第18話:貴方の彼女、浮気しまくってますよ
アングレカムの店内に緊張した空気が流れる。
「ふわぁ、なんか眠くなってきた。帰っていい?」
「ダメ」
「まだ取り調べは続くわけ? 面倒くさいよぉ」
有紗は小さくあくびをしてテーブルにひれ伏す。
先ほどまで梨子からの尋問が行われていた。
のらりくらりと、彼女はその話をかわしていく。
梨子も梨子で、二人を直接的に叱ることもできずにいる。
なぜならば、桜雅は梨子の“恋人”ではない。
有紗と深い仲になっていたとしても、それを責めることはできないのだ。
――だからと言って、放ってはおけない。
例え、手遅れだとしても、そうなってしまったのならば自分にも責任がある。
素直になれない自分自身を恨みつつ、話を聞きだしている。
「そもそも、なんであんな場所に? 私もびっくり」
「……知り合いから桜雅の目撃談があったのよ」
「で、わざわざホテルまで見に来た、と?」
「それは……」
「姉さんと桜雅クン。恋人同士でもないのに?」
「お、幼馴染が悪いことをしてたら困るじゃない」
言い訳が苦しいと思いつつも、
「いい? いけないことをしてはいけません」
「桜雅クンと私が姉さんの言うところの“イケないこと”をしてたとして。それの何が悪いの? 姉さんには関係ないよね?」
「うぐっ」
「だって恋人でもないから“浮気”でもないし。狙ってたのに、先に手を出されてお怒り? いえいえ、世の中、早い者勝ちだし」
「……うぅ」
返す言葉が見つからない。
なので、一般論を負け惜しみとして言うしかない。
「貴方たちの年齢で利用していい場所じゃありません」
「などと言いながらも、自分たちの同級生だって使ってたでしょ」
「それは……。と、とにかくダメなのはダメ」
「私と桜雅クンがあの場所で、何をどうしていたのか事細かく説明しろとでも?」
「……されても困るけど」
「姉さん、何を想像しちゃったのかなぁ?」
「ぐ、ぐぬぬ」
妹相手にやり込められて悔しそうな梨子である。
なお、桜雅はただいま倉庫の中に閉じ込められている。
あとで説教確定で絶望中だった。
「ふふ。まぁ、姉さんをからかうのはこれくらいにして」
「……からかう?」
「本気で怒られるのも説教されるのも、泣かれるのも勘弁だし」
ここでネタばらしとばかりに事実を話し出す。
姉は打たれ弱いので、追い込むのもよろしくない。
そもそも、姉をいじめるのは妹としても本意ではない。
有紗も決して梨子のことが嫌いではないのだから。
「私たちの間に何かあったかと聞かれたら何もありませんでした」
「嘘だ。有紗がホテルに男を誘って何もないはずがない」
「私もねぇ、ショックなんですよ。まさか何もされない日が来るなんて」
がっかりだよ、と彼女は軽く嘆いてみせる。
「ホテルに誘って彼を押し倒したのは事実」
「するな」
「そこで何もされなかったのも事実」
「それはそれで、あの子、ちゃんと男の子なのかしら」
胸に手を当てて、有紗は辛そうに、
「この心の傷を誰に癒してもらえばいいの?」
「彼氏にしてもらえ。この浮気好きビ●チめ」
正論かつ辛辣な言葉をぶつける姉である。
「男の子ならあのチャンスを逃す人はないでしょう。でも彼は違った」
ケラケラと笑いながら有紗は姉を見つめて、
「大事な人がいる。失敗も含めて、初めてはその人がいいんだってさ」
「……」
「桜雅クンの大事な人って誰だと思う?」
「さ、さぁ? 誰でしょうね」
梨子はふんっとわざとらしく視線をそらした。
ちょっと安堵と嬉しい気持ちもあったりする。
「姉さんの方はわかりやすいのに」
「何がよ」
「桜雅クンのこと、好きでしょう? めっちゃラブでしょ」
「なっ……」
妹に追及されて照れくさそうに、彼女は顔を赤らめる。
「まぁ、そんな二人がなぜに今もこんな微妙な関係ないのか理解できない」
「なによ、その言い方ぁ」
「訂正、理解できるか。この人、見た目以上に奥手な純情少女だもんなぁ」
「う、うるさい」
「はぁ。まったく、これだからピュアは……」
呆れに似た嘆息をすると、有紗は姉に、
「どっちもどっちの似た者同士」
「私と桜雅の事?」
「そうそう。ねぇ、恋愛においてさ、一番大事なのって何だと思う?」
「……相手を好きかどうか?」
「好きとか嫌いとか。そんな感情的なことだけじゃない。価値観だよ」
「価値観?」
「お互いの持ってる価値観が違うと、すれ違うし、合わないの」
有紗が恋人に求める一番は価値観が合うかどうか。
考え方が正反対の相手とは付き合ってもすぐに終わりは見えている。
居心地の悪い相手とは縁を切りたくなる。
「そういう意味では二人は本当に相性がいい」
「……有紗?」
「ちょっとうらやましく思える程に、価値観が一緒の存在なんだもの。惹かれあうのも自然の流れだったんでしょうね」
店内を見渡すと、「いいお店になったよね」と褒める。
母親が経営していたころよりも、ずっと若者向きでいいカフェになった。
「姉さん、お店の経営は楽しい?」
「正直、しんどい」
「あら、そうなの? もっと楽しくやってるのかと思ってた」
「……日々、戦い。飲食店の経営をなめんな」
「意外だねぇ。もっと夢のある場所なのかと」
「夢とか、楽しくてやる仕事じゃないのは確かよ」
「そっか。さすが姉さん。真面目さんだ」
もっと気楽にすれば、と思うが、それができないのが梨子である。
そんな真面目さも有紗は嫌いではない。
「まぁ、頑張って。恋愛も経営も、どっちも応援してる」
話はそこまで、とばかりに彼女はお店を出ようとする。
「こ、こら。話はまだ終わってない」
「もうお終い。彼氏が迎えに来る時間だし」
「は?」
「姉さんの話に付き合ったのは、時間つぶしだったわけですよ。この後、桜雅クンに相手してもらえなかった分、彼氏に甘えます」
「……普通に浮気しまくってるくせに、このビ●チ」
一途とは縁遠い妹にドン引きする。
ふと、店の外には男性の影。
噂をすれば、浮気されてるのに気づいてない彼氏の登場である。
「気づけ。貴方の彼女、浮気しまくってますよ」
「それは言わないお約束、うふふ」
「本当、いつか痛い目をみればいいのに」
本気でそう思ってしまう。
「それじゃ、バイバイ。また半年後にでも」
「はいはい」
リアル、この姉妹は次に再会するとそれくらいになりそうだった。
「そうだ。桜雅クン、女の子の髪を洗うのってすごく上手だよね」
「ん? まぁ、姉相手で慣れてるんでしょ……え?」
「さぁて、私は帰ります。ではでは」
「ちょ、ちょい待ち。貴方たち、ホテルで何もなかったのよね? ねぇ?」
無言で軽く手を挙げて、彼女はそのまま出て行ってしまった。
微妙な疑惑だけが残された。
梨子は「まったく、あの子は……」と呆れるしかない。
「相も変わらず、自由すぎる」
梨子と有紗は本当に正反対の性格をしている。
昔から合わない、価値観が違いすぎる。
「あぁ、そっか。そういうことか」
妹のセリフにどこか納得をした。
有紗と一緒にいるのはどこか面倒くさいけども。
桜雅と一緒にいることに苦痛を感じたことは一度もない。
居心地と相性の良さ。
「うん。私と桜雅は相性がいい」
だから、こんなにも好きになったのだ。
いろいろとあったが、有紗の言う通りでもある。
今回の事で、危機感も抱いた。
このままだと、桜雅を違う誰かに取られてしまう可能性。
それだけは避けたかった。
いつまでも続く関係なんてない。
「……勇気出せ、私」
小さくそう呟いてから、彼女は桜雅のいる倉庫を開けるのだった。
「おーい、桜雅。次は貴方の番よ」
「……ん? 俺の番か。普通に掃除してた」
「この状況でよくやる、真面目か。ふふっ」
梨子と桜雅。
この微妙すぎる幼馴染の関係に終止符を打つ時が来た――。




