第四話 着て、見て、触って
「――それじゃあ今日はここまで。日直、挨拶を頼む。」
「きりーつ、気をつけー、礼」
「「「ありがとうございましたー」」」
三限目の授業の終わりを告げる声。土曜日の今日は午前中のみの時間割となっていて、後は帰りのHRとその後の掃除が終わり次第解散となる。
……はやく先生来ないかな?
黒板よりも上に掛けられた、電波式のアナログ時計を見やる。その秒針は時を一秒一秒正確に、そして確実に刻んでいる。それに間違いなどないのだろう。
それでも、何故だか今日はそれがとても遅く感じられる。
いや、何故もない。理由はわかっているのだから。だって私は……。
「おーい、深雪ってばー。聞こえてないのかー?」
「……えっ?」
不意に聞こえた、私を呼ぶ声。その話ぶりから察するに、さっきから幾度となく呼んでいたのだろう。
「ごめん、ちょっと考え事してて……。それで、何かあったの?」
その声の主、小森春香に言葉を返す。
「いや、なんだか深雪の様子が朝から変だったからね。ちょっと気になって」
「深雪ちゃん、授業中もずっとうわの空だったし、何かあったのかなって話してたの」
春香のそれに、一緒に来ていた白石理奈が続けて言う。
やっぱりこの二人には気付かれてたか……。
「まぁ、大体予想はつくんだけどなー」
「たぶんだけど……。深雪ちゃんの弟の、千広君のことでしょう?」
「今までにも何度かあったからねー。十中八九間違いないでしょ」
「…………」
なんだか馬鹿にされてるような気がする。でも、正解。
悔しくても言い返せないのが情けない。なんとなく切ないなぁ……。
「おっ? その反応を見るに、正解っぽいねー。ま、小学校からの幼馴染みに隠し事は出来ないってことで」
「……はぁ、参りました。降参降参」
幼馴染み、侮り難し。
でも、私も二人のことは良く知ってるから結局はおあいこかもしれない。本人は気付いてないと思われるクセや好みの異性のタイプなんかもわかっている。
千広のことならもっと詳しいんだけどね……。ふふっ。
「でも、深雪ちゃん。私たちで力になれることがあったら協力するよ?」
「ありがとう。でも、もうちょっと自分で考えてみるから。それでもまだ駄目だった時はお願いするね」
「あぁ、何でも相談してくれていいぞ? あたしなら――」
あぁ、持つべきものは優しい友達。
「駅前のクレープハウスのクレープ三つで手を打ってあげるさ」
「…………」
その時は、ゴーヤとハバネロとシュールストレミングのクレープを奢ってあげるとしよう。うん、それがいい。そうしよう。
〈がらっ〉
「おーい、HR始めるぞー。みんな席に着けー」
ドアが開く音。それに一瞬遅れて先生の声が教室内に響いた。
「おっと、先生がきた。じゃな、深雪」
「またね、深雪ちゃん」
「うん、また」
自分の席に戻る二人を私は目で見送る。その後、喧騒が落ち着くまで少しの時間を要してから帰りのHRが始まった。
……はやく千広に会いたいな。
◇◆◇
「ほら、着いたよ千広」
HRと掃除を終えて、私はすぐに千広の教室に向かった。千広の方も丁度終わったらしくて、いいタイミングだったと思う。
ちなみに、そっと教室内をうかがってみたけれど、いつも訪れてる時と特に変わった様子はなかった。今日のところは大丈夫だったのだろう。
そして、学校からの家に帰る前。私と千広はあるものを買いに街にやってきていた。
「ここは……?」
「女性用の下着の専門店。千広、女の子になったんだから当然女の子用の下着がいるでしょう?」
「あ、そうか……。でも、ボク学生服だし、入れないと思うんだけど……」
「大丈夫大丈夫。最近はカップルの男女が一緒に買いにきたりもするって雑誌に書いてあったもの。だから、きっと平気よ」
「……知らなかった」
うん、まぁ嘘なんだけどね? でも、少しでも千広が落ち着けたようでよかった。
「ほら、早く行こっ? 時間なくなっちゃう」
「わ、待って、姉さん」
私は千広の手を取り、お店の中に入っていく。
ちなみに、ブラも買う必要もあるので、結局は脱いで計ってもらわないといけないと気が付いたのは入ってすぐのこと。
「えーと、トップが八十四センチの……。Cカップになりますね。そのサイズでしたらこちらです」
「……ありがとうございました」
計測を終えた千広と店内を見てまわる。と、可愛いもの、セクシーなもの、様々な下着が綺麗に並べられていた。
「ねぇ、アレ可愛いと思わない?」
「えっ、ちょっと派手だと思うけど……」
「そう? 似合うと思うんだけどなぁ……。って、あら? もう選んできたの?」
ふと、千広の持っていたかごを見ると、すでにいくつかの下着が入れられていた。だが――
「うん、こんなものかな? って思ったから」
「うーん、いくらなんでもこれは……」
あまり可愛くない。
見た感じでは、どれも飾り気のないシンプルなデザインものばかり。色も一色ものしかない。
「駄目かな? 一応生徒手帳に書かれてるように、シンプルなものを選んだつもりなんだけど……」
……あぁ、なるほど。それでなのか。
しかもこれは、男の子に多い『着れればいい』の買い方。どうりで選ぶのが早いわけだ。
「もう少し可愛いのにしましょう?」
「えっ? でも……」
「そこまでしっかりと学生規約を守ってる子なんていないよ? それに、同じようなのばかり着ても面白くないと思わない?」
……主に、見る私が。
「だから、そっちは戻してきて、今度はお姉ちゃんと一緒に選ぼう?」
「うん、わかった。でも、そっちの商品は少し高いね……。ボク、今日はあまりお金を持ってきてないから少ししか買えないかな」
「心配しないで。お母さんからお金を預かって来てるから」
そう言ってお財布からお金を取り出してみせる。
「お父さんの今月分のおこづかいから……ね?」
「……あれ、本気だったんだ」
ちょっぴりあきれ顔の千広(でも、そんな顔も可愛らしい)と、再び店内を巡る。買い物を終えて外に出た時には、もう夕焼け空になっていた。
◇◆◇
「ただいま。千広? いるかい?」
「あ、父さん。おかえりなさい。どうしたの?」
普段はみんな揃って食べる夕食。だけど今日はお父さんの帰りが遅いので、他のみんなは先に夕食をとっていた。そして、みんなが食べ終わった頃にようやくお父さんが帰ってきた。
……やけにテンションが高いのが気になるが。
「千広にプレゼントを買ってきたんだ。ほら、開けてごらん?」
そう言って、お父さんは千広に丁寧に包装された袋を渡す。
その中から取り出されたものは――
「あ、これって……」
色とりどりの、下着の山。中には水玉や縞模様といった柄ものもある。
「千広、女の子になっちゃったろう? だから、必要じゃないかと思ってね」
なんか、おかしくない? いや、間違ってはないけど、なんだろう。このモヤモヤした感じ……。
「ありがとう。お父さん。すごく嬉しい」
そしてなんの疑念も持たない、純粋な千広。そんな千広の様子を見てしまっては、言うに言えない。
……あれ? でも、ちょっと待って?
「ねぇ、お父さん。サイズはどうしたの? 適当に買ったの?」
とりあえずその件はおいといて、もうひとつ気になったことを聞いてみる。
「あぁ、朝触った感じで、だいたいわかってたからね。八十四センチのCカップ前後だと思って、それくらいを買ってきたよ」
……あの時か。
あのシリアスな場面で、さりげなく確認……。ある意味尊敬するべきかもしれない。
「腰とかおしりは見た感じで判断したから、パンツの方はちょっと誤差があるかもしれないね。だからお風呂から上がったら履いて見せ――。痛っ、ま、待った母さん。僕はまだ、千広と話を――」
「私がじっくり聞いてあげるから。だからこっちに……ね。あ・な・た?」
ずるずると引きずられていくお父さん。それを見て少しだけすっとした。
……でも、まだまだ甘いと思う。
まだ数枚の紙幣が入ったお財布。実は、お父さんの来月分のおこづかい分まで入っている。さっきまではさすがにと思っていたけど……。もう、いいや。
明日は、千広の服を買いに行こうかな?
きっと楽しい一日になる。不思議とそう思えた。