第六話 儀式師に捕まる少年少女
——————拝啓、くそったれ師匠。
私が故郷を発って数日。
迷子になりながらも、なんとか東京に着くことが出来ました。
東京は恐ろしいところです。
人はいっぱいいるし、乗り物はどれに乗れば分からないし、体に悪そうな色の食べ物もあるし、田舎とは別世界です。
何故虹色にする必要があるんでしょうか。
まぁ、それはさておき、私は偶然にも同じ儀式者の人に出会いました。
それも、同じ占術師で、しかも儀式師の試験を受けるとのことです。
見た目は少し幼い感じですが、私より年上でしっかりした人でした。
自分を占術師だと悲観することなく、自分でできる事をすれば良いと教えてくれました。
そして何より、戦える占術師という希望を見せてくれたのです。
師匠。
今、私は————————————
「何で………………こんな事に………」
「さて、紅茶でもどうかね、お嬢さん」
儀式師の方に、捕まっちゃっています。
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遡る事、数時間前。
彼——————牛島 奏次郎を倒した掌は、結の手当てを行なっていた。
「っ………」
刺すような痛みに、思わず声が漏れた。
頭痛はひどいし、目眩もある。
打たれた場所は未だに痺れるような感覚と共にズキズキと痛む。
しかし、その痛みが、逆に今生き延びているという事を切に実感させた。
「痛むでしょうが、少し辛抱して下さい。緑聖水といえど、所詮は儀具。祈祷師の儀式には及びませんから」
掌は、薄い緑色の液体の入ったガラス瓶を手に持っていた。
これが緑聖水だ。
緑聖水というのは、数ある聖水の内、祈祷師の祈りによって傷を癒す効果を得た儀具の事である。
と言っても、即席の道具では完全な治癒には至らない。
結はこれでもかなりの重傷を負っているのだから。
「じきに儀式師が来るでしょう。彼らが来たら子供達の保護とその男の捕縛を任せるつもりです」
掌の話を、結は辛うじて頷いて返事をしていた。
まだ顔色は優れないが、話を聞く程度には回復している。
しかし、そっと目を閉ざせば、
「ッ………………!!」
殺されかけたという事実を思い出し、芯から震えがやってくる。
大丈夫………落ち着け………
拳を強く握りしめ、再び目を閉ざすと、ゆっくりと息を吸いこむ。
肺いっぱいに空気を満たしゆっくりと吐き出す。
そうやって、“大丈夫だ、私は死んでいない” と、自分に言い聞かせたのだ。
ミノタウロスはそれほど恐ろしい敵であった。
しかし、それ故にそのミノタウロスを一撃で倒した掌の事が気になって仕方なかった。
「………あの、掌くん」
「はい?」
やはり、優しい顔をしている。
訊けば答えてくれるかもしれない。
そう思い、掌の儀式について尋ねようとするが、
「………………ぁ………ぎっ、儀式師の人たち、いつ来るんだろうね!」
心にあった好奇心を塗りつぶすような、得体の知れないものを感じ、キュッと口を閉ざす。
そのせいで、なんとなく聞くのを憚った。
まだ聞いてはいけないと、そんな気がしたのだ。
「ああ、それなら」
掌は言いながら、視線をある方向へ遣った。
誘導されるように、そちらを向く結。
するとそこには、RSOというシンプルなロゴの入ったトラックが、3台やってきた。
トラックが近くに止まると、儀具を身に纏った数名の儀式師がこちらに向かってくる様子だ。
「RSO! 儀式師だよ!! ほら見て!」
「うん。見えてる見えてる」
目を輝かせる結と訝しげに見つめる掌。
結は手を振ろうか否かの葛藤を繰り広げて………まぁ、何も考えていないわけだが、掌は儀式師たちの異様な雰囲気を感じ取っていた。
何やら、ただ事ではない様子。
掌はなんとなく、嫌な予感がしていた。
「そこの2人!」
声をかけられた2人は、儀式師たちの方を向いた。
声をかけたのは、眼鏡を掛けた強面の男だ。
オールバックで目つきが悪いものだから、もうその手の人間にしか見えてこない。
しかし、それを差し引いてもどこか表情が固かった。
「生存者は君らだけか」
「いえ、あそこに………」
2人は顔を見合わせ、子供達の方を指差す。
それを見るや否や、儀式師たちは子供を早急に保護し、トラックへと運んだ。
これでひとまず、子供達は無事であろう。
結はそっと胸を撫で下ろした。
「………アナウンスをかけておいたのだが、避難が遅れたのか?」
強面の儀式師は2人にそう尋ねた。
やはり人見知りは発動する様で、結はそれとなく伝えるように掌に頼んだ。
苦笑しつつも、代わりをする事にした。
「僕達、今日儀式師の採用試験を——————」
ほんの一瞬、息をする事を忘れた。
結は縛られた様に体が動かなくなり、凄まじい量の汗がにじみ出た。
心臓を撫でられるようだった。
それに伴う、肌が僅かに焼ける感覚は、ひどく不快感を覚える。
2人は、その感覚をよく知っている。
これは、殺気だ。
しかし、掌は呑まれない。
その刹那、姿勢を低くし、目を、耳を、その感覚を研ぎ澄まして気配の先を読み取る。
掌はほぼ反射という速度で警戒態勢をとった。
来る。
右か?
左か?
————————————否
「ッ、っと………」
膝を曲げて地面ギリギリまで屈みながら、素早く後退る。
後頭部を狙った一撃を潜って躱し、そのまま間合いから外れた。
前方の2人は既に、次の攻撃の動作に入っていた。
しかし、
『起動』
「「!?」」
スポーツ線強化。
常人を遥かに上回る身体能力は、ワンテンポの遅れを取り戻し、一気に抜き去る。
片方の攻撃を飛んで躱しつつ、もう片方へと近づき、剣を弾いてそれを奪った。
掌は即座に結の前まで移動し、生命線も同時に強化。
完全に戦闘態勢に移行した。
「…………出会い頭に麻痺ですか」
一般人とは到底思えない洗練された動きに呆気にとられる儀式師達。
結も結で何が何だかわかっていない様子だった。
すると、奥でそれを眺めていた強面がゆっくりと前進し、掌の前に出てこう言った。
「たった今、君の危険性はわかった。それだけで拘束するに値する」
「それは結果論でしょう。仮にも天下の儀式師サマが、そんな騙すみたいなふざけた真似をしていいとお思いですか?」
煽るような言動に、儀式師達は一斉に反応した。
反応を見るべく、掌はぐるりと周囲を観察する。
1人、特別反応している男がいた。
わかりやすく、我慢が限界だと物語った目をしている。
かなり雄弁な目だ。
言い換えればわかりやすいと言えるよう
非常に扱いやすい事だろう。
それを見た掌は、その男を揶揄うような笑みを見せたのだ。
すると思った通り、男は飽和した激情を一気に放った。
「貴さッ————————————」
そっと前に差し出された右手。
強面の男はその手をそのまま、今にも飛び出しそうな男にゆっくりと一瞥した。
その瞬間、
「ま、ぁ………………………」
ヒュッと喉の奥を鳴らしながら声を詰まらせる。
紅潮していた顔も、見る見るうちに青ざめていった。
男は顔を強張らせ、呼吸を荒げ、肩を僅かに震えさせていた。
怒りを簡単に塗りつぶす様なドス黒い恐怖に、この男は呑まれているのだ。
強面の男は、再び視線を掌に戻し、掌の言動に対する返答を淡々と述べ始めた。
「そう結果論だ。しかし、我々儀式師はその結果こそ最優先にしなくてはならない。多少の無茶をしなければ、正義というものは罷り通らぬものだよ、少年。さぁ、大人しく拘束されなさい」
掌はどうするべきか悩んだ。
彼は少しばかり、バレるとマズい事情を抱えている。
だが、ここで逃げるのは最悪手と言えるだろう。
すると、一瞬視線が結の方へ向いた。
掌は、小難しい顔をすると、何かを諦めたように脱力した。
そして、
「わかりました。拘束を受けます」
そう言って、両腕を前に差し出した。
あっさり拘束される事を選択したので、結が思わず驚きの声を上げる。
「ちょっ………………掌くん!?」
「ごめんなさい。ちょっと巻き込みます」
「え?」
ガチャンッ、と金具が閉まる音が二つした。
ん? と呆けた顔をした結は掌につけられた手錠とは別に、自分につけられた手錠に間を置いてやっと気がついたのだ。
「えええええええええ!? 私も!?」
離せと言わんばかりに身体をくねらせる結。
すると強面の男は、呆れ顔で結にこう言った。
「当然だろう。2人きりだった時点で君も相当あやしい。ああ、妙な気を起こさないほうが身のためだ」
「っ………………!!」
一睨みされただけでこれだ。
何もかもを踏み潰す様でいて、しっかりと個人に向けられている濃密な殺気を浴びて、噂通りの人物であると確信した結は、ゴクリと固唾を飲んだ。
そう、結はこの男が誰なのか知っている。
何故こんなところにいるのかは知らないが、数多くの逸話を残した儀式師達の英雄だというのは確かだ。
本名から因んで名付けられた、≪悪食≫ の異名を持つ祈祷師。
阿久織 正弦
正弦は徐に懐から煙草を取り出し、煙を蒸し始めた。
「安心しなさい。問題がなければ試験の参加は認める。問題がなければ、だがね」
含みのあるその言い方に、掌と結は一抹の不安を感じながらも、大人しく連行されていくのであった。