第17話:その不安を私が解消してあげる
梨子が戸惑いと怒りと悲しみの渦に飲み込まれている同じ頃。
『キミに女の子を教えてあげよう』
桜雅はラブなホテルに有紗によって連れてこられていた。
げんなりとして、ホテルのベッドに座る彼は、
「結局、こんな場所に。嫌だって言ったのに」
どこか情けない姿をさらしてうなだれている。
かたや、有紗の方は楽しそうに、
「ほいほいついてきた時点でアウトー♪」
「手を引っ張って連れてきたのは誰ですか」
「女の子に引っ張られたくらい、ホントに嫌なら拒否れるじゃん」
くすくすと意地悪く小悪魔は微笑む。
「桜雅クンにも意思があったと思われます」
「……その笑みはずるい」
「もっと気楽に楽しめばいいの」
彼女に誘われて、のこのこと付いてきたのは失態だ。
話を誤魔化すために軽く食事をして、そのあとが問題だった。
諦めていなかった彼女に腕をつかまれてこのホテル街へ。
『ラブエンジェル』。
まさか本当にここに来る日が来るとは思いもせず。
いかにもな装飾がきらめくホテルの室内。
彼女に連れられてきたが、別に誘惑に乗るつもりは一切ない。
「俺は有紗さんと何もするつもりはありません」
「えー」
「なんで残念そう」
「私的にはホテル一回分は付き合う気満々だよ?」
「だから、それをやめようって言ってるし」
はっきり言えばアウェー。
連れてこられた経験値ゼロの桜雅の不利は確定。
初めてのホテル、何もする気がなくても緊張感がないと言えばウソだ。
「桜雅クンと行くラブホテル見学ツアー」
「やめい」
「こちらがお風呂です。ここの205号室、お風呂はなんと二人でも入れる広さ」
「……はいはい」
「ほらぁ、見てよ。実際、体験しなきゃ分からないこともある」
「どや顔をされても。キミと違って俺はこういうところは来たことはない」
「桜雅クンの初めてのラブホデビューは私なのね」
「……楽しそうデスね」
長い髪を翻し、彼女はにこっと笑って見せる。
「大体、キミには恋人が……んっ」
そっと指で制止するように桜雅の唇を押さえる。
「ふふふ、こういう場所で一番しちゃいけないことって分かる? 他の相手の名前を出すこと。シラケるもの。NGだから覚えておいて」
「……」
「だからね。目の前の相手にだけ集中しないとダメなのよ」
艶っぽく迫る有紗。
可愛らしい女の子に誘われて何もしないでいられるか。
自制心との闘いでもある。
「俺は何もしない」
「ホントかな。キミだって男の子でしょ」
えいっと彼女は桜雅を軽く押すと、背後のベッドに押し倒す。
その身体を密着させるように、
「……こうまでされても何もしない?」
お互いを間近に感じあえる距離。
――いい匂いがする。
それは、梨子とも舞雪とも違う、女の子の香り。
否応にも、女子を意識せざるを得なくなる。
――これは、まずい。ホントに、まずい。
男としての本能を試されている。
「大丈夫よ。私は姉さんには言わないから」
「そんなこと」
「あのね、桜雅クン。勘違いしないで」
「何が?」
「私は別に桜雅クンと付き合うつもりもない。ただ、こういうことって経験が大事じゃない。誰もが初めては怖いし、失敗することもあるの」
ぎゅっと桜雅の手を握って真顔で、
「姉さん相手に失敗して、自信喪失。こういう失敗って一番ダメなのよ」
「……はぁ」
「二人の関係が壊れるだけじゃないの。男としての自信を失い、引きこもり人生を歩んだり、とか。そんな最悪の結末すら待ってるわ」
「そこまでひどいの!?」
たった一つの失敗が、関係の破綻を招くのは事実。
何事も最初が肝心、これ重要。
「そうなる前に練習しなきゃ。桜雅クンの不安を私が解消してあげる」
「いやです」
「ちょっとくらい失敗したって私は幻滅もしません」
「なおさらだ。俺は失敗するとしても、その相手は梨子ちゃんがいい」
桜雅の口から洩れた言葉。
あまりにも純粋な気持ちに思わず有紗は吹きだすように、
「ふ、ふふふ、あははっ」
笑いだすのだった。
室内に有紗の笑い声が響く。
――ち、ちくしょう。
桜雅はどこか気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「あー、ごめん、ごめん。ホント、純粋。ピュア発言だったから」
「初々しいピュアで悪かったね」
「あはは……うん、参った」
桜雅を押し倒していた身体をずらして、そのままごろんっとベッドに寝転がった。
その隙に彼はベッドから起き上がる。
「桜雅クン。姉さんがちゃんと好きなんだ」
「……ですね」
「そっかぁ。失敗すらも姉さんがいいのか。はい、私の負けです」
お手上げ降参とばかりに彼女は両手を軽く上げた。
「キミのピュアさは今どき男子にはないもの」
「そういうもの?」
「うん。女の子にホテルにまで誘われて手を出さない子もいないけど」
「すみませんね」
ふて寝するように横になったままの彼女。
「手を出されなくて、ちょっと乙女心は傷ついた」
「有紗さん自身がどうこう言うわけでは」
「分かってるよ。桜雅クンの男らしさを見せつけられました」
有紗は本当に桜雅と関係を一度は持ってもいいと思っていた。
好意ではなく、純粋な興味で。
それでもこれだけ、ピュアな真面目っぷりを見せられるとあきらめる。
「ホント、姉さんと桜雅クンは相性がいい」
「……?」
「ピュア同士、うまくやれるんじゃない」
「だといいけど」
「それにしても、桜雅クンは変な所で女の子に慣れてるよね」
それは桜雅の癖のようなものだろうか。
「例えば、女の子と話すときに相手の顔をちゃんと見るところ」
「普通じゃないのか」
「いやぁ、男の子って意外と照れくさくて目をそらしたりする」
「……女の子と話すときはちゃんと目を見て話せ、それが姉の教えなので」
「お姉さん。あの人かぁ」
どこか遠い目をして有紗は思い出す。
ご近所さんに住んでいた怖いお姉さん。
あまりいい思い出がないのだろうか。
思い返したくもないと肩をすくめて、
「さぁて、何もしないと言われて残念だけど、お風呂くらいは付き合ってよ」
「は?」
「言ったでしょ。ここのお風呂は広いから気に入ってるって」
「……あ、あの」
「~~っ♪」
……。
やはり彼女は甘い言葉で惑わす小悪魔だ――。
ホテル見学ツアー、二時間の予定終了。
ホテルから出た桜雅を待っていたのは、
「――ようやく、出てきたのね。おふたりさん」
かなり不機嫌そうな梨子だった。
腕を組んで文字通り、待ち構えていた。
「あ、姉さんだ」
「り、梨子ちゃん!? なんで、ここに」
さすがに梨子がいるとは思わなかった。
大きく動揺する桜雅に、
「……お話をしましょうか。アングレカムに来なさい」
「えー、私、コーヒー飲めない」
悪びれることなく、有紗は言う。
「あ、あのさ、梨子ちゃん」
「……っ」
「えっと……はい、ついていきます」
人生において最大のピンチ。
無言の梨子に睨まれて、そう言うのが精一杯だった。




