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1558年 家操25歳 津田砲 新規雇用

 1558年 家操25歳


 元号が弘治から永禄へ

 幕府軍と三好軍が激突し、幕臣の死者が70名を超え、単独での政務が不可能の状態に陥る

 三好と将軍足利義輝和解

 管領細川晴元出家、以後管領職が不在となる

 足利義輝 入京






 旋盤による技術革新が起こり、生産能力が年数が経過する事に跳ね上がっていく状況となったため、旋盤を用いた大砲の建造に着手した。


 まずは大きな物を運ぶための馬車の開発である。


 車輪の性能も旋盤を使うことで向上し、木製車輪を使った大八車が量産された。


 ゴムはホームセンターの中の物を使う以外は現状入手不可能であり、そのため木製車輪か金属製車輪を使うしかなく、庶民は金属製車輪付きの大八車は購入金額が高いと敬遠されて、安い木製車輪の大八車が活用された。


 大八車の開発に成功したことにより荷車の性能が向上し、四輪にした荷馬車は馬に牽かせる用と用途が分けられた。


 大八車開発で車輪のノウハウを蓄積し、車輪付きの大砲の建造が開始され、俺の知りうる限りで、戦国時代に製造可能な大砲は旧日本軍最初の山砲である四斤山砲ならば模倣ができると意気込み、幸之助に設計図と木砲で試作品を作り、段階を踏んでこの年の夏頃に四斤山砲ならぬ津田砲が開発された。


 砲弾の種類は火縄式信管の榴弾(臼砲でも使われている砲弾を四斤山砲用に形を変えた物)か、花火弾と呼ばれる木製砲弾で、地面に落ちる衝撃で内容物が外殻を破壊して飛び出し、散弾の様に鉄片を撒き散らすのと金属弾(城壁や城門に当てて破壊する徹甲弾の先駆けとも言える砲弾)の3種類を放つことができた。


 臼砲は射程が短く、山なりの射線を描くのに対して、この砲は水平直射が可能で、水平に放っても300メートル、5度の角度を付ければ1.5キロほど飛ばすことができた。


 というのも内部構造に火縄銃で使われていたポリゴナルライフリングが施されており、砲弾の形状もどんぐりの様な円錐形でミニエー弾の様に溝も掘られて砲の中で回転することでジャイロ回転となり、砲弾が安定して遠くに飛ばすことができた。


 発射方法は臼砲と同じくまず紙で火薬を包んだ装薬を砲の中に入れ、次に砲弾を装填する。


 それを火縄を巻きつけた道火桿で大砲の上部に穴の開いた箇所に火縄を入れることで着火し、発射する。


 火縄銃の着火方法を人力にしただけだ。


 この大砲の開発に成功した時に発射実験に立ち会った者達は臼砲よりも長い射程、馬2頭でも輸送することが可能の軽量性、バリエーション豊かな砲弾と城攻めでも野戦でも戦が大きく変わることを確信した。


「この大砲を運用するには馬を操る事ができる者、砲の扱いを熟知している者、砲弾が着弾した場所を目視で確認できる目の良い者、発射後に速やかに砲の中を清掃できる技量が求められるそれが揃えば強力な砲兵として運用できる。砲兵には特別給与として給金を1.5倍にしよう」


 そう言うと足軽大将達が色めく。


 足軽大将の給金は年収100貫、それが砲兵になれれば150貫にまで増えると言われればやる気が上がる。


 皆こぞって大砲についての運用の勉強を始め、発射訓練や実弾演習を頻繁に行うようになるのだった。


 で、この砲の運用で一番適性があったのは天竜則雄という足軽組頭の男で、通常4名くらいで運用するこの砲を卓越した馬術で砲の後ろに弾薬運搬の馬車を取り付け、馬4頭を操り、設置から砲弾の装填、点火から清掃まで全て1人でやり遂げる事に成功する。


 勿論分業した方が速いが、1人で砲運用の全てをこなせるということは、それを各員に教えることもできるため、組頭から一気に足軽大将へ出世の上で砲術指南役という役職にも付き、役職手形も合わせたら年収200貫という大金を得る身分となり、足軽から現実的な出世物語として語られることになる。





 紙の流通量が増えた為に、紙に絵を描いた紙芝居や瓦版といった娯楽が増えつつあった。


 更に銭湯の2階で色んな人の交流が行われた事により、囲碁や将棋で遊ぶ人が増え、更に新しい娯楽を求めて読み物の需要が増えつつあった。


 兵達は出世の条件として字が読める事、ある程度算術ができることが条件とされていた為に訓練の合間に勉強を行う人が増えていた。


 そして兵だけでなく流れてきた流民も日雇い仕事をしながら定職に就くために勉学に励み、それが商いになると感じた商人達は津田家が運営する学校とは別に私塾を開業していく。


 私塾は金さえあれば大人子供別け隔てなく教えられ、そこから奉行衆に取り立てられたり、店を持つ者が現れると出世するには武芸よりも勉学の方が良いと考える者も現れるのだった。


 佐山鉄斉という新しく奉行衆に加わった者もその一人で、元々は雑賀衆と堺の間で商いをしていた商人だったが、年の近く、仲の良かった鈴木孫一達が浜松に流れると、販路拡大を目指して一緒に移住。


 そこで鈴木孫一達が奉行衆が少なくて困っていると言う話を聞いて志願し、試験に合格して奉行衆になることができた。


 佐山鉄斉は火薬奉行という火薬の製造に関わる奉行を任され、領地にひっそりとある硝石丘に案内され、火薬の製法について学び、そして発展型の培養法による硝石の生産(蚕の糞を使った硝石の生産方法)へと発展させていく事に繋がるのだった。








 ある日今川家旧臣の松下之綱と言う人が一族を連れて仕官しにやって来た。


 大改築された浜松を見て織田家の1家臣がこんな巨大な城の築城ができる程の財力を持っているなら今川家は負けるなと達観していた。


 この松下之綱と言う人物、実は本来秀吉が幼少期寺から逃げ出して針売をしながら放浪していた時に雇った小さな城主をしていた人物で、俺が秀吉を仕込んだので放浪期間が無くなったが、早くから秀吉を見極めた目利きのできる人物でもあった。


 秀吉に武芸、学問、兵法を教えたと言われるだけあり、とても有能な方なのだが、誰にでも優しくする癖があり、武田家でお世話になっていたが、戦場で手に入れた奴隷を喜々として高値で売買する武田家に愛想を尽かして出奔し、栄えている浜松に流れ込んできたらしい。


「浜松は凄いですね……人通りが多く、それでいて人々の活気が凄い! 道行く人々が家操殿を本心から褒め称えている」


「私はやるべきことをやっているのみ。それが人々の糧になる。私が動けば新しい物が生まれる土壌を作ったのみよ」


「それが凄いのです。普通は出来ませんから……」


「一族で出奔してきたと言いましたが、どれくらいの人数で?」


「弟2人と妻、子供が6人ほど……」


「とりあえず弟さん達も雇いましょう。奉行衆から始めてもらいますが、長男さんはうちの子供とも年が近いようなので息子の小姓としましょう。合わせれば年100貫にはなると思うので一息つけるのではないでしょうか」


「かたじけない」


「城主をしていた程の力量なら直ぐに評定衆まで上がれるでしょうから期待していますよ!」


「は!」


 事実松下之綱だけでなく弟の松下則綱と松下継綱も優秀で松下之綱は評定衆に、弟さん達も奉行頭に直ぐに出世することとなるのだった。


 で、松下さんだけでなくこの人も浜松に流れ着いていた。


「お願いします! 雇ってください!」


 朝比奈泰朝殿である。


 この人は五位様経由で紹介された。


 朝比奈さんはまだ20歳の若武者であるが、今川家で外交官をしていた伝手で今川家滅亡後は幕臣として活動していたらしいが、給金も少なく、一族の多くも離散。


 父親も流行り病で病死し、しかも幕府軍が三好軍にコテンパンにされ、幕府も終わりが近いと感じ出奔、そのまま路銀で食いつないでいたが尾張で尽きてしまい知り合いだった五位様の所に転がり込んだらしい。


「上方の礼法や武芸は一通り、山科言継様から百人一首の伝授も受けております! どうか末席で良いので働かせてはもらえませぬか」


「いやいや、こっちからお願いしたいくらいです! というか元農民の俺の部下でも良いのですか?」


「いや……信長殿は今川家の仇だけども陪臣なら面目も立つし……その金払いと五位様の紹介なので」


「五位様朝比奈殿になんて言ったんだ?」


「五位様から家操殿に付いていけば将来1万石は硬いと言われまして……」


「朝比奈殿の能力なら将来とは言わずに今でも北条に行けば1万石は貰えそうですが……」


「朝比奈一党なら貰えるかもしれませんが、幕府での冷遇で離散してしまったので……一族再建から始めませんと……」


「とりあえず今の朝比奈殿に外交をやれというのは酷なので奉行衆として経験積みましたら直ぐに家老までは上げますので……」


「かたじけない」


 事実朝比奈泰朝は浜松港の拡張工事の責任者に抜擢すると力量を発揮して工期以内に仕事を完璧に終わらせ、冬に第二次外輪部の工事でも仕事を完璧にこなして1年未満で評定衆入りし、暇な時は同僚に礼法を教えたりと大活躍することになるのだった。


 朝比奈殿の加入の他にも雑賀衆から追加雇用が入る。


 雑賀衆として実戦経験豊富な若きホープの佐武義昌、浄土真宗の道場を経営していたが畿内経済危機で道場が財政破綻して地位を失っていた岡吉正が紀伊から流れてきて家臣に加わった。


 で、雑賀衆の連中は鉄砲の凄さについて理解しているから、既存在庫を売却して新しく生産しているライフル火縄銃の威力に仰天、そしてそれが大量生産されていることに更に驚き、射撃訓練の頻度も高い為に練度が鰻登りで上がった鉄砲足軽達を見て更に仰天……


「雑賀でも勝てねえよこんなの」


 と呟いて家臣に加わっていき、優秀な指揮官に成長していくのであった。





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