第7話:価値観って意外と大事だよねぇ
例の炎上事件がようやく鎮火し始めて。
「ひどい目にあった。はぁ」
誤解も解けて落ち着いた日々を取り戻しつつあった。
昼休憩、眠気覚ましにカフェオレでも買おうと購買を訪れた。
普段は母親手作りのお弁当なので、食堂に用はない。
ここにしかない、自動販売機に用があるのだ。
賑わう食堂を通り過ぎ、目的の自動販売機にお金を入れた。
「えっと、カフェオレは……」
「――私はコーンスープが飲みたいなぁ」
「ん?」
女の子の声に振り向くと、そこには長い髪をした大人びた少女がいる。
ふんわりとした髪をなびかせる。
「やぁ、桜雅クン。久しぶり」
「あー、有紗さんか。どうも」
彼女は永井有紗(ながい ありさ)。
あの梨子の実妹であり、桜雅とは同級生。
しかしながら、梨子同様に“幼馴染”と言うほど仲がいいわけではない。
あえて、さん付けなのはそれだけ親しくはない証拠だ。
「桜雅クンの後姿を見かけたから、つい声かけちゃった」
あざと可愛く笑う彼女。
仲がいいのは梨子のみで、有紗とは顔を合わせればあいさつ程度をする仲。
どんなに仲が良くとも、友人の妹と親しくないのと同じだ。
それほど親密ではないのは、ご近所同士ではあるものの、これまで同じクラスに一度もなったことがないのもあるかもしれない。
とはいえ、顔見知り程度のお話はする。
「コーンスープ、飲みたい?」
「うん、好きなの。温かい飲み物ってホッとするよね」
「分かる。では、差し上げましょう」
桜雅は温かいコーンスープの缶を彼女に手渡す。
「どうぞ。熱いから気を付けて」
「ありがと」
「それじゃ、俺は……コーヒーのブラックで」
「え? ブラック派なの? 大人だね」
「……まぁね」
などと言ってはいるのが、嘘である。
――はい、無理してます。
まだコーヒーの無糖はそれほど慣れ親しんでいない。
しかし、女の子の前でカッコをつけたいお年頃。
桜雅はブラックのコーヒーを買い、ふたりでしばらく雑談することに。
食堂の片隅に座って話す。
「こうして、有紗さんと話すのってどれくらいぶり?」
「二月頃くらいに、学校に行くときに一緒だった時があったじゃない」
「あー、あった。でも、そのあとに、廊下ですれ違った時にも話をしたような」
「そっか。あれ以来かぁ」
思い返すと、そんな程度の間柄である。
春先とはいえまだ冷えるので、ふたりで温かな飲み物を飲んで癒される。
「姉さんと仲いいんでしょう。報道部の話を聞いたわ」
「……また、炎上しました。勘弁してほしい」
「通い愛だって。話題になってるじゃん」
有紗にからかわれて、「参ってるんだ」と困り顔をする。
『春風桜雅。噂の彼女との熱愛報道、否定せず。同棲の噂も』
報道部の適当報道のせいで、今回も炎上した。
当然、妹の有紗の耳にも入ったのだろう。
「週末の通い愛。お子様もいるとか? ホント?」
「いませんよ、いません」
「あはは。知ってる。噂って適当なのが多いよね」
「噂される側にもなってもらいたい」
げんなりとして肩をすくめる。
「それだけ皆、桜雅君に興味があるのよ」
「なりたくないのに」
「私なんて話題になったこともないよ?」
有紗は美人だが、周囲の相手と距離をとる印象を受けるために噂になりづらい。
結局、人の話題になるのは話題にしやすいかどうかでもあるのだ。
「……この前、付き合ってた子は? 先輩だっけ?」
「それは前の前の彼氏。面白味がないからフッちゃった」
奥手な梨子と違い、妹の有紗は恋愛に関して自由奔放だ。
中学時代から何人も男子とお付き合いしている。
「でもさ、仲がいいのはいいじゃない。姉さん、桜雅君くらいしか男子の友人もいないもの。さっさと付き合っちゃえばいいのに」
「キミまでそう言うか」
「お似合いだとは思う。それに、ふたりの相性は最高でしょ」
有紗から見ても、二人はとても似合いに見えるのは本音だ。
「結局は相性だよ。何でも相性が悪いとダメ。身体も心も、それが一番大事」
桜雅と梨子の関係は永井家でもたまに話題になるようだ。
「お母さんも、姉さんのことは桜雅君に任せてるって言ってたし」
「……今も十分に面倒を見てるつもりですけど」
「姉さんの部屋によく行けるわ。私、一度だけ行ってもう二度と行かないと決めたもの。あの人、自分のテリトリーだけは汚いからなぁ」
普段はきっちり整理するのに、自分の机だけ汚い人がいる、アレだ。
この姉妹は、さほど仲がいいわけではない。
仲違いをしてるほどではないが、お互いに干渉しあうことはほとんどない。
「姉さん、元気してる?」
「してるよ。梨子ちゃんとも会ってないんだ?」
「家に帰ってこないもの。もう半年くらい音信不通です。さすがに年末くらいは帰ってくるかと思いきや、それもなし」
「それは……梨子ちゃんらしいや」
一応は、近所に住んでるのだが、実家に戻ることもないようだ。
「話を変えるけど、有紗さんは今、誰かと付き合ってる?」
有紗は昔から年上の男性が好みだった。
彼女曰く、年上で頼れる男性に甘えたい性癖らしい。
付き合う相手は出会うたびに違う気がする。
「去年のクリスマスに破局して、年末にまた付き合いだしたよ」
「……相変わらず、付き合うサイクルが早いね」
「違うのよ。前回の相手は私なりに気に入ってたの。半年くらい付き合ってたし。でもね、アイツ、最低だったわ。最悪すぎて吐き気がする」
「浮気でもされたのかい」
「された方がマシだった、かな。知りたくなった真実を知ったのよ」
「どういうこと?」
「あの人さぁ、マザコンだったの」
「……なぬ?」
「よりにもよって、クリスマスプレゼントを私と自分のお母さんへのものを間違えて渡しやがってくれまして。最悪じゃん」
ご機嫌ななめな彼女は思い返すのも嫌そうに、
「しかも、プレゼントが私のよりも高額とかありえん」
「うわぁ……」
「その時点で萎えて、別れたわ。プレゼントはメル●リで速攻、売っちゃった」
「それは最悪なクリスマスだったね」
隠し続けていた真実を知り、幻滅と怒りに震えた、クリスマスだった。
「でも、いいの。あんな彼氏より、素敵な出会いをしたからね。今の彼は大学生で、友達の紹介で知り合ったの。年末のカウントダウンパーティーで……」
今の相手には満足してるのか楽しそうに話す。
彼女は年上と付き合ってるがゆえに、周囲には話せないことも多い。
友人たちに知られて、面倒なことになるのも避けている。
それだけに事情を知る桜雅は話を聞いてくれる都合のいい相手だった。
「価値観って意外と大事だよねぇ」
「価値観?」
「そうそう。よく離婚の理由に使う、性格の不一致ってあるじゃん」
「あー、性格が合う合わない。意見が合わないってやつか」
「自分と違う考え方をする相手を受け止められる人って中々いないじゃん。価値観が違えば仲違いもするしね」
これまで複数の相手と付き合ってきた有紗にはよくわかる。
「この人と私は合ってるかなぁ、そう思える相手に巡り合えるかどうか。私はまだまだそういうぴったりな相手とは会ってない気がする」
「なるほど」
「でもね、姉さんと桜雅クンはそういう意味で合ってるのよ」
「ん? そうかな?」
「うん。私から見れば価値観も相性も良く合ってる。だから、ずっと居心地のいい関係を続けていられてるの。ただ、お互いにそれに満足してる感はあるけど」
だから、次に進められないのだ、と。
なんとなく察している有紗だった。
その後も恋愛や抱えてる悩みなど、普段話せないことを話せた。
一通り話し終えて、どこかすっきりした顔の有紗は、
「んー、愚痴、聞いてくれてありがとう。なんか気持ちを切り替えられたわ」
「それはよかった」
「姉さんが気に入ってる理由が分かった気がする、キミ、良い人だね」
「……?」
「ふふっ。姉さんのこと、大事にしてあげてよ」
「仲良くはしてるつもりだ」
「そして、次に進める努力もしなさい」
「それは、どうだろうか」
そんな桜雅に「それじゃ、応援してあげよう」と何かの紙切れを手渡す。
「何だろう、これ……あっ」
たくさん、スタンプが押されているカード。
『ラブエンジェル。スタンプカード』
……いわゆる“ラブホテル”のカードである。
――マジか。これ、いわゆるラブなアレのやつですか。
唖然とする桜雅は受け取ったまま固まる。
「あ、有紗さん。……これをどーしろと?」
「前の彼氏とよく使ってたホテル。お値段も手ごろで綺麗なところだよ」
「そんなことは聞いてません」
「スタンプMAXまで貯まってるから。一番いい部屋も50%OFFで使えるよ」
「はぁ。使う予定も相手もいないんですが」
「姉さんと使えばいいじゃない?」
「り、梨子ちゃんと使えるかぁ!?」
困惑する桜雅の叫びに「あはは」と彼女は笑いながら、
「えー。さすがに、姉さんのあの部屋ではないでしょう。気分が萎えるわ。押し倒しても、山のようなゴミが見てる。気分が盛り上がらないでしょう?」
「それは言えてる」
「それさ、前の彼氏と貯めたやつなの。でも、新しい彼氏と使う気はしなくて」
「でしょうねぇ」
「というか、同じ場所でしたくない。あー、さっさと忘れてしまいたい」
苦笑気味の有紗は「なので、差し上げます」と言う。
――全部、スタンプ押せるほど通うのって、どうなのか。
恋愛に自由奔放な有紗である。
別に誰かに迷惑をかけてるわけではない。
――好きな相手と好きなことをしても、悪いわけではないけどね。
恋愛は自己責任で自由なものだ。
そこにあえて、親しくない自分が何か意見を言うのは違う気がした。
「とりあえず、いただいておきます」
「どうぞ。姉さんと使った話は今度聞かせて」
「それは嫌です」
「あはは。おすすめは105か206かな。いい部屋だから」
「き、聞いてません。ええいっ、純情男子をからかうんじゃない」
そもそも、梨子と一緒に行く予定はまずない。
素敵なプレゼントをされて困惑しつつも、財布の中にいれておくのだった。
それが、遠い未来に事件を起こすとか、起こさないとか――。