第5話 意外と曲者のようです
※2023/12/29 王子の名前がKevinに変わりました
シュトルツとギルベルト――どうやら二人が有名人とおりこして帝国騎士の人気者らしいと知ったのは、叙任式のすぐ後の歓迎会でのことだった。
「貴女、シュトルツ様とギルベルト殿下と知り合いなのよね?」
リーゼロッテはろくに食事を手にする間もなく女騎士達に囲まれてしまった。彼女らの目に浮かんでいるのは、まったく心当たりのない羨望と憧憬と、何より嫉妬だ。
「……ええと、知り合い……と言っていいのでしょうか。シュトルツ様とは闘技大会前に初めてお会いしたばかりですし、ギルベルト皇子殿下なんてさきほど文字通り顔を見たばかりですが……」
「もったいぶらないでよ、あのシュトルツ様が貴女の闘技大会参加に便宜を図ったことくらい、みんな知っているのよ?」
キッ、と目に角を立てられても、リーゼロッテとシュトルツの関係はさきほど口にしたことが全てだ。しかし、闘技大会の受付でシュトルツの略綬を見た従騎士がゲッと顔をひきつらせた、その理由は今は理解していた。
シュトルツ・アハ・モント、アインホルン王国の第二王子。フェーニクス帝国とアインホルン王国は隣国にして同盟国でもあり、シュトルツが帝国騎士に叙されているのはその関係あってのこと。だからシュトルツは同盟相手の王子でありながら帝国騎士(しかも平騎士)であり、皆が扱いに困っている腫れ物らしかった。
ただ、それは騎士一般の話。
「輝く御髪は宵闇に浮かぶ月のようで、瞳は夏の夜の色……いつも穏やかな微笑みを称えるそのお顔の美しさはまるで女神、迂闊に近寄っては男も女も問わず魅了されてしまう……」
シュトルツは、女性に大層人気らしかった。女騎士を代表してシュトルツの美貌を語り、彼女はリーゼロッテにぐいと物理的に詰め寄った。
「でもシュトルツ様はご自身の立場を弁えていらっしゃる――帝国の同盟国・アインホルン王国王子としてのね。だからシュトルツ様は誰かを特別扱いなんてしない。それなのに貴女に便宜を図ったのよ?」
「親切心だったのでは?」
「貴女、シュトルツ様の略綬を見せつけたそうじゃないの? 陛下から下賜される略綬を親切心なんかで手放すわけないでしょ!」
そうは言われても、親切心で手放してくれたのである。うーん、とリーゼロッテは他の心当たりを考えながら、シュトルツの顔を思い出す。
言われてみれば、確かに綺麗な顔をしていた。個々のパーツなど見る必要はなく、ただ見た瞬間に「神が創る人というのはこんな顔をしているのだろう」と納得してしまうほど、どこから見ても美しく整った端正な顔。そのくせその笑みはどこか可愛く、他人の懐にするりと滑り込めそうな人懐こさがある。あれは確かにどんな女性も陥落してしまうだろう。
ただ、元婚約者ケヴィンの唯一の取り柄は、顔だった。プライドが高くて剣が下手で物覚えと口が悪かった、だがしかし圧倒的に顔が良かった。ケヴィンの父・国王は年をとってもなお妙齢の令嬢達が頬を染めてしまうほど顔が良く、そして母・王妃も国内一の美女と名高かった。ゆえに彼らの血を引くケヴィンの顔も然りというわけである。さらにいえば、ケヴィンの弟にあたる第二王子、第三王子もそうだった。
(そのせいでなんか、ピンとこないというか……)
十二年間誰より傍にいた異性がそうだったので、顔の整った異性は飽きるほど見ていたと言っても過言ではない。だからシュトルツが絶世の美貌の主だと言われても「確かに綺麗なお顔ですわね」以上の感想がない。
で、ところで親切心以外の心当たりに関しては、やはりない。
「シュトルツ様に直接聞いてみてはいかがでしょう。何か意図がおありだったのですかと」
「そんなこと訊けるわけないでしょ!? そうでなくとも、シュトルツ様はそう気安く話しかけていい相手じゃないのよ!」
「どうしてですか? 同じ騎士じゃないですか」
なんならシュトルツは平騎士、その階級は一番下だ。目を丸くするリーゼロッテに、彼女らは「はあ? 貴女本気?」と怒り通り越して呆れた顔を向けた。
「シュトルツ様はアインホルン王国王子、貴女も私達もただの騎士。お隣に並ぶのが許されるのはギルベルト皇子殿下くらいよ。もちろん、そのお姿も含めてね」
そう聞いて思い返せば、ギルベルトも負けず劣らず美しい顔立ちをしている。稀代の彫刻師の傑作のよう、とでも言えばいいのだろうか。左右対称な各パーツのバランスが絶妙だ。例によってケヴィンを見慣れているので以下略、というところだが。
「ちょっと、聞いてる?」
「はい、もちろん。しかしシュトルツ様もギルベルト皇子殿下も、事情はあれど帝国騎士の身分でいらっしゃることには変わりありませんし、顔の出来を理由に話しかけてはならないというのは初耳で、おそらく帝国騎士内のルールではございませんから、私はお二人への対応を特別にするつもりはございません」
なんなら、本人が望むか否かを無視して特別扱いするのは慇懃無礼というものだ。王子の元婚約者としてその居心地の悪さを知っているリーゼロッテはそう言い放つが、彼女らがそんなことに納得するはずがない。
「貴女ね――」
が、ゴフッ、という奇妙な咳払いでその口論(一方的な喧嘩)は止まった。リーゼロッテは視界の隅にその姿を捕らえていたのだが、リーゼロッテに食って掛かっていた女騎士は振り向いて愕然とする。
「シュ、シュトルツ様、ギルベルト様……!」
「リゼ、食事は食べてる? いけるなら酒も持ってくるけど」
おや、とリーゼロッテは目を瞬かせた。
リーゼロッテを囲んでいた女騎士達はモーゼの水割りがごとくパッカリ割れ、ギルベルトとシュトルツが通る道を作った。そうしてやってきたギルベルトが無言で女騎士達に目を向けないのは第一印象のとおりだが、シュトルツも女騎士達をガン無視なのだ。
「……お酒は、遠慮いたします。食事は嬉しいですが」
そして彼女らはそんな対応に傷ついた顔を見せることはない。ということは、おそらくシュトルツの態度として珍しくないということだ。
可愛く人懐こそうな笑みとは裏腹に、シュトルツは存外曲者なのかもしれない。そう考えたせいで酒は断ってしまった。本当は結構好きなのだが。
「じゃあこれ食べる? さくらんぼの砂糖漬け」
「いきなりデザートなのですか?」
「いいじゃん、おいしいよ」
しかし甘いものは好きなので吝かではない。特にここ二年間ろくに口にできなかったのだ、「じゃあいただきます」と受け取ろうとすると、指でなく口に直接渡された。
さきほど割られた女騎士達が悲鳴を上げ、ギルベルトはすかさず軽蔑の眼差しを向けた。
「お前……相手は新入りだぞ。嫌がらせはやめてやれ」
「嫌がらせなのですか?」
もぐもぐもぐ、リーゼロッテはさくらんぼを呑気に噛みながら目を丸くする。
「あえて私に嫌がらせをしたいその心は? さくらんぼを与えることによって嫌がらせになるとはこれはどういうことなのでしょう? 帝国騎士内での符牒ですか?」
「待って待って、嫌がらせじゃないし、嫌がらせだとして食い気味のその質問なに? お祝いだよ、お祝い」
「お祝い……ですか?」
いきなり勧めて(食べさせて)きただけあって、確かにそれはおいしかった。というか、種がないのが高評価だ。帝国では種無しさくらんぼが栽培されているとは聞いたことがあったが、砂糖漬けで食べやすくするためなのだろう。
「そう、リゼは晴れて第十三部隊に叙されました。おめでとう、俺達と同じ部隊です」
ぱちぱちぱち、わざとらしい拍手にリゼはますます目を丸くした。
「本当は第十三部隊で歓迎会をするんだけど、いま任務で隊長含む大半が不在だから、また後日ってことで。俺とギルが代表でお祝いに来たわけです」
「祝いじゃなくて嫌がらせだろ」
「違うって、これは正真正銘――」
ボフン、とリーゼロッテの頭に横から黒い布が投げつけられた。間抜けにそれを被ってしまったリーゼロッテは、ずるずると引っ張ってそれが何かを理解する。薄汚れてはいるものの、金銀二色のボタンや飾緒は間違いなく騎士団服だ。
「ごめんなさァい、いま団服ってそれしかないみたい。ちょっと古いけれど、貴女にお似合いよ?」
どこからともなく聞こえた声と、それに合わせてクスクス笑う声。シュトルツは笑顔のまま硬直したし、ギルベルトはそれみたことかと舌打ちした。女騎士達にとってシュトルツは憧れの的、そのシュトルツが親しげに接するなど、目の敵にしてくださいと言っているようなものなのだから。
「なんということでしょう……」
「あー……リゼは小柄だから合う団服がない、のかもね……?」
じっ……と団服を見つめるリーゼロッテを、シュトルツは責任を持って慰めようとした、が。
リーゼロッテはパアアァッとその顔を輝かせた。
「私、皆さんとお揃いの服というものに憧れがあったのです!」
王子の婚約者であった頃は衣食住に困ることなどなかった通り越して、これでもかというほど豪奢な衣類が与えられていた。しかし、幼い頃から王子妃候補として特別扱いされ、ろくに友達もいなかったリーゼロッテは、他の令嬢達が“お揃い”と称して同じものや色違いのものを持っているのが羨ましかった。しかも、流浪の二年で布の貴重さはこの身に染みていた。
それなのに、皆とお揃いの団服を、しかもいただけるなんて! 嬉しさのあまり、リーゼロッテは感涙する勢いだった。
こんな素敵な贈り物で歓迎してくれた人にぜひお礼を言わなければ。リーゼロッテは周囲を見回し、自分に団服を投げた人物を見つける。彼女は間抜けに口を開けてこちらを見つめているところだった。
「そちらの金髪で、一際背の高い方! わざわざありがとうございます!」
その日の夜、リゼ・ノエレという新入り騎士の謎の魔術により、“氷の彫像”ギルベルトが声を上げて笑い、“月の女神”シュトルツが膝から崩れ落ちたという噂が流れた。