第五話 弟姫
夕食を終えて洗いものを済ませた後、私たちは千広の部屋に集まっていた。理由としては、千広のブラを着ける練習のため。
「えっと、あれ? はまらない……。どこにあるのかな?」
「ヒロ兄。ほら、ここだよっ」
「あっ、あった。ありがとう、舞」
「どういたしまして」
舞が千広の手をそっと導く。すると、ようやくホックが引っ掛かかった。
「やっぱり、何も見ないで着けるのは難しいね」
「慣れればなんてことないんだけどね。でも、出来ないと困ることもあるから頑張って、千広」
先程まではクローゼットの鏡を見ながら練習をしていて、その状態でならほぼ問題ないくらいには上達している。だが、鏡を使わずにとなると、まだまだ苦戦するようだ。
ところで今、千広は一回毎に他のものと交換しながら何度もブラの装着の練習を繰り返していた。当然それには理由がある。
ひとつは様々な形状のホックに慣れるため。つまり純粋な練習としてだ。
そして、もうひとつは千広の好む材質のものを知るため。
ブラは直接肌に触れさせて身に付けるものなので、肌触りが良いものの方がストレスも少なくなる。
そう言った理由から交換しながらの練習を奨めた私(と舞)は――
「ほら、ヒロ兄。次はこれを試してみよう?」
「待って、舞。それよりもこっちの方が千広に似合うと思わない?」
「……えっと」
千広のプチファッションショーを楽しんでいた。
……眼福眼福。
◇◆◇
〈コンコン〉
『千広? いる?』
しばらくそんなことを続けていると、不意にドアを叩く音とお母さんの声が聞こえてきた。着替えの手を止め、千広がドアを開ける。
「何? 母さん」
「お風呂沸いてるから、先に入ってきなさい?」
「うん、ありがとう。でも、姉さんや舞や母さんみたいな女の子が先に入った方がいいんじゃない?」
「うふふっ、それを言ったら、千広も女の子よ? それに、深雪と舞にはちょっとお話があるから。……ねっ?」
「わかった。それなら、先に入るね?」
「えぇ、行ってらっしゃい。あ、そのままの格好で行っちゃ駄目よ?」
そうお母さんに言われた千広は、上にシャツを着て部屋を後にした。そして、部屋に残っているのは私と舞と、ニコニコと笑顔を浮かべているお母さん。たぶん、千広に女の子と言われたことが嬉しかったんだと思う。
……いえいえ、いい歳してとか全然考えたりしてませんよー、お母様。だから、その全く笑ってない目でこっちを見ないでくださいませ。
「それで、話って? やっぱりヒロ兄のこと?」
「……えぇ、そうよ」
なんとなく予想はできていた。さっきのやりとりも、当人である千広に聞かれないよう配慮してのことだろう。
ちなみに、先程のピンチは乗りきれた……と、思う。というか、乗りきれたと思いたい。
「正直なところ、あの子は今とても不安定だと思うの……。男の子でも、女の子でもない状態。あなたたちも今日一日を一緒に過ごして、何か思うところはなかったかしら?」
「……うん」
確かに、それはあった。私たちの“普通”という枠の中で考えれば、程度の差はあれど違和感を感じる光景。
――例えば、平気でお父さんと一緒にお風呂に入ろうとしたこと。女の子なら普通は一緒に入ろうとはしない。
――例えば、女性ものの下着に抵抗感を持たず、平然と着てみせたこと。男の子なら普通は嫌がってみせる筈のこと。
さっきのブラ装着の練習の時もそうだった。
ひとりでブラを着けれるよう、何度も何度も繰り返しやっていた。それは女の子としてなら普通だ。
その一方で、特に恥ずかしがることもなく(いくら私と舞が家族であり、女の子であったとしても)、上半身の一糸纏わぬ姿を他人にみせている。これはきっと男の子の一面。
そう話をしてみせると、お母さんは「やっぱりね……」と言葉を漏らし、小さく溜め息を吐いた。
「これはあくまでお母さんの想像で、実際には違っている可能性も高いけど……。千広は自分がわからなくなってるんだと思うの」
「……えっ?」
「今まで男の子として生きてきたのに、急に女の子になってしまった。だから、確固たる自分というものを無くしてずっと悩んでる。……故に、人に流されやすい」
お母さんが話してくれたこと。
曰く、千広は身体の変化に心がおいてけぼりにされた状態で、自分ではどうすればいいかわからなくなっている。だから、無意識に他人を支えにしてしまい、身を委ねてしまっているらしい。
考えてみれば今日一日、千広が断ったことはない。いや、一度だけ「学校をサボっちゃおうか?」と聞いた時は反対したけど、あれも私がもっと強く言っていたら渋々ながらも了承したかもしれない。
お母さんの話を聞き終わった後、舞がゆっくりと口を開いた。
「……それで、あたしやユキ姉はどうすればいいのかな?」
私も同じことを考えていた。私たちに何ができるのか。何をしてあげればいいのか……。
「それは――」
『いつも通りに接してあげればいいのさ』
「えっ!?」
ドアの向こうから声が割り込んできた。いきなりの乱入に戸惑いつつ、ドアを開けてみると――
「やぁ、話は聞かせてもらってたよ?」
そこにいたのはお父さんだった。何故か、布団でグルグル巻きにされている状態だが……。
「あら? 部屋に閉じ込めておいたのに……」
「うん、なかなか脱出には苦労したよ」
そう言って微笑んでみせるお父さん。なんだろう、すごく蹴りたくなってきた……。
というか、お父さんの部屋は一階でここは二階。ということは、あの階段(割と急)をそのイモムシの様な格好のまま登ってきたのだろうか? ……よく登れたものだと思う。
「二回程途中で滑って落ちてしまったけど、まぁ問題ないよ」
しかも考えてること読まれた!?
「それはいいけれど、説明してあげてくれる? 私と同じ考えだと思うから」
「おっと、そうだね」
今までとは違い、真面目な顔で話し始めるお父さん。……イモムシだけど。
「朝も言ったことなんだけど、僕は千広が男の子でも女の子でもいいと思ってる。ただ、千広が千広でいてくれればね……」
だから……。と、お父さんは続ける。
「千広が今までと同じでいられる様に、千広を千広そのままに受け止めてあげてほしいんだ。最も、身体が女の子である以上少し変わってしまうのは仕方ないけどね」
やっぱりお父さんはすごいと思う。こんな時にでも取り乱さず、どうすれば良いかを冷静に考えてる。ただ――
「ということで、これをほどいてくれないかな? 今ならまだ千広はお風呂にいる筈なんだ」
これさえなければいいのに……。
「……あなた? 仏の顔も三度までって言葉。知ってる?」
「ちょっと待った、まだ三度目だからセーフじゃないかい!?」
「銀行の預金残高」
「…………」
あぁ、お父さんが買ってきたたくさんの下着のお金ってそこから出てたのか……。
〈ガラッ〉
〈ポイッ〉
「ノオオオオオオォォォォォォォ!!」
〈ドサッ〉
〈ピシャッ〉
「さてと……」
お父さんを窓から外に捨てて、何事もなかったように話し始めるお母さん。ちょっと怖い。
「まぁ、そういうわけなんだけど……。ただ、さっきも言ったように、今の千広はとても危ない状態。純真無垢なお姫様みたいなものかしらね?」
「……お姫様」
「だからね? そんな千広に近付いてかどわかすクソ虫共は徹底的に排除すること。……いいわね?」
「「ラ、ラジャー」」
本能が警告する。この人(お母さん)には逆らうなと……。
でも――
お姫様。
その単語を思い浮かべる度に、不思議と胸が熱くなっていく。
千広はお姫様。お姫様な私の弟。
私の、弟姫……
「お風呂、上がったよ? ……あれ? どうしたの?」
お風呂から上がって、戻ってきた千広。頬がほんのりと赤みがかっている。
「ううん、なんでもないよ。ただ、千広のこと大好きだよって話してただけ」
「えっ……。あ、ありがとう。ボクもみんなのこと、大好きだよ」
さっきよりも少し赤みが増した気がする。照れているのかな? とても可愛らしいね……。
可愛い可愛いお姫様。私があなたをお守りします。だから――
ずっと、私と一緒にいてくれませんか?
こんにちは、赤井 鈴です。
今回はなんだかコメディーよりもシリアスが強く出てしまっている気がします。一応、お父さんで中和したつもりではいるのですが、いかがでしょうか?
次からはまたコメディー色の強めな話を書けると思いますので、そちらの方が好みの方がおられましたら、今しばらくお待ち下さいませm(__)m