死売人-5
死が、特別恐ろしいと思ったことはありません。
生きている限り忌むべき事象だとは思います。
しかし避けられない事象でもあります。
出来る限り敬遠し、可能な限り先延ばしにし、目一杯に目を逸らしていても、誰もが最後に辿り着く最期の瞬間です。
人の命を救い、助けるという最も過酷で尊い職業の一つである、医者でさえもその最期には抗えはしません。
平等に、理不尽に、必然的に清算される最期。
どうせ皆辿り着くのなら。
自分の選んだ好きな時に近道して終わってもいいと思うのです。
世の中に何も齎さず、何も成さず、何も示さず。ただただ生きることを義務とするだけの人生ならば終わりを迎えても誰の迷惑にもならないでしょう。
ただ。
高所から地面を見下ろした時。
大量の薬物を机にぶちまけた時。
大型トラックが歩道を過ろうとした時。
寒風吹き荒び高波を作る海を見ている時。
快速列車が眼前を通り過ぎようとした時。
包丁の切っ先を喉元に押し付けた時。
二種類の洗剤を用意した時。
練炭に火を入れようとした時。
吊るした縄の輪を潜ろうとした時。
決まって養父が脳裏に現れ、後ろ髪を引いて来るのです。
そして聞き取れない何事かを延々と呟き続けて、死から遠ざけようとします。
それは私が諦めるまで続きます。
言うまでもなく、今までそれを振り切れたことはありません。
そこにいるわけでもないのに、終わりに続く致命的な一歩をいつも遮るのです。
まるで呪いか何かの様に。
だからきっと。
生かされる呪いを掛けた彼が居なくならなければ、私は死ねないのでしょう。
そもそも、養われておきながら勝手に死んでは失礼にもほどがあります。
ならば養父が生きている間だけはただただ生きるだけの人生を享受しましょう。
そして養父の最期を見届けることを私の人生の義務としましょう。
結果。今現在。その義務は完遂されました。
眠っているだけに見えた遺体は遺灰と遺骨に変わり、それらは墓石の下に収められました。
あとは望んだ時に終わりを踏み出すだけです。
まるで見計らったようなタイミングで死売人という都市伝説に遭遇しましたが、どうでもいいです。
死後、残った物が欲しいと言うのなら勝手にお持ちいただいて結構です。死人は何も言いませんからね。
☆
深夜零時。
我ながら殺風景が過ぎる私室の天井から、ある種の恐怖を掻き立てるような縄の輪が垂れています。
そして部屋の中に何故かある錆びた脚立。
客観的に見れば趣味の悪いお化け屋敷の一室です。
インテリアとしては落第もいいところです。
まぁ今からそこに死体が吊るされるわけですが。
ノック音。
玄関のドアは控えめに叩いても薄い金属の板なので割と響きます。
「開いてますよ」
言うと、金属が悲鳴を上げながら扉が開閉し、燕尾服姿の男性が入室してきます。
「不用心じゃないかな」
「こんなところにコソ泥なんて来ませんよ。そもそも人が住んでるとも思いませんって」
外見ほぼ廃墟なんですから。たまに隣の部屋で一泊していく方がいらっしゃいますけど。
何か言いたげな死売人でしたが、視線が縄を捉えたので輪っかを弄んで彼に見せます。
「結構上手に結べているでしょう」
「絵にかいたような首吊り結びだね」
「この結び方。ハングマンズノットという名称だそうですよ」
「調べたんだ」
「調べなきゃ出来ませんよこんな結び方」
誰が教えてくれるんです。
「千切れないの?」
「ぶら下がれる程度には丈夫でした」
言いながら少々乱暴に引いてみますが切れる気配はなさそうです。
「それで? わざわざ見届けに来たんですか?」
「気にしないだろう?」
「気にしませんが」
言葉通り、気にせずに朽ちかけの倉庫から拝借した脚立を立て足をかけます。
「そういえばさ」
「はい?」
縄を手に取って括ろうとすると、まだ何か話したいのでしょうか。声をかけてきました。
「僕は貴女がなぜ死にたいのか聞いていないんだよね」
手を止め、ここ数日の彼との会話を思い返します。
「言ってませんね。知りたいです?」
「多少の興味はあるけど、言いたくなければ強要しないよ」
別にそれで死ねない訳じゃない。
そう続ける彼は言葉通り、興味本位なのでしょう。
「言いふらしたいわけでもありませんが、まぁいいですよ。遺書代わりに教えましょう」
古くて若干揺れる脚立に腰を預けると、錆色の破片がボロボロと床に落ちます。
「端的に言えば、私に生きる価値がないから。ですかね」
無言で続きを促されたので続けます。
「人食い鬼の心中事件、もしくはカマキリ夫婦の雪崩事故。ご存じですか」
死売人は頷いて口を開きます。
「心中を企てた夫婦の車が、冬に封鎖された山道に侵入。結果、雪崩に巻き込まれて車内に閉じ込められたが、すぐに掘り出され救出された。だが救助隊が見たのは夫を食い殺し、血と臓物で腹が膨れた妻の死体だった。って話だったかな」
「意外と知っているんですね」
「テレビの怪奇事件を特集したドキュメンタリーで見たよ。ほとんど事実無根の法螺吹き話だって後日叩かれてたけど」
「いいえ、それに関してはほぼ事実です。十八年前、実際に起きた事故であり事件です」
「十八年前というと、貴女が生まれた年付近だと思うけれど。どうして言い切れるんだい?」
「その方々が私の肉親だからですよ」
面白い話ではないですよ。と前置きを入れ、続けます。
「まず、訂正します。男性の方は雪崩の時点でお亡くなりになっていたそうです。そして女性の方は救助隊が発見した段階では辛うじて生きていました」
「と、言うと貴女は心中する直前に生まれたの?」
「いいえ。私の誕生日はその直後です」
死売人は首をかしげて疑惑の目をします。
「おかしくないかい?」
事実のみを言っている私は否定します。
「矛盾はありませんよ。そもそも、貴方の話にも私がいるじゃないですか」
なおも首が傾ぐ彼に、自分の腹、細かく言えば下腹部に指します。
「女性のお腹は何で膨れていたんでしょうか」
「血と臓物って話だろう」
「はい。それが私です」
数舜、沈黙の後合点がいったようで、あぁ。と小さく納得の声を上げました。
「妊婦だったのか」
「そうですね。そして幸か不幸か。救助隊は彼女の所業と惨状を見て救助に躊躇い、女性の方も手遅れになってしまいます」
これにて彼らの心中自体は達成です。
「そしてお腹の中の赤ちゃんも死んで無理心中達成。ただの怪奇的な悲劇で終わったんですが、誠に面倒くさいことに私は生き残ってしまうわけです」
毎回思いますけれど、現代医療の進歩って凄まじいですよね。
「女性が死ぬ直前。通常なら母体の死亡と共に運命を共にしたはずの、まだ生まれるには早すぎる、未熟児もいいところの胎児をその場の判断で取り出して生命維持装置に繋ぎ、ほとんど前例のない処置を施して命を紡がれたのが私で、その指揮を取ったのが養父でした」
死んだ妊婦の腹から未成熟の赤ちゃんを取り出して、現状なんの後遺症もなく命が紡がれた。
「そういう医学的なお話だけを聞けば『医療の進歩により救われた尊い命がありました』というある種の美談で終わるのですが、経緯が悪すぎですね」
心中した夫婦の、人を食った女性の死体から生まれた子供です。
気味が悪い以外に何と思われましょう。
「ついでに言えばその後も悪かったです。養父がその場の独断で即決してしまったがために引き取り先が不明のままでした。一応、肉親の身元が判明して両家に引き取りの打診したようですが拒否されたそうです」
当然と言えば当然ですね。聞けば両親はデキ婚ついでに駆け落ち、心中。真偽は不明ですがお二人とも婚約者が居たらしいですし、浮気した挙句死んだ後に残った子供の世話なんて誰がしたがるのかという話です。
「さらに赤ちゃん一人を助けるためだけに最新鋭の医療器材を惜しみも無く使った所為で掛かった莫大な医療費の請求先です。両家が拒否したので行方不明です。おまけに言うならその後の育児と養育費も誰が払うんですか、と」
私が生まれたせいで各所で大騒ぎです。
誰か生命装置の電源をオフにしようと考えなかったのでしょうか。
今生きている以上、オフにされなかったということでしょうけれど。
「それら全てを背負ったのが先日亡くなった養父でした。医療費も養育費も赤子の世話も全て」
お陰でただでさえ印象の悪い子供が家の金を大いに食い潰しつつ育児しろだなどと、養父の家族はさぞ迷惑な事だったでしょう。だから途中から施設に入れたれましたけれど。
「紆余曲折ありつつも一応私は私の居場所を得られたわけですが、私の経緯が無くなるわけではありません」
私を気味悪がって嫌う方々は過去の事実を平然と振りかざしてきます。
「忌子、鬼子、ゾンビ人食いカマキリ女。どこから知ったのかわりと散々に言われます。それはきっと、私がこの社会で生きる以上永遠に付きまとう事実です。そしてそういう陰口にはこういう文言が付属します」
ぶら下がっている輪っかを指で弾いて幾度も言われた言葉を反芻します。
「死ねばいいのに」
きっとこの言葉はいくつになっても延々と聞かされる呪いの言葉です。
そしてそれは自らの社会から異物を排除しようとする願いの言葉です。
「私の社会的価値は『出産にも耐えられない未熟児を無事に取り出して成長させられた』という前例を作った時点で終わっています。養父への義理は果たしましたし、もうこれ以上生きている意味がありません。以上が死を選んだ理由です。何かご質問は?」
輪に首を通し、私の最期を見届ける死売人に問いかけます。
「いいや無いよ」
「そうですか。では、」
お元気で。
そう言って。私は脚立から身を乗り出すのでした。




