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死海海賊戦記  作者: 緋田冬麻
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親を知らない少年

備考 ユリヤ湖の呪い 著:イオニオ・ライナー

アリオニス大洋の最東端に、ユリヤ湖と言う海に直結した巨大な湖がある。海と潮目が変わる湖は、コリン大陸が統一され、グレイオス帝国が設立した年、クロニクル二九六年より、追放された除け者達の溜まり場となっていた。彼等はユリヤ湖の深く落ち窪んだ地形を利用し、巨大な櫂船を作ってそこを住処とし、陸上の人間達を襲って宝を奪い取りながら生活していた。いつしか彼等はその行為から、ユリヤ海賊と呼ばれる様になっていた。

櫂を漕ぐ掛け声、宴の中の笑い声、他の船との闘争時の叫び声……耳をすませば、いつでも海賊の声が聞こえた。彼等は彼等なりの、真っ当な生活を送っていた。

しかしこれを大陸側の将軍が黙っ見ている筈もなく、クロニクル四二九年、グレイオス帝国第八代将軍、故テオール・グレイオスは、ユリヤ湖におよそ三千万もの傭兵を送り、ユリヤ海賊の排除を目論んだ。しかし、例え傭兵とて本物の戦いの経験はほとんどなく、毎日の様に命懸けの戦いをしてきたユリヤ海賊相手にはその経験は役に立たずにテオールは軍を撤退させざるを得なくなった。これが、第一次ユリヤ海戦である。

その後、父親の失敗を省み、九代将軍で息子の故リタ・グレイオスは、戦争に勝って他国より帰ってきた兵士を指揮官とし、クロニクル四九○年、再び三千万の傭兵を率いて戦いに臨んだ。湖の入り口付近で暮らしていた海賊達はそれに対応できず、リタの軍は順調に船を進めていた。しかしこの時、大規模な旋風と潮目にできる渦により、船はユリヤ湖に潜入することすらできず全壊し、傭兵の全滅、そしてリタの死滅と共に失敗に終わった。これが、第二次ユリヤ海戦である。

リタの死により、若くして十代将軍となった故ハリークス・グレイオスの当時の年齢は十五だった。育ち盛りの若将軍は、ユリヤ海賊とコンタクトを取って話し合うことを考えた。そしてユリヤ湖に潜入してすぐの時にハリークスが知り合ったのが、キャプテン、マリオス・カー・ガラシャリア。彼は今までの将軍とは違い、自分達を理解しようとするハリークスの姿勢を気に入り、友として受け入れた。そして、当時のユリヤ湖の状況をハリークスに教えた。

当時ユリヤ湖には四大海賊と呼ばれる四人の海賊がおり、それぞれが大きな海賊団を持っていた。コリンソラヘビの筋でできた銀に輝く鞭を巧みに操る、キャプテン、タードル・マーサー・ミュグナル率いる、ムーガン団。弩の名手としてユリヤ湖全域でも名高い女船長、キャプテン、ルナヤナ・ツングトゥブ率いる、ハイビッシュ団。戦時、相手の船に自ら乗り込み、短剣一本で次々と敵の腕を切り落としたことで有名な、キャプテン、ハンズ・ゲーヴィズー率いる、シュラー団。そしてユリヤ湖で唯一火薬を用いた拳銃を使いこなす、キャプテン、マリオス・カー・ガラシャリア率いる、ジュリアナ団。

この四つの海賊団は湖を四分割した内、東をムーガン団、西をハイビッシュ団、南をシュラー団、北をジュリアナ団が治め、互いに戦闘を繰り返しながらも互いを尊重し、まるで一つの社会として成り立っていた。

しかし、南を治めていたシュラー団の中で不満を持った者が反乱を起こし、ゲーヴィズーを晒し首にした。彼の首のすぐ横に、彼の利き手であった左手首を立てて。その反乱者の頭領の名前は、ゴーゴンダ・ヴェラルーシと言った。

ヴェラルーシ等は次に、東のムーガン団の制圧を目論み、そしてそれを実行に移した。ミュグナルは自らが愛用していた鞭で散々打たれた後、それで絞め殺された。

四大海賊の内二人が一気に殺されると言う事態に、ハイビッシュ団とジュリアナ団は迷うことなく手を組んだ。

二つの海賊団を倒し、仲間の人数を次々と増やしていたヴェラルーシに、ツングトゥブはある日直接対決を申し出た。二人の対決は朝日が昇る頃から沈んでもまだ続いた。ツングトゥブは得意の弩を用いて、ヴェラルーシの顔の右半分に大きな傷を残し、左肩から下を撃ち落とした。しかしヴェラルーシの体力は衰えを知らず、金星が消える頃、疲れ切り、体力の限界を迎えたツングトゥブの手から弩を取り上げ、片手しかないにも関わらず、その弩でツングトゥブの肩、腹、顔、心臓を順に撃ち抜いた。

ガラシャリアがハリークスと会ったのは、そのすぐ後だと言った。ユリヤ湖の現場を知ったハリークスは、ガラシャリアを手助けすると誓った。

しかし、戦いの飛び火を恐れる国民がそれを受け入れる筈もなかった。民衆は勿論、今まで海賊を敵視していた傭兵、ハリークスに知恵を貸していた神官等、友人すら、そんな彼を次第に見放していった。ただそんな中でも、彼の若い意志は固かった。ハリークスは一人でガラシャリアの元へ戻り、戦いの準備をした。

クロニクル四九一年。ヴェラルーシ率いる反乱軍、一億二千万人。ガラシャリア率いる最後の四大海賊軍、八千人。二倍近い差の中、四大海賊軍側、ハリークスは幼少より鍛えられた剣術で、全身全霊をかけて戦った。ガラシャリアも海戦では不利な火薬を用いた拳銃を見事に使いこなし、順調にヴェラルーシの元へ近づいて行った。

ハリークスとガラシャリアはほぼ同時にヴェラルーシの元に辿り着いた。ヴェラルーシはツングトゥブにつけられた傷が完全に癒え切っていなかったにも関わらず、力強く仁王立ちして二人を見ていたらしい。

三人の戦いはそう長くは続かなかった。シュラー団が使っていたままの、古く、そして脆くなりつつあった船、パドリット号の甲板の上に、巨大な津波が乗り込んだからだ。ユリヤ湖全域に被害をもたらしたこの大津波は、船の上の戦いを繰り広げていた三人は愚か、他の船をも巻き込み、陸に乗り上げ、第一次、二次のユリヤ海戦とは比にならない程の死者を出した。

数日後。嵐の後の不気味な静けさの中、ユリヤ湖には津波で死んだユリヤ海賊、被害を受けたグレイオス国民の死体が浮かんでいた。ユリヤ湖の水の体積は通常の人間の身体よりも大きいため、死体のほとんどは次々と波打際に乗り出していった。この戦いが、ヴェラルーシ大虐殺戦争、第三次ユリヤ海戦及び、ユリヤ湖大津波の惨劇である。

この光景を見た哲学者、ケニス・フョールフは絶句し、絶叫し、絶望した後にこんな言葉を残した。

「ユリヤ湖。残虐で残酷なる死海よ。どうかこれ以上、我々を、この罪深き人間共を、冥土に送らないでくだされ」

こうして、クロニクル二九六年に追放され、ユリヤ湖に逃げ込んだ除け者達はユリヤ海賊と呼ばれ、恐れられ、何度も戦い、排除されかけながらも生き延びた者達は、最終的には同胞同士の争いの最中、自然によってほとんどが滅ぼされた。

一方大津波により多大な被害を受けたグレイオス帝国はと言うと、その抑えようのない怒りをユリヤ海賊に向け、本来なら将軍を首領としてユリヤ湖を炎の海にする気だったが、ハリークスが残したと言う遺書には、グレイオス帝国は滅亡し、マクーム共和国、タコラミス共和国、サキトゥカ共和国、ミシュグロ共和国、クナ共和国、グレイオス共和国の六つの国に分離させ、支配者は国民がそれぞれ決めることとする、と書かれていた。

ところで、ほとんどの被害者の死体が見つかったにも関わらず、パドリット号の船上で戦っていた三人の死体は、未だ発見されていないんだとか。


第一章 少年は親を知らずとも

「おい姐さん、エールはまだか?」

「今すぐ行くから騒ぐな。ツケも払ってないんだから」

「姐さん。アリオニスシュリンプとオレンジタマネギのシチューと、アカメドリの足頼みたいんだけど」

「あいよ。鳥足の方はちょっと時間かかるけど、いいね?」

太陽が西の水平線に触れる頃。コリン大陸、グレイオス共和国の都市ベイラーのパブ『ユリヤ』では、酔っ払った大人達がエールと料理を急かし、姐さんと呼ばれている女、メーレンだけが厨房を回していた。店を回しているのが彼女一人と言う訳ではないが、もう一人の店員、十五歳の少年、リューロは大人達に紛れて、古臭いトリコーンを被ってせかせかと料理を運んでいるため、ほとんど目立っていなかった。

しかし時々、酒が回った親父が彼の肩を組んで来て話しかける。

「あれぇ、何だぁこのガキ。トリコーンなんか被ってやがる。海賊被れかぁ?」

「ああぁ、本当だ。兄ちゃん、海賊なんて時代遅れだぜ?何言ったって、あいつら津波で全滅だぁもんなぁ。あ、そぉか。兄ちゃんは知らねぇか。十五年前だから。あははは」

「ちょっと貸せ」

「ええっ、ちょっと、返せよ」

リューロの背後から手が伸び、彼の頭からトリコーンが取られた。リューロは慌てて帽子を取り返そうとした。しかし帽子を取った客はすでに三つの机を跨いだ先にいた。

「うわぁ、しかもこれ、四大海賊の一人の、マリオス・カー・ガラシャリアのデザインじゃねえか。へえぇ、よくできたレプリカじゃん。随分汚ねぇけど。あ、ツバの内側に変な石付いてやがる」

「返せよ!」

「固いこと言うな。こう被るのか。ふぅん。ヨオ、ホオ!宝は馬のケツの下にある!拳銃ぶっ放して肥やしまで頂いちまおう!ってか!」

その場にいた客から、どっと笑いが溢れた。しかしリューロは顔を真っ赤にして大声で怒鳴った。

「莫迦にするな!莫迦にするなよ!分かった口利きやがって!」

その言葉にかっとなった一人の男性客が、リューロの頬を思い切り殴った。その勢いで、店内にいた客達が一斉に殴り合いを始めた。

メーレンがそれに気づいたのはすぐだった。気づいてすぐ、ベルトに差し込んであった拳銃を抜き取り、天井に向かって一発打った。

「黙れー!」

メーレンの怒鳴り声に、騒ぎに加わっていた客全員が凍りついた形相で彼女に注目した。

「あんたら、礼儀を知らないのかい!ここは下町のパブだよ?闘技場じゃない!殴り合いをしたい奴等はよそへ行きな!」

「何だぁ、姐さん。そんなに言うこたぁ」

「殴り合いをしてた奴等はみんな出て行け!さもなくば、ケツに一発ぶち込んでやる!」

メーレンは今度は、床に向かって一発打った。店の客達は一斉に逃げて行った。時々、「この非合法パブが!」と叫ぶ声が飛び交いながら。

店に残ったのは、メーレンと気絶したリューロ、汚くなった食器や床だった。メーレンは右手で顔を覆ってから、リューロを厨房の奥に運び込み、店の扉に閂をした。


リューロが目を覚ましたのは、満月が東南辺りの場所にある頃だった。彼の頭の横には、トリコーンが戻っていた。

リューロは帽子を被り直し、皿洗いしているメーレンの方へヨタヨタと歩いて行き、黙って皿洗いの手伝いを始めた。そんなリューロを見兼ねて、メーレンから話しかける。

「殴られたね?」

「……ああ」

「殴り返した?」

「真逆」

「よかった。殴り合いに参加してたら、あんたまで追い出さなきゃいけなくなる」

「ああ、そりゃちょっと嫌だな。追い出されたら、ユリヤ湖に行って助けを求めないと」

「そうだねぇ」

メーレンは皿を濯ぎながら微笑んだ。

「よく殴り返さなかったね。あたしだったら絶対殴り返してた」

「かっとなっても、大きな理由がない限り人に危害を加えたくない」

「ははっ、リューロ。あんたやっぱり日に日に父さんに似てきてる。あんたの父さんも、色んな意味で無駄な戦いは避けてた」

リューロが被っているトリコーンを指でなぞり、再びメーレンは微笑んだ。

「この帽子を被ってると、本当にそっくり。これ、あんたの父さんの形見って言ったっけ?」

「ああ、母さんからもらったって」

「そうそう」

「……あのさ。どんな人だった?父さんと母さんって。俺、大津波の日に生まれたから覚えてない」

「うん?珍しいね。リューロが兄さん達のこと訊くなんて」

「……二人のこと、顔も声も知らないって、最近気づいた。でも、なかなか訊く機会がなかったから」

リューロは口ごもりながら言った。これは、本心ではなかったからだ。

本当は気づいたのは最近ではない。もっと昔から、物心ついた時にはもう、この考えが芽生えていた。言い出せなかったのは、自分が両親のことを訊くと言う行為が、メーレンを悲しませることになるのではないかと思っていたからだ。

メーレンは少し時間を置いてから、ゆっくりと話し始めた。

「……二人は、立派な人だったよ。愛し合ってたのは勿論、互いを尊敬してた。夫婦と言うより、どこまでも気高い親友同士。あたしのイメージはそんな感じだったなぁ。大津波さえなければ、二人とも今頃あたし達と一緒に海に……」

「海?」

「そう。言ったよね、あたし達は元ユリヤ海賊だったって。まあ、ただ北の方を放浪としてた、小さな一族だったけど。でも、食えるものもあったし、他の海賊に襲われることも少なかった。十五年も前の話さ」

「それは前聞いた」

「あれ?そうだったか……まあ、とにかく。その帽子はあんたの父さんが船長になった記念に、姉さんが渡したもの。だから、大事にするこったね。さあ、さっさと片付けちまおう。あんだけ弾ぶっ放したんだ。流石に今夜はもう客も来ないだろ」


満月が真南で白く輝き始めた頃。リューロは寝室で、厨房の方から固いものが床を叩く音を聞いた。

こつっ……こつっ……。

その音は次第に大きくなり、寝室に近づいているのが分かった。リューロはトリコーンを被ってゆっくりと立ち上がり、静かに扉を少し開けて厨房の方を見てみた。そこには、リューロが息を呑む様な光景が広がっていた。

厨房にいたのは、何十人もの海賊。リューロは実際に活動している海賊を見たことがある訳ではないが、数人に見られるうなじの黒い刺青の形、組まれた二本の剣を見ればすぐに分かった。

海賊達はひそひそと何か話しながら店内を物色していた。耳をすませると、その厳つい声が聞こえた。

「おい、本当にあんのかよ?こんなボロい店に、例のブツが」

「ボスの命令だ。それに、ボス言ってたじゃねぇか。プランクトンの化石を隠すのは、砂浜が一番だ、って」

「俺さぁ、それ意味分かんねぇんだけど」

「ああん?まじかよ。分かってるフリして聞いてたのか?」

「宝を隠すには、ボロ屋が一番注目されねぇってことだよ」

その話の内容を、リューロは理解できなかった。海賊達にわざわざこっそりと侵入されて盗まれる程価値のある物は、このパブにはない。あるとすれば、メーレンのリングピアスか、もしくは、リューロのトリコーンに付いているあの緑色の石……。

「なぁ、宝の特徴って何だったっけか」

「確か……緑の……」

「んぁ、そうだ。緑の石だよ。丸っこい」

その時、リューロは思わず帽子の石に指を触れた。そこで背後にいる誰かの影に気づき、思わず叫びそうになった。しかしその影が即座に彼の口元を押さえた。暗闇から出て来た影は、メーレンだった。

メーレンは小声で言った。

「叫ばないで。あたしが時間を稼ぐから、闘争が始まったら床下の洞窟から逃げなさい」

リューロは口元にあったメーレンの手を剥ぎ取り、同じ様に小声で、しかし慌てふためきながら言った。

「どう言うことだよ?あれ。ユリヤ海賊はいなくなったんじゃ……」

「ああ。でも違ったみたいだね」

「しかも、これを狙って……」

「時間がない。説明は後だ。早く、帽子を持ってユリヤ湖の西岸にある、一番古い桟橋に行きな。見りゃ分かるから。そこに、助けてくれる人がいる」

「助けてくれる人?」

「ロイゼとルージェ父子。ルージェは銀髪だから、暗闇でもすぐ分かる筈」

「メーレンは……後から追って来る?」

「生きてればね……リューロ。よく聞いて」

ここで、メーレンは今までに発したことがない様な優しい声で言った。

「あんたの両親が死んでから十五年。あたしはあんたを実の息子だと思って育てて来た。だから、あたしにとって、自分の死よりもあんたの苦しみの方が、よっぽど辛いんだよ。だから、お願いだ。生きろ。例えあたしが死んでも、あんたはあいつらに殺される様な真似だけは絶対にしないで」

最後の方になると、メーレンの声は小刻みに震えていた。こんな彼女の姿を見るのは、リューロは初めてだった。リューロは黙って頷いた。その瞬間、メーレンはリューロの身体を強く抱きしめた。

「あんたは幸せ者だよ、リューロ。父からも母からも愛されて。二人の愛からすれば、あたしは小さい存在かもしれない。でも、どうか、この嘘吐きで、身勝手で、出来損ないの母親代理を忘れないでくれ」

両親が死んでから十五年。兄の子を実の息子だと思って育てて来た叔母。その身体はかなり痩せていたが、ユリヤ海賊時代に鍛えたままの筋肉も、少なからず残っていた。


メーレンは自然を装って扉を開けた。それに気づいた一人の海賊が、メーレンを見て不気味な笑いを浮かべた。

「ありゃ、姉ちゃん。こんな時間にこんな所で、何してんだ?」

「あら、それはこっちが聞きたいわよ。今日はもう閉店なの。閂だってしてあったでしょう?気づかなかった?」

「閂?ああぁ、俺等裏口から入ったから、全然気づかなかったぁ」

「どうでもいい。ここはあたしの店なんだから、早く出て行って。じゃないと、民間兵呼ぶわよ?」

「そりゃあちょっと……」

「おい、待て」

海賊達の群の中から、一際目立つ紫のシャツを着た男が、メーレンの長い黒髪を強引に掴んで上げた。

「痛い!ちょっと、何すんのよ!」

髪を上げられ、あらわになったメーレンの白いうなじには、緑色の……恐らく、リューロが持っている石と同じ色の、拳銃の刺青が刺されていた。それを見た瞬間、紫のシャツの男は目を見開いて髪を乱暴に下ろした。

「ははっ、面白え。真逆、こんな所でマリオス・カー・ガラシャリアの妹君にお会いできるとは」

「何……ガラシャリアだと?」

「全滅したんじゃ」

群の中に、どよめきが広がった。店全体が、驚きに包まれていく。その驚きが、リューロにも伝わったことは、言うまでもない。

自分を今まで育てて来てくれた人は、あの四大海賊の妹だった。つまり、自分の実の父親……今まで上手く隠し通されて来た父親の名前は、マリオス・カー・ガラシャリア。あの大海賊が父親だと知って、誰が冷静でいられるだろうか。リューロは頭を抱え、必死に冷静を保とうとした。

紫のシャツの男はわざとらしくお辞儀をして、言った。

「どうも、初めまして。メーレン・カー・ガラシャリア殿。俺はゲルゴイ・ダーラ。キャプテン、ゴーゴンダ・ヴェラルーシの意志を継ぐ者」

それを聞くなり、メーレンは腹を抱えて笑い始めた。周囲に、再びどよめきが広がる。

「ああ、面白い。何?ヴェラルーシの意志を継ぐ者?あんた、ヴェラルーシに会ったこともないのに?しかもあいつをキャプテンってそれ……ふふっ、笑える」

「なぜ俺がキャプテンと会ったことがないと言うんだ?」

「だって、ヴェラルーシだったらあんたを無傷で返す筈ないから。知らないだろ。ヴェラルーシは自分と話して、手応えを感じた相手には必ず、あるテストをした。それは、相手がどれだけの攻撃に耐えることができるか。あたしも大変だったんだ。ほら、見てよ」

メーレンは茶色いブラウスの袖を勢いよく捲り上げた。そこにあったのは、火傷に切り傷と、その他諸々の古傷だった。

「全部、ヴェラルーシにやられたのさ。この傷、身体中にあるんだよ?そのせいで今でも足に後遺症が残ってる。信じられるか?しかも、ゲーヴィズーにバレると牢屋行きだから、顔とか手の甲とか、見える所は上手く避けて。これ、どんなに痛くても、叫んじゃいけないんだ。叫びでもしたら、首の骨折られて殺されるから。相手が失神するまで、あいつは攻撃を続ける。

そこで、ダーラさん。見た所あんたは相当体術を習得していて、実力だけならあたしの知ってるヴェラルーシを裕に超えてるだろうな。ヴェラルーシもあんたと話せば、きっと実験したくなるだろうよ。でも……あんたの腕は日焼けしてるだけで、ほとんど傷もない。足も同様だ。全く羨ましいよ」

「羨ましい?」

「話を続けよう。以上のことから、あんたはヴェラルーシと会ったこともないのにあいつの意志を継ぐ者だと名乗ってる。ったく、無責任なこった。あたしゃやめた方がいいと思うよ?それから、あんな奴をキャプテンと呼んで崇めるのもね」

「……でもそれは、ご本人に訊かねえと分かんねえ話だ。そのために、これが必要なんだよ」

ダーラは腰巻鞄から小箱を取り出し、それをメーレンの目の前で開けた。リューロも目を凝らして見てみると、そこには親指の第一関節の大きさ程の色付き石が三つ入っていた。

ダーラは一つ一つ取り出し、説明を始めた。

「ユリヤ湖北岸の底に沈んでた。妙だろ?人間でさえ沈まないあの海に、なぜかこのちっこい木箱だけが沈んでた。これはヴェラルーシを復活させるために必要な宝」

「はぁ?復活?」

「生きてんだよ、ヴェラルーシは。それでもユリヤ湖に姿を現さないのは、お前の兄貴に呪われたからだ」

「……あたしの兄は海賊だよ?呪術師じゃないし、呪いをかけることはまずない。真逆、兄が十五年前に既に、ユリヤ湖の呪いを知ってたとでも?」

「そうだ。お前の兄貴はヴェラルーシとあのガキと一緒に、呪いに飲まれて消えたんだ。その証として、あいつは四つの依り代を作った。真珠型の、四色の宝石だ。そして万一の場合に備えて、他の四大海賊に依り代を一つずつ渡していた。まずはこれ。東の海の様に濃い青を閉じ込めたこの石。タードル・マーサー・ミュグナルの鞭の取手に埋め込まれてた。通称、ミュグナルストーン」

「まんまの名前。特徴に関してはロマンチックでも、通称はひねり一切ないな」

「そりゃどうでもいい。次にこれ。西に沈む太陽の光の様に鋭い輝きを放つ橙のこの石は、ルナヤナ・ツングトゥブのイヤリングの装飾品だった。名前はツングトゥブストーン。それからこれ。南の蜃気楼の様に濁った深紫の石。ハンズ・ゲーヴィズーの革ベルトに吊り下げてあった、ゲーヴィズーストーン……ここで何か、気づかねえか?」

「何に?」

「お前の兄貴、マリオス・カー・ガラシャリアの石がない」

「ふぅん……それが?あたしには関係ない」

メーレンがそう言うと、ダーラは机を思い切り叩いた。机に、大きなひび割れが入った。そしてメーレンの顔に自分の顔を鼻がぶつかりそうなぐらいまで近づけた。

「しらばっくれるな。必要なのは石四つ。ジュリアナ団の関係者は皆見つけて石の在り処を訊き、知らないと言った奴は殺してそいつの周りを隈なく探した。でも、見つからなかった。ところがさっき、この辺りを歩いてた酔っ払いのぼやきを聞いてな。あんなにガラシャリアの帽子のレプリカが大事なのかよ。古いトリコーンに緑の宝石なんかつけて、生意気なんだよってな」

「……それだけ?」

メーレンはあっけらかんと言った。ダーラは顔を離し、真面目な顔で頷いた。

「緑の宝石が付いてたってだけで?それを見たこともないのに?」

「北のオーロラの様に明るい緑。マリオス・カー・ガラシャリアのトリコーンに縫い合わせてある。お前の言うロマンチックな言葉は全て、依り代を集めてたヴェラルーシが残した言葉だ。箱の内側に刻まれてた。ほら、読んでみろ」

ダーラは石が入っていた小箱をメーレンに渡し、底を指差した。そこには確かに、尖った旧グレイオス文字αが深々と刻まれていた。メーレンはそれを読み上げ始めた。

「四大海賊の時代は終わりを告げる。石を集めることによって。ガラシャリアは呪いを隠した。何かを目論んでいる。依り代を分けた。信頼できる相手に。真珠型の宝石。東の海の様に深い青を閉じ込めた石。ミュグナルの鞭にある。西に沈む太陽の様に鋭く輝く橙の石。ツングトゥブのイヤリングがそうだ。南の蜃気楼の様に濁った深紫の石。ゲーヴィズーの革ベルトに吊り下げてある。北のオーロラの様に明るい緑の石。ガラシャリアのトリコーンに縫い合わせてある。あれを奪えば、呪いを我が手に入れられる。ユリヤを支配できる。コリンも支配する。グレイオスを服従させる。殺そう。この手で。あいつら四人は邪魔だ。まずはここから。順を追って。ガラシャリアは最後まで殺さない。あいつには訊くことが多いから。この世界を変える。俺の手で。何人殺そうと。ゴーゴンダ・ヴェラルーシ……確かに、この字体はヴェラルーシのものだ。箱も見覚えある。この組まれた二本の剣の絵も、ヴェラルーシがゲーヴィズーの印、一本剣に反抗して用いてたものだし……うん。信じる要素は十分だな。で?あたしにどうしろと?」

するとダーラは腰から剣を抜き、メーレンの喉元に向けて言った。

「メーレン・カー・ガラシャリア。お前を脅迫する。兄貴、マリオス・カー・ガラシャリアの持っていた最後の石、ガラシャリアストーンを我々によこせ」

メーレンは至って冷静な態度で腕を組み、首を傾げて剣の刃先を自分に向けたダーラに訊いた。

「もしあたしが知らないって言ったら?今までと同じに、あたしを殺すのかい」

「いや。腐ってもあの伝説になった海賊の妹だ。きっとエイディレー市場で高値で売れる。殺すより、そっちの方がメリットが大きい」

「……なるほど?あたしはグレイオス共和国の公正な法律によって、公正に斬首刑に処されろ、ってことか。でもどっちにしてもあたしの舌は千切る気だな。さっきの話、他の奴等に聞かれたらまずいもんなぁ」

「黙れ。自分の今の現状を把握しろ。答えを下した方が、身のためだぞ。さあ、教えるんだ。ガラシャリアストーンは今、どこにあるんだ?」

「……知らない、よっ!」

メーレンはカウンターにあった木製の椅子をダーラに向かって蹴り上げた。椅子はダーラに命中したものの、太い腕がそれを裕に弾き飛ばした。しかしメーレンにはそれだけの時間があれば十分だった。腰の拳銃を抜き取り、素早くダーラの右肩を撃った。それと同時に、今まで二人の会話を静かに聞いていた海賊達が一斉に暴動を始めた。すると、カウンター裏や店の外から、数十人の男女が現れ、メーレン側について戦いに参戦した。

リューロの知らない人達ばかりだった。それぞれが棍棒やら鉈やらを振り回し、何やら鷹の様な甲高い声を上げている。その暴動を見ているリューロの方にも、メーレンの銃弾が飛んで来た。リューロと一瞬目を合わせたメーレンは言葉を発することはなかったが、今彼女が言いたいことはリューロにはすぐに分かった。リューロは暴動の中、絨毯の下にあった床下から部屋を出た。


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