序章その2
牢屋を出た俺がフィルルに連れてこられた場所は、大きな屋敷であった。
正確には、正面の門の前。屋敷にはまだ入ってはいない。
しかし、こちらからパッと見るだけでも庭があり、銅像があり、何人もの使用人がいることが分かる。それらだけで、この場所が位の高い家であることを示すには十分すぎる。
まぁ、王子の影武者になれという話なのだから、当然と言えば当然か。
そんなことを考えながらフィルルについて行こうとするが、フィルルに止められる。
「少し待っていてください」
そう言うと、フィルルは小走りで正面の入り口で門番をしている中年の男の元へ行き、話をし始めた。
一体何の話をしているのかはよく分からないが、どうやら俺に関することらしい。
門番の男がめちゃ腫れ物を見るかのような目で俺を見ている。別に俺は怪しい者なんかじゃ・・・・・・いや、十分に怪しい人物だな。
しかしここまで怪しまれると、影武者云々以前にこの屋敷に入ることができるのかが不安になってくる。
門番さんはずっとこっち見てるいるし。というか、普通に睨まれている気もするのだが。
そんなことを考えていると、フィルルがこっちに来た。どうやら話は終わったようだ。
「お待たせしました。どうぞ、中へ」
「大丈夫か?入った瞬間に使用人の方々に襲われそうなんだが」
主に門番の人に。
「大丈夫です。元々話は通してありますから。ただ確認をしただけです」
そう言って、フェルルは門へと歩き出す。
ちょうどその頃に、門が開いたので、俺もフェルルに続いて歩く。
その時、門番とすれ違う際の視線は紛れもなく「疑いの眼差し」であった。
フィルル以外がこの影武者の話を知っているのかは聞いていなかったが、どちらにしても俺は信用されるような立場ではないだろう。
正体を知られていなかったら俺はただの不審者だが、バレていたら不審者以上に危険な存在、『捉えなき影』なんて痛々しい通り名の盗賊だ。この二択なら、どっちにしろ敷地内に入れたくないのは当然であると言える。
しかし、今はそんなことを気にしても仕方がないだろう。そもそも、俺だってここに来たくて来ているというわけでもないのだから勘弁してもらおう。
門の内にいた使用人たちにも訝しげられながら、俺はフィルルの後を追うこととした。
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「ここです」
足を止めたフィルルはそう言った。
ここは屋敷の三階、つまりは一番上の階であり、その中でも一番奥の部屋。
扉は閉まっているので中は見えない。だが、高価な素材で作られていると一目見れば分かる。
有り体に言ってしまえば、いかにもこの領地内のお偉いさんが居そうな部屋だと言える。
・・・・さて、重要なのはここからだ。ここでの話によっては、無理矢理にでも俺は逃げなければならない。というのも、影武者をこなせるかはともかく、俺の戦闘能力は決して高くはなく、精々不意打ちが得意という程度だからだ。
全く戦えないという程ではないが、俺は自分が大して戦えないことを理解している。
ぶっちゃけ、俺はそこそこ弱い。
何度か命懸けの戦いというものを経験したが、敵との相性がよかったからギリギリ生き残れたという酷い内容ばかりで、誇れるようなものではない。それに、命懸けの戦いの内の何回かはただの逃避行だ。
そんなわけで、話の内容があまりにも危険そうであったら、より具体的には、命の危機に晒されるようなものであれば逃げなければならない。
普通に死んでしまう。
なので、逃げるしかない。俺の能力が知られていることから、ここで上手に逃げられたとしてもしばらくは色々な人に追いかけ回されるのかもしれない。
だが、それだけだ。
王都に行かないという条件を付ければ、能力がバレた程度ではまず俺は捕まらないだろう。
とはいえ、逃げるという選択は積極的に選びたいものではないのも確かだ。判断するのは、相手の話を聞いてからの方がいいだろう。
深呼吸をして、フィルルに視線を送る。
フィルルは俺を待っていてくれたようだ。
「待っててくれてありがとな。・・・・いつでもいいぞ」
「では・・・・」
そう言うとフィルルは目の前の扉を叩く。
「失礼します。『あの方』を連れて来ました」
扉の向こうから声は聞こえない。
その代わり、扉が自然と開いていったので俺とフィルルは部屋の中へと入った。
入ったと同時に扉が勝手に閉まったのを見た後、俺は正面にいる人物と対面する。
「なっ・・・・何故ここにお前が!?」
俺はそこで予期せぬ相手と再会をすることとなった。
「待っていました。やっと会えましたね」
第一声は、落ち着きのある優しい一言だった。
目の前には、現在において数少ないと言われる、他の種族の血が入っていない純粋なエルフがそこにいた。
焼けることを知らない白い肌に腰のあたりまで伸びているフィルルよりも明るい色の黄金色の髪。
宝石のように透明で濁りない青空のような瞳。
厚い制服を着ているにも関わらず存在を主張する、膨よかな二つのモノ。
それらを併せ持つ美しいエルフが、そこには居た。
彼女は頬に手を当て、まるでずっと欲しかったものを見るような、少し幼い表情をしていた。そして、その視線は俺だけを捉えていた。
そんな視線を送られた俺は、ドキッとした。
しかしそれは、恋の甘酸っぱさ的な意味の「ドキッ」ではない。
例えるなら、自分の悪事がバレた時のような、心臓に悪い方の「ドキッ」だ。
・・・・いや、ドキッとしている場合じゃない!
というか、なんでアイツがこんなところにいる!?アイツは王都に居るはずなのに、何故!?
俺はフィルルに嵌められたのか!?
いや、それだったらそもそもなぜあの時俺に・・・・!?
疑問は尽きない。
だが、このエルフを見た瞬間に自分が次にするべき行動を理解した。
俺は今すべきことをする。
それは
「失礼!!また今度!!」
全力で逃げることだ。
俺は扉を無理矢理押し開けて部屋から出る。
勝てるとは全く考えない。何度か戦ったが、あのエルフは無理だ。実力に差がありすぎる。
なので、全力で逃げることを考える。
選択肢は二つ。
一、廊下や階段で一旦撒き、別の部屋に隠れる。
二、窓を突き破って強引に外に逃げる。
一の方は、上手く隠れられればアイツと戦うことなく、安全に逃げられる。しかし、使用人に見つかったりしてバレたら詰みだ。
二の方は、外に逃げられたらほぼほぼ俺の勝ちだ。しかし、そもそもアイツを相手に外——この敷地の外——まで逃げられるかという問題がある。
そのどちらを取るべきか。俺はどちらを選ぶかを一瞬だけ躊躇した。
それが致命的な一瞬だった。
「『ドレイン』」
「うぐぁ!?」
背中に焼けるような衝撃が襲いかかる。
瞬間、身体の力が抜け、貧血のような症状を起こす。
頭がボーとして、眩暈がする。
ま、まずいっ・・・・・・意識・・・・が・・・・。
薄れゆく意識で『魔法』が放たれた方向を見ると、そこには一切表情を崩していないフィルルがいた。
そして、
「あな・・・・にい・・・・ます。私が・・・・の・・・・ですから」
何を言っているかは分からなかったが、エルフの独り言のような、縋るような声を耳に残しながら俺は完全の意識を手放した。