第22話 祖父との対面
俺たちの到来を聞きつけて、人々は道端に押し寄せていた。
まるでパレードだ。
着替えておいて正解だ。
シアーズ公国の人々は誰もが笑顔で、熱狂的に俺たちを迎えてくれた。
大きく手を振る人。何度もばんざいを叫ぶ人。家々の玄関や窓は開け放たれ、屋根に大きく国旗を飾っている人もいた。
「姫様―、おかえりなさーい!」
「ルーカス様―、ようこそ、シアーズへ!」
夢のような街に、夢のように花が降る。
俺は馬上から、一人でも多くの人に笑顔を向け、手を振り返した。そのたびに人々は熱狂的に騒ぎ声を上げた。
ほんのわずかに上り坂になっている道を辿り、ついに白亜の城に辿り着く。
その跳ね橋の前で、数人に囲まれてぽつねんと初老の男性が立ち尽くしていた。
背丈は中背で、痩せ形。ピシリと背を伸ばして立ち、手には杖を持っている。後ろに撫でつけた白金の髪が母様にそっくりだった。
馬車が止まるのも待ちきれない様子で、おじいさまは駆け出した。
「おぉ、ソフィア! わしの愛しいソフィアローレンよ!」
「お父様!」
分隊長に支えられて母様が馬車から降りるのも辛抱できず、祖父は奪い取るようにその腕に愛し子を強く掻き抱いた。母もぎゅっと祖父の背に腕を回す。
祖父の目には今でも母が幼い少女のように見えているのだろう。小さな子供にするように身体を持ち上げている。
「体調はどうだ? 大事ないか?」
「もう、お父様ったら。見れば分かるでしょう。わたしは平気よ」
母も子供の顔に戻って祖父に笑いかける。地面に下ろされると母は、祖父の肩に手をかけて顔を寄せ、皺が目立ち始めているその頬にそっとキスをした。
「ただいま、お父様。皆も、出迎えてくれて有難う」
「お帰りなさいませ、姫殿下」
祖父の後ろに控えていた召使らしき人たちが頭を下げる。親子の再開を邪魔しないように控えめにしていたようだ。
うーん。俺はどうしたらいいのかな。
愛馬ルナから降りて手綱をアレクに預けた俺は所在なさげに、ただその場に立っていた。
けっこう目立つ格好をしていると思うのだが、おじいさまの目には母しか入っていないようだ。俺には視線も向けてこない。
聞きしに勝る溺愛ぶりだ。
声をかけた方がいいのかな。
でも、こんなに嬉しそうなのに水を差すのもな。
俺がウロウロしているのにやっと気づいて、母がクスクスと笑いながら手招きする。
「お父様、ルーカスに挨拶するのを忘れているわ。いらっしゃい、ルーク」
「おぉ、我が孫よ! お前に会えるのも一日千秋の思いで待っていたぞ!」
おじいさまは母に促されてやっと俺の方に目を向け……そして、なぜかその笑顔が固まった。
え? なに?
どう反応していいか分からず、俺は緊張しながらもおじいさまの元に向かっていた足を止めざるを得なかった。
「ソフィア、この子がルーカスか? わしの孫は男の子だと聞いておったんだが……聞き間違いだったのか?」
「なにを言っているの、お父様。ルーカスはちゃんと男の子です! そりゃぁ、こんな顔をしていて、ちょっと小さいけど」
「お、女の子ではないのだな?」
な、なんだってー?
俺、ズボン履いてんじゃん、おじいさま!
思わず、右手で自分の顔に触る。
自分の顔なんて気にしたことなかったけど、俺、俺って……え? 女の子に見られちゃうような顔なのか!?
この世界、鏡はあるのはあるんだけどあまり一般的じゃないし、映りも悪いし、自分の顔なんてまじまじと眺めた事なんてない。
父様やアルトゥールが精悍な顔つきなので、悪くはないのかな、とか思っていたくらいだ。
なんだか走馬燈のように今までの出来事が脳裏に蘇ってくる。
侍女に可愛いとか言われたり……子供だから可愛いって意味かと思ってた。若い兵士にやたら受けが良かったり。そう言えば俺の肖像画を買っていった男もいたんだっけ。
それはつまり、全部、そういうことだったの?
周囲の騎士や侍女たちを見回すが、皆、巧妙にサッと俺の視線を避けていく。
「初対面なのにあんまりです、おじいさま……」
あまりのショックに、俺は顔を覆ってその場に崩れ落ちた。
「す、すまない、ルーカス……」
おじいさまは頭上で、俺に向かって手を伸ばそうとしたようだったが宙に手が漂っている。初めての孫にどう接していいか分からないようだ。
俺はなんてどあほうなんだ。
母親がいつまでも歳を取らない白磁の人形のような美少女だと知っていながら、なぜ今の今までその可能性に思い至らなかったのか。
いや、いい。
顔なんて悪いよりいい方がいいよ。多分。気にしない方向で行こう。自分で見るもんじゃないし。
「いえ、いいんです。失礼しました」
バンッ!と地面を叩いて気合いを入れ直して立ち上がり、俺はズボンについてしまった土埃を払った。
「もう一度、最初からやり直しましょう」
両手を小さく広げて宣言する。
おじいさまは俺の言いたいことが分かったような分からないような表情で小さく頷いた。
皆が静かに見守る前で、俺は踵を返してツカツカとアレクの元に歩み寄った。怪訝そうな彼の手からルナの手綱を奪い取る。
手を貸して貰って、背の高い愛馬にまたがる。
それからヒラリとその背から飛び降りると手綱を再度アレクに放り投げて、おじいさまの元に走った。
「おじいさま、初めまして、ルーカスです!」
最初は不思議そうに俺のやる事を見守っていた祖父だが、俺が駆け寄って来るのを見て、急に合点がいったように顔が晴れやかになった。
「おぉ、我が孫よ!」
お互いにガシッと抱き合う。ノリがいいね、おじいさま。
「お会いしたかったです」
「そうかそうか。わしもお前に会えるのを一日千秋の思いで待っていたぞ」
それはさっき聞きましたけどね?
おじいさまは相好を崩して、俺の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。身内だけど見知らぬ人に撫でられるのはなんだか照れ臭い。
向こうの召使いたちは展開についていけずポカンと俺たちを眺めていた。
しかし、祖父と孫の感動対面を目の当たりにして、徐々に表情がほころび始める。
え? マーナガルムの人たちはどうだったかって?
彼ら彼女らは俺のやる事には慣れっこさ。やれやれまたか、って顔で見てただけだな。
祖父はひとしきり俺の頭を撫でて満足すると、わずかに離れて両手を杖にかけて声を張り上げた。
「私がシアーズ公主、アドミラル・デュパリエである! 我が名において貴公らをこの国に歓迎する!」
俺の後ろで騎士たちがそれぞれに跪き、侍女たちはお辞儀をする。
俺もおじいさまの前に軽く膝を折った。
「心よりの歓迎にお礼申し上げ、おじいさまに改めてご挨拶致します。僕の名はルーカス・アエリウス……」
正式な場で名乗るべきフルネームを口にしようとした時、ふいに横から母が俺の肩に手を置いた。
母がゆっくりと首を振る。
「ここでは、それは名乗らなくていいのよ、ルーカスちゃん」
そうだ。俺はこの国の公主の歴とした直系の孫。エル・シアーズの名前は、ここでは必要ないのだ。
「ルーカス・アエリウスです」
俺が言い切って軽く頭を下げると、祖父は深く頷いてカーンと杖を打ち鳴らした。
「うむ。ここを生まれ故郷だと思って、ゆっくりと滞在してくれ」
おじいさまはそこで言葉を切って、いたずら気に俺に向かって片目を瞑って見せた。
「いつまでもいてくれてかまわんのだぞ」
そうして俺はおじいさまと母様に手を引かれて白亜の城に足を踏み入れた。