1560年 家操27歳 小田原城の戦い 前編
8月……長尾景虎出陣。
これにより数ヶ月に及ぶ大槻合戦の幕開けであった。
情報収集を密に行っていた多聞丸から北条が里見討伐に向けて軍を動かしていると情報が入る。
北条は長年里見水軍による海賊行為で苦渋を舐めさせられており、宿敵という間柄でもあったために今回の軍事行動を開始したと思われる。
これが7月の事であるが、長尾景虎の居る春日山城に関白である近衛前久が入ったという情報もあり、長尾景虎の軍事行動開始は目前に迫っていた。
俺は情報的にそろそろだろうなと武器や弾薬の準備を進めていると
『やっほー元気かい』
十年ぶりくらいに久しぶりに神様の声が聞こえるのだった。
『中々の立場になったね。送り出した神としても喜ばしいよ』
「だいぶ歴史から外れ始めてしまいましたがね」
『でも後悔は無いでしょ』
「はい!」
『ならば良し! じゃあ神様からありがたいお話をしようか』
「お願いします」
『コホン、貴方を取り巻く環境が今まで以上に大きく動く数年になるでしょう。長尾景虎、武田信玄、北条氏康……関東の巨大勢力の争いに身を投じる事になるでしょうが、軸がブレてはいけません。家の繁栄が貴方の目的です。織田家を含めて利用しなさい。間違えてはいけませんよ。そして必ず武田家はこちらに対して攻撃を仕掛けてくるでしょう。それを弾き返すだけの力を保有していなければ詰みというのを忘れずに』
「はい! 天啓ありがとうございます! ……でも最近天啓の頻度が減りましたが何か理由でも?」
『それは神が手伝いをすべき事が無くなってきたからです。神である私が介入しなくても生きていけると判断したからです。もう君は一人前だ。私でなくても頼れる仲間や家来がいるだろう』
『たぶん次に現れる時もまた結構時間が経っているだろうけど、私はちゃんと君の事をみているからね』
それだけ言うと神様の気配が消えた。
「神様ありがとうございます……俺、頑張ります」
長尾景虎が保護していた関東管領の上杉憲政の号令で北条討伐の号令を発すると、8000の兵で出陣した関東管領軍は関東に近づくにつれて兵がどんどん増えていった。
沼田城が落ちる頃には2万人に膨れ上がり、更に北条の防衛線を一瞬で突破していく。
昨年の飢饉で飢えていた民達も北条から米が奪えるとどんどん参加していき、武蔵国に突入する頃には5万を超えていた。
北条氏康は里見の城である久留里城を包囲して里見をあと一歩のところまで追い詰めていたが、長尾景虎来襲の報を受けると撤退し、武蔵国に新たに防衛線を引く。
その防衛線としていた城々も長尾景虎の圧倒的軍事力と兵数により数日と持たずに陥落し、武蔵国の防衛も不可能と残った北条の兵を小田原城へと撤退させ、他の城にも徹底した籠城をするようにと命令。
それと同時に武田家に長尾景虎の背後を突いて欲しいと要望し、織田家にも援軍を要請した。
その要請に織田信包は応え、俺を援軍の大将に指名して北条救援軍5000名を編成して小田原城へと向かった。
先んじて津田海軍が北条水軍と合流して小田原の海上防衛を整える。
関東管領軍は河越城、関宿城といった北条の重要拠点を包囲して更に態度を決めかねている関東諸将に檄文を送るのだった。
「織田家織田信包家老津田家操、主君の命にて兵5000を率いて参陣した!」
5000という数に北条一門はやや落胆した声をあげる。
織田家が全力動員すれば2万……いや3万は石高的に集められると思っていただけに5000は少なすぎると言うことだ。
一応信長様に援軍の話はしたが遠江衆だけでなんとかせよと言われているので、こっちは正真正銘全力動員であるのだが……
俺は家の格も低かったことで評定の末席で発言権も無い立場だった。
籠城は良いが防衛の配置はどうするとかの話ばかりであり、あまり有意義な話ではなく、時間ばかりが過ぎていった。
今年も寒い冬や関東全域に雪が降ったりと裏作に深刻な打撃が生じ兵糧が不足するのではないかという話が上がったが、それは俺が尾張や三河、遠江で無事だった芋類や小麦類を送り込む事で解決した。
そのおかげで少し評定での評価が上がったりもしたが……
ジュ──ー
「津田殿、何をやられているのですか?」
「ん? あぁ北条氏規様(北条氏康の4男)ですか、料理を作っておりました。小麦を粉にして卵、長芋、玉菜を千切りにして混ぜた食べ物になります。これに秘伝のタレをかけて……ほら出来上がりました」
「食べても良いのか」
「ええ、どうぞ」
「アチアチ……これは美味いな! 食べたことのない味だ」
「卵をなくても長芋だけでも大丈夫ですが、卵があるとこの様に味わい深いまろやかな味になるのです」
「卵なんてどこから手に入れたのだ?」
「ああ、鶏を数羽持ち込みましてね……今朝卵を数個手に入れられたので北条一門の方に是非食べてもらおうと」
「なるほど……織田家の知恵袋の名は伊達ではないのですな」
「他家では私はその様に呼ばれているのですか?」
「領地運営の天才と名が轟いでおりますぞ。津田殿の領地は毎年豊作とも」
「まぁやるべきことをやらせているだけなのですがね」
「早川(信包の正室)から手紙で津田殿が広めた料理や道具の数々、更には温泉が楽しくてしょうがないと手紙が届くのですよ。他所の姫にここまで気を回していただき感謝します」
「頭を上げてください氏規様、他の者が見ていたらまずいですよ」
「なに、一族の恩人にこれくらいしてもバチは当たらんよ。それよりも弟や兄者達を呼んできても良いか? お好み焼きを食べさせたい」
「ええ、是非」
「こりゃ美味いな! 兵数は心許ないが、兵糧を節約しながらこの様な美味い飯が作れるなら呼んでよかった」
「氏政兄上、兵数の話は余計ですぞ」
「ああ、悪いな。心の声が漏れ出てしまった」
「喜んでもらって何より……しかし兵数が少なくても織田の鉄砲衆の力量は凄まじいですよ」
「なに、そうなのか!」
北条氏康の息子達はその話に食いつき、あれやこれやと聞いてくる。
俺は機密以外の事を答え、親睦を深めていく。
「うむ……鉄砲は金がかかる割に弓よりも連射性に劣るし、射程も弓と同等と考えていたが……」
「鉄砲の利点は弓よりも練度が低くても確実に兵を倒せることですからね。それに弓よりも殺傷性が高い。まぁ金はかかりますが、織田家がそれに頼らないといけないのは本拠地の尾張兵がとにかく弱いからなのですよ」
「そんなに弱いのか」
「それはもうべらぼうに弱くて美濃や三河兵を1人倒すのに尾張兵は3人必要、甲斐の兵は5人必要と揶揄されるくらい弱いです」
「相模の兵も弱いことで有名だが、尾張も弱いのか」
「その分金があるので練度が低くても敵を殺せる鉄砲中心の軍になったのですがね……北条も江戸をもっと開発できれば東の京と言われるくらい栄えさせることができると思うのですがね」
「なんだ小田原では駄目なのか?」
「小田原は既に栄えているじゃないですか、栄えている場所を更に栄えさせるよりも栄えてない場所を栄えさせた方が利益になるのですよ」
「いまいち商いが盛んになれば豊かになるのがわからんのだが、田を増やすのではいかんのか?」
「商いが盛んになれば銭が大量に流れ込みます。銭は米だろうが武器だろうが色々な物に交換できますが、米から銭に換えるとその分手間賃がかかります。だったら商人達を呼び込む政策や土地を与えて商売させて、そこから税を取ったほうが金になるんですよ」
「いまいちわからんな」
「米を重視するか銭を重視するかですから! まぁ私は下賤な農民からの成り上がり者なので米よりも銭があったほうが豊かになると気がついてしまって……」
「何かきっかけでもあるのか?」
「養蜂に成功した話をしましょうか……私が6歳の頃に……」
そんな話をしていると自然と仲良くなり、暇があると北条氏康の息子達は俺に話を聞きに来るようになり、戦闘が始まるまでは話し相手になるのだった。