第3話 宿にて
母の体調管理はオレイン医師たちだけでなく、俺も関わっている。俺だってオレイン先生に薬草学を習っているからな。四人目の助手みたいなもんだ。
さすがに薬草の選定にまではまだ関わらせて貰えていないが、その代わりに食事を通しての体調管理に貢献している。
保存食に頼らざるを得ない旅の食事はどうしても塩分過多になりやすい。
身体がむくんで血の巡りが悪くなれば、母の弱すぎる心臓はそれだけでダメージを食らう。
飽和脂肪酸の取り過ぎはよくないが、体力の少ない母には油分も大切だ。
野菜も生だと消化が悪いし、身体を冷やすから、ちゃんと火を通して。
明日からも旅が続くんだから、固いパンなんかじゃなく、すぐエネルギーになる主食も必要だな。
「ぐらたん、ですか?」
宿の主人は、城から連れて来たコックのマルコの手腕に目を白黒させていた。
王宮で料理番をしていたくらいだから、マルコの腕は確かだ。宿の人に見られていても気にせず真剣な面持ちで食事の準備をしている。
普段のマルコは俺の無茶ぶりに嫌な顔もせず応えてくれる気のいい奴だが、仕事中は気が立っているので話しかけない方がいい。
俺たちは少し離れたところからマルコの仕事っぷりを見守っていた。宿の人に解説しているのは主に俺だ。
「ええ。城では若い兵士に人気ですよ。フェチットみたいな乾麺を茹でて入れてもいいですし、ジャガイモのグラタンなんてのもありますね」
「確かに美味しそうな匂いではありますが、生クリームやチーズを使うとなると我ら庶民には難しそうですな」
「あ、チーズの代わりに、パン粉を乗せて焼くと、それはそれでカリカリして美味しいですよ」
興味深々な宿の主人に説明する。
この国ではご馳走=肉みたいなイメージがあるから、放っておいたら宿の食事なんて焼いたステーキとかウインナーに、焼いたジャガイモのつけあわせなんてことになりかねない。そんなものを母様に食べさせられるもんか。
それに他国で出される料理も信用ならないし、それくらいなら自分たちで作った方がいいだろう。旅の間も美味しいものが食べたいからな。
そんなわけで俺は無理を言ってマルコに同行して貰ったのだ。
王宮の料理番という地位を捨てて、俺について来るメリットはマルコには少なかった。
当の本人は他国の料理にも興味があるとか、俺についてくれば面白いことに事欠かなさそうだとか言ってくれているが。
なんで俺って大体、誰にでも同じような事を言われるんだ。俺だって騒動ばかり起こしてるわけじゃないんだぞ。
まぁ、マルコの俺への評価はともかく、旅に同行してくれたのは有り難い。
母様は旅の疲れも何のその、ちゃんとマルコの作った食事を完食してナプキンで口を拭いた。
「ルークが考えてくれる料理はどれも美味しいからつい、食べ過ぎてしまうわ」
「いや~、いいことだと思いますよ~。妃殿下は以前から少し食が細いところがおありでしたが、最近は本当に顔色も良くなってますね~」
一緒に食事を摂るのは俺と母とオレイン先生たち。侍女たちと騎士団はあとで半々ずつ、分かれて食べるようだ。
宿でも油断なく側に控えている。
マーナガルム軍の教えは常態常戦。つまり、常日頃から戦に備えろってことだな。
意地の悪い先輩騎士たちは若い奴らの寝込みを襲撃したり、油断していると剣で打ちかかったりしてくるらしい。
それに対処できない奴は騎士として半人前だとあざ笑われる。
どんな脳筋集団だよと思うが、味方であればこれほど力強い人たちはいない。
若いとは言え、セインたちは子供の頃から騎士になるべく父親や兄弟に鍛えられているので戦いの腕は確かだ。
間違っても俺みたいに、ヒューゴ先生に「お前、戦になったらすぐに逃げろよ?」とか諭される腕前じゃない。
俺たちの前で宿の主人は落ち着かない様子で手を上げたり下げたりしていた。
「妃殿下、ろくなおもてなしもできず、申し訳ありません」
「いいえ。食事の材料は近隣の方々が用意して下さったとか。美味しくいただきましたよ。特にこの白ワインは味がいいですね。ぜひ城にいる王にも献上してみてはいかがかしら?」
空になったワイングラスを掲げて母は誰をも魅了するその顔で微笑む。
「こ、これは勿体ないお言葉。恐縮でございます」
主人はぎこちなくその場に膝をついて頭を下げた。
母は、俺たち家族や顔馴染みの侍女の前では子供のような無邪気さを見せるが、小国とは言え、一国の跡継ぎ候補として育てられたのだ。ちゃんと公の場では上に立つ者として振る舞うことに抜かりはない。
俺もまさか出されたものを残すわけにもいかず、酢のような白ワインの水割りを嫌な顔もせず飲み干した。
いい酢と悪い酢とか言われても、俺にはどっちも酸っぱいとしか思えないよ。
いつか日本で飲まれていたようなワインも作ってみたいもんだな。
この世界と前世の違いを見つけるたびに、考えても仕方ない事をつらつらと思ってしまう。
「そろそろお休みになられた方がよろしいのでは? 明日も早いですし」
まだ外では太陽が眩しく光っているが、時刻はそろそろ夕方。俺がグラスを置くのを合図にしたようにローズが囁いてくる。
ローズはこの一団の中では俺と母に次いで身分が高いという事もあって、侍女頭のような立ち位置にいた。
さすが人間関係が半端ない王宮で鍛えられているだけあって、タイミングを計るのが上手い。
「そうですね。母様、そろそろ行きましょうか」
「そ、それではお部屋にご案内いたします」
主人が先に立って部屋へと通される。
母は背筋をピンと伸ばし、まるで妖精のように足音も立てずに歩く。俺もマナーの先生にさんざん言われたが、どうにも身につかなかった。
せいぜい王族らしく見えるよう堂々と歩くしかない。
そう言えば父様は普段はバタバタと足音がうるさいのに、俺を驚かそうとしたり、家臣から隠れ回っている時だけは気配を消すのが上手なんだよな。
武者修行の時、狩りをする時に獣に見つからないように覚えたらしい。なんなんだろうね、あれは。一種の才能だな。
もちろん俺と母様の部屋は別だ。この世界では、よっぽどのことがない限り上流階級の親子が一緒に寝たりしないのだ。
騎士たちは数人交代で寝ずの番をする。
寝ている間も何かあれば自然に起きられるようだ。軍人ってほんとすげーな。
国を出るまではおおむね、そんな毎日が続いた。




