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私の弟姫  作者: 赤井 鈴
10/11

第十話 速水家の普通

「……はぁ」

 最近、なんだかよく溜め息を吐いているような気がする。今日一日でも、もう何度したのかすら覚えていない。

 溜め息を吐くと幸せが逃げるとよく言われるけれど、自然と出るものは仕方がないと思う。

「……はぁ」

 あぁ、また……。

 私がこうして思い悩んでいること。それは言うまでもなく千広のこと……。

 近頃は学校も段々忙しくなってきて、私とあの子の時間が噛み合わないこともしばしば。今日も『明日の授業の調べものがあるから図書館に寄ってくる』とのメールがさっき届いた。

 それでも一緒にいたくて『手伝おうか?』と返信をしたけれど、『班ごとのグループ研究だから』『結構時間がかかりそうだから先に帰ってて』と返ってきた。

 そんなこんなで、最近はなかなか一緒の時間をつくることが出来ていない(家では一緒にいるけれど、あのくらいでは全然足りない)。平たく言ってしまうと――



 千広分が完全に不足してしまっていた……。



 去年と比べれば遥かに良くはなった。私は高校で、千広は中学校。あの時は休日を除けば、家か通学路の途中までしか一緒にいれなくて本当に寂しかった。

 それでも、人は一度上の生活をしてしまうとなかなか元の生活には戻れないものなのか。あの三日間を過ごした後だとなんだか物足りないという感じだ。

 せめて、私と千広が同じ学年、同じクラスとかだったならもっと一緒にいられると思うのだけど……。



 ……



 …………



 ………………



 あれ? これってもしかして名案じゃない?



 試しにちょっとだけ想像してみよう。





『ねぇ、姉さん』

『ん? どうしたの?』

『もうどの役員になるのか決めてる?』

『ううん、まだだよ。千広は?』

『ボクもまだ決めてないんだけど。……姉さんさえよければ、一緒に図書委員をやらない?』

『えっ?』

『いや、別に図書委員じゃなくてもいいんだけどね。保険委員とか美化委員とかでも。ただ、姉さんと一緒にやりたいなって……』

『……うん、いいよ』



 ……いい。



『あ、しまった……』

『どうしたの? 千広』

『うん、実は数学の教科書を持ってくるの、忘れちゃったみたいで……』

『そうなんだ……。じゃあ、私の教科書を一緒に使おう?』

『えっ?』

『ほらほらっ、机くっつけて?』

『……うん、ありがとう姉さん』

『どういたしまして』



『……姉さん、ちょっといい?』

『うん、いいよ?』

『この問題がなかなか解けなくて……』

『あぁ、これは昨日習ったこの公式に当てはめるとXの値がでるでしょう?』

『あっ、そうか』

『後はもう一度自分で考えてみて? またわからなくなったら教えてあげるから』

『うん。ありがとう、姉さん』



 とてもいい。



『はい、千広。あーん』

『ね、姉さん。恥ずかしいよ……』

『いいじゃない。ねっ? ほら、あーん』

『あ、あーん』

『どう? 美味しい?』

『……うん、美味しい』

『よかった』

『……はい、あーん』

『ふぇっ?』

『ボクだけ恥ずかしいのはずるいよ……。だから、姉さんにもお返し』

『わ、わかった……。あ、あーん』

『美味しい?』

『……うん。とても、美味しいよ……』



 すごく、いい。



 とっても甘い学校生活になりそうな予感。何だか無敵の未来が見えてきた気がする。

「――い」

 他にも千広と一緒に文化祭でお店をやったり、千広と一緒に修学旅行に行ったりとかして――

「おーい、速水。聞こえてないのか?」

「ひゃうっ!?」

「うおっ!?」

 と、背後からそんな幸せな想像にメスを入れる声が聞こえた。

「あー、すまん。驚かせるつもりはなかったんだが、速水が廊下のど真ん中で固まってるのが見えたもんで……」

「……いえ、ありがとうございます」

 その声の主は高橋先生。一年生の頃からの私のクラスの担任の先生。

 ……ん? ということはつまり……。

「まぁ、とりあえずそれだけだな。あまり遅くならないうちに帰れよ?」

「あの、待って下さい」

「ん? どうした?」

「先生に、大事なお話があります」



   ◇◆◇



「ここならいいか?」

「はい、あまり他の人には聞かれたくない話なので……」

 ここは生徒相談室。基本的に先生と生徒が一対一で話をすることが出来る部屋。込み入った話をしても外に漏れることがないように防音にも気をつかって造られている。

「――それで、話というのは? こんなところでないと話せないということは、深刻な話なんだろう?」

「はい――」

 そう、深刻な話。私と千広の未来がかかっているのだから。

「先生にはご迷惑な話だと思います」

 さすがに面倒はかかってしまう筈だ。それには少しだけ申し訳なく思う。

「でも、先生には私の気持ちを知っておいてもらいたくて……」

「ふむふむ……。ん? ちょっと待て。それはもしかしてアレ関連か?」

 アレとは何だろう? 思い当たるふしは――

 ……あぁ、そうか。一週間前の集会のことだ。

 考えてみれば私の相談なんて千広のことだと。そして、勘のいい人なら私が何を考えているのかさえも、すぐにわかるのかもしれない。……でも、それなら話が早い。

「はい、アレです」

 そう答えると先生は苦い顔をする。

「……それは気の迷いだ。早まるな」

「気の迷いなんかじゃありません。私は本気です」

 勝手に決めつけないでほしい……。

「第一、俺には妻も子どももいる。それはお前も知っているだろう?」

 どうして先生の奥さんや子どもの話が出てくるんだろう? いや、そうか……。私に協力すれば先生の立場が悪くなるのかもしれない。家庭を持ってる先生には頷き難い話なんだ……。でも――

「はい、知っています。……でも、退くわけにはいきません」

「速水……」

 私にも退けない理由があるから。

「だから先生、お願いします。私の気持ちを受け止めて下さい――」

「むぅ……。だが、それでも――」

「私を留年させて、千広と同じクラスに編入させて下さい」

「俺にはあいつらを裏切るなんてことは――。…………何?」

 あれ? 何だか変な顔してる?

「ですから、私にもう一度千広と一緒に一年生をやらせてほしいんです」

「…………あー、すまん。盛大に勘違いしてたわ」

 ……何とだろうか?



「まぁ、とりあえず俺から一言言わせてもらうとすれば、それは無理だ。お前を留年させる理由がない」

「そんな……」

「じゃあ、お前から何かあげてみるか?」

「そう、ですね……。出席日数が足りないとか」

「お前、去年皆勤賞貰ってただろう……」

「じゃあ、成績不十分ではどうですか?」

「お前が成績不十分だったら、今の二年は一桁も残らないぞ? 前回のテストなんか、たしか総合で七位だった筈だが」

「それは……、カンニングをしたから……とか」

「一番前の席でか? ……それに、俺の英語の最後の自由作文。文法まで完璧に、『私の家族』という内容で裏までぎっしり書いてたのは誰だったかな? ……八割がた弟のことについて書かれていたが」

 しまった、あれは罠だったのか……。

「……そうだ。実は私、留年しないと死んでしまう病なんです」

「そうだ。じゃないだろ……。とりあえず、医師の診断書を先に持ってこい」

 うぅ……、手強い。このままでは私と千広のラブラブ姉弟計画……。いや、今は千広は女の子だからラブラブ姉妹計画かな? が潰れてしまう。何でもいい。他に何か理由はないものか……。





「それじゃあ――」

「何やってるの? 姉さん……」

「……え?」

 先生と私の二人しかいない筈の部屋に響く、もうひとつの声。それは――

「千広……」

 今の話の鍵だった人物。私の弟の、千広。

 でも、どうして? この部屋は確か――

 ……あっ。窓、全開になってる……。

「もう、先生を困らせちゃ駄目じゃない」

「だって……」

 千広とのラブラブな学校生活がかかっているんだもん……。

「高橋先生。姉さんが変なことを言って、すみませんでした……」

「いや、気にするな。速水のブラコ……弟思いを知ることが出来て、なかなか面白……こほん。有意義な時間だった」

 なんだか、失礼なものを感じるのは気のせい?

「そう言っていただけると助かります……。それじゃあ、ボクたちはこれで失礼しますね」

「あぁ……。二人とも、気を付けて帰れよ?」

「あっ、待って……」

 まだ話はついてな――

「ほら、姉さん。早く行こう?」

「あ、うん……」



 ……我ながら、どうしてこう何度も引っ掛かるのかなぁ。



 頭でわかっていても、身体が無意識に反応してしまう。

 そっと、千広から差し出された手。私は思わずその手を握ってしまう……。

 それはとても温かくて、柔らかくて――

「……また、千広に負けちゃった」

「えっと、何が……?」

 その瞬間は、ラブラブ姉妹計画が失敗してしまったことも「まぁ、いいか」と思えてしまったのだった……。



 ……不覚。



   ◇◆◇



「――で、今もそんな状態なわけね……。お疲れ様、ヒロ兄」

「お疲れ様、兄ちゃん」

「あははは……」

 もう家には帰り着いた私たち。でも、あれからこの手は繋いだままだった。失敗して失った分は他の機会で補う必要があるのだ。

 千広分、現在も補給中……。

 少しは貯まってきたかな? ……うん。今、三パーセントくらい。

「……なぁ、千広。実は父さんの左手が空いてるんだが――」

「あらあら、それなら私が構ってあげましょうか」

「あだだだだだだっ!? 母さん、ギブッ、ギブッ……」

 ……あぁ、お約束。

「本当に懲りないよね、お父さん」

「わかっててやるからね……」

「にゃあ……(やれやれ……)」(注:と、言っているような気がする)



「父さん、大丈夫かな……」

「利き手は右手だから大丈夫じゃない?」

「いや、姉さん。それはちょっと違うような……」

 だって、あまりにも普通の光景だもの……。



 でも――



「どうかしたの? 姉さん。ボクの顔に何か付いてる?」

 普通ってことは、変わらないってことはとても幸せなことなんだなって。最近、わかったんだ……。

「ううん、なんでもないよ……」

 もちろん、どうしても変わってしまうこと、変わった方が良いこともあるけれど――

「なんでも……」

 千広には変わらず、ずっと笑顔でいてほしいなと……。そう、思った。





「うがあああああぁぁぁぁぁぁ!!」



 ……お父さん、うるさい。



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