第2話:私の原点かな
桜雅は梨子の料理をする後姿を見るのが好きだ。
なんというか、ホッとするような安心感がある。
「梨子ちゃんって料理上手だけど、昔から好きだったよね」
「そうね。小さい頃から料理の本を見たりするのも好きだった」
「実際に料理を始めたのは?」
「小学校に入ってからかな。母の手伝いをして覚えたの」
料理上手、という特技は今は彼女の職業にもなっている。
何事も積み重ねと経験が大切なのだ。
「桜雅には実験台によくなってもらったわ」
「そうだっけ?」
「下手な料理を何度も食べさせて罪悪感を抱いてたんだけど?」
「んー? そんな記憶はないけどな。俺、梨子ちゃんの料理をおいしくないって思ったことがない。昔から、おいしく作ってくれてたよ」
「……ふふっ、ありがと」
記憶とは都合のいいように改ざんされるもの。
同じように食事をしていた桜雅の姉は『まずっ!?』と容赦なく言っていた。
梨子も料理の腕前が上達するまではひどかった。
彼は「?」とそんなことを忘れてしまっている。
思い出補正でも何でもいい。
桜雅にとっては梨子が作ってくれたものは何でも美味しく感じるのだ。
「そういえば、舞雪は料理とか全然しないわよね」
「一度包丁を持たせたら、ひどいことになったせいで母さんがやめさせて以来、料理はしないようになりました」
「あー。確か、調理実習とかも他の子にやらせてたわよ」
「いや、姉ちゃんは才能の塊だからな。やればきっと上手になるはず」
「だといいけど。未知数なのって逆に怖い」
春風舞雪(はるかぜ まゆき)。
梨子と同い年にして幼馴染、桜雅にとっては愛すべき実姉である。
なお、名前は舞雪だが、夏生まれである。
女王様気質の性格のため、誤解を生むことも少ない。
ただ、梨子相手には本音を言い合える良き親友関係だった。
「あの子、武装させたら怖いもの」
「何もしないっての。母さんみたいに言わないで」
「おばさんと舞雪って今でも仲が悪いまま?」
「……悲しいけど、母親と娘って相性悪いと泥沼になるらしいよ」
喧嘩するというよりも、同族嫌悪というべきか。
似た者同士がゆえに、反発しあう。
ふたりとも気の強い性格のため、誰も仲裁もできない。
「なるほど。家族って関係は厄介よね」
梨子は手慣れてた手つきでフライパンを動かしながらバターを溶かす。
じゅっという音とともに香ばしい匂いが漂う。
玉ねぎや鶏肉などの具材を炒めながら、ご飯の準備。
ここでひとつポイントなのは、ケチャップは先に具材と一緒に炒めておくこと。
その後でご飯を混ぜたほうが均等になり、おいしくなるのだ。
「うちも、母と仲がいいとは言わないけどさ。つい反発しちゃう気持ちはわかる」
「そういうもの?」
「同性って難しいじゃん。分かり合えない、お父さんと息子みたいな」
「なるほどな。梨子ちゃんの場合は妹さんとの仲がよろしくないじゃない」
「あぁ、あのク●ビッチの女狐ね? ●●すればいいのに」
低い声でさらっと妹をディスる。
「ま、真顔で暴言を吐かないで」
「中学時代から彼氏をコロコロ変えてふしだらな関係。私とは価値観が違うから理解しあえないわ。多分、一生理解できない」
妹を突き放すように冷たく言い放つ。
――昔からよくないけど、今でもダメなんだなぁ。
梨子と妹は考え方も価値観も全く違う。
それゆえにすれ違い、仲たがいをしているのだ。
今やお互いには無関心、実家を離れたのもその理由もあるのかもしれない。
――どこでも、そういうものなのかな。
兄弟、姉妹、同性の家族は仲がこじれると厄介なものである。
分かり合えないことも少なくない。
「話を変えよう」
「舞雪とおばさんが戦争状態だって話?」
「そっちもいいです」
平和な話を求む。
「春ね。舞雪も大学二年生か」
「離れて暮らすようになって一年。ちょっとは慣れたかな」
「嘘つけ。いまだに毎日のように連絡を取り合ってるんでしょ?」
桜雅と舞雪は他所の姉弟と違い、かなり仲がいいほうである。
シスコン、ブラコンと言われ続けているが、それも少し違う。
恋愛漫画のように姉弟で愛し合ってるわけでも、恋愛感情があるわけでもない。
お互いの存在が大切なだけなのだ。
「電話はしてるよ。一日、15分って決めてるけど」
「……そんなに毎日、話すことってある?」
「いろいろと一日を振り返れば、それなりに」
「相変わらず仲がよすぎて、びっくりだわ」
「梨子ちゃんは姉ちゃんと連絡取り合ってない?」
「しないことはないけど、気が向いたときくらいね」
さすがに桜雅たちのように頻繁にやり取りはしていない。
お互いに声が聞きたいので、電話をする。
毎日、決まった時間に連絡を取り合うのは習慣のようなものだ。
「姉ちゃんと離れてからしばらくは数時間くらい普通に話をしてたけどね」
「やりすぎじゃん」
「夜更けまで話をしてたら、たまに寝落ちしたりして」
「恋人同士か!?」
「……ふふふ」
「照れるな。全然、褒めてない。はぁ、シスコンさんめ」
仲が良すぎるのも問題なのもので。
お互いの私生活に影響が出かねない、と話し合い。
今では夜に少しだけ話をして楽しんでいる。
「桜雅、お皿をとって」
「了解。もう出来上がり?」
「うん。桜雅好みにふわふわに仕上げておいたわ」
桜雅の皿に乗せられたオムライスはふわふわ卵が綺麗な一品。
半熟トロトロな卵が食欲をそそる。
かたや、梨子のお皿は卵が固めにしっかりと焼かれた、昔ながらのオムライス。
焼き目がついた薄く固めの卵。
まさに王道にして、正統派洋食のオムライスである。
「梨子ちゃん、半熟卵はダメなタイプだっけ」
「嫌いじゃないわよ。ただ、オムライスは昔ながらのが好きなだけ」
お手製のオニオンスープとサラダと共に、テーブルに並ぶ。
待ちきれないとばかりに桜雅はスプーンを片手に、
「いただきます」
「めしあがれ」
ケチャップソースを絡めた卵をスプーンにすくう。
口に広がるのはとても優しい味。
しっかりと炒められた玉ねぎと鶏肉の旨味。
それらを優しく包み込む卵がたまらなくおいしい。
「うまいっ。うん、すごくいい」
トマトの酸味と卵の甘味がマッチしてとても美味だ。
いくら食べても飽きがこない。
梨子の手料理でも上位で好きなのがこのオムライスである。
「さすが梨子ちゃん。料理だけは女子力マックスだよね」
「料理だけって言わないの」
「オムライス専門店でも十分に通用するよ」
「桜雅の好みに合わせたら、お店でも出せる味になったわ」
テレビで見るようなオムライスが食べたいとねだられて、ずいぶんと練習したものだ。
今ではプロ並みに上出来な品を作ることができるようになった。
「オムライス、ハンバーグ、カレーライス。定番メニューだけど、梨子ちゃんが作ると一味も二味も違うからびっくりだぜ」
「そりゃ、どうも」
美味しそうに食事をする桜雅の横顔を見つめながら、
「……私の原点かな」
「――?」
「料理っておいしく食べてくれる人がいるのが上達する近道だもの」
可愛い弟がお腹を空かせていると、つい頑張っていろんな料理に挑戦してみたり。
梨子なりに努力して、料理をするようになった。
他人から美味しい、と言ってもらいたい。
それは料理をする人間の誰しもの原点である。
「甘えたがりな弟を持つとお姉ちゃんは苦労するって話」
「……その言葉、”弟”を”姉”に変えてお返ししたいんですが」
「えー?」
気心しれた者同士。
居心地の良さだけは間違いなく、最高だといえる。
「桜雅、口元にケチャップがついてる」
「え? どこ?」
「右のほっぺ。おこちゃまだぁ、くすっ」
「わ、笑わないで。お子様じゃないっての」
「ほら、じっとしてなさい。拭いてあげる」
仲が良すぎる姉と弟のような関係。
いつまでも変わらない、不思議な関係がそこにはある――。




