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踏む者たち

「お前、時空を止めるあの術――あれは何だ?」

 橋へ向かう足を止めず、オキタが横目でこちらを見た。

「時空固定だ。対象の時間だけを切り取って止める魔術……と言えばわかるか?」

「言葉はわかるが、実感が追いつかないな。俺の三段突きを止めた奴は初めてだ」

 オキタは唇の端をわずかに上げたが、それは笑みというより、興味を覚えた獣の表情に近い。


「ただ、あれは長くは保てない。消耗も激しい」

「ほう……つまり、長期戦なら俺の勝ちだな」

「自分の有利を即断するあたり、相変わらずだな」

「戦場での判断は速さが命だ」


 アイビスが小首を傾げ、二人の間を交互に見ていた。


「二人とも……さっきまで本気で殺し合ってたのに、なんだか普通に話してるね」

「戦ったからこそ、わかることもある」


 オキタの返答は簡潔で、それ以上の説明はなかった。


 橋の袂に着くと、苔むした石板の上に刻まれた文字が目に入った。

 古代文字――だが、一部が崩れていて読み取れない。

「……これ、読めるか?」


 アルドリックはアイビスに訊ねた。

 少女はしばらく石板を見つめ、首を振る。 


「ごめん……何か知ってる気はするけど、頭の中が霞んで……」


 言葉を詰まらせ、眉を寄せる彼女の姿に、オキタがぼそりと言った。


「無理に思い出すな。記憶は時に毒だ」


 唐突な言葉に、アルドリックは目を細めた。

「お前……記憶について、何か知ってるな?」

「知っているとは言っていない。だが、忘れたほうが楽なこともある」

 そう言い残し、オキタは橋を渡り始めた。


 彼の背中を追いながら、アルドリックはふと気づく。

 足音が、妙に静かだ。石橋を踏む音が、霧に吸い込まれるように消えていく。

 ――まるで、音も時と一緒に削られているように。



 橋を渡る途中、オキタはふと立ち止まり、苔むした欄干に手を置いた。

 その動作はやけに静かで、まるで何かを思い出しているようだった。


「この匂い……血と鉄、そして湿った石。戦の夜を思い出す」

「戦……? お前の世界も戦争があったのか」

「俺がいた時代は、戦が日常だった。名もなき者が明日を知らずに死んでいく……そんな時代だ」


 淡々と告げる声の奥に、微かに寂しさが滲んでいた。


「お前は……軍の兵士だったのか?」

「いや……俺は『隊』にいた。仲間は皆、同じ羽織を着て……命を懸けて街を守った」


 その言葉と同時に、彼の背後に一瞬だけ幻のような映像が重なった。

 薄青の羽織に白い山形模様――すぐに霧に溶けたが、アルドリックは確かに見た。


「……その隊の名は?」


 問いかけると、オキタは少し口元を緩めた。


「言ってもお前は知らんだろう。だが……俺の名がそれを証明している」

 そう言って、また歩き出す。


 アイビスが小声で尋ねた。

「ねえ、アル……あの人の目、戦いのときと違うね」

「……ああ。今は、人じゃなくて過去を見てる」


 橋を渡りきると、霧の向こうに広がる景色が一変した。

 岩山と谷が入り組み、空には異様な裂け目が走っている。その裂け目の奥には、星空とは違う別の世界がちらついていた。

 風が渦を巻き、どこからか鐘の音のような低い響きが聞こえる。


「ここは?...なんか」

アイビスが首を傾げる。


「ああ。ここはさまざまな時代、世界、宇宙までもが交差する場所と、俺は踏んでいる」

「オキタ、お前はなんだかこの世界に詳しいな」


オキタは自嘲気味に笑う。


「俺はある日、戦の最中に光に呑まれ、気づいたらここにいた。それから三十年――不思議なことに、俺の身体は一切老いちゃいない」


アルドリックは眉をひそめた。

「三十年……?」


「ああ。だが、ここは最近おかしい。地形は崩れ、魔物が増えた。何かが変わった。昔は試練のお告げがあったものだか最近は全く来ないな」


 その言葉に、アルドリックは胸の奥がざわめくのを感じた。

――やはり、この世界の異変とアイビスの記憶は繋がっている。

 そして、その謎を解けば、彼女を昔の彼女に戻せるかもしれない。

 かつて自分のはるか先を走っていた天才。ずっと超えたいと思い続けた存在。

 今、その力も記憶も失った彼女を、もう一度本来の場所に立たせ、そして超える。

 それが――自分の中にある空虚な穴を埋める唯一の方法だと信じていた。


アルドリックは視線を前に向ける。

「……なら、奥へ行くしかないな。答えはきっとそこにある」


 その瞬間、谷底から地鳴りのような音が響いた。

 足元の石が震え、巨大な影が霧の中から姿を現す。


「……あれは……恐竜か?」

 オキタの声にはわずかな驚きが混ざる。

「本でしか見たことがないが……生きて動いてるのは初めてだ」


「……なんだあれ……!」


 アルドリックの目に映ったのは、牙を剥き、巨木のような脚で大地を踏み鳴らす恐竜だった。

 血の匂いと腐臭が混ざった息が、こちらに吹きつける。


 谷底からの咆哮が、耳の奥まで震わせた。

 大地を割るような足音が迫り、霧をかき分けて、巨体が現れる。

 灰褐色の鱗に覆われた体は城門ほどの高さがあり、頭部には鋭い金色の眼。

 口を開けば、何十本もの短剣のような歯が涎と共に光っていた。


「……でかいな」


 オキタの冷ややかな声が、霧の中でひどく鮮明に響いた。

 次の瞬間、谷底を割る咆哮。灰褐色の巨体が霧を突き破り、こちらへ突進してくる。

 大地が跳ね、足元の石が飛び上がる――その瞬間、アルドリックは息を呑んだ。


……今、恐竜の右脚が、ほんの一瞬だけ狼の脚に変わった。

 まるで別の生物が混ざり込んでいるかのように。


「妖術使い! 立ってるだけで喰われるぞ!」

 オキタの声で我に返り、アルドリックは手を振り上げ、炎の壁を展開する。

 轟く炎が巨体を包むが、鱗は熱を弾き返すように黒く焦げただけで、恐竜は突き破って迫ってきた。


「クソっ!」


 舌打ちと同時に横へ飛び退く。その足元を尾が通り抜け、地面が爆ぜる。

 飛び散った破片の中に、一瞬だけ白い貝殻のような物が混ざって落ちた――ここが海でもないのに。


 オキタは恐竜の死角に回り込み、低く踏み込む。


「――一閃!」


 刀が鱗の継ぎ目を狙って走るが、骨の硬さが刃を跳ね返し、火花が散った。


「硬いな……」


 その瞬間、恐竜の背から黒い羽根のような物が突き出たが、次の瞬間には消えていた。


「妖術使い、動きを止められるか?」

「短時間なら……!」

 アルドリックは魔力を全身に巡らせ、地面の影を操る。

「――時空固定!」


 空気がひび割れるような音と共に、恐竜の前脚が一瞬だけ止まった。

 止まった脚の形が、今度は人間の腕に変わりかけている――皮膚がひどく裂けたまま。


「もらった!」

 オキタが跳躍し、首元へ三段突きを放つ。

 一撃目で鱗を割り、二撃目で肉を裂き、三撃目で鮮血が霧に散った。

 だがその血は赤ではなく、ところどころに青白い光を含んでいた。


 恐竜が激痛に暴れ、口を大きく開けてオキタを呑み込もうとする。

「右!!!」

 アイビスの叫びと同時に、オキタは身を翻し、顎が地面を砕く。岩片が雨のように降り注ぐ。


「アル! あそこ!」


 指差す先――首元に剥がれた鱗の隙間。赤い皮膚が露出している……が、その皮膚は魚の鱗のように光を反射していた。


「任せろ!」


 アルドリックは炎を一点に収束させ、槍の形に固めた。

「――炎の槍よ貫け!!」


 轟音と共に槍が突き刺さり、皮膚を焦がしながら奥深くへと食い込む。恐竜が絶叫し、よろめく。


「まだだ!」

 オキタはその隙に足元へ回り込み、膝の関節を狙って斬撃を叩き込む。刃が腱を断ち切り、巨体が崩れ落ちる。


 だが、倒れたはずの恐竜は最後の力を振り絞り、尾を乱暴に振るった――その尾の先が、一瞬だけ巨大な蛇の頭に変わり、牙を剥いた。

「っ――!」

 オキタが受け身を取り、アルドリックは炎の盾で直撃を防ぐが、盾は一撃で砕けた。


 谷が揺れ、恐竜は脚を引きずりながら立ち上がる。

 血走った瞳の奥に、知らない星空の映像がちらついている。


「もう一発だ!」

「……ああ!」


 アルドリックは魔力を限界まで搾り、今度は雷を帯びた槍を作り出す。


「雷槍よ――落ちろッ!」

轟音と閃光が一体となり、槍は鱗の裂け目から内部を貫いた。


 爆ぜるような悲鳴。恐竜の輪郭が一瞬だけぼやけ、 狼、魚、人間、翼竜――様々な影が入り乱れる。

 そして崩れるように岩壁に激突し、そのまま谷底へと落ちていった。


……やがて静寂が戻る。

 三人はしばらく呼吸を整え、互いの無事を確かめた。


 オキタは刀を布で拭きながら、淡々と言う。

「悪くない連携だった。……だが、あれは“恐竜”じゃない。混ざり物だ」


 アルドリックは眉をひそめた。

「……ああ。俺もそう思う」


「混ざり物?」


 アイビスが首を傾げる。


「ああ。爪も尾も、動きも……全部がちぐはぐだ。ああいうのは、たいてい“裂け目”の奥から来る」


 アルドリックは一歩踏み出し、霧の向こうを見やった。

「……裂け目。お前、そこに行ったことがあるのか?」

「一度だけな」

 オキタは短く息を吐く。


「そこに“帰還門”がある。元の世界に戻る唯一の道だ」


 その言葉に、アイビスの目が見開かれる。


「じゃあ……行けば帰れるの?」

「行くだけじゃ無理だ。門は閉ざされている」


 オキタは苔むした橋の方へ視線を戻した。


「昔は“試練のお告げ”が現れ、試練を全て乗り越えた時、帰還門が開くだろう...とな」

「だから……今はどうしようもできないってことか」


アルドリックが眉を寄せる。


「そうだ。だから、俺はこの世界の謎を解明しなくてはいけない」


 視線は、迷いなくアイビスへと向けられる。


 アイビスは小さく唇を噛んだ。

「……私の記憶と関係がある....」

「ああ、俺はそう踏んでいる」


「....俺も、俺はお前の記憶を取り戻す」


 アルドリックがきっぱりと言った。

「本当のお前を、俺は……お前を超えなくてはならない」


 その言葉に、アイビスは驚いたように目を瞬かせる。


「超える……?」

「俺はずっとそう思ってきた。けど今は、お前が元の力を取り戻さなきゃ、俺の目的も叶わない。だから……協力しろ」


 オキタは薄く笑った。

「……利害が一致したな。俺は帰還門を開けるために君の記憶や戦力が必要だ。君は自分を取り戻すために、俺と...アルドリックの助けが必要だ」


 アイビスは小さく息を吐き、二人を見渡す。


「……じゃあ、三人で行こう。私の記憶を取り戻しに――」

「そして俺の夢も、オキタの帰還も、全部叶える」

 アルドリックが重ねる。


 谷底から、かすかな水音が響いた。

 その奥深く、闇の中で何かがこちらを見ている気配があった。


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