第9話 ネーミングセンスは磨いてません
「あれは本当にシメーレ国の出身か?」
呻るような声で呟いたギルベルトに、シュトルツは「あれって?」とわざと惚けた。
「歓迎会でお前が嫌がらせをしたリゼ・ノエレのことだ」
「だからあれは嫌がらせじゃなくて歓迎だって、人聞きが悪いな」
それはそれとして、リーゼロッテは自称シメーレ国の出身。「まあ本人がそう言ってたし?」と嘯く。
「なにか疑う理由でも?」
「ナーハ・アームング大騎士に大騎士の実力がないといっても、他の大騎士に比べてというだけだ。ろくに魔術血統もない家の少女が敵う相手じゃあない。それに……」
「そういえば、最近たびたび訓練場で目撃されているらしいね、彼女と――君」
獲物を狙うようなオレンジ色の瞳に睨みつけられても、シュトルツは気にしなかった。そんなことよりも、氷の彫像と呼ばれるほど他人と喋らないギルベルトがリーゼロッテと毎日のように剣を交えていることのほうが気になった。
「そんなに気に入った? 本気なら奥手の帝国皇子様に口説き方を伝授しよう」
「出自が不可解なだけだ」
軽口を冷ややかに切って捨てられたが、シュトルツはめげずに「そういえば“意外と”寛容ですねなんて言われたんだっけ?」と続ける。
「珍しい子だよね、ギルに面と向かって悪口を言うなんて」
「俺が常に陰口を叩かれていることを前提にするな」
ここにリーゼロッテがいたら「悪口じゃないですよ!」と狼狽していただろう。実は少し気にしていたギルベルトは、あえてそこには触れず「大体、そんなことは気にしていない」と意地を張った。
「言ってるだろう、出自が不可解だと。どう考えても、あれは平民の持つ魔術血統じゃない」
魔法を使わずとも、何度も剣を交わせばその魔術血統の深さは分かる。そしてリーゼロッテの魔術血統の深さはギルベルトのそれに匹敵していた。
「でもさすがに敗けなしだろう?」
「それはそうだが、あれは人を――特に魔術血統のある騎士を相手にすることに慣れていない。おそらく魔獣と、せいぜい盗賊を斬った経験しかないんだろう。そんな少女相手に敗けるものか」
今のところ、リーゼロッテはギルベルト相手に片膝をつかせることすらできていない。しかし、騎士として経験を積んでいくうちにそれくらいの力量は備わるだろう。もちろん、どこまでいってもギルベルトとの力の差が埋まることはないだろうが。
「ナーハ・アームング大騎士が敗けたのは油断と魔術血統が原因に違いない。あの魔術血統はそのくらいの深さがある、力業で押し切れるくらいの……」
噂をすれば影というべきか、食堂に入ってきたリーゼロッテを見つけたギルベルトは言葉を切った。ざんぎり頭と体格に合わない汚い団服に身を包んだリーゼロッテは相変わらずみすぼらしいとしか言いようがない。そんなリーゼロッテは、その髪色と色褪せた団服とのせいで“青ネズミ”などと陰口を叩かれているし、当然のことながらギルベルト達以外の奇異の目も集めてしまっていた。
「……お前、馬を預かったと言っていたな。何か知ってるんじゃないか?」
「んー、うん、まあ、そうだね」
パンをかじりながら、シュトルツもリーゼロッテを目で追う。リーゼロッテは食堂の勝手がまだ十分に分からず、周囲を見回して必死に流れを理解しようとしているところだった。
「俺が引き取った馬から得られるヒント、体高も体重も大きめ、しかもかなり良い馬だったけど、戦馬じゃないらしい」
「……グライフ王国か?」
その特徴で当たりをつけ、ふむ、とギルベルトは顎に手を当てた。
「あそこはもともと馬が良いし、近年ろくに戦争もしていないからな。良い馬が有り余っているだろう」
「大正解。ついでにもうひとつ、これは俺が知っている話。グライフ王国では先日ケヴィン王子が婚姻したけれど、王子妃はなんと二年前に婚約したばかりの相手らしい」
「随分遅い婚約だったんだな」
「以前は別の婚約者がいたそうだ。彼女は大層見目麗しいことで有名だったそうだよ。氷原のように美しい薄青の髪に、明けの明星が輝く空のように深い青の瞳……」
詩人じみた説明を聞き流しながら、ギルベルトは思わずリーゼロッテに視線を戻してしまった。その髪は散切りだが、よく見れば散切りに見合わぬ艶がある薄い青色で、振り向いた瞳は青か紫のような深い空の色だった。
「――で、その破棄された婚約者の名前はリーゼロッテ・ノイン・エレミート」
「……どこかで聞いた名前だな」
リゼ・ノエレという名前を口内で復唱しながら、ギルベルトはその安直なネーミングに笑ってしまった。
「そのリーゼロッテ・ノイン・エレミートはエレミート公爵家の一人娘、ちなみに母親はヴェルト侯爵家の令嬢。その魔術血統は一級通り越して特級品だね」
「……なるほどな、納得した」
フェーニクス帝国皇族とアインホルン王国王族の血を引く自分に匹敵するわけだ。ここしばらくの悩みが解消され、ギルベルトはそれを溜息にして吐き出した。
「ちなみに、そのリーゼロッテはいま何をしている?」
「誰も行方を知らないそうだ。王侯貴族揃い踏みの場で婚約破棄されたとは汗顔の至り、王国を出て入水自殺でもしたのだろうともっぱらの噂だよ」
「……間者じゃないだろうな」
「どうだろうね、ケヴィン王子はそんなに深謀遠慮を尽くせるかな」
「噂を聞く限りは尽くせないだろうが、そこまで計算している可能性もある。しかし、あれが公爵令嬢か……」
2人の視線に気付いたリーゼロッテが振り向き、ぱっとその顔を明るくする。
「シュトルツ様、ギルベルト様、いらっしゃっていたのですね! よろしければご一緒させてください!」
無垢な子犬のごとく駆け寄ってこられ、シュトルツは「もちろんどうぞ」と笑顔で答えるが、ギルベルトは少し眉間に皺を寄せてしまった。 “青ネズミ”などという蔑称を向けられるような公爵令嬢がいるとは――……。
……いや。よくよくリーゼロッテの顔を見たギルベルトは目を疑った。言われてみれば、ぱっちりと大きな目に、凛々しさと聡明さを感じさせる柳眉、高く嫌味ない鼻梁も、どれもこれもが美少女のそれであった。