第十一話 野球少年の夢 前編
今回の話以降は一話一話の独立性が高くなっていくと思います。
それは、突然の出来事だった……。
「速水先輩っ!!」
放課後の帰り支度をしていた時のこと。息を切らせた一人の女の子が私の教室に飛込んできた。
……確か、千広のクラスメイトの子よね?
千広を呼びに行った時に何度か見た覚えがある。
……ということは。
「速水先輩……。よかった、まだ教室にいて……」
その子は私の姿を見付けると、ほんの少しだけ安心したようなそぶりを見せた。でも――
「……千広に何かあったの?」
彼女が私を訪れてきたということはそれ以外考えられない。
「は、はい……。千広君が、千広君が――」
「千広がどうしたの!? 急いで落ち着いて、ゆっくり早く話してっ!!」
「おいおい深雪、それはさすがに無茶だ……」
「深雪ちゃんも、一度落ち着いて……」
春香と理奈の私をなだめるような声が聞こえるけど、それどころじゃない。落ち着けるわけがない。
「千広君が、野球部の人たちに連れていかれちゃって……」
……野球部。
「場所はわかる!?」
「すみません、向こうの階段の方にとしか……」
「わかった。後は私がなんとかするから」
それを聞くやいなや、私は身を翻して教室を飛び出した。「深雪ちゃん!?」「ちょっと、深雪!!」と私を呼ぶ声を置き去りにして……。
……あそこ?
走り出してすぐに目についたのは、野次馬といった感じの生徒の集まり。それらが見つめているのは階段の踊り場の方。
『あ、あの。やめて下さい……』
まだ少し距離があるためか小さくしか聞こえなかったけど、私が聞き間違える筈がない。千広の、声……。
沸々と怒りの感情が沸き上がってくる。
一体どうしてくれようか野球部……。とりあえず、二度と五体満足でグラウンドの土を踏めると思うなよ?
そんな私の心情は顔にも現れているのか、私に気が付いた野次馬たちは一斉に道を空ける。……毛散らす手間が省けた。
場所はもう目前。後は角を曲がればすぐ。早く千広を助け出して、その後は徹底的に――
「ちょっと、野球部!! 千広に手を出して、まさかただで済むと思っ……て……?」
「あ、姉さん……」
叩きのめそうと思っていたのに……。
「えっと……。あれ?」
一体これはどういう状況ですか?
確かにそこには千広を囲む男子たちがいた。一、二、三……全部で十一人。みんな坊主頭で、上下とも白を基調としたユニフォームから話の通り野球部だろうということもわかる。
ここまでは別におかしなところは無い……。
ただ――
全員が土下座のスタイルというのはどういうことなのだろうか?
「……千広?」
「ボクにもよくわからないんだけど、次の休みの日に隣町の学校と練習試合があるらしくて……」
その時にマネージャーとして参加してほしいと頼まれたと千広は続けた。
「……どうして?」
「それには俺からお話させていただきますっ!!」
そう言って、千広の目の前で土下座をしていた部員がガバッと頭をあげた。
「ちなみに俺はキャプテンの佐藤です」
いえ、それは別に聞いてないですが……。
これ以上話の進みが遅くなるのも嫌だから、野暮な突っ込みはよしておく。
「まず、今度隣町の学校と練習試合を行うというのは先程お話したとおりなのですが――」
そこで一度言葉を区切った加藤さん……だっけ? は少し溜めた後――
「あそこには本当に腹の立つやつがいまして……」
強く感情を込めてまた話し始めた。
「キャプテンで四番でエース。……まぁ、それは別にいいんです。でも――」
「「でも?」」
「あの野郎、あろうことかマネージャーと付き合ってるんですよ!? しかも可愛い上に幼馴染みときたもんで。許せますか? 許せませんよね!?」
「「…………」」
……いや、同意を求められても困りますが。
「許せないぞー!!」
「もてることはそれだけで罪だ!」
「もてるやつは死ねばいいのにっ! うぅっ……」 だけど、他の野球部員からは同調の声。いや、野球部員だけでなく――
『負けるな野球部!!』
『ぶっ潰してこい!!』
『いや、むしろぶっ殺してこい!!』
それは後ろで聞いていた野次馬からも……。
……あの、私たち帰ってもいいですか?
結局、彼らの怒号は十分にも渡ってその空間を支配したのだった。
「――すみません、取り乱してしまって」
「……いえ」
「……お気になさらず」
素直に謝られて、さすがに「全くだ」とは言えなかった。
「勝手なお願いだってことはわかってます。でも、なんとかしてあの野郎を見返してやりたくて……」
「そこは試合で見返したらいいのでは……」
と、千広。うん、最もな意見。
「例え試合で勝っても勝負に負けては意味がないんですよ」
……もはや最初から負けてる気がするのは気のせいかな?
「他の女子に頼んでみるとかは……」
「あははは……。俺たちに女子の友達なんて一人もいませんよ」
……気のせいじゃないみたい。駄目だ、この人たち……。
私と千広はそっと溜め息を吐いた。
正直、彼らとは初対面。そこまで千広がしてあげる義理なんかも全くない。……本音を言うと、せっかくの千広との休日が潰されるのも面白くない。
だから、嫌味のひとつもと思って聞いてみた。
「それって……。マネージャーってそんなに大事なものなんですか?」
って……。だけど――
「傍から見れば馬鹿らしいことに思えるかもしれません……。でも、俺たちにとっては本気になるに値することです」
返ってきたのは私の予想に反した答え。声も本当に同一人物なのかと思える程に真剣なものに変わっていた。
「男には絶対に譲れない、譲ってはいけない場面がある。……親父の受け売りですが――」
今までと打って変わって、表情も真面目さを伺わせる……斎藤さん? ……えと、キャプテン。
「今回は正にその時じゃないかと思ってます。例え、プライドを捨ててでも絶対に……」
「佐藤さん……」
……そうだ、佐藤さんだった。
「だから、元々は男だった速水君ならもしかしたら俺たちの気持ちをわかってくれるんじゃないかって。みんなと相談して決めたんです。すみません、こちらばかりで勝手に……」
話を終えた佐藤さんは、少しきまりが悪そうに視線をそらして……。そのまま、しばらく黙ったままだった。
「……いいですよ」
「えっ!?」
少しの間、沈黙が続いた後……。
「ボクで力になれるのなら……」
「本当ですかっ!?」
千広は、はっきりと引き受けるって答えた。
「いいの? 千広」
「うん。残念ながら野球部の皆さんの気持ちはわからなかったんだけど……」
そう言って、千広はちょっと苦笑い。
「ただ、『男には絶対に譲れない、譲ってはいけない場面がある』って言葉はちょっとだけわかる気がしたから……」
「そっか、そうだよね……」
千広には男の子の一面もあるのだから――
「だから、なんか応援してあげたいなって」
「……うん」
少し共感できるところがあったのかもしれない。
「ありがとうございます!! よっし、これでドローだ。後は試合に勝って勝利といくぞ!!」
「「「おおおおぉぉぉぉぉ!!」」」
何だか不思議。さっきまでは興味もなかった筈なのに、今では野球部に頑張ってほしいなって思ってる私がいる。
きっと、千広がマネージャーをするって決めたからだけど……。
千広はきっと一生懸命にお手伝いをする筈だ。真面目な子だもん。
それなら――
「あの……」
「はい?」
「私も一緒に行ったら駄目ですか?」
私は、千広のことを応援してあげたい。そう、思った……。
「「「…………」」」
えっ、あれ? 駄目?
「「「きたあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」」」
……はい?
「まさかお姉さんまでも!!」
「これ、勝ち確定じゃねぇか?」
「もう試合負けてもいいかも……」
「ばっか、ここは試合にも勝って完全勝利を目指すところだろ」
「俺、マネージャーにホームランを捧げるわ」
「あ、ずりぃ。じゃあ俺は……」
……えっと、あれ? さっきの真面目な空気は?
「……ねぇ、千広?」
「姉さんの考えてることはわかるけど……」
「「…………はぁ」」
……やっぱり男の子ってよくわからない。