第十六話 脱兎の如き少女
バチバチと放電しながら、濃い青色を纏う儀具。
これを実践でいきなり使うとは思っていなかった。
とっておきというわけではなく、これは単に隙が大きいのだ。
最大出力まで溜めると、先端の札から放電し、敵にぶつけた際凄まじい電撃を与えられるのだが、何せタメが長いのでその間に攻撃されてしまうのがオチなので、そんなに使うことはないと思っていたが、試験の序盤で使うとは思ってもみなかった。
だが、時間に見合っただけの威力はあり、それは絶大な効果があるだろう。
結はそれを片手に、一気にオークへと向かって言った。
徐に、オークは動き出す。
野生が目覚め、本能的に失敗を学習。
今度は殆ど溜めることなく拳を構えようとした。
すると、
「させぬぞッ!!」
空間に熱気が立ち込める。
熱気は一気に収束し、オークの視界を覆った。
オークは素早く拳を放つ。
しかし、
「当たらん、当たらん」
少し横にずれただけで、簡単に結は攻撃を躱した。
もちろん、タネも仕掛けもある。
朱雀の作った熱気で視界を覆ったことで、陽炎が発生。
オークの視界をぼやけさせ、正しい場所に拳を打てないようにしていた。
その間にも、結はどんどん距離を縮める。
オークは連続で拳を繰り出すが、尽くを避けていった。
軽快なステップで敵を翻弄し、そして遂に、
「捕まえた………!!」
後一歩のところまで迫る。
だが、
「ゥゥゥゥゥ…………」
ピタリと動きが止まる。
動きのパターンがまるで変わった。
身構える結。
じっと観察し、敵の動きを見極める。
「………!!」
低くなりつつ、足を使う予備動作。
巨体を用いた足払いだ。
範囲攻撃なら多少見えない程度では関係ない。
しかし、読んでいた結は、
「当たらんって言ったやろォがッ!!」
グッと踏ん張り、飛び上がる。
予想通り足払いをするため、腰を落として下段を刈るように蹴りを——————していた風に見えていたのだ。
その時、オークの顔に笑みが浮かんだ。
「…………………ゥ………グガギャギャギャギャ!!!」
不気味な声が、空間へ響く。
状況が一気に不穏になってくる。
それは確かに、笑い声であった。
そう判断した時には、
「なっ………………!!」
下からの攻撃をまともに喰らい、足がひしゃげていた。
オークの渾身の蹴り上げは、結の足を潰すようにして命中したのだ。
口角を上げ、仕返しだと言わんばかりに満足げな表情を浮かべるオーク。
本能が、これは勝ったと叫んでいた。
先程の足払い。
あれはフェイントだった。
上に躱すと判断したオークは、足払いを中央で止め、立ち上がる勢いそのままに足を振り上げたのだ。
一撃でも入ったら敗北の戦い。
それをまともに喰らい、結は唯一の機動力である足を失った。
パワー型にとって、動けない敵ほどいい的はない。
「ギャギャギャギャッ!!」
ゆっくりと見上げる。
笑みが止まらない。
あとは陵辱するのみ。
散々苦しめた相手への怒りが、恨みが、全て歓喜へと塗り替えられていく。
そしてオークは、じっくりと、ねっとりと、全てを味わい、舐め回すように獲物を見据え——————
「…………………?」
ひらひらと、紙切れが舞っている。
オークはそれを追うように下を向くと、腹部に札を添えるように棒を当て、にっこりと笑っている結が立っていた。
今まで宙にいたのは、蹴り上げたのは結ではなく式神。
本物の結は上ではなく、後ろに避けていたのだ。
「遠近感も分からんから、そうなるんよ。当たらんって言いよるったい。ま、もうどうにもならんけどね。んじゃ、決着つけよっか」
当てられている武器は、気絶に必要な量の何倍もの威力を持った電撃を帯びている。
脳髄まで染み渡る電撃を、オークの人間の部分はよーく覚えていた。
再び本能は、オークに語りかけたのだった。
勝負は結した、と。
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「あー………っ倒した!!」
ようやく手に入れた白星。
まだ儀式師じゃないけれど、それでもあのリヴァースの違法者を相手に勝利したことは、結にこれ以上ない達成感を与えた。
「お疲れ、朱雀」
「痛み入る。それにしても、主は相変わらずだな、お嬢。占術師らしからぬ豪快なその戦い方。流石は我が主人の弟子というかなんというか………」
「告げ口しまーす」
「え、ちょっ………マジ止めよ。洒落にならぬ」
朱雀の持ち主は、結の師匠。
式神として長年使役されていた朱雀は、幼少期から結を知っている。
馴染み深い式神なのだ。
「そういえばお主、だいぶ方言が取れてきたな。我と話すときはまだ出ておるが………」
「ふふん、でしょうよ!」
方言は頑張って直したのだ。
感情が昂ったときは素が出てしまうが、それ以外の時は特に違和感なく喋れる。
「それでは我は少しばかり眠る。次起きたときはもう少しばかり力を引き出してくれる事を期待しておこう」
「うん、頑張る」
朱雀はフッと小さく笑みを作って、紙人形へと戻っていった。
収まるように結の掌に乗ると、そのまま独りでに丸まったので、結は丁寧に包みに仕舞った。
「………!」
急に疲れが出たのか、一瞬頭がぼーっとするのを感じた。
正直、朱雀がいなければ危なかった。
命を掛けた戦いのなど、そうそう体験することはないので、身体的にというよりは、精神面で大きく負荷がかかった様子。
だが、止まっている暇はない。
結は一刻も早く脱出せねばと改めて気合を入れ直した。
「よし!………………『起動』」
かくれんぼは、正直結とかなり相性がいい。
というのは、探知に優れた水晶使いの結にとって、神力の塊である分体を探すなど朝飯前なのである。
ただ、これでもかくれんぼは昔から存在する儀式。
それだけで終わるわけないと思ったが、
「………あれ?」
思ったよりあっさり見つかった。
思わず声が出るほど拍子抜けな結果に、逆に罠なんじゃないのかと勘繰るが、反応がある以上とりあえずでも向かわなければいけない。
偵察なんかしている時間の余裕はないのだ。
改めて水晶を覗く。
この水晶を探知に用いる場合、周辺の地図を表示し、神力の反応があるものを点として表示する。
大きさは素直に神力の大きさで、見えている分体は結構小さな点であった。
確認も取れたので、いよいよ向かおうと分体の方角を向いた。
急ぎめで駆け出した結は、地図と正面を交互に見ながら走った。
数度繰り返すうちに、地図は頭に馴染み、なんとなく頭に入る。
分体も動き出す様子はなかった。
地図というのは当然だが、眺め続けると見慣れるものだ。
だからふと妙なものが入り込むと、真っ先に気がつく。
「——————ゥ」
背後に現れる巨大な反応。
例え見慣れなくとも、妙だと一目見てわかる。
周囲を大きく塗りつぶす様な反応は、もはや異物というに
ははっきりと目立ちすぎていた。
「ま、さか………!!」
そして、怒れる獣は、その怒号を轟かせた
「————————————!!」
「っ……………!!」
ビリビリと痺れる様な声。
いや、もはれあれは声というより、音であった。
あの男は、最後まで人をどこか残していた。
だから、頭を使う小細工に引っ掛かったのだ。
しかし、もうあの男はどこにもいない。
空想は現実を喰らい、自我を捨てる事で現実へと成り変わった。
あれが、本当のオークだ。
「マズい、マズいマズいマズい………!!」
やはりミノタウロスほどでは無いが、儀具や弱体化した朱雀ではもう勝てない程に強化されている。
こうなれば選択肢は一つ。
逃げるしかないのだ。
「お、おおおおおおおおおお!!!」
全力で走る。
障害物がうっとしくて仕方ないが、どうにかこうにか躱しながら進む結。
すると、
「ん? …………あっ、ああああああああッ!! もうっ、動いとるやん!!」
水晶を見ると、ゴール地点である敵の分体が動いていた。
この空間は、あくまでも『かくれんぼ』の儀式による空間。
見つけられないように逃げるのは当然のことである。
ただ、そうなってくると話は別だ。
すぐにここからは出られそうもない。
「朱雀ッ!! すざァァァくッ!!」
『どうしたお嬢。大変そうではないか』
紙人形のまま話しかける朱雀。
呼び出すのはもう無理そうだった。
結ではなく、朱雀の方が神力不足になっている。
しかし、どうにかしなければもう勝ち目はないどころか死んでしまう。
『………儀具はどうした?』
「持ち込めたのが6つまでなのっ!! はっ、はっ………朱雀と紙人形3枚と電撃の棒と身代わりの式神はさっき使ってるの見たでしょっ………あっ、あれで全部ぅおっ、とぁッッ!?」
ガクッと膝が崩れる。
そうだ。
体力も無限ではない。
疲れが出てしまっているのだ。
「ギギャァアアァアアアアアアアアアッッッッ!!!」
「おおおおおおお!! 豚の出す声やないっちゃけど!!!」
転んでいる結を目掛けて、容赦なく鉄拳が繰り出される。
間一髪横の転がり躱す。
だが、
「!?」
宙を舞っていた。
弾けるような音が鳴った直後、隕石でも落ちかのようなクレーターが、地面作られる。
後からじわっと滲むような痛みが全身に走る。
拳の衝撃で、結は吹き飛ばされたらしい。
しかし、運良く障害物が影になり、結の姿を隠した。
そして、幸運は重なる。
「っっ………………あっぶな………お!?」
分体の動きがなぜか止まった。
それどころかこちらに向かってきていた。
理由は不明。
罠かもしれないが、これは明らかにチャンスであった。
こうなれば、一か八か。
「行くしかない!!」
覚悟を決める。
無理をすれば体力は保つ。
後必要なのは、諦めないこと。
出来ると信じること。
「っっ………ぁああああああああああッッ!!」
「ギ!!」
もう気づかれようが知ったことではない。
どの道気づかれるなら大声を上げて己を鼓舞した方がまだマシだ。
走る、走る。
徐々に距離を縮められる結。
しかし、縮まり方は確かに以前より小さい。
疲れは確実に溜まっているのに、だ。
命がけだとはっきり自覚したからであろう。
無理ではないかもしれない。
走る。
走り続ける。
たとえ心臓がはち切れようとも、足が引き途切れようとも。
そうすれば望みはある。
「!! みっ………えたァアアァアッ!!!」
そして、結はとうとう分体を目視した。
結の方へ走ってくる分体は人の形ではなく、何やら白い子供だった。
子供の遊びという側面がここで出ているのであろうが、そこを考察する余裕は当然ない。
正直間に合うかギリギリのところだ。
その時だった。
懐から、呆れた様な声が聞こえのは。
『………やれやれ、世話が焼ける』
式神をしまった場所に淡い光が灯る。
すると、次の瞬間結はオークの悲鳴を聞いた。
「ギィィイイイッッ!?」
「!? 今のは………」
『馬鹿者!! 振り向く余裕などないぞ!! 死に物狂いで走らぬかッッ!!』
オークの目から煙が出ている。
苦しみ悶えている声が聞こえる。
だが、言われている通り確認する暇はない。
結は一直線に向かってくる分体へ走った。
「これで、どうだァッ!!」
飛び込み、分体に触れる。
その瞬間、再び視界は真っ暗になったのだった。




