死売人-3
「雪華」
優し気な男性の声が、私に呼びかけます。
やたらと広い屋内に無数の子供たち。
そしてそれを監視する大人たち。
周囲で落ち着きのない子供たちが奇声を発して騒ぎ立てていますが、彼の声はやけにハッキリと耳に入りました。
山月 雪華、その人が私につけた私の名前。
女の子なのだから、と綺麗な漢字を当てて名付けたそうです。
「雪華」
私はこの人のニオイが苦手です。
ほのかに臭う脂と汗が混ざったような加齢臭。
体中に染み付いた薬品の刺激臭。
それを誤魔化すように、上辺だけ取り繕った香水らしき不自然な臭い。
本当は近づきたくありません。
けれど足は自然と彼の方へと向きました。
「元気だったか?」
可愛げもなく無反応を返します。
すると大きな手が頭に置かれ、やや乱暴に揺らされました。
不愉快だったので爪を叩てて払いのけました。
対照的に、男性は愉快そうな笑顔を見せます。
そして、いつも決まって彼は私を抱きしめるのです。
私はこの瞬間が大の苦手でした。
白髪交じりの頭皮から息も出来ないほどキツイ臭いがするからです。
「雪華、————————」
嗅覚の暴力に耐えている間、彼は私の耳元で何事かを囁きます。
その大半は刺激臭の印象に埋もれて思い出せませんでした。
☆
死んだ人の夢を見るとは、意外と養父の死を気にしているのかもしれません。
どうも、私は故人を悼む心が有る程度には出来た人間らしいです。
薄暗い部屋の天井をぼんやり眺め、時計に目を移せば十時を過ぎていました。
平日なのでもちろん学校がありますが、忌引きということで欠席の連絡はしてあります。
それでも一瞬、冷や汗を背中に感じるのは学生という職業の性でしょうか。
少しだけ焦った心臓を誤魔化すように身じろぎする。
しばらく平日の休日という学生にしては珍しい日をどう過ごすか考えを巡らせます。
今日は、予定通りならば養父が火葬される日です。恐らく親族の方々はもう集まって火葬場に向かわれている所でしょうか。親族に会うのが嫌だったので断りましたが、人生で人骨が生で見られる貴重な機会を逃したのは少し残念だと思わざるえません。
まぁどうでもいいですけど。
やる気のない気だるげな睡魔が二度寝を誘ってきます。
その誘惑に成されるがままに瞼を閉じれば、先ほどの夢が脳裏に居座り続けていました。
そういえば、私が幼いころ養父は頻繁に施設を訪問していたような気がします。
つい三年前までお世話になっていた施設は、諸事情により家庭での育児が困難になった子供を独り立ちするまで保護する養護施設でした。
諸事情は多岐に渡り、曰く育児放棄されて保護された子供、曰く経済的に困窮して預けられた子供、曰く親が事故死し引き取り手のいなくなってしまった子供、等々。
親、経済、家庭、障害、隠し子。赤子から年長まで、総勢百人を少し下回るくらいは居たと思います。
騒音の観点からか、施設は人里離れた山の中腹に建てられていたため、近隣からは姥捨て山ならぬ孤児捨て山なんて呼ばれてるのも聞いたことあります。
そんな訳アリの子供ばかり、外聞もよろしくない施設にわざわざ山中を上ってくる元親や親族なんて一人も居ません。
いえ、養父以外見たことがありません。
大体週に一度ぐらいのペースでいらしていた気がします。
面会は十分も無いので親子らしいことは一度もしたことはありませんが、何が楽しいのか長い事通い詰めていらっしゃいました。
いつか、何故そんなに気にかけて下さるのか聞いてみようとは思っていましたが、その機会は永遠に失われてしまいました。
大きく息を吐いてだらけた眠気を吐き出します。
結局寝ても覚めても養父の事ばかりです。
そんなに親しい仲だった覚えもありませんし思い入れもあった仲でもないつもりだったのですが、認めましょう。
なんだかんだでやはり知り合いが亡くなるのは悲しいことです。
朝昼兼用の食事を八枚切りの食パン一枚で済ませ、若干線香の臭いを纏った制服を着こみます。
帰り際に消臭スプレーを買わなければいけませんね。
固いドアを半ば蹴るように開けつつ空を見上げれば近すぎて威圧感すら感じる曇天です。
まだ湿り気のあるビニール傘と家の鍵だけ持って、私はまた養父に会いに行くことにしました。
☆
アパートから徒歩四十分ほどの距離に養父が焼かれる火葬場がありました。
初めて間近に見る火葬場は、意外と小奇麗でイメージしていた火葬場らしくない近代的な建物でした。
やたら小奇麗な洋風の外観。白を基調とした落ち着きのある色合いに主張しすぎないレリーフ。
外見を重視した市役所か市民センターを髣髴とさせる建物です。
そしてその正面、入り口入ってすぐに当たる場所にいらっしゃる不吉な人影。
「こんにちは。お父様の火葬ならもう始まってるよ」
「こんにちは。気晴らしに来ただけですのでお構いなく。そういう貴方はご商売で?」
「いいや。火葬場の見学」
死売人って意外と暇な職業なんでしょうか。
缶コーヒー片手にベンチでくつろいでいます。……カフェオレですか。
「なかなか面白かったよ。陰気な施設で長い煙突から黒い煙を延々と出しているイメージだったけれど、実際は煙突も無いし、一見真新しい大学みたいでなんの施設かわからない。中には食堂や売店もあったし、一部の施設は地元住民に開放しているらしいよ」
聞いてもいないのに施設の感想を喋りだしました。
そしてこの都市伝説、私とほぼほぼ同じイメージを持っています。もしかしたら歳が近いんですかね。
「火葬場という悪印象を払拭しようとした結果でしょうか。市民センターの印象が半分当たっていたのには驚きですね」
今更奥に入っていって親族の方々と合流するのも気まずいので、半ば逃避の形で彼に話を合わせます。
「たしかに言葉だけじゃ印象は悪いね」
「この火葬場の建設が予定された当初、近隣住民から大反対の声が出るくらいには悪いですよ」
基本的に、人間の死体が頻繁に出入りする施設を身近に感じたいと思う人は圧倒的に少数派でしょう。
住居の隣に、いきなり葬儀会館や火葬場や墓地が出来ると言われれば、大反対、とまで言わずとも私だって嫌な顔します。
「そんなことがあったのかい?」
「大家さんの御婆さんに聞いた話です。当時はごみを家庭で燃やすのを禁止され始めた時代ですし、遺体を燃やした煙は有毒、なんて話もあったそうです。あの方の世代は公害に敏感ですからね」
「へぇ物知りだね」
「この辺りでは割と有名な話ですよ。死後直送道路って聞いたことありませんか?」
奥から見知らない遺族の列が出て来たので端に寄ります。
一抱え程ある包みを持った方を先頭に、喪服姿の十数人が追従して出て行きました。
声が聞こえない程度に離れてから、彼らがこれから行く場所を想像しながら続けます。
「火葬場に面している道路、ありますよね。ここから南に少し進むと葬儀会館があるんですよ」
「貴女が居たところだね」
「近くにもう二軒あるそうですよ。そしてさらに南下するとちょっと大きな老人ホームと病院があります」
そこで彼は合点がいったようです。
「あぁ、なるほど。老人ホームや病院で死んだ人が道路一本で火葬場まで来るのか」
「ちなみにここからそこの道路を北上すると大規模な霊園があったりします」
養父もそこに入るみたいです。
「死んだら墓場まで道路一本。確かにこれは縁起が悪い」
「喪服の列が暗い顔してひっきりなしに行ったり来たりするわけですからね。近隣住民にとっては不気味な事この上ありません。その代わり道路沿いのアパートはかなり安いらしいですよ」
一人暮らしの大学生に人気の一角だそうです。
ちなみに私の住居もその道路に面しています。霊柩車や喪服の人たちが行き来することを気に留めた事なんて一度もありませんでした。
不吉な人に縁起でもない話を教えていると、奥の方からまた骨壺を抱えた方を先頭に、遺族の列が現れました。
見覚えのある方々です。
山月家の親族一同、沈痛な面持ちで骨壺を持つ兄の背中に列をなしていました。




