第19話:私の中の桜雅が変わり始めてるんだ
アングレカムに微妙な空気が流れる。
桜雅を前に梨子はため息をつく。
「いろいろと言いたいことはあるんだけど」
「……有紗さんといけない場所に行った件は反省してます」
「ホント、それ。あの子相手に冗談でもついていかない」
ふくれっ面で梨子は桜雅をたしなめた。
ラブホテルから本当に二人が出てきたときは怒りと悲しみと、よくわからない感情に飲み込まれてしまいそうになったものだ。
「その辺の事情は有紗から聞いたわ。改めて確認だけど」
「何もありませんでしたよ?」
「ホントに? あの子とホテルに行って何ひとつもなかった、と?」
「信じてください。トラストミー」
梨子の視線が冷たくて痛い。
「想像されてるようなことはなかったですよ、うん」
「じーっ」
「そんな目で見ないで。悲しくなるから」
「まったく、油断も隙もない。変な場所にいかない、あの子についていかない」
「はい。でも、俺からも聞きたい。なんで、あんな場所に?」
「とある人から情報が流れてきたのよ。それ以上は聞かないで」
情報源が何となく誰なのか、桜雅は察するので深くは聞かない。
自分を知る相手で、ああいう場所に出没する知り合いは限られている。
聞いても“とあるリア充女子”の“現実”を知るだけだろう。
「一瞬、俺のスマホに居場所の追跡アプリでも仕込まれてたのか、と」
「そんなことするわけないでしょ」
「え? 姉ちゃんと俺、お互いにアプリ入れあってるよ」
「だーかーら、恋人同士か」
「普通の事だと思うけどな」
「普通じゃないから。姉弟でそんなものを入れあうな」
相も変わらず、この姉弟はお互いを大事に思いあいすぎている。
「入れてどうするの」
「なんとなく、お互いの居場所を知れる安心感?」
「それを姉弟で入れてるの、貴方たちだけだと思うの」
もはや呆れて言葉もない。
浮気防止アプリ、そんなものを入れあう姉弟がいてたまるか。
「……」
「どうしたの、梨子ちゃん」
「もうこの件はいいわ。本題に入りましょ」
「本題? 今回のお説教以外に、何か話しでもあったっけ?」
「しようと思っていたのよ。その、真面目な話系」
「ふむ、聞きましょうか」
桜雅は椅子に座りなおして彼女に向き合う。
改めてマジマジと見られると梨子も照れくさい。
告白すると決めたのはいいものの、どう切り出せばいいのか分からず。
「……」
沈黙から数分後、さすがに桜雅も「何なの?」と不思議がる。
何ひとつ、言葉が出てこない。
桜雅は彼女にとってずっと弟であり、男の子でもあった。
関係を変えたい。
そうは思っていても、わずかな不安が言葉を詰まらせてしまう。
「……あのね、桜雅」
「うん」
「そのね」
「梨子ちゃん、どうした? 歯切れ悪すぎて怖い」
自分でも情けないことだ。
年下男子に告白するのにこんなにも勇気がいるなんて。
ビビッて言葉が詰まるのも、想像していない。
「え? もしかして、この店がつぶれるとか。マジかよ」
「勝手につぶすなっ!?」
そんな危機は今のところはない。
「違うの?」
「真顔で言われるとお姉さん、すごく悲しい。経営に問題なしです」
真剣な顔をして、言いにくいこと。
それがこの店のことだと勘違いさせたようだ。
「アングレカムは経営危機ではありません」
「それじゃ、何だよ? さっきからすごく言いづらそうだし」
「それは……」
「何か悩みがあるなら、言ってみ? 聞くだけなら聞いてあげられる」
桜雅らしい言葉。
いつもそうだ。
昔の小さな頃と違い、彼はずいぶんと頼りにもなるようになってきた。
「ホント、成長したよね」
「そりゃ、するだろう。身長だって梨子ちゃんを追い越した」
「その成長が、私を困惑させてるのに」
「どういう意味?」
「ずっと傍にいて、成長を見守ってきたはずなのに。ふとした時に知らない誰かみたいに思う時がある。もう昔みたいな子供じゃないってことだよね」
「当然さ。俺も子供じゃない」
「いえいえ。態度とかまだまだ子供だなって思う時もあるけどね」
「部屋の片付けもできない人に言われてもなぁ」
クスッとお互いに笑いあう。
よく知る相手同士、今さらなことだ。
ちょっと和んだ雰囲気の中で。
「だからこそ、戸惑う。私の中の桜雅が変わり始めてるんだ」
「え?」
「子供時代の可愛かった桜雅。今みたいに頼りになる桜雅。成長した姿に戸惑う」
「そう?」
「桜雅は私の成長を感じてる?」
「んー。それなりに。昔から知ってる間柄だからね」
深呼吸して、気持ちを整える。
言うのなら今しかない。
決めたのだ。
好きだって、気持ちを伝えたい。
梨子は真っすぐに桜雅の目を見た。
「梨子ちゃん?」
お互いに、それなりの想いがある。
だから、信じる。
「ねぇ、桜雅。私は……」
自分の気持ちを。
相手の気持ちを。
好感度99%、残り1%を乗り越えられるものだ、と――。
「――私は、桜雅が好」
「あっ、姉ちゃんから電話だ」
タイミングが悪く、桜雅のスマホが鳴り響く。
着信音を変えているので姉の電話だとすぐにわかる。
普通なら出るはずもない。
だが、桜雅はこの状況でも電話に出ようとする。
「――!?」
すぐさま彼女はやめさせる。
「お・う・が。いい加減にしようか」
「お、おぅおぅ」
「このタイミングで姉優先だと私も許せないかなぁ?」
困惑する桜雅の顎をぐぐっと手でつかみながら、
「い、いひゃいっす」
「スマホの電源、切りなさい」
「え、あ、いや。姉ちゃんの電話……い、いえ、切ります」
威圧感に負けて彼はすぐさま電源を切る。
「おい、くぉら。なんで、ここで電話に出ようとする」
「いや、姉ちゃんの電話は3コール以内に出るようにと決まっていまして」
「今じゃなくてもいいでしょ!」
さすがの桜雅も今のは悪いと反省していた。
つい習慣的なものが出てしまったのだ。
「ご、ごめんなさい」
「ふんっ」
せっかくの告白をつぶされて梨子は不機嫌になる。
「私、今、とても大事な話をしてるの。わかる?」
「わ、わかってます。はい、どうぞ、続きをしてください」
「すぐにできるか。あの子、スマホに盗聴アプリでも入れてるのかしら」
問題なのは電話をかけてきた舞雪だ。
この状況を気付いていないはずなのに。
意図してしたものではないと思いたいが。
「はぁ、大事な場面で邪魔しないでよ」
それを無意識に邪魔するのはさすが舞雪というべきであり、怖かった。
「桜雅を守りたい気持ちがこんな形で……嫌な子だわ」
すっかりと気持ちを折られてしまった。
前にも後ろにも進めず。
梨子はぐだぁ、とうなだれて、
「……ごめん。ちょっと、休憩。コーヒーを飲ませて」
とはいえ、一度切れた気持ちを立て直すのには時間が必要だ。
「ちくしょう。ホント、舞雪には勝てそうにない」
せっかくのチャンスを邪魔されて。
舞雪に対して恨み節を呟きながら、彼女はコーヒーを入れるのだった。




