第16話:彼を信じて、前に進んでみよ?
彼女たちが注文したエビ味噌ラーメンが運ばれてきた。
エビ風味の香りがとてもいい。
「んー、味もこってりとしてるタイプじゃなくて食べやすい」
「スープが麺に合うでしょ。濃厚な海老感が強いのが特徴なんだよ」
「さすがおひとり様の常連。いいお店を知ってる」
「……独り寂しくてすみませんねぇ」
口の広がる海鮮の風味。
たまにはこういういのもいい。
「海老だしがすごい効いてる」
「でしょ。お持ち帰りセットもあるんだけど、缶トマトでアレンジしても美味しいの」
「そして、ひとりユーチューブを見ながら食べてる、と」
「……リアルに戻さないで。泣くからね」
独り身の寂しさをいじらないでもらいたい杏樹だった。
しばらくはラーメンに満喫する。
こうして杏樹と食事に来たのはいい気分転換になった。
桜雅との関係を意識しだしてから気分がモヤモヤしている。
「私が桜雅のことで悩むなんてなぁ」
「幼馴染なのに」
「逆に聞くけど、杏樹って幼馴染いないの?」
「いるよ。男の子」
「その子とどうにかなると思ったことは?」
「……ない」
なぜか視線をそらして言う。
「杏樹?」
「私とどーにかなる前に、そいつ恋人できました」
「……あらら」
「その恋人の名前を教えてあげよっか。美優だよ」
「あの子の恋人って杏樹の幼馴染だったんだ?」
意外な組み合わせに驚く。
美優に恋人がいるのは知っていたが、実際に会ったことはない。
「というか、私が紹介したからね」
「杏樹が?」
「そう。幼馴染の奴に頼まれて。私的に三ヵ月で終わると思ってたのに」
「案外と長続きしてるんだ」
「高校2年の時でしょ。もう3年目か。高校卒業しても続くなんて、美優の方が何だかんだ言いつつも気に入ってるのかな」
梨子は「複雑な心境になったりはしなかった?」と尋ねる。
「幼馴染のこと?」
「そう。彼が別の誰かに取られちゃったわけで」
「取られる。んー、そういう表現の関係ではなかったし」
「そうなの?」
「イエス。どうぞご自由に恋愛してください」
はっきりと頷いてみせる。
「だって、小中高一緒だったけど別に恋愛対象になったこともない」
「彼は杏樹の好みじゃなかったわけだ」
「それもあるけど。お互いにそこまで気持ちもなかったし」
「……恋愛関係になりそうな雰囲気もなしだった」
「世の中の幼馴染同士が恋愛関係になるかと言われたら10%もないんじゃない?」
それが現実。
どんなに幼い頃に傍にいたとしても。
成長すれば離れていくだけの存在。
それが幼馴染である。
決して、世の中の人が思い込むように“幼馴染”は“恋人”に近い存在ではない。
「梨子さんと桜雅君みたいに、恋人になれるかもしれないって意外と珍しいんだよ」
「そうかな」
「そうそう。だって、漫画じゃほとんど幼馴染なんてモブポジションじゃん」
「……なるほど」
「どんなに絆があっても、いきなり現れた美少女や美少年に取られちゃう」
「負けフラグが立ってるポジションか」
言われてみれば、納得はできる。
「だから、その縁を大事にしなきゃ」
「改めて考えると、年上のお姉さんの家にきて、毎回、洗濯してくれたり、掃除してくれたりする幼馴染は世の中にそんなにいないのね」
「そんなの桜雅君だけだい! ホントに羨ましい」
稀有な例だと思い知ってほしい。
桜雅への気持ちに揺れる梨子を励ますように、
「桜雅君。ちゃんと梨子さんのこと、好きだよ」
「……だと、いいな」
「いやいや、ここで自信がない理由なんてなくない?」
「あの子の口癖、一番目はほとんど舞雪。私は二番なのよ」
「あー、シスコンさんだからね」
「私は恋愛的な意味において、舞雪に勝てるのかしら」
そこが一番の問題だった。
大切なのも、守りたいのも、常に一番は舞雪。
でも。
『一番好きなのは梨子ちゃん』
そう言ってくれた言葉を信じたい。
「ちゃんと、告白してみれば?」
「相手の想いを確認しなきゃ何も始まらない、か」
「うん。私の目から見て、ふたりは両想いだと思うの」
「ホントに? ただの姉的存在じゃない?」
どうしても気になるのはそこである。
「桜雅君もそれくらい分かってるって。この前も、梨子さんに例の件が誤解されたの、地味にショックそうだったよ。『俺を信じてくれよぉ』って嘆いてたし」
「……あれは悪かったわ」
「彼を信じて、前に進んでみよ?」
「信じる、か。そうよね。あの子を信じよう」
彼女は覚悟を決めて、桜雅と向き合うことにした。
いつまでも先延ばしにしてもしょうがない。
他の誰かに取られてしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
「……あら?」
そんな時だった。
スマホが鳴るので見てみると、液晶に表示されたのは、
『美優』
ここにはいない、もう一人の同僚の名前。
「美優から電話だ」
「なにごと?」
「さぁ? はい、私だけど」
電話に出ると美優はいつもののんびりとした声で、
『あー、りっちゃん。今、何してます?」
「杏樹と一緒に食事中よ。さっき、誘ったじゃん」
『そうでしたね。私は今、恋人とラブホテル街を歩いてます』
「そんな報告はいらん」
恋人との生々しい話をされても困る。
そんな梨子に美優は少しだけ真面目な口調で言う。
『りっちゃん、落ち着いて聞いてくださいね』
「なによ?」
『今、ここで、桜雅君の姿を見かけたんです』
「――!?」
ラブなホテル街で桜雅の姿を目撃した。
その事実は彼女を大きく動揺させた。
「え? ひ、ひとりで?」
『そんなわけないじゃないですか。可愛らしい女の子とふたりですよ』
「う、嘘よ。あれは冗談だったんじゃ」
先日の疑惑は、ただの疑惑で終わったはずだった。
疑惑は疑惑、だったのに。
『私もびっくりです。二人仲良くホテルに入っていきました』
「桜雅が……?」
『一応、写真撮ったので確認してくださいね』
そう言われて、電話を切ると、送られてきた画像は、
「本当に桜雅だわ」
女子に腕を抱きつかれる形の桜雅が写っていた。
ホテルへと入っていく光景に疑いようもない。
ドン引きの杏樹は、
「マジだぁ。うわぁ、信じるとか言った後にこれかぁ」
「桜雅の裏切りものめ」
怒りと悲しみが入り混じり、梨子を困惑させる。
「相手は……あっ」
そして、相手の少女の顔を見てさらに困惑。
「う、うちの妹じゃん!?」
なぜか、桜雅の相手は梨子の妹の有紗だった。
なにゆえに、このふたりがラブホテルに入っていったのか。
「だ、大丈夫、梨子さん? おーい」
「……私、ちょっと行ってみる」
「乱入!? まさかの3人同時プレイ!? ダメよ、破廉恥な」
「するか! うちの妹が手を出してるなんて。最悪な展開だわ」
彼女は乱暴に財布から3千円をとりだして、
「会計よろしく!」
「おごってくれてありがとー。……あれ、もういない」
そのまま走り去っていく後姿を見つめる。
残された杏樹は、
「ホント、素直じゃないやい」
この騒動の結末がハッピーエンドに向かうことを祈りながら、
「3千円か。これなら残金で追加注文ができる」
彼女は片手をあげて言うのだ。
「すみませーん。エビシュウマイとエビチリのハーフサイズお願いします」
今はまだ杏樹には無縁の恋愛。
恋より食い気の少女に、明るい未来は来るのだろうか――。




