第3話 ここって海外……なのかな?
知ってるか? 赤ん坊って寝るのと泣き喚くくらいしかする事がない。
俺は隣のケルビンを見下ろして、げんなりと顔を曇らせた。奴は散々泣いて母親のローズを困らせた後、今はすっかり満足してくーっと寝こけている。
俺は前世でどちらかと言うと社畜気味だったので、暇なのは好きじゃなかった。
ぽちゃぽちゃとした幼児体型の自分の身体を眺める。
赤ん坊から人生やり直すとかマジか。この身体、歩けるんだろうかな? 今まで身近に子供がいなかったから成長度合いがまるで分からない。
なんにせよ大きくなるまでは耐えるしかなさそうだ。
「はぁ~あ……」
深々と子供らしからぬため息をつく。
またイチから人生やり直すとか大変そうではあるが、大人の記憶があるんだ。前より上手くやれるだろう。
そう、なんとか自分を納得させて情報収集に移る。
もちろんターゲットはローズだ。母様はさっき侍女らしき人に連れられて部屋から出て行ってしまった。自分の部屋に帰ったんだろうか?
もっと美少女然としたその姿を見ていたかったのに、残念だ。
話が脱線したが、今は俺の状況について調べるつもりなんだった。
多少、不審がられていても俺の身近に大人はローズしかいない。
ベビーベッドの柵を握って立ち上がると、できるだけ可愛らしく聞こえるようローズに呼びかける。
「ろーじゅぅ? おねがいがあるんでしゅけど?」
途端にローズは眉間に思いっきり眉を寄せて俺を睨みつけてきた。
怖い。そう言う顔されると怖いから!
俺だって好き好んでこんな赤ちゃん言葉を使ってるわけじゃない。めちゃくちゃ恥ずかしいんだからな!
赤ん坊の身体で見上げるローズは、そびえたつ壁のように見えた。
ローズは茶色の髪をひっつめにした、委員長タイプの生真面目そうな女性だ。眼鏡をかけたらとても似合いそうな顔立ちをしている。
誰かに似てると思ったら、ハ〇ジに出てくるロッテンマイヤーさんみたいだと思い出した。
そんな家庭教師然として厳しい顔の女性に無言で見下ろされる俺の気持ちを考えてみてくれ。ただでさえ女性が苦手な俺は柵を握りしめてブルブルと震えた。
話しかけなきゃ良かったと、早くも後悔してくる。
いつまでも答えてくれないのかと思ったが、ローズはふーっと大きく嘆息した後、口を開いた。
「どうなされたんですか?」
赤ん坊が流暢に喋っている現状への懸念は、とりあえず母に説得されて頭の隅に追いやる事にしたらしい。
俺のいるベビーベッドに近寄って来る。
よし、第一段階クリアだな。
こんなしかめっ面をしているがローズは元々、俺の乳母。子供が嫌いってわけじゃないだろう。俺が急に喋り出したから不信感を抱いているだけだ。
思いっきり可愛く媚びれば、おねだりくらい聞いてくれるだろう。
いけ、やれ、俺!
顔から火が出るくらい恥ずかしいが、今の俺は赤ん坊! 乳母に甘えておかしいことはないはずだ!
「おととー」
俺は赤ん坊特有のまるまるっとした腕を上げて、壁に開いている四角い穴を指差した。
ガラスもなく単に石壁に空いている穴だが、多分、窓なんだろう。木製の雨戸は外に向かって大きく開かれている。
そこから太陽の光が細々と薄暗い石造りの室内を照らしていた。
「外をご覧になりたいんですか?」
大きくコクコクと頷く。渋々ながら背を屈めて、ローズは俺を抱き上げてくれた。窓辺へ近づき、外が見やすいように抱え直してくれる。
屋外から直接吹き込んでくる風が、赤ん坊らしい俺のふわふわした細い髪の毛を揺らす。
「わーぁ!」
「危ないので気をつけてくださいね?」
もっと外を見ようと俺が身を乗り出すものだから、ローズが身体を支えながら注意してくる。
そこから見える光景と言ったら!
俺たちが住んでいるのは切り立った崖の上に建つ石造りの砦って言うか、お城みたいなところだった。
高く分厚い城壁の外には森が広がり、眼下には街も見える。
どの家も石でできているのか灰色っぽい外観で、山の中の狭い土地に押し合いくっつき合うように建っている。
ヨーロッパの山岳地帯に今も残る中世のままの小さな田舎街って言われて思い浮かぶような、そんな光景だった。
薄々分かってたけど、俺が転生したのって日本ではないな。
やっぱり外国……なのかな?
「凄い、すごい!」
俺はすっかり興奮して、窓辺へ手を伸ばそうとした。前世では海外なんて行った事がなかったので、完全に旅行気分だった。
「危ないですよ、ルーカス様」
ローズが身じろぐ俺を抱え直して、窓から遠ざかる。
「あー……」
俺はしょんぼりと肩を落とした。ちぇーっ。もっと見ていたかったのにな。絵ハガキみたいに可愛い街並みだった。
もう少し大きくなったら俺もあそこへ遊びに行けるだろうか?
俺が落ち込んでいる姿を眺めて、ローズはふっと表情を和らげて口の端を上げた。子供っぽいと思われたのかも知れない。
現状からすると正しくは、ちゃんと子供らしいと思った、と言うべきか。
悪かったな。俺はけっこう高いところが好きなんだ。展望台とか、高台とか登るとワクワクするだろ? しない? 俺だけかな。
とにかくそんな様子を見て、ローズはやっと俺への警戒心を解いてくれたみたいだった。
今までよりは若干、優しげな顔つきで俺を再びベビーベッドへ下ろす。
放っておかれないように俺はすぐさま、柵を掴んで立ち上がった。勢い込んでローズに尋ねる。
「ねぇねぇ、さっき見えた街は?」
「あの街の名前はマーナルガン。このマーナガルム王国の首都ですよ」
「まーながりゅむ?」
「ルーカス様、訛ってらっしゃいますよ。マーナガルムです」
ローズが生真面目な顔をして俺に教え込む。
彼女の黒っぽい焦げ茶色の瞳がキラリと光る時、俺は要注意すべきだと学びつつあった。
決してローズには逆らわない方がいい。
「マーナガルム、ですね?」
注意深く発音に気をつけて口にする。
本来なら二言か三言、喋るか喋らないかくらいの年齢の俺にとって、長い言葉を発するのは難しかった。
誰がこんな長ったらしい国名をつけたんだ。
文句を言いたくなるな。
俺がちゃんと言い切る事ができたので、ローズはよろしいと満足気に頷いた。