第6話 神童と呼ばれて
あれから俺は二日ほど母に会えていなかった。もう一度、美少女成分を補充したいなぁ。部屋の扉が開くたび、期待して視線を向けてしまう。
親子がこんなに会えないなんて変な世界だ。
父親らしき人もさっぱり部屋を訪れない。まさか母子家庭じゃないよな。
忙しい人なのかな?
俺の身近にいるのは相変わらずローズと、あとはケルビンだけだ。
奴の方が数ヶ月とは言え年上のはずなのに、俺はすっかり赤ん坊をあやすのに慣れてしまった。
隣でピーピー泣き喚かれると煩いからな。
他にローズの子供は二人いて、三兄弟、男ばっかりだ。上二人は、たまにバタンッと勢い良く扉を開いて部屋に飛び込んで来たりする。随分、やんちゃそうだ。
可愛い女の子の幼なじみがいないと知ってがっかりした。
時折、若い侍女が部屋を訪れたりもするが、前世の俺からしたら年下過ぎるし、赤ん坊の俺からは年上過ぎるしで人生ままならない。
でも若いメイドさんって言うのはいいものだ。
ベビーベッドの端までハイハイして、被りつきで見てしまうな!
いゆわるメイド服ってやつじゃないんだけどさ。あれはもうちょっと後の時代なのかな? 落ち着いた色のワンピースドレスの襟を白い布で覆って、胸の下くらいからエプロンをつけ、頭もきっちりと覆っている。
古風な感じでこれはこれで萌える。
目を輝かせてメイドさんを見上げる俺と対照的にローズの視線は冷たい……でも俺は負けない!
俺がアグレッシブに動き回るようになったものだから、ローズは四六時中、ベビーベッドを見張るようになった。
柵を乗り越えて落ちたりしないか心配しているらしい。
さすがに自分の身に危険が及ぶような真似はしませんよ。
「ローズー! お外見たい!」
「またですか? はいはい、只今」
その代わり、おねだりしたら日に一度は窓辺に座らせてくれるようになった。絶対動かないって言う約束で、だ。
街の光景は何度見ても見飽きない。
おもちゃ箱みたいにちっちゃな街並みを、俺は夢中になって眺めた。
その内に、ローズも俺に慣れてきたみたいだ。今ではあれやこれや質問しても驚かなくなって、普通に答えてくれる。
今日も俺はこの世界や自分の事を知ろうとローズを質問攻めにしていた。
首都が間近にある砦っぽいこの屋敷に住む、俺はどんな身の上なんだろう? 騎士とか貴族の子供なんだろうか?
ローズと言う乳母がいるし、たまに侍女も来る。きっとそこそこ身分は高いんだろう。もしいいとこの坊々だったらスタートラインから有利だな、と思う。
「父様は何をしている人なんですか?」
俺が無邪気そうなフリを装って聞くと、なぜかローズは微妙そうに眉間に皺を寄せた。
え? やっぱり父親って触れてはいけない話題だった?
思わず身構えるが、そうではなかった。ただ単に俺が父の身分を知らないとは思ってもいなかっただけみたいだ。
「陛下ですか?」
あっさりと爆弾発言してくださる。
へっ、陛下……!? ローズの言い方にいや~ぁな予感がして、背中を冷汗が伝う。
「へ……陛下って、どの陛下ですか?」
「陛下と言えばお一人しかいらっしゃらないでしょう。この国の王様ですわ、ルーカス殿下」
何をいまさらと言わんばかりに、ローズは平然と答える。
父親が王様って事は、俺って王子なの!?
あんぐりと口を開いてしまう。
普通に殿下とか呼ばれちゃったよ……だ、大丈夫かな。俺、前世ではただの平サラリーマンだったんだけど……。
王子なんて務まるんだろうか。急に将来が不安になってきた。
そんな心配をよそに、ついに陛下こと、父に会う日がやってきた。
前世の記憶を取り戻して三日後。俺はローズに連れられて母の部屋を訪れていた。三日ぶりの美少女成分に胸熱だ。
サラサラと腰まで流れる白金の髪。ほっそりとした小顔。あどけない少女のような佇まい。
母は本当に、もう俺と言う息子がいるのに外見も中身も子供のような人だ。
いい意味で言うと無邪気で純真で、生粋のお姫様育ちなのだ。
前世の記憶を取り戻してから会うのはまだ二度目なので、自分の親だと言うのに緊張してしまう。
なにせ俺は前世で女性に縁がなかったからな。
ましてやこんな美少女、俺が子供でいいんだろうかと言う罪悪感まで浮かんでくる。
「ルーカスちゃん、久しぶり。会いたかったわ!」
ローズから両手を広げた母様に手渡されて、ぎゅっと抱きしめられる。それだけで俺はあわわわと挙動不審になった。
緊張に身を固くしながらも、しばらくぶりの母との逢瀬を楽しむ。
なぜ母の部屋に連れて来られたんだろうと言う疑問は、すぐに解消された。
先触れの侍女が訪れたかと思うと観音開きの両扉が開かれて、物々しく護衛の騎士たちが両側に控えたのだ。
その真ん中を堂々と歩いて来る男性の姿に俺は目を見開いた。
もしかしてこの人が例の陛下で、俺の父親かと気づいてマジマジと観察する。
マーナガルム国王フィリベルト・フルグラトス。
乱世の王らしく鍛え上げられ堂々とした体格に、肩辺りまで伸ばした赤い髪。薄い水色の瞳と言う容姿。息子の俺が言うのもなんだが、なかなかの美丈夫だ。
思ったより若い。三十代半ばくらいだろうか。
前世の俺と同じくらいだな。
母様は父が部屋を訪ねて来るなり、ウキウキと小走りで近寄って行った。父の腕をグイグイ引っ張って俺の側へと連れて来る。
「凄いんですよ、あなた。ルークがもう言葉を覚えたんです。聞いてやって下さい!」
親バカ丸出しではしゃぐ母と違い、父は話半分に俺を見下ろした。
やたら背が高くて筋肉質な赤毛の男性を、興味深くしげしげと見つめる。父に会った第一印象は、とにかく強そう、の一言だった。
「どれ、ルーク。それなら俺が分かるかな?」
父は微笑んで俺を抱き上げた。その時、父が期待していたのは、せいぜいダーダとか可愛い声で呼ばれる事くらいだったろう。
多分、泣き喚かれても笑うだけで気にも止めなかったに違いない。
けれど母が望んでいるのは、そんな赤ん坊らしい俺ではなかった。父の横に立ち、キラキラした目で疑いもせず俺を見つめている。
そして俺はその時も、それからもずっと、そんな母親に弱いのだった。
「こ、こんにちは、父上」
おずおずと挨拶する俺に父は目を見開いた。それから、ものの五分くらい身動きもせずジッと俺を見つめていただろう。
隣には父の反応をかたずを飲んで見守っている母。
やがて父は俺を軽く揺さぶって言った。
「もう一度言ってみなさい」
「えっと、こんにちは父上。今日はいい天気ですね?」
緊張感に堪えかねて、言わなくてもいい言葉をつけ足してしまう俺。
自分の聞き間違いでないと知った父は見る見る内に破顔し、顔いっぱいの笑みを妻に向けた。
この妻にしてこの夫あり。
「この子は天才だ! 大神マーナガルムもご照覧あれ! ルーカスは我が国の守り神になるに違いない!」
筋肉質で体格がいい分、大きな声を響かせて父はそう怒鳴った。
この日以来、マーナガルム王国の第二王子は神童として国内外に名を馳せる事となる。