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死売人  作者: 童の簪
4/22

少年-4


 一年なんて瞬きの間に過ぎ去ってしまう。

 時の流れは残酷にも僕の考える時間を均等に浪費する。


 将来の事で悩み始めたのは多分、中学生になったばかりぐらいの時だったと思う。

 その時まで、僕は望めばなんにでもなれると無邪気に考えていたはずだ。


 きっかけは忘れたけれど、僕に華々しい人生を送る能力が無い事をどこかで悟った。

 貫きたい信念も、縋りつく執着も、燃え盛る熱意もない。

 僕は特別な人間にはなれない。


 じゃあ何にならなれるのだろうか。

 その何かに成れたとして、僕は幸せなのだろうか。



 そうやって数年を、時間はまだあるからと無駄に過ごしたのが今の僕だ。


 ほら。僕がそうやってジメジメと悩んでいる間に、世の中はもう夏休みだ。

 こんな調子では、また僕は時間を無為に過ごしてしまうのだろう。


 とはいえ、長年染み付いてしまった悪癖を、今更どうこう出来るわけでもなく。

 夏休みが始まって数日を食って寝てを繰り返して腐った日常を過ごしていた。



 それも昨日まで、今はすっかり陽光を浴びなくなっていた身体にムチ打ち、比較的近場の大学オープンキャンパスを見学しに来ていた。

 一応は真剣に悩んではいるのだ。もしかしたら入学するかもしれない大学を見ておくくらいはしておきたい。


 やたらと大きな建物を見上げる。

 私立だからか、随分小奇麗だ。僕の通う校舎がみすぼらしく思えるぐらいには立派な建物。しかも広大な敷地に何棟も立っている。

 経済力の差か。


 校門前で配られたパンフレットに目を落とす。無料でペットボトル飲料を貰える券と学食のランチ無料券が付いていた。これが経済力か。


 さっそく冷えたペットボトルを受け取り、僕はパンフレットを流し見る。


 主要な建物や学内ツアーの案内。

 学科別に紹介文、さらに教授陣の一言メッセージ。

 そして学生達のインタビュー記事。


 僕はインタビュー記事をぼんやりと読む。


 楽しそうだな。

 素直にそう思う。

 笑顔の写真に、好きな事を学んで欲しい技術を旺盛に吸収する様を、短い文ながらも語る彼らはいっそ輝かしい。


 さぞかし楽しいキャンパスライフを送っていることだろう。


 僕は彼らの輪に入れるだろうか。



 ……否。無理だな。



 僕はパンフレットを閉じ、昼を待たず帰路についた。





 帰路。

 慣れない道を自転車で走る。


 昼食ぐらい食べて行けばよかった、と今更ながら思うけれど、もう大学に行く気にはなれなかった。

 あそこは何となくで入学するところじゃない。ある程度、内に熱を持つ人たちが目的を持って行くところだ。


 僕みたいなのは入るだけ邪魔だ。切磋琢磨する人たちの中に一人だけやる気も気概もない奴がいるのは周りの空気を損なう。


 赤信号で自転車を止めながら思う。



 ——大人しく就職が無難かな。



 僕は、未来の自分を想像し、あの草臥れたサラリーマンを思い出す。


「……成りたくはないな」


「何に、成りたくないのだね?」


 横合いから、やたらと涼し気な男の声が独り言に槍を入れた。

 聞き覚えはある。

 見れば、意外と近くにカラスのような男が居た。


「死売人」


「久しぶりだね少年。少し痩せたかい」


「そういうあんたは変わらないな。暑くないの」


「生憎と、温度を感じづらくてね。それより少年。こんなところに会うとは珍しい。家は近いのかね」


「大学のオープンキャンパスに行った帰りだ」


「それはそれは。お疲れ様だね。おや? だがまだ午前中じゃないか。帰宅するには、ちょっと早いんじゃないかい」


「合わなかった。そういうあんたは何でここに?」


「それならば仕方ない。私は、向こうの病院で営業を少し」


 営業。病院で"死"を売っていた、ということだろうか。


「悪魔か」


「これでも病院からは時たまありがたがられるのだがね」


「なんでよ」


「安楽死を望む者がいるからさ」


 なるほど。

 確かに言い方が違うだけで、自殺志願者ということか。


「死、か」


「青だぞ。少年」


「死売人。死ってどういうモノなんだ」


 尋ねると、彼は口元だけに笑みを浮かべた。


「永遠の安らぎ。宿業からの解放。自己の消滅。言い方はいろいろあれど、要するに"終わり"だね」


「なんで、そんなのが売れるんだ」


「最も安易かつ最期の逃げ場だからさ。死ねば、次の苦しみは無い、絶望もない、悲しみもない。生きている内に受ける未来の苦痛がまるまる消えてなくなる」


「自分の手で死のうとは思わないの?」


「自死出来るに越したことはないだろうね。だがね、それを選択できる人間は意外と限られる。三十万人いた志願者が、実際に成しえた二万人から三万人にまで減ったことを考えれば当然だがね」


 以前の話だ。

 日本における自殺者数は二万人から三万人。自殺未遂は約三十万人。

 実際に、自分で自分を殺せたものは一割未満ということだ。


「案外、自死をするのは難しい。したいと願うならば簡単だが、実際はそうもいかない。そこで、完璧な死を与えられる私が望まれるのさ」


「結局崖際に立ってる人の背中を押してるだけか」


「商売だよ。少年。それに死を切望する者たちにとって、私という存在はいてほしいと願われる」


「さっきの安楽死?」


「それもある。本当に死を望む者たちが恐れることが起こらないからさ」


「死ぬ覚悟がある人が、何を恐れるんだ?」


 問うと、死売人は口元の笑みを一層深めて、応えた。


「生き残ってしまうことだ。想像してみたまえ少年。死にたいと切実に願った者が、何かの間違いでその命を助けられてしまったら?」


 もし、僕が死に損なったとしたら。


「生き地獄だな」


「分かっているじゃないか少年。一度死に触れた人間というのは極端に死を恐れるようになるものだ。そして生きている世界は一度本気で死にたいと願った地獄だ。死にたいけど恐い、けれど生きたくもない。未遂で後遺症でも残ろうものならまさに生き地獄。そのリスクを完全に排除できる私という存在は、世に望まれた存在であるわけだ」


 死売人は、安楽死できる毒薬みたいなものなのだろうと、僕は思う。

 踏み出してしまえば永遠の安らぎを得られる代わりに、その先の人生を全て破棄する。

 安易に死を望む人に会わせればとことん危険な奴だ。けれど、どうしようもなく死を切望する人間からすれば救いの手なのかもしれない。


 僕が黙り込むのを見て、奴はカラスのような不吉な声で問う。


「それで? 少年。聞きたいことは以上かね」


「あんたは、死を対価に、何を買っているんだ」


「残りの生を。寿命と言い換えてもいい」


「不老不死にでもなるつもりか」


「まぁ似たようなものだ。それで?」


 カラスの瞳が僕をのぞき込む。

 狡猾な眼差し。


「少年は、本当は何を聞きたいのかね」


 そういう商売をしているからか、僕の微かな躊躇いの先をすでに見抜いているような問いかけだった。



「死を買うにはどうしたらいい?」



 躊躇いをすり抜けて出てきた言葉は、不思議と心の中にすとんと落ちた。

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