お嬢さん-3
私が気付かなければならなかった。
今までなぜ違和感なく接していたのか、少し前の自分を問い詰めたい。
友人が貯金箱を置いて行った翌日。ふらふらと面会に来た父を見て絶句した。
父の顔色は健康なソレとはだいぶ離れており、常人ならば体調不良を疑う程に酷かった。
入院中で、顔を合わせる時間が普段よりも短かった。
病院の照明が青白くて色が分かりづらかった。
薬の副作用で目が霞んでいた。
そんなの言い訳にもならない。
十七年も働く父を間近で見てきて、酷いやつれが尾を言われて初めて気づくなど、娘失格もいいところだ。
「今すぐ病院行って静養しなさい」
「麻衣? 僕は何処も悪くないよ」
「鏡を見てから言って」
「……青く見えるのは照明の所為だよ」
「嘘。隈が前より濃くなってるし、なんかやつれてる。前より体重減ってるんじゃない?」
「……そんなことはない」
「本当? 一日にカップ麺一個しか食べてないとかしてない?」
そう言って父は目を泳がせる。
図星なのか、誤魔化すのが下手なのは変わらない。
「僕の事はいいんだ。それより麻衣の」
「お父さんが倒れたら私も困るの。それにそんな顔で外出るんだから、こんなの持ってこられたんだから」
小金庫から友人が持ってきた貯金箱を引っ張り出す。
静かに置いたつもりだったが、思った以上に大きな音を立ててサイドテーブルの上に鎮座した。それだけ中身が詰まっているのだ。
「これは?」
目を丸くする父に、昨日の経緯を説明した。
「お父さんが金の亡者みたくなっちゃったってご近所の間で噂になって、もしかしたら私の入院費用で生活を削っているんじゃないかって心配されたの」
「じゃ、じゃあこれは麻衣の手術費用に」
「まずはお父さんの生活改善が優先。あんまり無理しないでよ。お父さんまで入院したらどうなるか考えたくないよ」
当然ながら私に収入を得る能力は無い。
高校は留年が確定し、身体は完治とは程遠く、とても普通の生活が出来る状態ではない。
そんな時に父まで倒れては、私たちはどうやってお金を工面すればいいのだろうか。
借金するにしても限度があるし、その後の生活にどうしたって影響してしまう。
「……わかった。僕もちゃんとする。心配させて悪かったね」
私を優先しようとする父を説き伏せ、ひとまず父の生活改善を優先することになった。
娘に説得されて少し気まずくなったのか、そそくさと病室を出て行ってしまった。
貯金箱は父に渡してしまった。
全額を生活改善に当てるとは考えにくいが、少なくともパッと見た時体調が悪いとわからない程度に回復してくれれば何も言うまい。
久しぶりに父と長話をしたかもしれない。
力んだ肩の力を抜く。
昨日からあった貯金箱の重圧が消えた様だ。
それもそうだ。
私は貧乏で未成年な庶民なのだ。
あんな大金を持ったことすらない。
素直に喜ぶ以前に恐怖心が勝るというものだ。
イヤホンを耳に当て、ラジオを付ける。
心が少し軽くなったついでに、軽快なパーソナリティの声が聴きたくなった。
適当に周波数を弄ってやれば、なんのラジオかわからないけれど、誰かのチャンネルに音が合う。
今日はこれを聞くことにしよう。
ラジオから聞こえてくる彼らの声はとても楽し気で、テンポ良く話が進んでいく。聞いているだけなのに子気味良い。
天気の話からファッションの話。今話題の楽曲やちょっとした時事ネタ。
尽きない話題がリズムよく私の耳に届いてくる。
その流れの中で、ラジオは次の話題を提示する。
『次はー、お便りコーナーです』
視聴者参加型のラジオではよくある企画だ。
いつも通り、耳を傾けながら聞き流そうとするも、ある一通が私の興味を引いた。
それは、難病と闘病中の友達に向けて声援を送ってほしいという内容のお便りだった。
その友達は暇さえあればラジオを聞いて、寝ているだけの生活をしているようだから、気が滅入らないように、と。
それを読み上げたパーソナリティは声を張り上げて声援をラジオに乗せた。
少し音割れして煩かったけれど、その声援が私の背中も押しているようで、ちょっとだけ苦笑した。
きっと、お便りに出てくる友達は私ではない。
同じ境遇の人間はこの国だけでも百人は下らないだろう。
自分ではない。でもこうして励まされると、無性にうれしくなってしまうのは何故だろう。
多分、このパーソナリティさんがプロだから。気持ちを震わせる術を心得ている方だから。
いいな。私も誰かの気持ちを揺さぶってみたい。
もしも、この病が完治することがあったなら、ラジオのパーソナリティになりたいな。
そんな淡い夢を見ながら、目を閉じる。
久しぶりの浅い眠りはちょっとだけ軽かった。
☆
数日たったある日。
珍しく面会時間開始直後に友人が訪ねてきた。
「おはよう、麻衣。起きてるね」
「はいはいおはよ。どうしたの?」
朝だというのに、妙に機嫌がいい。
いや、興奮しているという表現の方が似合っているような雰囲気だ。
何かいいことでもあったのだろうか。
「見てこれ! バズった!」
そう言って見せられるスマホの画面は某呟くアプリを写していた。
「へぇ。おめでと」
「反応うっす。ほらこれ、見てよぉ」
気の無い返事が気に障ったらしい友人は顔に当てる勢いでスマホを押し付けて来た。
「わかったわかった。見るからやめてよ」
「刮目せよ」
「はいはい」
彼女らしい、関連性がいまいち読み取れない複数のタグに踊る拡散希望の文字を流し見し、本文を読む。
たった数文と数人が写る写真。
それだけで、私は愕然とした。
それは一万という回数他者に共有され、数百ものコメントが寄せられていた。
「全部この通帳に入れてあるよ。あ、麻衣のお父さんには事前に言ってあるからね。要らないなんて言わせないよ」
差し出されたのは地方銀行の通帳。中身は見るまでもなく数桁の数字が並んでいるだろう。
「どうよ麻衣。あたしらはあんたを救えるよ」
チャリティを呼びかける文字と、よく見知った同級生たちが募金箱を持って駅前広場らしきところで並んで撮られた写真。
掲げられているのは、私の名前といつか撮った入院中の写真だった。