否応無く
(六)
ダンボールも空き缶も、それぞれのホームレスのテリトリーがある。
現金収入はそれらを売ることによって得るか、あるいは、日雇いの工事人夫の仕
事につくくらいしか無かった。
人夫仕事は何時でもあるというものではないので、いきおいダンボールと空き缶
集めに皆が集中する。
しかし、リサイクルの風が吹いてからというもの、それすらも回収が厳しくなっ
ていた。
加藤はリヤカーを引いて、いつもダンボールを貰う会社の裏手に来ていた。
その精密部品の会社では、韓国などから来る、パーツの入っていた空になったダ
ンボール箱を潰すと、裏の駐車場脇に積んで置いてくれた。そういう場所が何カ所
かある。
何時ものようにそれをリヤカーに積むと、その日の荷は満載になった。
それを購入してくれる業者のところに運んでいた時、すっと男が表れて、リヤカ
ーと平行して歩きはじめた。
くたびれたグレーのスーツに細いタイ。けれどもサラリーマンのそれとは明らか
に違う、棘のある匂いが漂っていた。
嫌な予感、荷台のダンボールの隅にはミチがいる。
「あんた加藤さんかい?」
「なんだ」
「ちょっと顔を貸してもらいたいんだがな」
「用があるならここで話せ」
「悪いな、俺じゃ役には立たねえんだ」
「じゃあ、役に立つ奴を連れてこい」
男は苛つきはじめる。
自分がこう言ってビビらない奴はいなかった。
「おいっ、あんまり調子にのるんじゃねえぞ」
声色を低くして男は言う。
「調子もクソもねえだろ、俺には用事はねえ。あるのはそっちの方だ」
加藤と並んで歩いていた男は振り向いてミチを見た。
「可愛い子供は大事にするもんだぜ」
加藤はリヤカーを止めると、ハンドルを跨いで男と対峙した。
「子供に手を出したら......殺す」
しばらく緊迫した時間が過ぎた。
男は急に相好を崩して口元を曲げて言う。
「すまんすまん。冗談だよ。あんたが相手になってくれないもんだから」
加藤は鋭い視線を崩そうとはしなかった。
「じゃあ、手短に話そう。あんた、この間この辺のガキをシメたそうだな」
「.......」
「あいつら、何か言ってなかったかい?」
「何かってなんだ」
「ああ、その」言いよどむ。
「バックに何かいるとか......」
「知らん。それだけだったら、もう行くぞ」
加藤はふたたびリヤカーを引き始めた。
男は追うかどうするか迷っているようだったが、リヤカーを見送ったまま、金縛
りにあったように立ちつくしてしていた。
走って来る音がする。
加藤は、橋の下の寝床で寝ようとしているところだった。
「助けてください!」
女の声、銀髪と男だ。
「お願いします。助けてください。私達殺されちゃいます」
銀髪が、寝床の加藤に仰ぎ見るように叫ぶ。
「タマをつぶせ」と言った時の不敵な女王面はもう微塵もなく、濃い化粧も落とし、
年相応の女の子の顔になっている。
「なんで俺んところに来るんだ、俺には関係ねえだろ!」
そう言うと、もうグッスリ眠っているミチの横で毛布を被った。
4、5人のバタバタという足音が近づいて来る。
「てめえ、舐めた真似しやがって」
バキッと殴る音。
「勘弁してください」
「キャー」
二人の悲鳴が橋裏に響く。
加藤はむっくり起き上がると怒鳴った。
「うるせえ、どっかに行ってやれ! 子供が寝てんだ!」
「兄貴、あいつだ!」
加藤を見てヤクザの一人が指さした。『細いネクタイの男』だった。
兄貴と呼ばれた男の顔は、丁度橋の影になっていて見えない。
銀髪と男は、若い下っ端らしい奴にめちゃくちゃにされている。
細ネクタイは、倒れている銀髪の髪を掴んでグイッと顔を上げさせると「あいつ
か?」と聞く。
女は一瞬加藤を見、目を伏せると「はい」と小さく言った。
細ネクタイは、汚いもののように銀髪の髪を離した。
「やっぱりな」細ネクタイは一人合点がいったように首を振る。
「おいっ、降りてこい! やっぱりグルだったんだな。この間こいつらを着けた
ら、この橋の下でお前と一緒だったのを見たんだ。しかもこいつら、お前に土下座
までしてたじゃねえか、俺たちにバレたからだろう」
加藤は何のことだかさっぱり分からなかったが(また面倒に巻き込まれていく)
と思う(あの時のように)と。
「なんだか知らねえが、俺にゃ、なんにも関係ねえ!」
「ほう、そうかい。じゃ、こいつらがどうなっても構わねえんだな」
「ああ、関係ねえんだから、知ったこっちゃない」
細ネクタイは、若いヤクザに「おい」と言って顎をしゃくった。
ヤクザは懐から匕首を抜くと銀髪の首筋に当てた。
「ヒッ」銀髪の喉が鳴る。
細ネクタイはニヤリとしながらもう一度顎をしゃくる。
今時めずらしい白木の柄の匕首は、薄暗闇に橋の上の街灯を受けてギラリと青く
光った。
男は、匕首をゆっくりと横に引く、刃を軽く当てているのだろう、白い喉とコント
ラストを描くように、真っ赤な鮮血がプツプツと点線を描いた。
「ちょっと待て」
加藤が匕首を持った男に言った。
「やるのは勝手だが、ひとん家の前でやるのは迷惑だ。他所に行ってやってくれ」
「ひとん家? 馬鹿言うな、ここは河原だ!」
「お前には河原に見えるかもしれないが、俺にとっちゃ、うちの庭だ。それにして
も、おまえ若いのに可哀想な奴だな」
「何がだ」
「何がだ? 若い娘相手に刃物出して、ヤ クザでございってか? 笑っちまうぜ。
おまえ、家じゃあ『ぼくちゃん』とか呼ばれていたんだろう? そう顔に書いてあ
るぜ」
加藤は嘲笑を交えて言った。
若いヤクザの顔色が、すうっと変る。
「てっ、てめえ」
ヤクザは銀髪を離すと、加藤のいる堤防に駆け上がる。
もう一歩で加藤にたどり着くというところで吹っ飛んだ、加藤の前蹴りが炸裂し
たのだ。
「簡単に引っかかる奴だなあ」
そう言いながら堤防を降りた加藤は、ゆっくりと連中の前に足を進める。
銀髪と男が加藤の後ろに隠れるように走り込んだ。
二人に目をやり怒鳴った。
「おい! お前等、本当にプライドってもんがねえんだな、不良なら最後まで不良
らしくしていられねえのか」
今度はヤクザ連中に目を移す。
「何度も言うが、俺はこいつらとは何の関係もねえ、どっかに行ってくれ。もう付
きまとうな」
「そうはいかねえ。お前は簡単に口を割りそうにねえからな。身体に聞いてやる」
細ネクタイがそう言うと、『兄貴』以外の4人は匕首を抜き加藤を取り囲んだ。
「ああ、またかよ」
ヤクザ達は加藤が「出来る」ことを知っている、迂闊に手を出さずに、少しずつ
輪をつめていく。それぞれが何時でも突き出せるように、匕首やナイフを構えてい
る。
もう逃げようも無いという間合いになった時、目配せと同時に四振りの匕首が加
藤の身体を貫いた......はずだったが、次の瞬間、一人の男の身体が吹っ飛んだ。
男はうめき声を上げながら突っ伏したが、細ネクタイには何が起きたのか分から
ない。
(確かに逃げられなかったはずなのに......)匕首を突き出した瞬間、匕首と匕首の
間から体当たりを喰らわしたのだ。
きえぇ! 三人目が滅多矢鱈に匕首を振り回してきたが、加藤の身体には擦りも
しない、間合いが遠すぎる。男は思い切り一直線 に突っ込んで来た。加藤は体を左
に躱して交差すると、膝裏に右足刀を蹴り込む。男の身体はガクッと折れ膝を着く。
低くなった男の脾臓に二撃目の足刀が入り、「うげっ!」と言って悶絶した。
細ネクタイは、三人があまりにも呆気なく倒されたので、怖じ気づいて後ずさり
する。加藤はじりじりと間合いを詰める。
その時、背中に固いものが押し付けられた。
兄貴と呼ばれた男は、拳銃を加藤に押し付けながらニヤリと笑う。
「あんた中々腕は立つが、鉄砲弾にゃ敵わねえだろ、ああ?」
加藤は頭を巡らせた。(ああ、あれがあった)左足を斜め右に半歩出し、右回り
にターンすると同時に、下げていた右手を回転しながら上にあげつつ、左手で拳銃
を掴んだ手首を取ると男の肩方向に捻りながら左足を後ろに引く。その動作を瞬時
に行う。
左足を引いた瞬間『兄貴』は宙に弧を描いて飛んだ。這いつくばり呻き声をあげ
ている。
柔道の対拳銃技『背面附』だった。
若い頃に型として練習したことはあったが、こんなにうまく決まるとは思いもし
なかった。
加藤は手にした拳銃を川に投げ込む。
『兄貴』は立ち上がると懲りずに右手で突いて来た。
加藤は右足を引き左足を軸にコンパスのように回りながら、左手で男の右手首を
取り、右手で男の掌を肩側に折りながら、大きく左回りに振る。
男は再び空中に円を描きドサリと地面に叩き付けられた。
しかし、今度はその手首を決めたままうつ伏せに誘導し、右手で相手の右手首を極
めたまま左膝を背中に落とし、右膝は極めた右腕を押す。右膝を絞ると男の右肩は
あらぬ方向に絞まって行く。
「諦めの悪りい野郎だな」
「ぐわぁ!!」
「どうだ、痛えもんだろう?、このまま絞ればあんたの肩は脱臼する、今度はあん
たに吐いてもらおうか」
「わっ、悪かった。あんたは関係なかった。悪かったよう」
加藤は膝を締める。
「ああっ!」
「ハジキまで出しといて、悪かったもねえだろ? 俺にも知る権利くらいはあって
も良さそうだよな」
『兄貴』は痛みに額を汗でギラギラさせた。
「知らねえ方が身のためだぜ。知ったらあんたの命も危なくなる」
「そんなことは聞いちゃいねえ」
なおも膝に力を込める。『兄貴』の肩がグジグジッと嫌な音を立てはじめる。
(徹底的にやった方が良いのだろうか。でも、これで来なくなるならばそれでいい。
ヤクザのゴタゴタを知ってなんになる)
ミチに火の粉がかかることは、なんとしても避けなければならない。
加藤は『兄貴』を放して、うずくまっている他の男達に声を掛けた。
「おいっ、病院に連れて行ってやれ、肩が外れかかっているからな」
男達は『兄貴』を抱えて去って行く。
銀髪女と男は抱き合ったまま、うずくまって石の様に固まっている。
火の粉を避けようと放したものの、これが火種になるような嫌な予感が加藤の頭
を離れない。
男達のシルエットはどんどん小さくなり闇のなかに消えて行った。