夫婦-2
深夜。
雪の降りしきる山道を一台の車が走っていた。
「結構遠いのね」
「雪道でだいぶゆっくり来たからね。そう感じるだけさ」
暖房を全開で動かしている車内には、男女の二人組が居た。
死売人から死を買った、良家のカップルだ。
『明後日の深夜。県境にあるキャンプ場までお越しください。ご一緒になれる死をお約束いたします』
死売人はそう言って彼らの前から去って行った。
「この先冬季通行止めですって」
「バリケードがあるならどかせばいい。君と一緒になれるなら些細な労働さ」
「動かせるの?」
「動かせなかったら歩いて行こう。それか近場に車を止めて練炭に火を付けてもいい」
死ねなかった保険として、車の後部には練炭と七輪、着火剤が数セット。新品の状態で積まれていた。
後戻りはできない。しない。そう自分たちに言い聞かせているように。
「おや? あれかな」
男が雪と暗がりで視界が煙る中、明かりのついた小屋を見つけた。
道路のすぐ脇には、道を塞ぐために使用されると思われる機材が避けられており、道は開いていた。
「管理小屋かしら。誰かいるの?」
「死売人かな。バリケードをどかしておいてくれたんじゃないか?」
「気が利いてるわね」
「凍えないで済むよ」
彼らの車は管理小屋を通り過ぎ、轍の薄い山道に入って行った。
しばらく進んでいると、冬季故に整備が疎かな道を走っているためか車内の揺れは酷く、密閉空間の為空気も悪い。
女の気分を害さないか、男は不安になりながらも声をかけた。
「だいぶ道が悪いね。大丈夫かい?」
「えぇ大丈夫。あなたは?」
「僕はまだ平気だ。悪いけどもう少ししんぼうしてくれ。そういえば、前々から気になっていたんだけど」
「なに?」
「君の家はどうして近親婚しかしないんだい? 僕のところは、言ってしまえば珍しくもない典型的な金持ちの家だから他家から嫁を取ったり行ったりするけど、今時近親の間でしか子供を作らないのは珍しくないかい」
「そうね。私も近親婚を繰り返す家は最も尊い家以外知らないわ。昔はその家の真似事をしているんだと思ってたけど」
「けど?」
「あなたとのお付き合いを打ち明けたら御祖母様が『忌子を孕むつもりか』って掴みかかってきたの」
「なんだそれ」
「そのあと聞いてみたらね。私のご先祖様は鬼なんですって」
「なんだそれ」
失笑を含んだ男の声に、女も嘲るように笑って続ける。
「鬼の血は人の血と混じ合わせてはいけないんですって。鬼なんてただの御伽噺なのに、いい歳した大人が子供みたいに信じちゃってるの。もうおかしすぎて聞いたとき笑っちゃったわ」
「古い人間なんだよ。どうしようもない。僕たちみたいな新しい時代の人間には理解できないさ」
「あんな人達の指示通りに生きていくなんてまっぴらね。あなたと死ねて清々するわ」
「僕も清々しい気分さ」
「あぁ。でも分類としては無理心中になってしまうかしら」
「大丈夫さ。きっと————」
☆
女は目を覚ました。
「……え?」
暗い、狭い、寒い。
そこに灯りは一切なく、身体の節々に鈍痛が走り触れてるもの全てが冷たい。
状況を呑み込めない彼女はしばしぼんやりと暗闇を見つめる。
記憶が曖昧だった。
頭を打ったらしく座った状態なのに姿勢がやけにぐらつく。
否。姿勢が安定しないのは、そもそも彼女の座っている椅子が大きく傾いている他にない。
ようやく頭に血が回った女は思い出す。
「そうだ……車の中、彼は……?」
彼女が気を失う直前の記憶は、彼と死に場所へと向かっている最中までだ。
死売人に指定された場所に到着しても居ないし、練炭だって焚いた覚えもない。
「あなた……?」
隣に座って運転していたはずの男を呼ぶが、返事は無い。
視界が無く、大きく傾いた所為で平衡感覚も空間把握も出来無い。
女は四苦八苦しながらも、ルームランプに手を伸ばす。
スイッチが入り、白熱球が暖かな光を灯した。
女が最初に見たのは雪だった。
暖色の強いルームランプに当たってなおも黒い、大量の雪がフロントガラス一面を分厚く覆い、その重量で歪めていた。
すぐに察しがついた。
分厚い雪で閉じ込められている。
雪崩に巻き込まれたのだ。
「ひっぃ……!」
隣を見て悲鳴を堪えた。
彼女の人生を大きく変えた男が居た席だ。
永遠に一緒にいると誓った男が居た筈だ。
一緒に死んでくれると約束した男が。
頭をハンドルにめり込ませ、冷たい血を滴らせて居た。
「あなたっ!!」
女はシートベルトすら外すことを忘れひたすら彼に縋った。
「まだダメ! 死んじゃダメ!」
狭い空間で必死になって彼女は止血を始める。
大きくへこんだ彼の額を自らの手で必死に抑え込んだ。
「まだ血が流れてる。まだ息してる。まだ温かい」
まだ。
まだ。
まだ。
生きている。
ずっと一緒だって言ったもの。
一緒に死ぬって言ったもの。
あの戯曲のような悲劇にしないって言ったもの。
誓ったんだもの。
だから。だから! だから!!
頭が抉れていようとも、流れる血がすでに冷たくなろうとも、彼から呼吸も鼓動も感じずとも。
生きていると思いたかった彼女の妄想は、やがて現実が浸食すつように壊していった。
女の愛した男は、誓いを破り、先に旅立った。
一人の男が死んだ。
氷解していくその事実だけで女は絶望の底に叩き込まれた。
「————————————っ!!」
言葉の無い金切り声が車内にこだまする。
その声は分厚い無言の雪に覆われ、外へと伝播することは無い。
しばらく叫び通し、多少なり正気に戻った女の取った次の行動は、彼の後を追うことだった。
だが彼女にはすぐさま自分を終わらせられる手段が無かった。
舌を咬み切る、手首の血管を切る、息を止める。
体一つで自分を殺せる手段は数種ある。だがそのほとんどは、ある程度の技量を要し、かつ苦痛を伴う。
素人が実行しようとも、肉体の生存本能に負け死に損なうのが精々だった。
ならばと、女は道具を使おうとした。
心中用に積んでいた練炭だ。
しかしそれもすぐに諦めることになった。
後部座席は雪で埋まっていたのだ。
後ろの窓ガラスは雪崩の衝撃に負けたらしい。
練炭も着火剤も雪の下。
大体の場所はわかる。掘り出そうと思えば掘り出せるだろう。
だが掘り出したところで、それが湿って使い物にならないことは容易に想像が付いた。
女はすぐさま死ぬのを諦めた。
「……もういいや、このまま死のう」
彼らが走っていた道は、冬季通行止めで閉鎖されている道路だ。
そもそも誰も通らないし、よしんば通ったとしても雪崩で埋もれた車を見つけることは無いだろう。
見つかるとしても雪が解け始める春頃。
それまでに女が生き残っている可能性は万に一つも無い。
そもそも焦らずとも彼女の命は風前の灯なのだ。
凍死、という少しばかり予想外の死に方だったが、彼を失った彼女は死ねれば何でもよかった。
「一緒ならいいの。……一緒なら」
意識を凍り付かせ、瞼を閉じ、死を待った。
「そうよ、一つに成れればいいのよ」
ただ彼の隣で凍死を待っていた女はおもむろに目を覚ました。
すでに末端は凍傷で痛みを通り越し感覚すら無いパーツに成っていたが、彼女は死んだ彼にまた縋り付く。
「ねぇ。一つになりましょう。そうすればずっと一緒よ」
そう言って女は手始めに、男の唇を喰った。
☆
数日後のとある記事。
『県境のキャンプ場に向かう山道で、男女二人が乗った車が雪崩に巻き込まれました。自衛隊による救助活動の末、二時間後に救助されましたが、男はその場で死亡が確認され、女は搬送先の病院で死亡が確認されました』
実のところ。
男はともかく、女は命だけならば助かった可能性があった。
管理小屋には警備員が詰めており、たまたま避けていたバリケード脇を一般車両が通ったのを目撃していた。
その後、その車両を追跡していたところ、雪崩とそこに埋まっていく車を見つけ、早期の救助活動開始に繋がった。
二時間かけて掘り起こされ、要救助者がいるはずの車内を初めに見た救助隊員は大量の雪を掘り起こした疲れを忘れて嘔吐に明け暮れた。
車内の惨状は血肉と悪臭に濡れ、特にひどかったのは男の遺体だ。
運転席に座った状態で服が剥かれ、見える皮膚は裂傷にまみれており、骨が露出している部分も多かった。
特に顔面は悲惨の一言に尽きた。
表皮は執拗なまでに剥がされ、頭蓋が剥き出しの状態。
穴の開いた頭蓋は穿られた箇所あり、脳をえぐりだそうとした痕跡すらあった。
当初、男の死因は一目でわからないほどであったが、その惨状を作った人物は誰の目にも明らかだった。
血の腐臭を全身に張り付け、冷蔵庫のような気温の中で倒れ伏す女。
その腹は、血と臓物で膨れ上がっていたという。
女が男の肉を食った。
この国の文化において異端とされる食人行為は、彼らがほんの僅かに息のある女の助命をためらうには十分であった。
その躊躇いは、女を殺すのには十分な時間だった。
かなり短めですが夫婦編〆です。
お疲れさまでした。
次の章で死売人のお話は最後になります。
どうぞ最後までお付き合いください。




