」と楽しげに言っていたのが妙に気になるけど……。
まぁ、それは置いておくとして楽しい時間を過ごしていたのだ。……最初のうちは。
少しずつ時間が過ぎてゆくにつれ、千広の笑顔も失われていった。昨日と同じように夕日で空がオレンジ色に染まり出した頃。その時にはもう自分から話しかけることもなくなっていた。
家に帰り着いてからもそれは同じ……。いや、さらに悪化している状態。
お父さん、お母さん、舞、優、スズ。そして……私。誰にもどうすることも出来ないまま、今日が終わりを迎えていく。そんな一日だった。
「千広? まだ起きてる?」
まもなく夜の十一時になろうといった時間帯。私は千広のことが気になって部屋を訪れた。お父さんからは「少しひとりで考える時間をあげよう」と言われていたけれど……。
「姉さん? ……うん、まだ起きてるよ」
声が返ってきた。千広は……いや、千広に限らず私の家族はみんな夜の十時半には就寝するので珍しいことだと思う。
でも、今日だけはきっと起きてると思えた。
「入るね?」
そっとドアに手をかけ、ゆっくりと開ける。一応、他のみんなにも配慮。
「どうしたの? こんな夜中に珍しいね?」
「ちょっと……ね。千広、今日は少し様子が変だったから気になって」
「……ごめんなさい。心配かけちゃったね」
少しだけ苦笑いしてみせる千広。でも、その無理矢理感が痛々しい。
「ううん。……ねぇ、横に行ってもいい?」
「……うん」
千広の部屋にある椅子は勉強机のものだけ。なので、それ以外の時はベッドに座ってということが多い。今回もそう。
私はそっと千広の隣に腰かける。
「今考えてるのって、明日のことでしょう?」
「……わかるの?」
「さっきからずっと机の上の紙袋を見てるんだもん。わかっちゃうよ……」
千広が見ている紙袋。それには私も見覚えがあった。中身は今日取りに行ったばかりの制服。女の子の着る制服……。
それを着ていくことは、女の子だと周りに告げることに他ならない。
「どうしても考えてしまうんだ……」
そう、ポツリと――
「みんながボクをどう思うのかなって」
千広は言葉を漏らす。
今まで男の子として一緒に過ごしてきた人物が、ある日を境に女の子として自分の前に現れる。たぶん、平静でいるのは難しい。
「だから、明日になるのが怖くて、今も眠れなかった……」
「……そうだよね」
どんなに望まなくても、明日は必ずやってくるものだから。それが千広を追い詰めていた原因。
それなら、私が千広にしてあげられることって何があるんだろう?
千広の不安を取り除いてあげられないのかな?
今の私に出来ることは――
「姉さん?」
そっと、私と千広の手を重ねる。ほどけないように指を絡めて。
「今日はここで一緒に寝よう?」
「えっ?」
「ほらほら、布団に入って。電気消すよ?」
有無を言わさず一緒に布団を被り、電気を消す。急に暗くなったため、まだ目も慣れておらず何も見えない。
ただ、繋いだ手の温もりが隣に千広がいることを教えてくれていた。
「前はよくこうやって一緒に寝てたよね……。覚えてる?」
「……うん、覚えてるよ。姉さんもボクも、嫌なことがあった日はお互いの部屋を訪れてたね」
「雷が鳴っていた日。怖い夢をみた日。友達と喧嘩した日……。他にはどんなことがあったかな?」
そんな日は決まって一緒だった。ひとりぼっちじゃないんだって、幼心なりにわかってたんだろう。二人だと、不安な気持ちが嘘のように溶けてなくなってしまって、安心できた。
いつの頃からかやらなくなってしまったけれど……。それでも――
「……私はいつでも千広の味方だよ? 明日も、明後日も、その先もずっと――」
この気持ちだけは、今でも変わらない。
「だから、ね? 今日はもう休もう?」
「うん、そうするね。……ありがとう、姉さん」
よかった。ようやく、笑ってくれたね……。
結構目も慣れてきたとはいえ、闇に包まれた部屋の中はまだまだ暗い。だから、正直なところ千広が本当に笑ってくれたところがはっきり見えたわけではないんだけれど……。
「お休みなさい、姉さん……」
「うん、お休み……」
でも、私の長年培ってきた姉としての経験と勘が「間違いないよ」って教えてくれている。きっとこれは、私と千広の絆……。
◇◆◇
「お姉ちゃん……」
不意に、横で寝ている千広の口から私を呼ぶ声が漏れる。
「どうしたの? 千広」
そう聞き返してしばらく待ってみる。でも、なかなか反応がない。どうやら寝言だったみたい。
あの後、千広はすぐに眠りについた。きっと一日中気を張っていて消耗してたんだと思う。……ごめんね、もっと早く気付いてあげれなくて。
でも――
「お姉ちゃん……か」
久しぶりにそう呼ばれた気がする。
今は私のことを「姉さん」と呼ぶ千広も、小学生の頃は「お姉ちゃん」と呼んでくれていた。
……そっか、千広と一緒に寝なくなったのもあれくらいの時期だったな。
横で眠る千広をもう一度そっと見やる。あの頃から変わらない、可愛らしい寝顔。
今日は、少しだけお姉ちゃんらしいことができたかな?
明日の決戦の舞台をしっかりと見守れるよう、私もそろそろ休むとしよう。
明日も、明後日も、これからも。千広が笑顔で過ごせるように……。
――お休みなさい、お姫様……。明日は頑張ろうね。
そっと、私は目を閉じた……。
……
…………
………………
ところで、今何匹まで数えてたっけ?
なんだか前の話からずいぶんと間があいてしまいました……。
私はどうも登場人物が少ない&動きが少ない話を書くのは苦手なようです(泣)
ところで、私の予定としては後二話くらいで導入部が終わり、それから日常系のコメディーを書いていく手筈になっています。
次の話は気分転換もとい現実逃避をして先の話を書いてみたりせずに、早めに書いて載せれるようにしたいと思いますので、また足を運んでいただけたら嬉しいです。