第21話:わ、私をどこまで追い込む気だ
ありえない。
ありえるはずがない。
梨子は思わず、身体が震えて止まらなくなる。
それは春の肌寒さからくるものではない。
人間が生まれ持った生存本能。
生きるか死ぬか、そんな危機的な状況を肌で感じているからである。
夜の暗闇、玄関で待ち構えていたのは、
「こんばんは。ずいぶんと遅い帰宅じゃない」
目の前に立ちふさがる、綺麗な女性。
美しく伸ばされた明るい茶色の長髪。
すべての人間を見下すかのようなツリ目が印象的。
「いつ帰ってくるのかなぁって、ずっと待ってたわ」
美人ではあるが、迂闊に人を近づけさせない雰囲気がある。
高校時代、彼女が歩けば皆が自ら道を譲ったものだ。
ごう慢で我が儘な性格も、彼女ならば許された。
まさに生まれ持っての女王様っぷりを発揮した彼女である。
そんな春風舞雪が不機嫌度マックスで現れた。
もはや命はないと諦めたくなる。
――こ、ここにいるなんて聞いていないわよ。
舞雪は大学生になり、地方都市へと移り住んでいた。
会うとしても長期休暇くらいのもの。
普段はエンカウントするはずのない場所での出会いに驚愕するしかない。
「ま、舞雪? なぜ、貴方がここに?」
「なぜ? おかしなことを言うわね。私が自分の家にいて何が悪いの?」
「いや、貴方、今日も大学が普通にあったんじゃ」
「簡単な話よ。授業が終わり次第、新幹線で帰ってきただけ」
明日からは土日とはいえ、わざわざ新幹線で戻ってきた。
それは女狐に愛する弟を奪われようとしていることに気づいたわけではない。
単純な理由だった。
「明日は桜雅ちゃんの誕生日でしょ。直接、祝いに来るのは当然じゃない」
「……そうだった。去年も、同じことがあったのに」
去年は平日だったのにもかかわらず、桜雅の誕生日を祝いに来ていた。
毎日のように電話をしあっているくせに、実際に会わないと気がすまないらしい。
――私のバカぁ。この子なら、必ず来るってわかってたのに。
その想像ができていなかったのは、恋に浮かれていたせいか。
彼女の性格をよく知っていれば、容易に想像と対策ができていた。
なんで、今日という日に告白しようと思ってしまったのか。
「土日は楽しく可愛い弟と過ごそう、そう思って帰ってきたのよ」
「そ、そうだよね。うん。舞雪ならそうする」
桜雅のためなら、舞雪はどんな無理でも押し通す。
すべてを優先するということを忘れていた。
「でも、不思議なことが起きてるみたい」
だが、舞雪にとってもこの状況は予想外だ。
土日は大切な弟の誕生日を過ごすのだ、と新幹線に乗ったのが数時間前。
「なのに、これはどういう状況かしらねぇ?」
数時間前には想像していなかった。
目の前には仲良く手をつないでいる、弟と親友。
間違いなく関係がただの幼馴染から進展している。
よもや、こんな状況になっていたとは思わなかったのだ。
彼女の怒りには焦りと不安も見え隠れしている。
「ずいぶんと仲がよさそう」
「へ?」
「仲良く手なんて握って。どうしたのかしら」
舞雪の指摘に桜雅の手をすぐさま梨子はパッと離した。
少し彼が残念そうな顔を見せる。
――今、そういう顔をしないで。
惜しいのは自分もそうだが、事情と状況が許さない。
「い、いつも通りじゃないかな」
「そうね。アンタも桜雅ちゃんとは昔から仲が良かったもの」
「う、うん。そうそう、普通で他意は……」
「ただ、仲が良すぎるのも問題だと思ってたわぁ」
彼女は「さっさと引き離すべきだった」と悔やんでいた。
牽制は何度もしてきたが、その程度では甘すぎたのだ。
「私としたことが、こんな致命的なミスをするなんて」
「ひぃ!?」
「男と女の関係なんて、分からないもの。想像の欠如は反省すべきだわ」
梨子と桜雅。
どこまで行っても、姉と弟みたいなつかず離れずの関係。
どうせ、二人の関係が進展するはずがないと決めつけていた。
「いつまでも変わらないものなんてない。思い知らせてくれたわ」
それは舞雪の油断だ。
彼女たちだって、やればできるのだと思うことをしなかった。
そのために必要な手段を何も取らずにいた。
「こんなことならば、さっさと梨子をつぶしておくべきだった」
「真顔で怖すぎることを言わないで」
「いえ、梨子の存在自体をこの世界から消すべきだった。今からでも間に合う?」
「こ、怖い。舞雪が本気で怖い」
向けられたことのないレベルの不機嫌さだ。
怒りと恐怖を肌にぴりぴりと感じる。
今にも泣きそうな梨子は、
「……今すぐ、帰ってもいいですか」
すぐにも逃亡したい気持ちでいっぱいだった。
「えぇ、いいわよ。春の海ってまだ寒そうよね」
「わ、私をどこに沈める気だよ!?」
深海ザメの餌コース、確定。
「ふふっ、沈めるなんて人聞きの悪い」
「違うの?」
「アンタが自ら、海の中に飛び込むに決まってるわ」
「決まってないし!?」
「えー。すぐにでも楽になれるっていいことだと思うの」
「わ、私をどこまで追い込む気だ」
容赦なく、徹底的に追い込んで。
消えた方が楽になれると思わせる程かと、恐ろしさに失禁しそうになる。
思わず、桜雅に助けを求めて視線を向けた。
――ぐすっ、桜雅ぁ。助けてぇ。
ここは桜雅のフォローに期待するしかない。
――やられる。このままじゃ、マジでこの子に潰される。
せっかく長年時間かけた想いが実り、恋人同士になれるのに。
それを数十分で壊されるのはあまりにもひどすぎる。
今の自分が何を言い訳しようと舞雪の耳には届かない。
それを分かってるからこそ、彼を頼りにするしかない。
桜雅もさすがに、舞雪の暴走で梨子を失うのは嫌だった。
「姉ちゃん。俺が説明しても?」
「あとで話は聞くけども、桜雅ちゃんは少し黙っていて。私はこの子に聞いてるの」
「はい。……とりあえず、家の中に入ろうか」
「外で話してもいいのよ? 梨子、今から公園にでもいこうか?」
「縄跳びを持ち出そうとするからダメ」
「えー。縄跳びはただの遊び道具よ? 怖くないよ?」
思わず「嘘つけ」と小さな声で梨子は否定する。
相棒の縄跳びを持ち出されたら、速攻で逃げ出す。
昔から舞雪に持たせてはいけないものはふたつ。
“権力”と“縄跳び”である。
権力なんて与えたら、本気で女王様無双するから危険。
縄跳びはムチのように操るので、勘弁願いたい。
「久しぶりに私の華麗な縄跳び技を見せてあげる」
「……桜雅ぁ。壊されちゃう、助けて。お願い」
「はいはい。ほら、姉ちゃん、梨子ちゃん。中に入ろうよ」
桜雅はこの緊迫感のある空気を全く感じていない。
――自分に害が及ばないからって、落ち着きすぎやしませんか?
梨子は今にも失禁寸前な恐怖のどん底にいるというのに。
どんな時でも舞雪は桜雅は攻撃しない。
相手を怒らない、責めない。
それが二人の姉弟関係であり、築き上げてきた関係だ。
――ただし、他人にはその分、遠慮容赦ないんですけどね、この人。
間近でその怖さを思い知ってるだけに。
梨子は今すぐにもこの場を去りたい気分だった。
「そうだ、桜雅ちゃん。私の電話に出てくれなくて悲しかった」
「ごめんね、姉ちゃん。俺は出たかったんだけど、ちらっ」
「……なるほど。そこの泥棒ネコに邪魔された、と」
ぎらっと睨みつけられて身がすくむ。
「邪魔なんて……いや、したけど」
電話を切るように言ったのは自分だった。
あんな時まで舞雪を優先されたくなかった。
「だって、ちょうど告白……う、ううん。何でもない」
これ以上、墓穴を掘ってこの世界とお別れしたくない。
もう何も言わず、黙っているのが得策だ。
「まぁ、いいわぁ中へ入りましょ」
「か、帰してぇ。私をお家に帰してぇ」
何倍返しされることやら。
大いなる不安を抱えて、家の中に招かれることになった。




