第2話 ○○の丸焼き
少し歩くと食べもの関係のエリアが近づいてきたようだ。肉を焼くいい匂いが漂ってくる。
今世では健康に気をつけて野菜もきちんと食べている俺だが、もちろん肉は大好物だ。焼肉、ステーキにBBQ、スペアリブ、フライドチキンなどなど、なんでもドンとこいだ。
中でも好物は、ラーメンに丸のまま乗った肉厚チャーシューだ。じゅるり……おっと。久しぶりに思い出したら涎が垂れそうになってしまった。
慌てて口元を拳で拭う。
それを見てマルは、俺のお腹が減っていると思ったようだ。
「そんなに楽しみにされてたんですか、師匠? 正直、祭りの食べ物なんて高いばっかりでそんなに美味しくもないですよ」
こっちの世界でも祭りの屋台ってそう言う扱いなんだな。
俺はけっこう日本の屋台の食べ物も好きだったけどなぁ。リンゴ飴に、わた飴、チョコバナナ、かき氷……なんか甘い物ばっかり思い出すな。リンゴ飴とかチョコバナナなら、こっちの世界でも作れそうな気がする。
何を隠そう、俺は大きいのを一人で丸ごと食べられるくらいにはリンゴ飴が好きだ。
リンゴ飴専門店にも行った事がある。
まぁ、そんな前世の話は置いといて。
「でもなんかお祭りの食べ物って、ついつい買って食べてしまいません?」
「あー、なんとなく分かる気がします」
俺たちは和気あいあいと喋りながら食べ物エリアに足を踏み入れて……俺だけが目を点にして足を止めた。
最初のお店から、とんでもない商品が目に入ってくる。
「あ、あれ、なんですか……?」
声を震わせながら指さす俺に、周囲の反応はあっさりしたものだ。
「あぁ、豚の丸焼きですね」
豚って丸焼きにできるものなんだ。
豚って言ったらあれだ。農家とかで見る、ブヒブヒ言っているピンク色の動物だ。尻尾がくるんとしてるとことか、つぶらな瞳が案外、可愛いよね。
別にこっちの世界でも普通の豚だ。モンスターとかじゃない。
俺の身長よりも大きな豚が丸ごとお尻から口まで杭を打たれて、炭火の上でグルグル回っている。皮は茶色くローストされてパリパリで、いかにも食べ頃って感じだ。
いい匂いがしていたのはこれだったのか。
アレクやユーリも普通の表情で眺めているので、マーナガルム王国でも珍しいものではないのだろう。
いやー、日本人にはカルチャーショックだわ。
「ぶ、豚ってあんな風に焼くんですね……」
「あれ? 師匠は豚をお嫌いですか? ヤギの丸焼きもありますよ」
「いや、そうではなくて……丸ごと焼かれているのを初めて見たんです。豚でも鳥でもお肉は好きですよ」
青い顔をしている俺にマルが気を使ってくれるが、若干ずれている。
この世界では生きると言うのは食べる事であり、食べると言うのは命をいただく事。家畜を殺して食べる事が、普通に生活に根づいているのだ。
よく考えたら俺、屠殺風景も見た事ないんだった。
軟弱だな。
「師匠って意外と箱入りなんですね」
「僕も今、知りました」
父は俺を五歳まで城の外に出そうとせず、政権争いからも戦闘からも遠ざけた。そのくせ勉学と剣の教師は最高の人材を用意して。
いずれ避けて通れぬ道と知っていながら、少しでも穏やかな子供時代を過ごして欲しいと思っていたのだろうか?
俺は平和な日本から来た甘ったれだから逆効果な気がしないでもないけど。
親の気づかいと言うのは何歳になっても、こそばゆくて嬉しいものだ。こんなところで両親の愛情を再確認して、なんだか胸がぽっとあったかくなる。
「それはそれとして、僕は豚の丸焼きを買いますよ!」
拳を握って宣言する。豚の丸焼きなんてレアイベント、見逃すはずがないだろ!
俺は懐からゴソゴソとガマ口を取り出した。なくさないように首から紐のついたガマ口を下げてきたのだ。ローズ特製だ。
代金なんて普通は従者が払うものなので王族や貴族がお金を持ち歩く事はない。この点でも俺は特殊だ。
でも、自分でできる事をして何が悪い。アレクとユーリは護衛であって、俺のお世話係じゃない。
給料以上の事をさせる気はないぞ。ブラック企業にだけはならないからな。
「皆さんも食べたいものがあったら言ってくださいね」
「そ、そんな、悪いですよ。自分たちも幾らかは持ってきているので……」
「ポロの試合に力を貸してくれたお礼です。心配しなくてもおじいさまからいただいているので大丈夫ですよ」
ジョエルとモリスは慌てて手を振って辞退しようとするが、俺は安心させるためにガマ口を顔の横まで持ち上げて彼らを説得した。
祭りに行くと言ったら、あのじじいは金貨なんかくれやがったけどな。金銭感覚がどうかしてる。
ありがたくいただいて、自分のお小遣いから銅貨と小銀貨を持ってきた。屋台で金貨とか出されても困るだけだろう。
マルと俺は半分、お金の出所が同じなので、おじいさまからと聞けば遠慮する理由はなかったようだ。
ジョエルとモリスも渋々、頷く。
俺はガマ口を握りしめたまま、笑顔で後ろを振り返った。
「なぁ、お前らも何か食べる?」
そこに立つアレクとユーリは、何とも言えない余所余所しい顔をしていた。
「まさか。滅相もない事でございます、殿下」
「我々には構わず、どうか御友人とお過ごし下さい」
口調まで変わってやがる。
こいつら人前じゃ、こんな態度になるのか。
公私混同しないって言うか、ちゃっかりしていると言うか。
訓練された軍人らしくピシリと背を伸ばし、それとなく周囲に険しい視線を向けて警戒を怠らない。
目立たないように青と白を基調にしたシアーズの制服に身を包んだ彼らは、いつもより二割り増しは格好良く見えた。たまに道行く女性がチラチラと奴らを見ているような気がするが気のせいだろうか。
アレクとユーリのくせに生意気な。
マルのおつきのユークさんも、アインスガー家の執事さんも、誘っても断固として固辞してきた。そんなものなのかな。
ひとまず俺は豚の丸焼きを一人前、購入する事にした。こう言うのは皆で分け合って色んなものを食べた方が楽しいからな。
六歳の身体だとあんまり量が食べられないので人数がいるとありがたい。こないだルッツと遊びに行った時より、たくさんの種類が楽しめるだろう。
「おや、珍しいお客さんだね」
屋台のおっちゃんは、貴族らしき子供が財布を抱えて意気揚々と歩いて来るのを見て目を細めた。
「なに? 豚の丸焼きを食べるのは初めてだって? じゃあ、たっぷりおまけしてあげるな」
おっちゃんは笑顔で、焼き上がっていた豚肉から美味しそうなところを何枚か切り分けて木の皿に乗せた。その横につけ合わせとして、焼いたジャガイモも盛ってくれる。
しかし、お金を払って受け取ろうとする俺の前でおっちゃんは更なる動きを見せた。
実は足元に寸胴鍋が置かれていたようだ。そこからドロッとした茶色っぽい液体を木杓子ですくったかと思うと、肉とジャガイモにたっぷりとかける。
「ほーら、シアーズの秋祭り特製、豚の丸焼きだ!」
ドヤ顔で皿を差し出し、木のフォークを人数分(四本)渡してくるおっちゃんとは反対に、俺は表情を曇らせた。
この間から薄々思っていたが、シアーズでは肉にソースをかける習慣があるようだ。
それもフルーツなどを入れた甘ったるいソースだ。
例えるなら甘い焼肉ソースに、更にチャツネを突っ込んだような味だ。
ところ変わればと言うが、俺としてはパリパリに焼けたままの肉にそのままかぶりつきたかったな……。
とは言え、せっかくおまけして貰ったのに文句を言うわけにもいかない。おっちゃんに向かって乾いた笑いを向ける。
皆にフォークを配って、俺はあまりソースがかかっていない辺りの肉を刺して持ち上げた。目を瞑って口の中に放り込む。
俺がもっちゃもっちゃと微妙な顔で肉を噛んでいるのを見て、マルたちも味が好みではなかったらしいと気づいたようだ。
「僕、豚の丸焼きは好きなのでたくさんいただきますね!」
モリスが気を使ってフォークで大きめの肉を取って口に運ぶ。
「それは悪いですよ。モリスだって他のものも食べたいでしょう? こればっかり食べたらお腹いっぱいになってしまいますよ」
「大丈夫です。最近、運動しているからか、すぐお腹が減るようになったんです!」
肉をモリモリ食べながら、モリスはそう言い張った。
モリスはええ子やなー。でも俺はこれ以上、口に合わないものを食べる気はないので強権を発動する。
まだ肉が数枚乗っている皿を持って俺は、くるっと後ろを振り返った。
「これ、あげる!」
「うぇ?」
急に話を振られると思っていなかったのか、アレクとユーリは固まった。
彼らとしては職務中に人目のあるところで立ち食いするなど、騎士としてのプライドが許さないのだろう。俺の手の中の皿を見下ろして凄く嫌そうに顔を顰めている。
俺は無邪気な子供を装って、頭上高くに皿を持ち上げた。
「ねぇ、マーナガルムにはない味でとっても面白いよ。アレクとユーリも食べてみてよ、ねぇねぇ!」
「くっ……」
異国の珍しい食べ物を御つきの人に勧める小さな主と言う図に、道行く人が微笑ましいものを見る目でクスクスと笑って通り過ぎていく。不利を悟ってアレクは渋々、皿を受け取った。
ユーリと二人、できるだけテントの陰になるような場所でフォークを口に運んでいる。
「確かに面白い味ではございますが……」
「私としては塩と香草の味だけの方がいいですね……」
二人にもソースは不評のようだ。俺と同じような顔をして、もっちゃもっちゃと肉を噛んでいる。
皿を二人に押しつけて身軽になった俺は、すちゃっと片手を上げて身を翻した。
「お前ら、それ全部食べてね」
「えっ……」
ずっりぃとアレクは口の中で呟いたようだったが、賢明にもそれを周囲に聞こえるような音量で伝えてくる事はなかった。渋い顔をして互いに皿を押しつけあっている。
そんな二人を放って、俺はもう一度、財布を握って丸焼きの屋台へ戻った。
「すみませーん。さっきの四分の一くらいの量をもう一皿貰えますか? ソースはなしで」
俺たちの声が切れ切れに聞こえて正体に気づいたのだろう、屋台のおっちゃんは下手くそなウィンクを俺に送ってきた。
「お口に合いませんでしたか、殿下?」
「ごめんなさい。美味しくなかったわけじゃないんですが」
「なーに、いいって事ですよ。おいおい、シアーズの味にも慣れていっていただければ」
おっちゃんはまた、おまけで肉をドカドカッと積んでくれて、ソースの代わりに塩を振ってくれた。
おまけしてくれるのは有り難いが、他の屋台のものも食べたいので、こんなに量はいらなかったのにな。
好意に文句を言うわけにもいかず、俺はありがとうと大人しく皿を受け取って再びマルたちの元へ戻った。皆も少しずつ味見をする。
うーん。溢れる肉汁と、塩の味! やっぱり肉はこうじゃないとね!
炙り焼きの過程で豚の肉からは適度に脂が抜けて、ちょうどいい感じに柔らかくなっている。皮は揚げたみたいにカリカリだ!
これこれ、こう言うのが食べたかったんだよ。
大満足な俺の横で、マルたちはさっきの俺みたいに微妙な顔になっていた。
「塩以外、味がしないですよ」
「それがいいのに」
「師匠は甘い物には苦味や酸味を合わせるのは得意なのに、肉のソースの複雑な味は受けつけないんですか?」
そう言われてみると不思議だな。こればっかりは食習慣としか言いようがない。
日本人には意外だが、海外では烏龍茶や緑茶に砂糖を入れるらしい。コーヒーにレモンを入れるところもあるってテレビで見た事があるから、世界は広いよな。
ましてやここは異世界。俺の知らない料理や味つけがまだまだあるに違いない。
俺は塩味の方も二切れ残して、口直しにアレクとユーリにあげた。そう言う事じゃねーんすよと言いたげな二人だったが、俺に押しつけられたそれを仕方なく、また口に運んでいた。
今度は、ちゃんと二人の口にも合ったようだった。




