第9話:そこまで子供じゃありません!
日曜日はアングレカムの定休日であり、梨子も休みだ。
本来は休日こそ、お客も多いのでお店を開くべきだ。
だが、ただでさえ少人数で回しているお店のため、ちゃんと休みは取らなくてはスタッフも疲労や不満がたまるもの。
休むべき時はしっかり休む、そのため日曜日を定休日にした。
一度、過労で入院した経験から得た教訓でもある。
「……ぐたぁ」
「いや、だからってぐーたらしていいわけじゃないからね」
「えー」
「えー、じゃありません。ほら、さっさと起きなさい」
せっかく、朝から梨子の部屋にきたのに、肝心の彼女はまだパジャマ姿だ。
大抵の休日、桜雅は梨子と過ごすことが多い。
まるで恋人同士のようなもの。
……ようなもの、であり恋人同士ではない。
「ダラダラ休日を過ごしていいの? 時間を浪費してもいい?」
「うぅ、起きます」
そう言われると無駄に過ごすのはもったいない。
「着替えたいので、後ろを向いて」
「はいはい」
背後で着替える音がする。
しかし、艶っぽさもなければ、振り向きたい欲望もない。
――女子らしさを感じさせてくれない。
がっかりにもほどがある。
梨子相手に、女子としての何かを期待するのは無意味である。
そうして、脱ぎ捨てられたパジャマを片付ける役目を押し付けられる。
身なりを整えて、軽い朝食をとり、ようやく梨子も目が覚めた。
「あれ、これ何?」
そして、自室に数か所、見られないものが置かれていることに気づく。
ごみ入れが複数個。
あちらこちらに、目立つように置かれている。
「梨子ちゃん。貴方は本当にダメな子です」
「い、いきなり、お説教!?」
「俺、毎回掃除するのに飽きました。なんで、飲んだあとのペットボトルはその辺にぽいって放り投げるかな。ゴミ箱に捨ててください。それだけでいいんです」
「……その生易しい目はやめて。辛い」
「お掃除も、片付けもできない。ならば、片付ける場所を増やせばいい」
「えー、女の子の部屋にゴミ箱があちらこちらって」
「今の現状でよく言えてたね? ゴミだらけよりマシでしょうが!」
毎回、片づけをさせられるのは桜雅である。
遊びに来てるはずなのに、掃除に来ているようなものだ。
そのために、100均でゴミ箱を複数個、買い込んできた。
これならば、さすがの梨子もちゃんと捨ててくれるはず、と信じたい。
「知ってる、桜雅? ゴミ箱って増やすのは逆効果なんだって」
「知ってますけど、人様に意見できる立場と思いか」
「ぐぬぬ」
「いいかい、梨子ちゃん。ゴミはこうやって、ごみ箱に捨てるんだよ」
「やだなぁ、桜雅。まるで、私、お片付けができない幼稚園児みたいじゃない」
「幼稚園児からやり直せって言ってるんだよ!」
「きゃんっ」
子供を叱りつけるように桜雅は吠える。
「はい、遊んだ玩具は片づけなさい」
「そこまで子供じゃありません!」
「部屋が汚いんだよ。お姉さんに幻滅してるんだよ」
「な、なによ。そこまで言わなくてもいいじゃん」
あまりにも否定されて、むすっとする。
乙女のプライドが傷つくのだ。
「ゴミはゴミ箱に捨てる。それだけでいいから守ってください」
「……」
「こら。返事は?」
「ふわぁい」
睨みつけられたのが怖かったので素直に返事をする。
もはや、この幼馴染関係に年の差など関係ないのである。
「年上女子に整理整頓を一から教えなくてはいけないのが悲しい」
「面倒をかけてすみません」
ふと、何気なく視線がクローゼットに向けられる。
「そういえば、このクローゼットって開けたことがないな」
「うふふ。中は開けちゃダメよぉ。お姉さんの下着が入ってるので」
「……ていっ」
「く、くぉら!? 開けるなって言ってるでしょ」
「梨子ちゃんの下着くらい見慣れてる。怪しいから開けてみます」
「いやだ、この子。男の子なのに、女の子の下着にドキドキしてくれない」
深い悲しみに頭を抱える梨子である。
――誰のせいだと言いたい。思春期の男子のドキドキ感を返せ。
慣れとは恐ろしいものである。
「というわけで、禁断の扉を開けるよ」
「ダメだってば。あ、あのね、この中には乙女の秘密的なものが……」
「秘密ねぇ? はっ、もしや、エロい系?」
「そうそう、エロい系……って、意気揚々と開けようとするなぁ!?」
どうせ、中身は想像できる。
覚悟を決めて思いっきり、クローゼットを開けると、
「だ、ダメぇ。見ないでぇ……」
ガサッと音を立てて中から物が溢れ出す。
「……ですよね」
そこには思いっきり、詰め込まれた感のある衣服がどっさりと雪崩を起こす。
「分かってはいたけど、こうなりますか」
下着や、上着にスカート、パンツ、ETC。
どれもこれもぐっちゃまぜ、見るに堪えない。
「こ、これ、全部、洗濯してるやつだから。洗濯前のは放り込んでません」
「そんな言い訳はいりません」
「怒らないでよ。だから、見せたくなかったのに」
「服がしわくちゃじゃん。貴方、これ、どうするの? 着るの?」
「お、桜雅の目が哀れな子を見る目だわ。泣きそう」
「男子の部屋じゃないんだから。こういうのだけはやめようぜ」
「……しゅみません」
年下男子に怒られてシュンッとするダメな年上女子である。
仕方なく、ふたりで整頓しながらアイロンがけをする。
シュッシュッとひとつずつ、アイロンでしわをのばしていく。
「桜雅、すっごく上手になったよね。家事だけならお母さんレベル」
「ありがとう。梨子ちゃんのおかげで慣れました」
「うぐっ。言葉にトゲがあるわ」
「そう言ってるので。まったく、衣装ケースに入れればいいだけなのに」
「だってさ。まだ、寒暖差が激しいじゃない。片付けたり出したりが面倒で」
「……言い訳しない。手を動かしなさい」
たしなめられてしまう、ありさま。
どちらが年上か分からない。
服の山を衣装ケースにひとつずつ片付けていく。
「男の子が無表情で女子のパンツを片付けるのに、ショックを受けてます。キミはあれか、雑念を捨てて悟ってるのか」
「梨子ちゃんのやつだしな。うん、完全に慣れた。面倒みるのにもね」
「か、可愛くない。昔の桜雅はさ、梨子ちゃん~って抱きついて甘えに来たのに。それが今では上から目線でお説教ですよ」
「昔は昔、今は今。そして、貴方の自堕落ぶりには幻滅してます」
返す言葉が一つもなかった。
「人って、大人になると大事なものを忘れちゃう生き物なの」
遠い目をして黄昏れる梨子に、
「お片付けを忘れた梨子ちゃんに、もう一度、幼稚園児の気持ちを思い出させる」
「それはもう嫌ぁ!?」
不満そうに梨子はちょっと昔を思い出す。
「桜雅が可愛かったのは事実なんだけどな」
「さいですか」
「舞雪と私、二人のお姉ちゃんに可愛がられる弟」
「昔はよくお世話になりました」
「そして、無垢な瞳をキラキラ輝かせていたあの頃が可愛すぎて」
「あれから10年、今の俺の瞳はどうですか?」
「……ダメな姉を見下す冷たい瞳です」
そんな瞳をさせないでもらいたい。
桜雅だって好きでこんな視線を向けてるわけではないのだ。
「さすが舞雪の弟。他人をぐさっと傷つける、辛辣な絶対零度の瞳をしてるわ」
「俺と姉ちゃんを同時にディスるのはやめなさい」
「ふんっ。姉弟揃って怖いんだもん。似た者姉弟め」
クローゼットの整理をも終わり、ようやく一息つく。
のんびりとした休日。
ソファーに座りながらふたりしてくつろいでいた。
「……お手伝い、ありがとうございました」
「どういたしまして。いい、梨子ちゃん。ゴミはね、こうやって」
「そ、それはもういいから。分かった、ちゃんとする」
「お姉さん、約束できますか?」
「姉としての威厳を守るために努力します」
「よろしい」
「うぅ、いつのまにか立場が逆転してるし。ぐすんっ」
気恥ずかしさに顔を赤らめる。
さすがにこれだけやられれば、部屋を汚さない努力もせざるをえない。
「えいっ」
「梨子ちゃん?」
彼女は桜雅の肩にもたれかかる。
お互いの温もりを感じあえる距離感。
そこに照れはあっても嫌がる気持ちはない。
「……心配してくれて、ありがと」
「ん?」
「私が無茶して、ぶっ倒れてからずっと、こうやって様子を見に来てくれたり、いろいろと気を配ってくれたりするじゃない」
「おや、珍しい。普段はお礼なんて微塵も言わないのに」
「態度で示してます。感謝はしてるんだよ、桜雅」
軽口をたたき合いながらも、桜雅はそっと梨子を抱きしめて、
「梨子ちゃんは俺が支えると決めてるので」
平然と言えるのが桜雅である。
「それっぽく言われると、ドキッとするわ」
「おおいに照れてくれたまえ」
「でもね、それ、舞雪にも平気で言うでしょ」
桜雅の悪いところがあるとすれば、その優しさが独り占めできない所だ。
「姉ちゃんはお嫁に行かなくても、俺が一生面倒見ます」
「……同じレベルか。はぁ、ドキドキして損するわ」
彼女は笑いながら、桜雅の手を握り締めた。
「お姉さんのアスパワワは回復です」
「それは何より」
「……明日の売り上げ、どうなるかな。はぁ」
「リアルに戻るな。明日も頑張れ」
「月曜日って、ちょっといつもより落ち込むんだよねぇ」
不安になるのを励ますしかない。
経営者の苦労は経験しなければ分かるまい。
「さぁて、お昼ご飯作るわ。今日はハンバーグでいいでしょ」
「前に作ってくれた、ゆで卵が入ってるやつがいい」
「あれかぁ。てりたまって、面倒くさいのよね。でも、作ってあげましょう」
「やったぜ。昼からは、どこかに出かけようか」
いつもの二人の休日。
穏やかな時間だけが過ぎていく――。




