第5話:ひどい、闇が深すぎる
駅前にあるカフェ『アングレカム』。
この店は桜雅の幼馴染、梨子が経営しているお店だ。
「こんにちは、梨子ちゃん」
「桜雅じゃん。いらっしゃい」
学校帰りに梨子の店にふらりと立ち寄った。
駅に近いこともあり、ランチタイムはそれなりに賑わう。
お店の名前、“アングレカム”は花の名前からきている。
海外の蘭の花で、花言葉は「いつまでも貴方と一緒に」。
梨子の誕生日は11月22日。
自分の誕生花であるアングレカムをお店の名前につけた。
アングレカムの店舗は彼女の母親が元々経営していたお店だ。
高校卒業間近、かなり強引に経営を押し付けられて今に至る。
「梨子ちゃん。すっかりとお店の経営にも慣れた?」
「嫌でも慣れる。去年の春はあの母のせいでひどい目にあったわ」
「いきなりだったもんな。梨子ちゃんも頑張ったよ」
「ありがと。正直、どうなることかと思ってた」
彼女の母親が突如、店の経営権を梨子に押し付けた。
思いもしない提案。
卒業間際、進路を急に変更をせざるをえなくなったのだ。
「自分が別の店をしたいから、ここは任せたとか。ありえないし」
「おばさん、何の店を始めたんだっけ?」
「奥様向けのヨガ教室。それなりに人気らしいわ。ちぇっ」
「嫌がってたわりには今はちょっと楽しそう?」
「楽しまなきゃやってられません」
学校帰りにお店に寄るのもいつものことだ。
時々、倉庫整理をさせられたりもする。
店の内装は明るくて可愛らしい雑貨を置いている。
「おばさんから引き継いだ時より、女子向きのお店になったよね」
「結局、どこにターゲットを向けるかなのよ。お店の客層的に女子が多かったから、そちら重視にしてみたの。おかげで何とかやってます」
「カフェって一年以内に潰れる店が多いって言うもんなぁ」
「ホント、それ。気軽にカフェをオープンさせて潰すのもよくある話」
昔から手伝い程度はしていた梨子だが、カフェの経営経験は当然ない。
試行錯誤と苦悩で、去年は大変な思いをしたのだった。
その結果、幸いにも一年目は赤字もなく無事に黒字だ。
「お店の経営で一番大事なのお金ですよ、お金」
「やはり、お金は必要ですか」
「うん。人件費やお店の維持費やら、売り上げがどれだけあっても足りない」
「経営は大変そうだ」
「お店の経営について、長々と話してもいい? 原価率とか説明しようか?」
「面白くなさそうなのでいいです」
高校生には興味のないお話である。
将来的には必要な知識ではあるかもしれない。
「それよりも、何かとお手伝いしてる俺にはアルバイト代くらいくれません? プライベートを含めて、お世話しまくってるのに」
桜雅の提案を聞き流すことに決めた梨子は、
「優しい幼馴染の無償のお手伝いには常に感謝してるわ。愛してるわよ、桜雅」
「……アルバイト代も払う気ゼロだし」
「分かった。チューくらいしてあげましょう」
「いりません」
「そこで断られると傷つくわ。はいはい、これをあげる」
そう言って梨子は紙切れを桜雅に手渡す。
『――20円引き券』。
書かれた文字に「これかよ」とため息をつく。
「ケチか。これ、雨の日に配ってるやつじゃん」
「あら、地味に人気なのに。これ目当てで、雨の日に来てくれる人もいるの」
雨の日は来客が減るのでサービス券を渡している。
さすがに20円引き券、三枚では手伝いの報酬としては寂しすぎる。
「せめて、一杯無料のコーヒーチケットをください」
「やだ」
「即否定だし。ケチなお姉さんだぜ」
「言うけど、それ、最近、バージョンアップしたのよ」
「ん? 前も20円引きじゃなかった?」
「ふふふ。この前、印刷した分から『ドリンク全品20円引き』に進化しました」
「どーでもいいわぁっ!」
以前は『コーヒー20円引き』だったのが『ドリンク全品』に変わった。
これにより、ジュース類にもチケットが使えるようになったのである。
「なによー。たった20円とか思うかもしれないけど、利益なんて小さな積み重ねなんだから。サービスに感謝してもらいたいものだわ」
「梨子ちゃんは俺にまず、感謝してくれ」
「してますよ? お姉さんが抱きしめてあげよっか?」
「ハグくらいでは足りません。チケットください」
「だから、やだ。自腹でお店に貢献してもらわないと」
「ケチぃ。高校生のお小遣いには限りがあるんだよ」
そう投げやりに呟きながら、椅子に座る。
「それじゃ、ブラックのコーヒーで」
「ふっ、飲めもしないくせに。カッコつけちゃって」
鼻で笑われてしまう。
「の、飲めますけど!? 学校でも缶コーヒーはブラック飲んでますが!」
「……はいはい。ブラックとか言って微糖なんでしょ」
「くっ。なぜだろう。無性にその微笑がムカつく」
最近、ブラックは“飲めるように頑張っている”ところである。
普段はカフェオレ派だが、人前ではブラックを飲みたいお年頃。
そんな無駄な努力を嘲笑うように、
「別に男はブラック、とか誰もカッコいいとか思わないわよ」
「カフェオレも好きだけど、飲めるようになりたいだけさ」
「無理しなさんな。いつも通り、カフェオレでいい?」
幼馴染相手、カッコつける間柄でもなく。
「……はい。では、これでカフェオレでも淹れてください」
「さっそく割引券を使ってくれる、そんな桜雅が好きなのよ」
からかうように、うりうりと彼の頬を指でつつく。
「自爆営業する人の気持ちをちょっとだけ理解できる」
「キミはまだ社会の本当の闇を知らない。深くて暗く抜け出せない闇があるの」
「怖っ!?」
「ホント、社会の闇は想像以上にひどいものよ。うふふ」
梨子は薄っすらと微笑みつつ、コーヒーを淹れる。
「カフェオレ、注文入りましたぁ。ぽちっとな」
珈琲は豆から挽く全自動のコーヒーメーカーだ。
操作は簡単、カフェオレのボタンを一つ押せば出来上がり。
設定しているブレンドのコーヒーが抽出されるのだ。
「ボタンひとつで簡単に美味しいコーヒーが淹れられるんだもの。いい時代だわ」
「梨子ちゃんのおばさんは自分で淹れてなかった?」
「私、そんなスキルないので。業者に相談して、機械を入れてもらいました」
「でも、その方がいいよね。すぐにコーヒーも入るし」
「味も悪くないから満足してるわ。はい、カフェオレの完成。どうぞ」
あっという間に出来あがった、梨子特製のカフェオレをいただく。
ほどよく甘い味が、ほっと一息つける。
「コーヒー豆のブレンドは梨子ちゃんが?」
「ううん、業者任せ。人気のお店の味を再現できてます」
「……梨子ちゃん、お店の大事なところを任せすぎ」
「失礼な。私のメインは料理だもの。お料理は頑張ってるわよ」
今の時間は人も少ないが、ランチタイムは人気のお店だ。
梨子を含めて3人が働いている。
お店を始めた頃は梨子だけだった。
「去年の今頃、一人で働いていたんだよね」
「そうよ。店を引き継いで、誰かを雇う前にちょっと人気が出ちゃった」
「それが問題だったんだよな」
本来の予定であれば、馴染んできた頃に人を雇う予定だった。
しかし、思った以上に梨子の料理の評判がよく、通う人も多くなり。
ひとりでお店をしていた梨子は電池切れで、GWには過労で倒れることに。
「あの時は桜雅にも迷惑をかけたわ」
「こっちはかなり心配したんだい」
「桜雅が私の家にお世話にきてくれるのもあれからだったわよね」
そもそも、母が手伝ってくれなかったのが悪い、と愚痴る。
慣れない上に、気持ちも入りすぎていた。
無理なことを、一人で頑張ろうとした。
あの時の苦い経験は今の梨子に活かされている。
――なんでも一人で背負う、梨子ちゃんは真面目すぎるんだよな。
お店のことだって、何だかんだで引き受けてしまった。
その真面目さは嫌いではないし、応援してあげたいとも思う。
「あれからすぐに、友達に声をかけて手伝ってもらうようになったのよ」
「まぁ、俺も梨子ちゃんを支えるし」
「この子は、照れくさくなることを平然と言ってくれる」
「……?」
「な、なんでもない。ふんっ」
お店も繁盛して、無事に順調に行っているのが何よりだ。
「これからも桜雅には臨時アルバイトとして頑張ってもらわないと」
「ちょい待ち。臨時アルバイトなのに、給料は?」
「……言葉を間違えた。ボランティアだったわ」
「ひ、ひどい、闇が深すぎる。まさにブラック企業だ、ここ」
幼馴染をこき使うお姉さんに嘆きながら、カフェオレを飲むのだった。




