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死売人  作者: 童の簪
16/22

死売人-1


 静かで大きなホールを、お坊さんの言葉が朗々と響きます。

 耳を傾ければ、かすかに聞こえてくるのは別れを奏でるピアノの音色。

 耳を澄ませば、そこら中から聞こえてくる啜り泣きの声。


 決して小さくないホールを濃密に漂うのは線香と涙の匂い。

 悲嘆に暮れる彼らを見下ろすのは、花々に囲まれた大きな顔写真。この中で唯一笑顔でいらっしゃいます。

 そして写真の下には真っ白に塗られた棺桶が一つ。

 私は最後列の席で、粛々と行われる別れの儀式を眺めます。


 立派な人でした。


 それはこの大きなホールを埋める参列者の方々と、そのすすり泣く声の多さを聞けば容易に察せますし、私自身、彼には、例え存命していたとしても返し切れない大恩があります。


 しかし私の目からは涙は出ません。


 大きな恩があるのは知っています。

 大変お世話になったのも知っています。

 それと同時に迷惑をかけたのも知っています。


 知っているだけです。


 情報だけしかありません。

 葬儀の書類を頂いて、フルネームを見たとき、一瞬名前と顔が一致しませんでした。


 それほどに、私と故人の間には想い出も思いもありません。





 それが故人、戸籍上では父に当たる方と私との関係でした。









 葬儀は滞りなく進みまして、おおよそのプログラムが終了しました。

 私は談話に勤しむ方々の邪魔にならないよう、窓際に寄って空を見上げます。


 曇天です。

 秋雨の季節だからということもありますが、まるで葬儀の空気を読んだかの様に分厚い雲が空を覆っています。

 確か天気予報ではしばらくこんな日が続くようなことも言っていました。


 せっかく地獄のような夏が和らいだというのに、すっきりしなくて憂鬱です。


 憂鬱と言えば日曜日に窮屈な制服を着こんで線香の臭いが充満した室内で何時間も座りっぱなしなのも相当に苦痛でした。

 一生に一度以上は経験する極々一般的な儀式ではありますが二度と参加したくありませんね。


「そもそも、死んだ人にとってこの儀式は意味があるんですかね……」


 葬儀なんて、結局は生きている人たちが自己満足でやっているだけに過ぎないのではないでしょうか。

 神も仏も幽霊も信仰しない罰当たりな私は、葬儀を真面目に執り行う彼らの思想を理解できません。

 死んだら天国か地獄かじゃありません。死んだらそれまでです。脳の機能が停止しているんですから、その後に意識なんてあるはずないのです。


 祭壇で笑顔を見せている故人の遺影を遠くから眺めます。

 総髪は真っ白で、皺皺の相貌を柔らかな微笑みで見返す父。

 死に顔はまだ見ていませんが、以前にお会いした時よりシワが増えた気がします。

 最後に会ったのが、確か中学校を卒業する時だったはずです。凡そ三年前ですね。


 遺影の元に安置されている棺桶には人だかりが出来ています。

 葬儀から退席する方々が、最後の別れに死に顔を拝んでいるようです。

 会場の出口も同様に列が伸びています。


 しばらく人が流れていくことは無さそうです。


 会場を見渡していると、誰かが近づいて来ました。



「こんにちは」



 知らない、男性の方です。


「どうも」


 この場では珍しくありません。

 むしろ知らない人のほうが大多数です。


 しかし声をかけられて初めてその方に違和感を覚えました。


 全員が全員似たり寄ったりの黒い喪服だったので気づきませんでしたが、この方は喪服ではありません。

 あまりなじみのない燕尾服に見えます。


 礼服には間違いないのですが、葬儀の場では場違いなその方は、今まで気づかなかったのがおかしいくらいに目立ちます。


 屋内なのに真っ黒なシルクハットを目深に被り、燕尾服には複数のシワが付いてしまっています。

 白い手袋が妙に目立ちますが、それより私は靴が革靴ではなくスニーカーなのが気になりました。


 葬儀の会場に居られる方にしては妙にちぐはぐなその男は私に向けてこう問います。



「死を、買いませんか?」



 脈絡もなく投げられた問いに、私はこう答えます。


「いいですよ。三日後でよろしければ」


 しばしの沈黙。

 その間ぼんやりと、少しだけ早くなった人の流れを見送ります。

 あと少し待てば棺桶の傍まで行けそうです。


「……なんです? そんなに見つめなくても私は逃げませんよ。殺人鬼さん」


「いや、君があっさり承諾するものだから。少し、呆気にとられた。あと、僕は死売人だ。殺人鬼じゃない」


「都市伝説のですか? どっちだって構いませんよ。目を付けられた時点で結果は同じです」


 私はか弱いか弱い女の子なものですから。


「諦めている、にしては潔い」


「そうでもないですよ。本当に潔かったならもっと前に何処かから飛び降りてます。今の今まで生きているのは、単に臆病で生き汚いだけです」


「それは……」


「雪華」


 死売人を名乗る男の言葉を壮年の男性が私の名前で遮りました。


「はい。なんでしょう? お兄さん」


 故人の実の息子。この葬儀の喪主。

 私との続柄は兄に当たる方です。

 これほどに規模の大きい葬儀を準備しただけあり、若干の疲労が見て取れます。


「父の、顔を見て行かないのか」


 見れば、棺桶の周りにいる人は疎らでした。

 いつの間にか人の流れも落ち着いています。


「そうですね。ちょっと行ってきます」


 そういえば私、人の死体を見るのって初めてなんですよね。

 ちょっと緊張します。


 真っ白な棺桶には顔に当たる部分に両開きの扉を模した小窓が付いており、薄いアクリル越しにご遺体の顔を見ることが出来る構造のようです。

 棺桶に近寄るにつれて濃くなっていく線香の煙たさと、その香りに隠れる僅かな腐敗臭が鼻を突きます。


 そっと棺桶をのぞき込むと、一人の老人が眠っています。

 遺影よりも頬が痩せて目がくぼんでいるように見えます。

 口が開いて若干引きつっているせいか、穏やかに笑っているようです。


「お久しぶりです。お父さん」


 声を掛けますが、当然反応はありません。


 ……これが死体ですか。


 私が見ているのはもちろん、業者の方々が死に化粧を施したり綺麗に保つために手を尽くした結果の身体というのもありますが、やはり眠っているようにしか見えません。


 しかし、瞼はぴくりとも動きはしません。

 もう二度と目が覚めることは無いのです。


「……さようなら」


 しばらく眺めた後、お別れの言葉だけ落として兄のところに戻りました。

 数分にも満たないあっさりとしたお別れですが、私には死者に語らうべき思い出が無いのです。生前、もう少し会っておけばよかったのかもしれませんが、今更です。


「どうだった?」


「綺麗な死に顔でしたね。一瞬死んでいるとは思いませんでした」


「寝ているときにぽっくり逝ったらしい。穏やかだっただろう」


「そうですね」


 羨ましいほどに。

 死ぬときは私もぽっくり逝きたいモノです。


「火葬は明日、明後日には納骨だが聞いてたか?」


「葬儀のスケジュール表で見ました」


「来るか?」


「いいえ。欠席でお願いします」


「そうか。墓の場所は知ってるな?」


「はい。納骨式が終わったら伺うつもりです」


「わかった。それで、なんだが……」


 兄の歯切れが悪くなりました。

 目が泳いで親族のいる方に視線が行きます。


「この場で決めることじゃないんだが……相続の事な」


 なるほど。

 大事な話です。

 揉めそうな話題ですし、切り出しにくいお話です。


 大方、他に居る姉弟の方々に催促されたのでしょう。

 喪主は大変ですね。


「私は放棄でかまいません。後で書類を頂けますか」


 これは父が死ぬ前に、既に決めていたことですので、こちらから提案します。

 その方が面倒も少ないですし。


「……そうか、すまんな」


「いえ」


 私はもう多すぎるぐらいに頂いていますので。

 そんな言葉を呑み込みます。


「何もなければ、この辺でお暇します」


「あぁ、お疲れ。書類は今度渡すよ」


「よろしくお願いします。……あれ?」


 そういえば先ほどから燕尾服の姿がありません。

 どちらに行ったのでしょう。


「どうした?」


「燕尾服を着た参列者の方がいらっしゃったと思ったのですが、見失ってしまいました」


「燕尾服?」


「ご存じですか?」


 眉を顰めて兄は言います。


「俺は列席者全員と会ってるが、燕尾服を着ている人なんて居なかったぞ」


「そうですか」


「見間違いじゃないのか」


「……そうですね」



 はて。確かに現実味の無い会話をしていましたが、全て妄想だったのでしょうか?

終わりが見えてまいりました。

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