1563年 家操30歳 水力紡績機 南蛮貿易
俺の名前は火縄幸之助……鉄砲職人頭をやっていたが、最近は鉄砲の製造は弟子に任せて旋盤を使って様々な職人達と集まって新しい発明品を作っていた。
最近では綿花の生産量が増えた影響で、家庭内で糸を紡ぐにも限界があるとして回転糸紡ぎ機の改良として八連紡績機の製造を2年前に完成させて、農村に売り込みをかけていた。
八連紡績機(史実ではジェニー紡績機に近いが東洋種の綿花に合わせて改良されている)は文字通り今まで1つの糸を紡ぐ工程を八連にし、並列させることで今までの8倍の糸を一気に紡ぐことのできる紡績機であった。
農村ではこの八連紡績機が飛ぶように売れて豪農と呼ばれる家か村工房と呼ばれる工場に八連紡績機を複数台設置して大量の糸を紡いでそれを足踏織機でどんどん布にしていき、売ったり、自分達で活用したりしていた。
ただ家操から転作をするから更に綿花が今年から生産されると聞いて、人力では製造限界が来てしまうと考えた俺は八連紡績機を作っている仲間と動力を水力や家畜を用いた物にできないかと考えた。
まず綿花から採取された綿を洗ってから梳綿(繊維を整える作業)があるのでこれの自動化に着手した。
水力よりも馬や牛を歩かせることで装置を回す馬力式が考案されて、それを回転脱穀機を応用した棘付きローラー繊維を擦りながら梳綿させていく絡繰が完成。
ただ農村では良いかもしれないが、やはり水力を動力とする梳綿機も必要だろうと水力式も程なく開発された。
そして並行して水力を原動力とした紡績機の開発に着手し、水車の水を汲む部分そのものを改良したり、水量調整に貯水池が必要であるという様々な改良を施しながら……
「か、完成だ! 自動紡績機だ!!」
実際は水力紡績機、半自動紡績機であるが、水力梳綿機と接続することで同じ場所で梳綿から紡績までを少人数で大量に作り出す事が出来るようになった。
俺はこの発明の成功により家操から1万貫もの莫大な報酬を得ることが出来た。
関係者全員に配っても3千貫は手元に残る。
しかも今回の発明により発明王として家操が俺を他の人に紹介するようになり、ますます新しい発明をしてやろうと力が湧いてくる。
弟子も増えたし、絡繰一門火縄屋として新しい発明をガンガンしていくぞ!
幸之助の活躍により農業の片手間で行う問屋制家内工業(農民が原材料を作ったり、足りない原材料を商人から前借りすることで製造してそれを問屋に卸す工業形態)だったのが、労働者を工場に集めて生産させる工場制手工業に進化することに成功する。
蒸気機関は技術的蓄積および冶金技術が足りないためこの時代での蒸気機関を用いた産業革命は不可能であるが、水力を使った大量生産技術の確立はできそうである。
領主の権限を使い、川の治水事業に着手し、各地に水路とダムの建設を行い、それに付随して水車を建設していった。
水車は製鉄や焼き物、炭、塩の製造等でふいご(送風機)を動かしたり、圧搾機を稼働させて油や砂糖の抽出に使われたり、今回のように紡績機の動力として使用したり、米の精米機や小麦の製粉等の幅広い動力として使われた。
そもそもイギリスでの産業革命時代の中盤……イギリスが世界の工場と呼ばれ始めた頃も主要動力は水力であった為、水力だけでも工業化は可能であるのは歴史が証明している。
俺はその流れを適切な投資をすることで後押しするのである。
しかも津田家領内には旋盤が普及しているのも工業化を後押しする。
幸之助を中心とした発明家や技術者がどんどん機械の改良に取り組みだし、海岸の浜風で水車と遜色ない出力が出せる風車の開発に成功した者も現れ更に工業化が進んでいく事となるのだった。
織田家の一部地域(津島や熱田、清洲等の資本が蓄積している地域や鳴海、岡崎、常滑等の領主が肝いりで特産品の開発に着手している地域)でも津田家領内で発達した技術の一部が伝播し、水車を用いた大量生産の真似事を始め、生産量を上げていた。
供給量の拡大により商人達も薄利多売に切り替え、商品の値下げと他の地域への輸出が行われた。
それで東日本各地と交易し、金、銀や銅を満載した船が織田領内に入港してそれを使って通貨を作り、作られた通貨で上方(畿内)から高級品や雑貨品、鉄を輸入する状態が発生。
交易船も千石船では輸送量が足りないと更に大型の五千石船(ほぼキャラック船)が完成し、水軍棟梁の佐治為孝と自称冒険王の大黒夷三郎が牽引して航海技術が発達。
家操が作っていた羅針盤を使った航海術や星の位置、海流の流れ、ホムセンにあった日本地図のコピーとそれを元にした海図の作成により大型船を航海させる技術を得られた。
で、この五千石船を堺に持ち寄った時に問題が発生する。
「だからこの船は津田家が独自に作り上げた船で決して南蛮人と取引して手に入れたわけじゃねぇよ!」
「イエ、ソノ作リハキャラック船トホトンド同ジデス! 誰ガ売ッタカ教エテ下サイ!」
佐治為孝が堺に商品を卸しに行った時に南蛮商人に絡まれた。
「デハソレホドノ技術力ガアルナラソノ領主様トオ話サセテクダサイ! 交易シマス!」
というわけで堺に停泊していた南蛮商人が浜松にやって来る事件が発生した。
「オオ、極東ニコレホドノ城塞都市ガ……アレハローマ街道ガナゼ!?」
浜松の港に降り立った南蛮人達は浜松の文化レベルの高さに驚愕し、そのまま浜松城に向かった。
その道中で鉄砲の射撃訓練の音が聞こえるが、止めどなく射撃するので火薬の消費量が激しい→硝石が売れると考え、ホクホク顔で登城し、俺と商談することになった。
(カタカナが連続すると読みにくいので南蛮人は『』で以後話します)
『初めまして領主様』
「遠くから遥々ようこそ日ノ本へ、歓迎しますよ」
最初に握手をしてから席に着く。
右筆の3人が今回の様子を書き込んでいく。
『私の名前はフアン・ヘルナンデス。ジャクソン商会の雇われ船長をしております』
「私は津田家操……ヨーロッパ風だとイエモチ·ツダになるかな」
『おお、ヨーロッパの文化を知っているので』
「多少な……フアンはどこの国から?」
『祖国はスペインになりますが、私はユダヤの民で異端審問に掛けられてインドのゴアから中華の寧波や澳門で交易商をしておりました。ただゴアでも異端審問官に捕まり財産を没収されて今はマカオを中心にジャクソン商会の雇われ船長をしております』
「そうかユダヤの民だったか……となるとユダヤ教徒か?」
『ええ、領主様はキリスト教とユダヤ教の違いがわかるので?』
「多少はな、ただ一神教は多神教の日ノ本と相性は悪いぞ。布教には向かないぞ」
『ユダヤの民でない方にユダヤ教を広めるつもりはございません。ただ商船の仲間はキリスト教を信じている者も多く』
「まぁ宣教師でない商人ならば別に気にしないがな。で、家には色々商品があるが何が欲しい?」
『何が欲しいですか……金や銀だと嬉しいですが……領主様は何を求められますか? 火薬であれば運んできますが』
「ああ、火薬は別にいらん。家で製造している」
『なんと!? 硝石が作れるので!?』
「製法は教えないが自家生産できている。家が欲しいのは東南アジアの香辛料、豚、大陸の大型の馬、カボチャやトウモロコシ等の作物の種等を輸入したい」
『ほうほうなるほど……何を我々に売ってくれますか?』
「そうだな見本を出そう」
俺は生糸、布、ガラス、ボーンチャイナ、茶葉、真珠、椎茸を見せる。
『こ、これは……』
「どれも安くしておくぞ。欲しい商品が沢山あるのではないか?」
『ええ、ええ! これほど綺麗なガラス細工は見たことがありませんし、真っ白な陶磁器もマカオのヨーロッパ行きの商人に高く売れるでしょう。茶葉もそれなりの値段で売れますし……真珠はヨーロッパ、椎茸は中華に高値で売ることができそうです』
「布だがこの品質ならこの値段で売るが」
『それならば東南アジア各地で売ることが出来そうです。いや! 日ノ本にこれほど産業が盛んな都市があるとは!』
「真珠はここよりも熱田という場所の方が取引されているぞ」
『なるほど! ここの地名は浜松でしたか……堺で取引するよりもここで買った方が良さそうですね。港も大きいですのでキャラック船でも入港できますし』
「商人が増えるのは良いけど宣教師は来られると困るぞ」
『なぜですか?』
「うちの嫁さんや神社……そっちの修道女みたいな人を嫁にしているから相性最悪だし、俺はその宗教と仲が良いし、政治と宗教の分離を推し進めている立場だからな」
『では商人仲間を呼ぶのは』
「全然構わない。できれば逆に金、銀、銅を持ってきてくれても良いぞ。ちゃんと取引するから」
『わかりました』
商談が成立し、フアンは城下町を俺の部下に案内してもらい回ったが、綺麗な町の作りに感動し、しかも町中で交易で売れそうな商品がゴロゴロ転がっていることに驚愕していた。
以後フアンの紹介で大陸系の商人や南蛮商人が浜松や熱田に来航するようになるのだった。
まぁ宣教師も来るようになるのだが、それはまた別のお話。