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死海海賊戦記  作者: 緋田冬麻
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故郷の海へ

リューロはメーレンに言われた通り、ユリヤ湖西岸に来た。店はユリヤ湖の西側にあるから、目的地まではそう遠くなかったのだ。

リューロは古い桟橋を探した。しかし、分かりやすいと言われたその桟橋は、どれだけ探しても他の桟橋と見分けがつかなかった。

「どこだ……?」

リューロは途方に暮れた。喉の渇きと疲労、緊張で、心身共にぼろぼろだった彼の思考はすぐにでも止まりそうになった。

雲の裂け目から月が出た。今夜は満月の様だ。ユリヤ湖の水面に青い光が反射し、ぼんやりとした光を放っていた。

しかし月によって光を放っていたのは、水面だけではなかった。数本の桟橋を挟んだ向こう側に、光り輝く何かがあった。リューロは目を凝らしてよく見てみると、そこにいたのは、船の手入れをしている藍色の髪の男と、銀髪の少女だった。

恐らくあの二人が、メーレンの言っていた、ロイゼとルージェ父子。リューロはほとんど確信して、その桟橋の方へ走って行った。そして近くまで来て、その二人に話しかけた。

「あの……ロイゼとルージェ、ですか?」

すると藍色の髪の男がふいとリューロの方を見ると、たちまち形相を変えてリューロの方へ走って行き、いきなり殴り飛ばした。

「痛っ、ええっ⁉︎」

「マリオス・ガラシャリア、この野郎!お前生きてやがったのか!妹さんの苦労も知らないで、今までどこほっつき歩いてやがった!この人でなし!」

茶髪の男性は飛ばされたリューロを立たせ直し、肩を大きく揺さ振りながらそう言った。

「ちょっと父さん!よく見なよ。こいつ、キャプテン、ガラシャリアじゃない。目の下の傷ないじゃん。それに若いし」

「ええっ?じゃあ真逆……」

男性はリューロの襟足の髪を上げて見ると、そこには緑色の拳銃の刺青、そしてその横には、古代ヤクーキス(今は失われた諸島の名前で、ほとんどの地図に載ってない )文字が四文字書いてあった。それを見ると、男性は髪を掴む手を離し、自分自身もリューロから離れた。

「……お前、名前は?」

「……ええっ?」

「名前は何だ?答えろ」

「……リューロです」

「リューロ……そうか」

男は一言そう言うと、リューロにお辞儀して挨拶をした。

「ああ、悪かった。人違いだ。初めまして、俺はロイゼ。こいつは娘のルージェ。姓はここでは言えない。メーレンからお前のことは聞いてる。甥っ子だろ?」

「ああ、はい。ここへは、叔母に言われて来ました。店が襲われて、叔母も戦ってます」

「何?相手は誰だ?」

「確か……ダーラ。そうだ、ゲルゴイ・ダーラ。ゴーゴンダ・ヴェラルーシの意志を継ぐとか何とか」

「ダーラか……まずいな。そいつらが店を襲った目的は?」

「……」

リューロには、ロイゼを完全に信じることができなかった。自分の親の正体、今まで育ててくれた叔母の正体、トリコーンのツバに縫い付けてあるこの石の意味……あまりに色々なことが同時に起こり過ぎて、理解が行き届かず、どこからどこまでが真実なのかも分からない状態なのだ。ロイゼ達が石を狙ってるかもと疑ってしまうのも、当然だろう。

そのリューロの心中を察したのか、ロイゼはなるべく声を落ち着けて、船を指差して言った。

「船に乗れ。俺達の正体からまず教える。心配するな。お前を滅多刺しにして殺そうとは思ってないから。それに、メーレンの甥っ子だ。いい奴ってことは彼女から相当聞いてるしな」


三人は船に乗った。船は見た目以上に大きいが、乗務員は船首楼付近に二人、船尾楼付近に二人、ミズン、フォアマスト上の見張り台に二人と、それ程人数は見当たらない。

「他の乗務員は中甲板にいる。ああ、ルージェ。甲板長に、皆を起こしてすぐに出発するから準備しろ、って言ってくれ」

「分かった」

ロイゼに言われた通り、ルージェは中甲板に向かった。ロイゼは、甲板上にある個室の方へリューロを連れて行った。

個室の扉を開け、ロイゼがランプに火を灯して部屋が光で包み込まれた時、まずリューロの目に入ったのは、勇ましい女海賊の肖像画。灰色のコケイドを被り、肩まで伸びた輝く銀髪が海風に吹かれ、左耳に付いている赤い石のイヤリングがあらわになっている。こちらを見て少々はにかんでいるものの、彼女の威厳はどこまでも感じられる。

「これは……ルナヤナ・ツングトゥブ」

「お、知ってたか。そうだ。これを描いたのはもう……二十年は前だ。俺が彼女に、肖像画を描きたいと頼んだ。懐かしいなぁ。あん時のルナは美人っつうより、子供っぽい感じで可愛かった」

「……ええっ?じゃあこの船……」

「ん?それは気づかなかったのか?これは四大海賊の一人、キャプテン、ルナヤナ・ツングトゥブの船、マーティヤ号だ」

「……ありえない。ツングトゥブは死んだ。船も潰されたと聞いた。どう言うことなんですか?」

「……自己紹介が遅れた。俺の本名は、ロイザーラ・ツングトゥブ。ルナヤナ・ツングトゥブの旦那だ。ルージェに関しても同じ。俺とルナの娘、ルージェ・ツングトゥブ。母親似で、美人だろ?」

ロイゼ改め、ロイザーラはそう言うと、にっと銀歯だらけの歯を見せた。

「この船は、ヴェラルーシに返されたんだよ。ルナが殺された後、俺と一緒にお前の親父の元に。まあ、船が船着場に着くのは毎回真夜中だし、陸地の連中は何にも知らないだろうから、この船が沈没したものだと思ってたんだろうな。何つったって、ここからも見えない、遥か沖での取引だったから」

「あの、父……マリオス・ガラシャリアと、知り合いなんですか?」

その言葉に、ロイゼは顔をしかめて答えた。

「知り合いどころか、最低だったよ。そりゃあいつは、伝記以上の銃術使いだったし、頭もキレた。グレイオスの若将軍を仲間にした判断も正しかった。でもあいつは、大きな間違いをした」

「……それは?」

「船長。出航の準備が整いました」

ロイザーラがその質問に答える直前に、部屋の外から図太い声が聞こえて来た。

「ああ、甲板長だ。ちょっと待っててくれ。ワンダー、俺は船長じゃないぞ。前から言ってるだろ……」

部屋に一人残されたリューロは、部屋の中を見回してみた。

部屋には大してものはなかった。火が灯されたランプ、肖像画、書き物机、肘掛け椅子、インク壺、羽ペン、壊された鳥籠、古本が大量に保管してある本棚……大体、それぐらいだった。

リューロは鳥籠に指を触れた。外から力が加えられたと思われる格子の凹み方はあり得ない程に大きく屈折していて、中には藍色の小さな羽がいくつか落ちている。相当昔のものなのか、羽には白い埃が積もっていた。

これはヤコウドリの羽。小型の鳥で、ユリヤ湖東岸周辺の島に生息する、夜にだけ姿を現す珍しい種。クロニクル三六○年代からグレイオス帝国の貴族達が好んで飼育していた。

しかし、この鳥の捕獲、販売及び飼育はクロニクル四○○年代には既に禁止されていた。飼育環境のストレスで、すぐに死んでしまうことで、貴族達が大量に購入し、頭数が極端に減ってしまったからだ。これは海賊には通用しない決まりごとであったが、海賊達は従来、ユリヤ湖に住む動物を敬っていたため、必要なかったのだ。

そんな鳥の羽がなぜこの船にあるのか、リューロには分からなかった。ユリヤ海賊は動物を敬っていた筈。それも、四大海賊の内の一人と言う偉大な人物が、海賊の精神を持っていなかったとは思えない。一体……?

リューロが考えを巡らせていた時、急に船体が大きく揺れた。リューロはバランスを崩して、思い切り床に倒れた。

「うわぁ!」

それと同時に、外からロイザーラが入って来た。手には、すっかり錆びたコンパスを持っている。

「今日は風が強いから船体が揺れやすくなってる。気をつけた方がいいぞ。ああ、それに触るな」

「あ、はい」

「これから島に向かうぞ。そこで知り合いと合流する。そこに行くまでに、ダーラの狙いについて教えてもらう」

「島って?」

「こんな時間に訪ねて、海賊船に大砲が飛んで来ない島なんて、一つしかないだろ」

「……どこです?」

「ザマラを知らないのか?」

ロイザーラは酷く驚いて、困った様に苦笑いを浮かべて言った。

「眠らない島、ザマラ島。ユリヤ海賊なら誰もが知ってる。今や、海賊の残党が堂々と海賊らしく入れる唯一の島。昼間は市場が忙しなく動き、夜になれば毎晩の様に宴が催される。島から三テーラ(一テーラ辺り約六粁)離れていても、宴の炎が見える。それを不気味がって、陸地の奴等は島には決して近づこうとしない」

「はあ……」

「てっきりメーレンから聞いてるのかと……ああ、そうか。キョーイクに良くない、ってことか。悪かった。つっても、今は非合法なことはしてないぞ?そりゃ昔は密売とか人身売買とかあったけど、昔よりも法律が厳しくなったから、今はただ一日中騒いでるだけだ。よし、じゃあ、あと……十テーラぐらいで着く。休んでおけ。ああ、鳥籠はいじるな。アヒーロ、舵を切れ。船体が傾いてる。他の者は甲板長の指示に従って帆を畳め」

そう言いながら、ロイザーラは再び部屋を後にした。再び一人になったリューロは、自分が疲れていたことを思い出した。その途端、睡魔がリューロを襲い、あっと言う間に壁にもたれかかって眠った。


リューロが目を覚ましたのは、誰かが自分の肩を叩いていたからだ。リューロが目を開けると、そこにいたのはルージェだった。

「父さんはあんたの対応に戸惑ってる」

「……ええっ?」

「だから、あんたに水とパンと布団を出すのを忘れてた。はい、持って来たから使って」

ルージェは小声でそう言うと、

リューロの傍らに布団と水差しとコップ、パンの入った袋を置いた。

「ちょっと話したいんだけど、いい?」

「……はい」

「敬語はやめて。警戒してんのは分かってるけど、貴族と農民じゃあるまいし、どうせ年もそう離れてないだろ。あんた、いくつ?」

「十五」

「ああ、やっぱり。あたしは十六。あ、でもあたし遅生まれ(この世界の尺度で、一月〜五月ぐらいに生まれた人のこと)だから、結果的に同い年だ。改めて挨拶させて。ルージェ・ツングトゥブだ。親はどう言う関係だったにしろ、仲良くしてくれると嬉しい」

「……リューロ・カー・ガラシャリア。よろしく」

「よろしく」

リューロの手を取り、握手をすると、ルージェは真っ白な歯を見せて笑ってみせた。その顔は、肖像画のルナヤナと、本当にそっくりだった。

「隣、座っていい?」

「ああ」

「ありがと。なあ、リューロ。父さんが言ってたことは、あんまり気にしないでもらっていいかな?」

「うん?……どれ?」

「あんたの父親に関しての話。生きてて欲しくなかったみたいな言い方したり、人でなしとか言ったり。でも、本当はそんなこと思ってないだろうから」

「……父さんは……マリオス・ガラシャリアは、君の父親に何したのか知ってる?」

「……取り返しのつかないことだって。あたしも赤ん坊だったから、よく知らないけど。でも、だからって父さんはリューロを憎んでない。ただ……」

ルージェは口ごもった。リューロはルージェが答えるまで、静かに待った。そして決意した様に、ルージェは息を吐いて自分のブーツの先を見て言った。

「リューロが、父親似だから、普通に対応できなくなってんだと思う。子は親を知らなくても似る。血は争えないから」

「……そうか。ありがと。わざわざ教えてくれて」

するとルージェは酷く寂しそうな顔をして頷き、母親の肖像画を見た。

「両親を知らないって、悲しいことだよね。育ててくれた人がどんなにいい人でも、片親がどれだけ頑張ってくれても、ユリヤ湖に出て海賊になっても、心にはいつも得体の知れない穴が空いてる。愛されてるだけでも幸せなのに。傲慢だってことは分かってても、穴を完全に埋めることはできない。死別したなら尚更」

「……」

「ごめん。初対面でいきなりこんな話、迷惑だよね」

ルージェは明るい笑顔をリューロに向けた。しかし彼女が涙を堪えていることは、声の調子からして明白なことだった様に思う。それがリューロを想ってのことなのか、自分の母親のことを思い出してのことなのかは分からないが。

ルージェの隣で話を聞いていたリューロは、この時初めて気がついた。彼女も自分と同じで、母親の顔を知らない。そして、心配をかけるからと言って、育ての親には母親のことを訊けずにいる。

初めてだった。こんなに似た境遇の人間に会うのは。そうだからなのか何なのか、なぜかリューロは、ルージェを信用できる人間だと認識した。秘密を打ち明けてもいいと。

「……じゃあ、俺もさっき言ってなかったことを言う。ダーラの目的について」

リューロは先程店で起こったことを隅々まで話した。その間、ロイゼは部屋には入って来なかった。

ルージェはその話を聞いて、酷く驚いた。

「じゃあダーラは、あたしの母さんのイヤリングを持ってるって?」

「そう口では言ってた。呪いを解くために。なあ、ルージェ。四つの依り代が必要で、人を封じ込める力がある呪い、って、知ってたりするか?」

ルージェはしばらく考え、何かを思いついた様に手を叩いて書棚から分厚い本を抜き取った。表紙には旧グレイオス文字βで何か書かれている。

「これは……何だ?」

「母、ルナヤナ・ツングトゥブの手記。母は旧グレイオス帝国の外れの島で育ったから、書く分にはグレイオス文字βを一番使ってたらしい」

「これが手記?莫迦でかいな」

「分かってる。掌サイズのちゃっちい手帳じゃ、一週間もしないで書き切るから役に立たないんだってさ。父さんも使ってる」

「はあ……読めるのか?」

「七割ぐらい、かな。あんまり難しいのは分かんないかも。確か……ああ、あった。多分これだと思う」

ルージェは手記の頁を繰り、文が深緑のインクで書かれている頁でその手を止めた。

「……クロニクル四八○年、暑さの迫る満潮の日開始。呪いの研究。

今日ガラシャリアに、妙ちきりんな赤い石をもらった。やたら鋭く光る、あたしの指先ぐらいの大きさしかない石。特に夕日に照らすと、今までに見たことのない様な輝きを見せる。あいつ曰く、肌身離さず持っておけとのことだ。それ以外の情報、なぜ急にあたしにこんな物を渡して来たのか。肌身離さず持っていてほしい理由は何なのか。そんなことは一切言わずに、あいつは船を去って行った。あいつにしてはあまりにも唐突で無理矢理だったから、何かしら理由はあるんだろうと思って、調べてみることにした。

クロニクル四八○年、北風が冷たく干潮の近い日。

今まで色々な本を読んで、この石のことについて調べて分かったことは、この石はヤクーキス諸島原産の石と言うこと、そのヤクーキス諸島は現存せず、石の採掘も行われていないこと、そのため、石はコリン大陸全土、及び、スカー……ティナ大陸?(北の果ての、雪に覆われた大陸)で高値で取引されていること、それぐらいだった。しかし今日、新たな発見があった。たまたま持っていた母の著書に、この石の絵が掲載されていた。石の名前はマラン。この石の、所謂姉妹石と呼ばれる石が、他にも三種類あるらしい。青い石がロータスン、紫の石がニグラン、緑の石がクルニオン。全て、ヤクーキス諸島でしか発掘できなかった石だ。なぜこの石が呪い関係の書物に掲載されていたのかについて、それは当然、ある呪いをかけるために必要だったからだ。その呪いの名前はルメズシ。四つの石を依り代とし、四人の人間の魂をユリヤ湖の闇へ陥れる呪い。呪いを行った者には、その罪相応の自然界からの罰が下される。何が起こるのかは、人によって違うため予測はできない……これだ」

「ルメズシ……?」

「ユリヤの呪いって呼ぶ人もいるらしい。十五年前の大津波は、この呪いが原因だって言ってる人も」

「……じゃあ、父さんはこれを使ってヴェラルーシに呪いをかけたと?」

「多分」

「……呪いをかけるために必要だった、四人の人間の魂は?」

「よく分かんないけど、今回の場合、呪いをかける人と受ける標的プラス二人だったらしい。あんたの父さんの死体も、ヴェラルーシの死体も見つかってないから。まず、ヴェラルーシ。次にあんたの父さん。あと多分、ハリークス・グレイオスともう一人。誰だろ?」

「うん?ちょっと待ってくれ。ハリークス・グレイオス?あの、グレイオス帝国最後の将軍の?」

「そうだよ。他に誰がいる?ハリークスは歴代で唯一、海賊と真っ向から向き合った将軍。帝国内では変わり者として罵られてたみたいだけど、何つったって、第三次ユリヤ海戦の英雄だから。ユリヤ海賊の中では有名だよ」

「へえぇ……でも、ハリークスの父親のリタって、三十三で事故死だよな?それで、第二次と第三次の海戦の間が一年足らず。これって、ハリークスいくつだ?」

「即位した時の年齢が十五歳で、海戦の時は十六歳。あたし達と同じぐらいの年齢」

「若いな」

「ユリヤ湖の呪いって本、読んだことない?イオニオ・ライナー著の。全部載ってることだよ?」

「ええっと……」

ルージェは酷く驚いた。

「イオニオ・ライナーは元ユリヤ海賊の歴史小説家。クロニクル四六九年生まれ。グレイオスのコリン統一とか、知らない?」

「知らない」

「ええぇ……じゃあ、ちょっと待って」

ルージェは再び書棚の方へ向かうと、今度は大体掌サイズの厚い本を抜き取って、リューロに渡した。かなり古い物らしく、紙は茶色がかっているが、その割には表紙も破れてないし、状態は良かった。

「イオニオ・ライナー全集。アイオニス文字は読める?」

「そりゃあ、まあ……」

「じゃあこれ、貸してあげる。読めば少しは分かるかもよ、父さんのこと。ライナーはユリヤ海戦のことをよく書いてたから。五作ぐらいある筈」

「五作……分かった。後で読んでみる」

そう言い、リューロは腰ポケットに本を入れた。

その時、扉が開いてロイザーラが部屋に入って来た。

「ルージェ、ここにいたのか。二人共、そろそろ着くぞ。船着するから、準備しとけ?」

「了解。ああ、父さん。襟が長いあのジャケット、貸してもいい?」

「ああ、そうか。いいぞ。確か……あ、あそこか。ちょっと待ってろ」

ロイザーラは三度、部屋を出た。

「君の父さん……せかせかしてるな」

「忙しいんだよ。この船のことを母さんの次に理解してるから。でもそのせいで、あたしはこの船に十六年住んでても未だに分かんないことだらけ。最下甲板なんかは閉鎖されてて、特定の乗務員以外は何があるのか知らないらしい」

「へえぇ……ところで、何でジャケット?別に寒くないだろ」

するとルージェは、毛量の多い銀髪を横に流して、うなじをリューロに見せた。そこにあったのは、弩の絵と古代ヤクーキス文字が四文字、赤い刺青として刺されていた。

「これ、ユリヤ海賊の証。リューロの首にもあるでしょ。柄は拳銃で、色は緑だと思うけど。父さんはそれを見て、リューロがガラシャリアの息子って確信したの」

「これ……メーレンの首にもあった。この文字はなかったけど。俺の首には、文字があるのか?」

「うん。四大海賊の子供の証。古代ヤクーキス文字で、何か意味があるみたいだけど、誰も読めないんだ」

「ええっ、何で」

「何でって……誰もヤクーキス諸島出身じゃないからだよ。しかもこれ、古代文字だし」

「誰が始めたんだよ……」

「そこは、突っ込まない方がいいと思う」

そんなことを話しながら、二人は島に到着する準備をした。


船から降りてリューロがまず目にしたのは、弦楽器を巧みに操る男女。愉快な音楽を奏でながら、ブーツの底を鳴らす。リューロがそれを不思議そうに見ていると、後ろからルージェが言った。

「エーヴィスって言う音楽。弦楽器と靴の底に取り付けた鉄を鳴らして長調の音楽を奏でるんだ。これを奏でる時は必ず、笑顔でいないといけないって暗黙のルールがある」

「へえぇ……面白いな」

「うん」

「なあ、兄ちゃん。彼女さんにこれ買わねえか?」

後ろから誰かが、リューロの肩を叩いて話しかけた。右手に黄色い石でできた髪飾りを持った男だった。

「メイリヤサンゴの髪飾り。安くするぜ?百五十クリム(一クリム辺り約二十五円)で売ってやるから」

「あ、リューロ。それ、多分バッタもんだから、無視した方がいいよ」

「おい彼女さん。そんな言い方ないだろ。ほら、これは正真正銘本物のメイリヤサンゴ。すぐには壊れねえから……あっ」

男が髪飾りの石を突くと、石はたちまち崩れ落ちた。それを見て、ルージェは呆れ顔で言った。

「ユリヤ湖でもよく育つタフなメイリヤサンゴが、そんな簡単に粉になる訳ないじゃん。第一に、メイリヤサンゴって薄橙だし」

「……高値で取引しちまったのに……くそ」

男はそう呟きながら、桟橋の反対側へ去って行った。

「ああ言う人は多いのか?」

「そうだね。何つったって、海賊の島だからさ。大陸よりは治安は良くないよ」

「二人共、そんなに離れるな。今日は目的があってここに来たんだから」

ロイザーラが手招きした。船から降りたのはロイザーラにルージェ、リューロだけの様で、他の乗組員の姿は見えなかった。

「父さん、これからどこ行くの?急に進路を変えて島に来るなんて」

「知り合いに用がある。お前は……会ったことないか。トーダスって男、知ってるか?」

「……いや」

「これからその男と面会する。ちょっとばかし危ない酒場だけど、まあルージェは弩を使えるし……リューロ、お前はどうだ?何か護身術はメーレンから習ったか?」

「拳銃の使い方は昔から教わってました」

「ならいい。これ持っとけ」

リューロがロイザーラに投げ渡されたのは、オナガマチジシの柄が施された中型の拳銃だった。重さはそこそこあるが、リューロが使っているタイプよりは軽かった。

「危険があったらそれで知らせろ。弾は一発入ってるから」

「あの、銃なら持ってます」

「知ってる。念のためだ」

そう言ったまま、ロイザーラは人混みの中に潜り込んで行った。リューロとルージェもそれに続いて歩いて行く。


「おおい、ロイゼ。黒髪のガキも一緒か?」

三人が賑やかな酒場、『アンチノーゼ』に入るなり、葡萄茶色のバンダナを頭に巻いた酔っ払いの男が、ロイザーラに話しかけた。

「俺の知り合いの甥だよ。今事情があって連れてんだ。手出しするなよ?ところで、トーダスはいるか?話があるんだ」

「トーダスならさっき、マスロティとの賭けに勝って酒を飲んでるぜ。何の用事だ?」

「内容は秘密だが、どうしても訊きたいことがあるんだ。どこで飲んでる?」

「そこの棚の上。ほら、今飛び降りた」

男が指差した方を見ると、そこにはベージュの縮毛の、太い杖を持った青年がいた。酒で酔っている様子はなく、よろめかずにしっかり仁王立ちしている。

「おい、トーダス。ロイゼが呼んでるぜ。こっち来いよ」

「いや、俺が行く。ちょっとそこで待っててくれ」

「あああ、ロイゼ。ちょっとそのガキ貸してくれ。色々話したい。クミャンが寝落ちしちまってよ」

「……危害を加えないならいいぞ。大丈夫だよな?リューロ、ルージェ」

「うん。セメラルさんなら怪我はさせないって信用はあるし」

「よぉし、決まり」

その男、セメラルはそう言うと、リューロの肩を組んで席まで連れて行った。その後を、ルージェが追いかける。

「何なら酒を入れて話したいな。お前下戸か?」

「いや、酒は飲んだことなくて」

「ええっ、勿体ねえ。酒ってのは、海賊のロマンだぜ?」

「ロマン?」

「そうさ。教えてやるよ……」

そんな話をしている一方、ロイザーラは青年がいる棚の前まで来た。

「久しぶりだな、トーダス」

「どうも、お久しぶりです。ロイゼさん」

トーダスはロイゼの顔に指を触れ、笑顔を見せた。しかしその青い瞳は、まるで何も捉えていない様だった。

「お変わりは……ないですか?後遺症とか、傷が痛むとかは?」

「いや、大丈夫だよ。相変わらずだな。言葉使いにしろ、気遣いにしろ、父親によく似てる。海賊なのに、野蛮さが一切見受けられない。酒に強い所もそっくりだし」

「やめてくださいよ。俺なんか……ゲホッ、父と比べないでください……ゲホッゲホッ」

青年は咳き込みながら首を振って謙遜した。

「……そっちこそ、調子はどうなんだ?まだ目は見えないのか?体調も優れない様だし」

ロイザーラがそう訊くと、トーダスは俯いて小さな声で言った。

「……まだも何も、これはもう、仕方ないことです。治る見込みはないと言われました」

そう。今、トーダスの目には何も見えていない。病のせいなのか、また別に原因があるのかは分からないが、およそ十六年前からこの状態なのである。

しかしトーダスは再び笑顔を作り、ロイザーラに訊いた。

「ところで、今日は何のご用ですか?酒を飲みに来た様には感じませんけど」

「ああ、そうだ。トーダス、これから、マーティヤ号に乗らないか?」

「……いきなりですね。どう言う風の吹き回しです?」

「ちょっと、耳を貸せ」

ロイザーラはトーダスに耳打ちした。するとトーダスは驚いた表情で、リューロの声のする方を向いた。

「それ……本当なんですか?」

「うなじを見たけど、本当だった。あいつはマリオス・カー・ガラシャリアの息子だ。それと、まだクルニオンを持ってる。ダーラは恐らく、それを狙ってる」

「……じゃあ、まだ暗黒時代は終わってないんですね」

「ああ。ヴェラルーシはまだ生きてる。でもあの予言はきっと実現する。そして、トーダス。お前の力が、彼を助ける要になってくるだろう」

「……カナルル岬百八の予言ですか」

「ああ」

ロイザーラは歯を見せて笑った。

「モア=ダケタが残した最後の予言。間違いない」

「一億年前に生きていたとされる、伝説上の呪術師の遺言を信じろと?」

「ダケタの予言は外れない。百八個ある予言の中で、今まで訪れた災いや変化を当てたものが百一。つまり、全て当ててる」

ロイザーラはジャケットの胸ポケットから手帳を取り出して、その中からすっかり黄ばんだ紙を取り出して広げた。トーダスはそれに手を触れる。

「カナルル峠百八の予言を史実と結びつけてみた」

「また面倒な……全て調べたんですか」

「ああ。全部調べた所、予言は全て順序正しく並んでる。一個目のユリヤ湖の拡大から順に。お前のもあるぞ。これだ。人ならざる者が反乱を起こし、人としての価値を取り戻す。黄土色の髪を持つ、蒼の瞳の作戦参謀が中心となるだろう。これが四年前の、奴隷大革命」

「あれですか。まあ……それなら当たってますね」

奴隷大革命。クロニクル五○三年、コリン大陸で唯一奴隷制度を行使していたミシュグロ共和国で、奴隷と言う生き物として扱われて来た人々が起こした大暴動。この時の奴隷側の首領が、当時十四歳のトーダスだった。

「……で、なぜ俺がその……リューロを助ける要となると?」

「蒼の瞳の作戦参謀。これがお前を表すとすると、最後の予言にもう一度出て来んだよ」

「……最後の予言を読んでください」

ロイザーラは最後の予言こ一文字にトーダスの人差し指を置いた。

「呪いのツケが回ってくる。反逆者は呪いから復活する。その時、今度こそ反逆者を鎮圧する者達が現れるだろう。湖を統治していた四つの魂。彼等の魂を継ぐ四人の若者。蒼の瞳の作戦参謀、紅の瞳の指揮者、紫の瞳の堕天使、翠の瞳の救世主。彼等が絆で結ばれる時、世界に平和が訪れる」

「いかにもな予言ですね。信じ難い」

「信じる他ないだろ。もしお前がこの予言の作戦参謀じゃなくても、リューロはいつか必ずお前の知恵と存在を必要とする。タードル・マーサー・ミュグナルの息子なら」


「ええっ、いいじゃんか。賭けしようぜ?リューロ」

「いや、賭けるものがありませんって」

一方、リューロはセメラルに賭けをする様に迫られていた。

「いいじゃねえか。あ、じゃあこれならどうだ?お前が勝ったら、俺が船の乗組員分の酒を奢ってやる。俺が勝ったら、マーティヤ号に一緒に乗せてもらう」

「……それは、ロイゼさんに訊かないと」

「おいおい、賭けって言うのはそのドキドキが大事なんだぜ?大切なものを手放しちまうかもしれないって危機感とスリル。本当ならそのトリコーンを賭けてもいいが、そりゃ流石に駄目だからな」

セメラルはリューロが被っているトリコーンを指で突いた。

「そりゃお前の親父さんのだ。親父さんと今度会う時に返せる様に、大切にすんだぞ」

「……ええっ、今何て?」

「ん?」

「リューロ、父さんがそろそろ話終わりそうだよ。準備して」

「お、まじか。よし、さっきの条件で手っ取り早くやっちまおう」

「ええっ、ちょっと」

リューロの制止も聞かず、セメラルはポケットから出した四つの八面サイコロを振り、片手に持っていた木製のジョッキをそれに被せた。

「この四つのサイコロの目の積が偶数か奇数か。さあ、どっち⁉︎」

「ええっ⁉︎ぐ……偶数?」

「よし」

サイコロが弾ける音が止み、セメラルがジョッキを上げた。サイコロの目は……。

「三、一、五、七。掛けて百五。奇数。俺の勝ちだ」

「……うわ、まじか。リューロ、豪運海賊セメラルと賭けしたの?」

「ええっ?」

ルージェが横で、信じられないと言う様な声で言った。

「ユリヤ海賊の中ではそう呼ばれてる。セメラルさんは賭けで負けたことはない。豪運の女神コウルスに愛されてるって話。だから、セメラルさんに賭けを申し出る奴はいない。何も知らない若者とか、酔っ払い捕まえて無理矢理賭けをさせる感じだった。それで、色々問題になってたんだよ」

「さあ、賭けの賞品をもらおう。マーティヤ号に一緒に乗せてもらおうか」

セメラルは机の下にあった麻袋を肩に掛け、革製のトリコーンを頭に被った。

「おおい、ロイゼ。俺も一緒に行くぞ。行き先はジェペーリだ」

書棚の前にいたロイザーラが、セメラルの方を向いて首を傾げると、杖を突くトーダスの手を引いて人混みの中をゆっくりと歩いて来た。

「行き先を知ってるのか?」

「ああ。彼女は今、ジェペーリにいる」

「お前を船に乗せたら、どんな見返りをよこす?」

「第一に、俺はこのリューロ君との賭けに勝った。第二に、あの島の位置を知ってる人間は数少ない。地図にもそうそう載ってないからな。だから俺が道案内をする。それが見返りだ」

「ジェペーリ島。確信あるのか?」

「間違いねえ。殲滅の堕天使は、必ずあそこにいる」

ロイザーラは顎に手を当て、じっと右上を見て考えた。やがて、納得した様に頷くと、セメラルに向かって言った。

「……よし。分かった。セメラル・グァラ。ようこそ、ハイビッシュ団へ。歓迎しよう」

その後、ロイザーラはリューロの方に向き直り、トーダスを示した。トーダスは目を瞑り、周囲の声を聞くことに集中している。

「リューロ。色々言いたいことはあるが、取り敢えずそれは船の中で言うとして、紹介したい人がいる。彼がトーダスだ。トーダス、リューロだ」

「よろしく」

トーダスはそう言い、ロイザーラにした様にリューロの顔に指を触れた。リューロは酷く驚いたが、そこでロイザーラが耳打ちした。

「トーダスは目が見えないんだ。だから、視覚以外の感覚で人を見る。あんまり、驚かないで」

「……ああ、親父さんそっくりだ。ただ目の形が少し違う。お袋さんと同じ形をしてる。初めまして、トーダス・マーサー・ミュグナルだ」

「……初めまして、リューロ・カー・ガラシャリアです」

「敬語を使われるのは苦手だから、気軽に話してくれると嬉しい」

「ええっ……分かった」

リューロは自分の顔に触れている細い手を触った。


『アンチノーゼ』にいた一向はマーティヤ号へ戻り、数分の間で海に出航した。

甲板上の部屋では、ロイザーラがセメラルから聞き込みをしていた。

「ところで、セメラル。何で俺達がこれから向かう場所が分かったんだ?」

「うん?ああ、直感だよ。それと、あのガラシャリアの子供。若い時のマリオスそっくりの容姿に、あの襤褸のトリコーン。あの姿を見た時、最後の予言が頭をよぎった」

「……お前もか」

「ああ」

セメラルは笑いながら、銀に光る煙管に火をつけて美味そうにそれを吸った。

「蒼の瞳の作戦参謀がトーダスってこたあ鼻から分かってる。紅の瞳の指揮者も、ありゃきっとあんたのお嬢さんだ。となると、残り二人が誰なのか、俺の直感の中じゃあ決まったも同然。面白いことに、残りの二人も親によく似てる。リューロも、テナミも。で、あんたがルージェとリューロを連れて、ついでにトーダスまで探してるとなると、もう目的は明白だ。だからテナミが今身を置いてる所に案内するのが妥当だと思ったんだよ」

紫煙を窓の外に吐きながら、セメラルは顔から笑いを消し、ロイザーラの目を見据えた。

「だがな、ロイザーラ。俺は予言の実現には反対だぜ?お前、あのヴェラルーシって男を復活させる気だろ」

「……」

「そんなことしたら、今度こそユリヤ海賊は全滅する。前回はカミリアの呼びかけで、北海流付近の巨大な空に避難して難を逃れた奴は生き残ったが、今回も同じ様になるとは言えない。ヴェラルーシがユリヤ湖全域を支配する可能性だってある。そんな時、あの子達が、お前やルナヤナと同じ様な思いをしちまうかもしれないんだぞ」

ロイザーラはふと、左手にあった壊れた鳥籠を見た。船が揺れるのと同時に、鳥籠もゆらゆらと揺れている。

セメラルは、再び煙草を吸い、紫煙を吐きながら言った。

「運に任せるつもりならやめておけ。あまりにもリスクが高すぎる」

「コウルスに愛されてる男が何言ってる」

「愛されてるからこそ言ってんだ。運任せってのは、あんた等が思ってる以上に危険なんだよ。間違ったものを賭けて負けでもしたら、今後死ぬことすら許されなくなることだってある」

「……でも、ヴェラルーシはまだ死んだ訳じゃない。封印型の呪いの中じゃ、人を殺すことはできない。殺すには、呪いを解く必要がある」

「命を懸けてユリヤ海賊を守った妻や友人の犠牲を無駄にすんのか?」

「そうじゃない。仇を討つんだ。それで、他の三人を呪いから解放する。それが、彼等がすべきこと。予言では……」

「予言が全てじゃない。あんたはモアに縛られてる。俺や、あんたや、子供達にも、予言に逆らって生きる方法がある」

「……今までの予言は当たってる。なあ、セメラル。そこまで反対してるなら、なぜ俺達について来た?どうせ、ただの気まぐれじゃないだろ」

そう訊かれると、セメラルは目を細めて窓の外を見た。

「……じきに分かるさ」


「青い空 雲が揺れ 我々を誘い風が吹く

広い海 波が泣き 我々を脅し陽が焦がす

にわかに聞こえる 梶を切る声

ケセラセラと言う 楼を見つけて

島はいずれ 私を知る

何もない床 見る人もなし」

「……奇妙な歌だね」

マーティヤ号の船首。暗闇の中、座りながら歌っていたトーダスに、ルージェが後ろからそう話しかけた。トーダスは座ったまま後ろを見た。

(まじな)いの歌だよ。航海が無事に続く様にってことらしい」

「呪い?航海祈願の?」

「昔父から教わった歌で、いつまでも耳に残ってるんだ。妙なのは、途中の歌詞が旧グレイオス文字αで歌われる。他は全部、旧グレイオス文字βなのに」

「あ、そうだったんだ?もう一回歌ってもらっていい?」

「青い空 雲が揺れ 我々を誘い風が吹く

広い海 波が泣き 我々を脅し陽が焦がす

にわかに聞こえる 梶を切る声

ケセラセラと言う 楼を見つけて

島はいずれ 私を知る

何もない床 見る人もなし」

「……本当だ。でもやっぱり……航海祈願とは思えない。歌詞が暗すぎる」

「俺もそう思う」

トーダスは杖を突いて立ち上がろうとした。しかし、杖が上手く突けず、よろめいて倒れた。それを見たルージェは慌ててトーダスの身体を立て直した。

「ああ、座ったままで。話がしたい」

「ええっ、分かった……数年ぶりに乗る船って、案外揺れるんだなあ」

「そうかな?私は毎日乗ってるから、地面に立つ方が苦手」

「ははっ、面白いね。確か君は……ルージェ?ルナヤナさんとロイゼさんの娘の」

「うん、そう」

「何の話をしに来たんだい?」

「これから会いに行く人について。セメラルさんが殲滅の堕天使って呼んでた。トーダスの知り合いなんでしょ?」

「まあ……」

「どんな人か教えて欲しい」

ルージェはトーダスの右隣に腰掛けた。トーダスは一度咳込んで話し始めた。

「……ハンズ・ゲーヴィズーの実の娘。名前はテナミ。テナミ・ゲーヴィズー。年は十七歳。どこの海賊団にも属さずに一人旅を続ける、自由を追い求める海賊。だから、彼女がいつどこにいるのかは誰も知らない」

「ええっ、じゃあ、何であたし達、ジェペーリ島に向かってるの?セメラルさんの指示で」

「ジェペーリは古代ヤクーキス語で『自由の楽園』を意味する。太古にモア=ダケタが住んでいたとしても有名な島」

「モア=ダケタ……確か前に本で読んだことがある様な……自由の象徴になった、太古の呪術師のこと?」

「ああ。一億年前に実在したとされる人物。テナミはダケタを尊敬し、彼女の様になりたいと思っている。だから常にジェペーリ島を探していた。俺と会った時もそうだった」

「……だから、ジェペーリ島にいる確率が高いと?」

「恐らくは」

トーダスは、見えていない目を前方の海に向けた。ハイイロオオナミクジラが跳ねるのが見えたが、トーダスの目はそれを捉えていなかった。

「親父さんから聞いたかい?俺達がこの船に召集されてる理由」

「何かに必要とかって言ってたけど」

「やっぱり、ちゃんと話してないか。じゃあリューロにも話してないだろうな。ルージェ。今、リューロは近くにいるかい?」

「いや、今はフォアマストの見張り台にいる。呼ぶ?」

「ああ。頼む」

「分かった。リューロー!ちょっと下に来てくれるー?」

「おーう」

リューロが見張り台からロープと網を伝って降りて来ると、ルージェはトーダスの方を示した。

「トーダスが話があるって。隣に座って」

リューロはルージェに言われた通り、トーダスの左側に座った。そして、トーダスの掌に指を触れて話しかけた。

「トーダス、来たぞ」

「ああ、リューロ。ありがとう。わざわざ手に触れてくれなくてもいいよ」

「いや、俺だったら声だけだとちょっと怖いから。どこから話しかけられてるのかが明白な方がいいだろ……で、何の用が?」

「ああ、そうだった。リューロは何で俺達がこの船に集められてるのか知ってるかい?」

「ええっ。俺達って、俺とか、トーダスとかってことか?」

「そう。これから探しに行くテナミも含めてだけど、それには理由があるんだ」

「……はあ」

「君達、カナルル岬百八の予言を知ってるかい?ほら、さっきルージェとは話してた、モア=ダケタが残した」

「ああ、知ってる」

リューロは一つ手を叩いた。それを見て、ルージェは意外そうな顔をした。

「ええっ、リューロ、何で知ってんの?」

「分かんない。なぜか知ってる。あれだろ?高雅なる山が爆発する。爆発は炎を吐き、大地を崩し、大きな変化をもたらす。そして広大な海洋を砕かれた大地が包み込み、全てを沈めぬ魔物が生まれるだろう」

「最初の予言だね。そう、こんな感じの予言が百八つある。確か、ここに……」

トーダスはベルトのポシェットから、分厚い本を抜き取った。しかし表紙には、何も書かれていない様だった。

「これは……何?」

「アイオニス文字で表されてる。まあ、一目じゃ分からないだろうけど、視覚障害者向けの、凹型文字を使った本たよ。触れば分かると思う。まあ、それはそれとして、これはカナルル岬百八の予言が全て書かれた本。ザマラの古本屋で二十八クリム」

「割と高い」

「うん」

「俺達に関わりがある予言があるんだ。最後の予言。呪いのツケが回ってくる。反逆者は呪いから復活する。その時、今度こそ反逆者を鎮圧する者達が現れるだろう。湖を統治していた四つの魂。彼等の魂を継ぐ四人の若者。蒼の瞳の作戦参謀、紅の瞳の指揮者、紫の瞳の堕天使、翠の瞳の救世主。彼等が絆で結ばれる時、世界に平和が訪れる」

「……これが、あたし達に関係あると?」

「大ありだよ。まずはこれ。ユリヤ湖を統治していた四つの魂。目星はつくだろう?」

「……四大海賊、俺達の親」

「そう。九十二の予言、湖を統治する四つの魂で、その記述が見られる。高雅なる山の爆発によって拡大した湖を統治する四つの魂が現れる。蒼の瞳の鞭の操縦士、紅の瞳の弩の名手、紫の瞳の剣術士、翠の瞳の銃の使い手。東西南北の海域を統治し、湖と海賊の平穏を保つ。しかしそれは、反逆者により崩される。後に片腕をなくすであろう、悪魔と契約した男」

「片腕をなくす……信じられない。ダケタは、こんなに細密に予言してたんだ。一億年も前の人なのに」

ルージェは首飾りを触りながら言った。

「太古の人々は夢の中のお告げを大切にしてたらしい。そこから色々占いをして、未来のことを予言したんだってさ」

「へえぇ。面白い」

「二つの予言から分かることは、同じ様な記述をされている四人の人間がそれぞれの予言に関与してること。しかしその記述は似て非なるものであること。つまり、二つの予言で表されている四人はそれぞれ別の人間であると言うこと」

トーダスのその言葉に、リューロは首を傾げた。

「ダケタが言い方を変えただけって可能性はないのか?」

「ないに等しい。その証として、九十三の予言にこうある。反逆者は翠の瞳の銃の使い手と橙の瞳の若き賢者、灰色の瞳のもう一人と共に、呪い沈められる。翠の瞳の銃の使い手が首謀する。湖を統治する四つの魂の内の三つは消された。だから、応急措置だ。この呪いの代償は大きい。いずれ大津波とは別に、ツケが回って来るだろう。ほら、これ。四つの魂の内三つはこの時点でもう消えてる。だから……」

トーダスは口を噤んだ。二人に気を遣ったのもあるのだろうが、きっと自分でも口に出すのが辛かったのだろう。

「……だから、最後の四人が四大海賊である可能性は本当に低いのか」

ルージェがそう続けた。

「……そう。四つの魂の意志を継ぐ四人の若者。四大海賊時代を生きた大人達は、その四人の若者を俺達のことだと思ってる。俺達がユリヤに平和をもたらす存在なんだと。だから集めてるんだよ。リューロ、君がユリヤ湖に現れたから」

「……ええっ?」

トーダスは一度咳をして、驚いているリューロに説明を始めた。

「リューロ。君は今まで、ユリヤ湖に出たことはあるか?」

「……いや。一度だけユリヤ湖に近づいたら、メーレンに止められた。あの時は、酷く怒られたよ」

「……カナルル岬百八の予言、その百一。翠の瞳の救世主は、湖に逃げ込む。蒼い鳥の末裔と、紅の瞳の指揮者に助けを乞う。人は元来、生まれ故郷を離れられないから。翠の瞳の救世主は彼等と共に蒼の瞳の作戦参謀と紫の瞳の堕天使を探しに行くだろう。これがさっき起こったことだ。君はユリヤ湖のほとりに逃げて、ロイゼさんとルージェに助けを乞い、そして今はテナミを探してる。どうだい、すごいだろ?」

「……確かに。でも……」

「よおぉ、三人さん。何話してんだ?」

リューロが何か言いかけた時、後ろからセメラルに声がした。トーダスは素早く本をポシェットにしまった。

「今日はあまり天気が良くない。風向きも西北西を向いてる。ジェペーリとは逆の方向だ」

「セメラルさん、ジェペーリ島の場所を知ってるんですか?」

「ああ、知ってるとも。日出ずる国、って名前を知ってるか?」

「日……出ずる?」

「ジェペーリの古の呼称だ。まあ俺が気に入って勝手に使ってるだけかもだけど。太陽が顔を出す場所にある国。太古の昔にジェペーリの帝が大陸の皇帝に献上した手紙に同じ様な記述がある。この島はヤクーキスと同じものだとか言う奴もいるが、そりゃ違う。ヤクーキスはモアが死んだ諸島。溶岩でできた島だった。一方で、ジェペーリは彼女が生まれた島国」

「島国?ジェペーリは、島の名称じゃないんですか?」

「真逆。もともとは国だったんだよ。当時の国名は忘れちまったけど。ジューフィ山の所在地もジェペーリだった。青くて赤くて白い山。大昔に本で読んだことがあった」

「……奇妙な山だったんですね」

「美しい山だよ。ちょっと待て」

セメラルは背負っていた麻袋から小さく折り曲げた紙とろうそく、燭台を抜き取り、なぜかトリコーンからマッチ箱を取り出した。ろうそくを燭台に刺し、マッチで火を灯した。

「これはこの世界の全体像の地図だ。全て載ってる。アイオニス凹型文字でも示してあるから、トーダスは触って見るといい」

セメラルは燭台を持ち上げて、大きく広げた地図を照らした。トーダスは言われた通り、地図に手を触れた。その地図を見た時、リューロ達は驚いた。地図の図面が、動いているのだ。波はうねり、鯨はもぐり、船は動く。

「この地図は特別なものでな、世界中の戦艦や海賊船の位置と、俺の現在地を示す」

「何でセメラルさんの現在地を?」

「さあな。贈り物なんだ」

「誰からの?」

「覚えてねえよ。大昔のことだから。で、今マーティヤ号がいるのがここ。さっきハイイロオオナミクジラの縄張りを過ぎたから、次はユリヤ湖西側で有名な海流の衝突場所だ。で、ジェペーリがユリヤ湖の東の果て。トーダスの親父、タードル・マーサー・ミュグナルが治めていた海域のその先。通常の地図に載ってない理由は、そこにかつての世界を破壊したジューフィ山があるからだ。今でもたまに噴火してるらしいぜ。ほら」

セメラルが指差したのは、船が進む方向。水平線から丁度、黄金色の朝日が顔を出した。それに照らされて見えたのは、白い煙とほんの小さな山、そして、島。

「……暖かい。日が昇った」

トーダスが朝日の方を向いて呟いた。

「日出ずる国。自由の楽園。あそここそ、ジェペーリ。ここからは運がいいと十日間。運が悪いと永遠に着かない」

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