第五話 禁術儀師 凛堂 掌
「………………さて」
「!!」
笑みは消えないまま異様な威圧感だけを残し、掌はミノタウロスと奏次郎を見た。
「続きは僕とですよ、“暴牛使い” さん」
「ふむ、私の二つ名を知っているか………」
「あはは、有名でしょう貴方。彼のミノタウロスを召喚し、使役するリヴァースの有望株だと裏側で最近よく耳にしますよ」
軽く腕を伸ばし、ストレッチをする。
その姿を見て、奏次郎は怪訝そうに表情を歪めた。
「知っているなら尚更不可解だがね。この私に挑もうとは」
「貴方自体は雑魚じゃないですか。凄いのはあくまでもミノタウロスですよ」
話を遮った掌に青筋を浮かべながら怒りを溜めていく奏次郎。
彼はかなり短気であった。
「もういい。貴様のような馬鹿は嫌いでね。さぞ素晴らしい召喚獣を持っていると思ったが………」
「いえ、僕は手相占師ですよ」
ポカンとする奏次郎。
信じられないものを聞いたと言わんばかりに呆れ果てていた。
そして、
「ふっ、ふはは、あははははははははは!! これは傑作だ! よりによって手相だと!? 底辺のゴミ儀式じゃないか!! 占術師如き雑魚でよくもまぁ………くくく」
「あまり、占術師を馬鹿にしない方がいいと思いますよ。底が知れます」
掌は笑顔でそう言った。
しかし、相手が占術師だと分かった奏次郎には、ただの戯言にしか聞こえなくなっていた。
「いいだろう。そこまで自信があるのなら、君が力を使うまで待ってあげよう。流石に見せ場もなく死にたくないだろう?」
「あ? いいんですか? それならお言葉に甘えますね」
ぴょんぴょんと飛んで、準備運動を終わらせた。
スーッと息を吸う。
そして、神力を起こした。
『——————起動』
淡く青い光が浮かび上がる。
ふわふわと、柔らかい光だ。
「くくく………やはり軟弱な青の光だな………………ん?」
何かがおかしい。
奏次郎はそう感じた。
掌は手相占い師だと言った。
手に神力が集まっているあたり、嘘ではないだろう。
神力が青い時点で占術師であることは確実なのだ。
恐る必要は何もない。
なのに、何かを予感していた。
「それじゃあ、いきますね」
掌はグッと、左手を合掌するように立てた。
そこに、四指折って親指を立てた右手を近づけて、親指を手のひらの中心に近づける。
すると、掌は突然奏次郎に問いかけた。
「………………スポーツ線って、知っていますか?」
「は?」
「運動能力に関する手相で、それがある人は運動能力が優れている。そう言う線です」
「それで? それがどうした」
「これから、ぶっ潰される貴方に、少しでも教養をあげようと思って話しただけです」
グッと親指を押しつける。
集中——————————
これは、知られざる力。
常識を覆す力。
危機を覆す力。
そして、運命を覆す力だ。
『——————————形態転化』
青。
それが、占術師の光であり、誰もが知っている常識である。
しかし、それは誰も見たことがなかった。
「!? 待て………なんだ………………あの光は………知らない、私は知らないぞ………!!」
黄金を纏う、蒼き光など。
ジッ………と、奏次郎を冷ややかに睨む。
掌は、何もわかっていない男に告げた。
「覚えておいてください。僕は手相を【視る】儀式者じゃない。僕は、手相を【刻む】儀式者だ」
そして、掌はそれを唱えたのだった。
『——————————モード・リライト』
蒼き黄金の光は、全てを照らす太陽の如く、強く輝いた。
「やれッ!! ミノタウロ——————」
約束を破り、手を出し始める奏次郎。
マズい………これはマズい。
そう私の本能が言っている。
無視できない。
ダメだ。
させるものか。
このまま殺す………………そう思っていたのに、
「待て………何故だ………」
掌の儀式は、すでに完成していた。
「何故貴様が………上にいるんだッッ!!」
天上に足をかけ、ミノタウロス共々奏次郎を見下ろす掌。
帽子が飛んでいき、その素顔が露わになった。
白黒の斑な髪をした子供っぽい顔の少年。
結の思った通り、優しい顔をしている。
(ああ、そんな顔だったのか)
結に向ける優しげな笑顔は、年相応の可愛らしい笑顔であった。
ホッとする。
初めて会ったときに彼がむけたものと同じ、帽子の下からもわかる優しげな笑みを見て、結は安堵していた。
しかし、表情は打って変わって厳しいものに。
奏次郎を睨みつけるその眼には、手練れの奏次郎さえ、身を竦ませるほどの怒りが、殺気が篭っていた。
子供らしさなんぞどこにも無い。
見下げ果て、冷め切ったその表情からは、一切の温情が消え去っていた。
「………………………無辜の人々を傷つけ、正義を踏みにじり、理想に刃を突きつけた事」
消える。
風が吹く。
甲高い音が聞こえ、迫る。
そして、
「痛みを以て償え」
目にも留まらぬ拳が振り抜かれ、奏次郎は地面に叩きつけられた。
「ぉ、ゴッッッッ…………………!!」
まだ生きている様だ。
しかし、既に死に体。
全身の骨が砕け、あと一撃で完全に息の根を止められるほどに衰弱させられていた。
「ぁ、が………ぃ、ふ………そ、んな………馬鹿、な………たかが、て、そう………う、らない………しごときに………」
ゆっくりと近づく掌。
すると、皮肉いっぱいにしゃがみ込み、そこから見下ろしてこんな事を言った。
「どうですか? そのたかが手相占い師如きに落とされ、顔をボコボコにされた感想は?」
「な、んの………ぎ、しき………………だ!!」
「言っているでしょう? 僕は手相占師。手相以外に何を使うというんです?」
そう。
使っているのは手相だ。
そこに偽りはない。
しかし、ただの手相占ではなかった。
「くそ………くそ、くそッッ、くッッッそォォォオオオオオオオオオッッッッッ!! ふざけるなぁァァアアア!!」
大声を上げる奏次郎。
奏次郎は瀕死だが、ミノタウロはまだ倒れていない。
掌はミノタウロの方を向いた。
すると、
「ミノタウロ………ス………………こいつを………原型がなくなるほどに潰して殺せェェエエエエッッッ!!」
「グォォオオオオオオオオォォオオッッッッ!!」
変わらず、凄まじいスピードで接近するミノタウロス。
掌は小さく嘆息し、再び先程と同じポーズで待機した。
引きつける。
あのミノタウロス相手に、正面からまともに挑もうと言うつもりだ。
それを見た結と奏次郎は、目を見開き、戦慄を禁じ得ないようすだった。
しかし………
それ以上に、これをどうにかすると思っている自分自身に、2人は驚いていた。
そして次の瞬間、2人ははっきりとそれを見た。
「哀れな獣だ………愚かな主人に使役され、満足に力も振るえず、なけなしの知性と理性も奪われている」
親指が抑えた場所から、透き通った青い糸の様なものが見える。
掌はそれを手のひらに押しつけ、鍵を開けるように親指を回した。
すると、身体に纏っていた黄金の光が、溢れんばかりに吹き出した。
「だから、僕が救ってあげる」
——————手相占。
それは、占いとしては低級の儀式であり、戦闘能力など皆無である………と言うのが、一般常識だ。
しかし、何事にも例外がある。
曰く、それは外法の果てにあるもの。
踏み砕かれた幾人もの屍と、まき散らされ、流され続けた誰かの血と、吐き捨てられた多くの希望を踏み越えた先に、たった1人が得たもの。
そう、道の終わりに生み出されたのは、ただ1人の子供。
それが彼、凛堂 掌である。
そして、彼を生み出した者達は、彼のような呪われた人間をこう呼ぶのだった。
禁術儀師、と。
親指を思い切り引き、青い糸が伸びる。
そして、親指から離された糸は掌の腕に絡みついた。
「「!?」」
青い糸は掌の手相。
スポーツ線と、彼が読んでいた “相” だ。
彼は、自らの手相を引き剥がし、伸ばすことによって、その効力を限界まで引き出す力を持っている。
故にそれは、信じられない身体能力を掌に与えた。
踏ん張る。
もっとだ。
もっと引きつけろ。
棍棒が迫るその一瞬まで待つんだ。
溜めて、溜めて、溜めて、溜めて溜めて溜めて溜めて溜めて溜めて溜めて
「ッッ——————————」
溜めた全てを余すことなく解き放ち、一気に………飛ぶ。
降って来た棍棒をすり抜け、弾丸の様に空を裂く。
鋭い音が耳に刺さる。
自身に受ける凄まじい圧力を物ともせず、その弾丸は一気にミノタウロスの目の前に辿り着き——————————
「ッァアアッッ!!」
ミノタウロスの目を潰した。
「グ————————————ギィィァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
断末魔の叫びが、そこら中へ響き渡る。
聞くに耐えない獣の声。
しかし、聞いたものは誰しもがわかったと思う。
この叫びは、恐怖の叫びであると言う事を。
「な………………………!! ん、だと………何故、人げ、んに………あれ、ほ、どの………速さ、が………!」
掌はその話を無視して、再び親指を掌に突き立てた。
「獣にも、“相” はあります。彼も、持って生まれた運命には抗えない」
ゆっくりと近づいていく。
今度はまた、別の場所を押さえていた。
どんどん高まっていく神力。
金色を纏った蒼き光は、溢れんばかりに周囲を満たし、渦巻いていた。
「お、い………………止せ………何を、するつもりだ」
奏次郎は掌を止めようと手を伸ばす。
しかし、掌は止める事なく、どんどん力を溜めていった。
「たとえ眼が見えずとも、もうお前には見えているだろう?」
暴れ続けるミノタウロス。
しかし、その攻撃が当たる事はもう無かった。
生命線。
掌は思い切りそれを引き出し、腕に巻き付けた。
長く、強く。
それは、彼に強靭な肉体を与える。
卓越した身体能力。
そして、人を超えた超常の肉体。
掌は、そこに溜めていた神力を、ありったけの力を集め、握り締める。
拳を中心に巻き起こる小さく力強い力の渦。
そして、それを確かに、ミノタウロスは眺めていた。
「それが、お前へ刻む死の相だ」
放たれた拳が乗せる、“死”という刻印を。
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この力を見た瞬間から、結はただただ驚愕していた。
そして、希望を持っていた。
戦える占術師という可能性に、結はどうしようもないほどに希望を見出していた。
しかし、これを見てしまったからには、ただ一言、“戦慄を覚えた” としか言えなかった。
拳を放った際に出来た、足元の巨大なヒビ。
神力の余波で、吹き飛ばされた様々な残骸。
そして、消し飛ばされたミノタウロスの先に出来た、工場の壁をも飲み込んだ空洞。
地面はくり抜かれ、残骸はもろとも飲み込まれた。
「掌くん………あなたは一体………」
「そうですね………では、改めて自己紹介しましょうか」
背を向けていた掌は、出会った時と変わらぬ笑顔で、こう語った。
「凛堂 掌。外法より生まれた禁術儀師であり、あなたと同じく儀式師を目指す者です」