第17話 夢から覚めて
父の長々とした一人語りを聞いて、俺は黙り込んでいた。
途中、あちこち話が飛んで分かりづらいところもあったが、母様やオレイン先生、ヒューゴ先生に聞いた話とおおよそ符合したので、勝手に脳内補完しておいた。
もう既に夕陽は山の稜線に沈みかけ、赤い光はほとんど残っていない。
いつもだったらとっくにベッドに入っている時間だ。
「だから、困った事があれば森へ行け。マーナガルム神が助けて下さる!」
父は偉そうに胸を張っている。よっぽど話したかったんだろう。話したくてウズウズしてたんだろう。
「あー、まぁ、神がいるっていうのは僕にも何となく分かりますよ」
「え? 分かるの?」
俺が伝えると、父はあからさまにがっかりした顔になった。どうせ、神に会った事があるなんて父様凄い、と称賛されたかったんだろう。
俺も父には言っていないが、アルトゥールとの誓いの件がある。
あの声の主は、父の会ったマーナガルム神と同じなんだろうか。
一瞬、父様には伝えてもいいかなと思ったが、二人だけの秘密にしようと言ったアルトゥールの声が蘇ってきて踏み留まる。兄に聞かずに勝手にバラすわけにはいかない。
「僕とかオレイン先生とかいるじゃないですか」
「あぁ、そうだな。お前自身が神子だったな」
「まだ仮免ですけどね」
「カリメ……?」
また難しい言葉を言うとばかりに、父は眉間に皺を寄せた。
「ちぇーっ、面白い話だと思ったのになー」
「そうですね。冒険譚としては良くできてましたよ」
「ほら話じゃねーって言うの!」
父様に手を差し出され、その手を取って城壁からピョンと飛び降りる。
これ以上、拗ねられると鬱陶しいので腰辺りをポンポンと叩いて慰める。
「僕としては、異国の美姫とのくだりをもう少し聞きたかったですね」
夕陽に照らされた、父の水色の瞳がいたずらっ子のように輝く。どう考えても、いつでも父は俺の悪友だ。
「母さんたちには内緒だぞ?」
そうして俺たちは手を繋いで、笑い合って薄暗い城壁内の階段を降りた。
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遥か彼方、帰らずの森を眺めながら、俺は夢でも見ているかのように鮮明に父の話を思い出していた。
あまりに遠く、父と異国の地を旅したつもりになっていたからだろうか。
「ルーカス様? もう行きますよ?」
トントン、と肩をつつかれて視線を向けると、ユーリの顔が思ってもみないほど近くにあったのでびっくりした。
俺はずっと崖の近くで体育座りして、森の方を眺めながらボーッとしていたらしい。
「うおっ。ユーリ、顔近いですよ」
「えっへっへ」
近くで笑うユーリの雰囲気が、なんだか前より気安いような気がする。
前方を見ると、セイン、アレク、ルッツも振り返って俺を待ってくれていた。
あまり見せた事のない俺の慌てた顔が珍しかったのか、三人とも思い思いに笑っている。
「いい加減、腹減りましたよ。ルーカス様が来ねーと、出発できないんですけどー?」
「アレク、言葉が過ぎるぞ。とは言え、きっと妃殿下が首を長くしてお待ちですよ。そろそろ行きましょう、ルーカス様」
アレクの軽口。あくまで礼節を失わないセインの台詞。そしてルッツは、どちらに同意しているのか分からないが、腕を組んでうんうんと頷いている。
逆光に照らされた彼らの顔を見上げて俺は、皆に出会えた幸運を、そして単なる盗賊団なんかで失わずに済んだ幸いを神に感謝した。
そこにマーナガルム神がおわすとしても、今回は助けを借りずに済んだようです、と心の中で頭を下げる。
ユーリに手を借りて立ち上がると、皆の方へ向かう。
ワルターたちも馬車の側で待ってくれている。
まだまだ俺は背が低くて。
こいつらに囲まれると埋没してしまう。
騎士たちは馬を降りて、めいめいに馬車の周りに集まっていた。分隊長が戦いの後の訓示でも告げるのかな、と首を傾げる。
ワルターの前で立ち止まると、彼は腰を屈めて俺の耳に囁いた。
「陛下の代わりに失礼しますよ」
言われたかと思うと、脇の下に手を差し入れられ、頭上高く持ち上げられた。ワルターが、かるっ、と呟いた声が聞こえたような気がした。
気づけば俺は片腕で支えられ、彼の肩に腰をかけて皆の方を向かされていた。
「それではこれより、ルーカス殿下に勝鬨を上げていただく! 殿下、初陣の勝利、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!!」
騎士たちが一斉にその場に膝をつく。瞳を輝かせて俺を見上げる彼らの顔には、もはや侮蔑も侮りも、ひとつも感じられなかった。
静寂が耳を打つ。
そっか。俺が何か言わないと話が進まないのか。
「皆さん、ありがとうございます。皆さんのおかげで勝利できました。これもひとえに、皆さんの力をお借りしなければ……」
何を言っていいか分からず俺がベラベラと喋っている横で、ワルターが囁く。
「殿下、話は手短に」
あ、はい。
「とにかくお前ら、勝ったぞー!!」
興奮に任せて腕を突き上げると、彼らも続いて、うぉー、だの、勝ったぞー!だのと口々に叫び出した。
こう言うので良かったのか。
体育会系のノリって良く分からないな。
そのままワルターは俺を荷馬車の御者台に乗せてくれた。騎士たちもそれぞれヒラリと自馬に跨り、馬車の脇を固める。
「しゅっ、たーつ!」
前方でワルターが号令する。城からの旅立ち以来、いつも聞いている声だ。しかし今日は、それは高らかに誇らしく空に響いた。
盗賊たちの骸はここに打ち捨てていく。きっと数日もしない内に森の獣に食い荒らされ、跡形もなくなるだろうと聞いた。
彼らがどんな思いを抱いてこの世界で生きてきたのか知らないが、ここで死んだ事だけは俺が忘れない。
一番星が輝く頃、うつらうつらする俺を乗せた馬車と騎士たちは、占拠していた近くの村に帰りついた。
村では出立前に指示されていたのか、篝火を焚いて俺たちの帰りを待ってくれていた。
もう盗賊の脅威はないと伝えると、ほっとしたような、残念なような微妙な顔を浮かべていたのが気になったが、強いて聞かなかった。
侍女がいないので仕方なく、眠気に目を擦りながらセインたちに服を着替えさせて貰う。
って言うか、眠くて思いつかなかったが、男しかいないんだから服くらい自分で着替えれば良かったんだよ。習慣ってこっえーな。
「それではルーカス様、お休みなさいませ」
「また明日ー」
「おっやすみなさーい」
毛布にくるまって、部屋を出て行く奴らの声を聞く。俺からの返答がなくても気にしなかったようで、バタンと扉が閉まる音がした。
あれ? なんかあいつら、俺への敬称が変わってたことない?
そんな事を考えながら俺は眠りに落ちていった。
この世界に来て初めて、明かりをつけておいてと頼まなくて済むほど俺は疲れ切っていたのだろう。そのまま朝まで目を覚ます事なく、ぐっすりと寝た。




