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第26話 神への誓い

 

 夕方近く、俺は一人で西棟近くの広場に置かれた木材の上に腰かけていた。ローズは先に部屋に帰って貰った。

 五歳を過ぎてからはお守りもさほど必要ないと思われているのか、たまに頼めばこうして一人きりにさせてくれる事もあった。


 広場にはひっきりなしに人足たちが通りがかるが、ただの子供だと思われているのか見向きもされていない。

 地面に届かない足をブラブラさせながら考えにふける。


 アルトゥールは、本当は俺の事をどう思っているんだろうか。

 優しく笑いかけてくれながら、内心はどう思っていたんだろう。

 俺なんかいない方が良かったのか?

 なぜ俺は前世の記憶なんか持って生まれてしまったのか。

 そして、なんで俺は調子に乗って前世の知識を広めてしまったのか。


 国にとってよかれと思ったんだ。父の、母の役に立ちたかった。みんなに褒めて貰えるのが嬉しかっただけなんだ!

 それが兄の足を引っ張っている。

 その事実が俺に重くのしかかっていた。

 あんまり思い詰めていたものだから、頭上に落ちる影にも気づいていなかった。


「ルーカス、どうしたんだい? あんまり元気がないみたいだね」

「あ、兄上……!」


 顔を上げるとアルトゥールその人が目の前に立っていた。

 いつも通り濃い赤い髪がサラサラと耳の横でなびき、優しい青い瞳が笑っている。

 十歳とは言え、西洋人体型のこの世界の人たちは体格が良く、その中でも背の高いアルトゥールはもう既に大人びて見えた。

 俺の大好きな兄さん。


「お久しぶりです!」


 慌てて立ち上がろうとする俺を手で制して、アルトゥールも隣に腰を下ろしてきた。


「うん。久しぶりだね。町の視察に行ってたんだ。式典ばっかりで肩が凝ったよ」


 アルトゥールは肩をグルグル回しながら笑う。


「館がこんな感じだからまたすぐ出て行く事になるだろうけどね。それでルーカスはどうしたのかな?」


 世間話に絡めてさらっと元の話題に戻る。

 アルトゥールはこういう喋り方が上手い。相当、場慣れしている感じだ。

 城に閉じこもってる俺と違って正妃に連れられて早くから社交をしているからだろう。

 優しい兄の眼差しに、俺はつい、思っていることを全てぶちまけてしまった。


「あー、派閥がねぇ……それは難しい問題だよね」


 アルトゥールは言葉を濁してポリポリと頬をかいた。

 エラムやローズみたいに、今更気づいたんですか、みたいな視線はしてこない。気遣いのできるお兄ちゃんなのだ。


「僕は気にしていないよ。ルーカスがそんな子じゃないのは分かってる」


 うんうんと温和に微笑む。

 その労りが反対に心に痛い。


「そうは言っても兄上に迷惑がかかってるんじゃないかって」


 今だって俺たちは中庭に二人きりだ。アルトゥールの従者は西棟の廊下に立って待っていて、俺には近寄っても来ない。今までずっとそうだった。

 俺はのん気にも、兄弟水入らずで過ごせるように気を遣ってくれているのかと思っていたが、これはそういうことだったのか。


「迷惑ってなに。僕たちはたった二人きりの兄弟だろう」


 アルトゥールが黙り込んでしまった俺の手を取る。


「僕は弟が生まれたって聞いた時、本当に嬉しかった。城には子供が少なくて一緒に遊べる子もいなかったしね。実際は、会いに行った君はあんまりにも小さすぎて遊べなかったわけだけど」


 ハハッと軽やかな笑い声が耳を打つ。


「中庭で会った日を覚えてる? ルーカスは初めましてと言ったけど、僕は何度も君に会っているんだよ。赤ちゃんだったから覚えてないだろうけど。早くおっきくなってくれないかな。早く一緒に遊びたい、って思ってた」


 アルトゥールの瞳は真剣だった。

 俺は何も言えず口を閉ざす。

 ここで更に疑念を口にしても、兄は何度だって否定するだろう。迷惑なんかじゃない、と。

 厄介をかけていながら謝ることもできない。その優しさがチクチクと心に痛かった。


「それにルーカスは悪いことをしたわけじゃないだろ。町の光景は……それはちょっと僕もびっくりしたけど。ルーカスはみんなのためを思ってしたんだよね?」

「ちょっと、僕すげー、なところはありました」

「ハハハ。それは誰だってそういう気持ちはあるよ」


 俺の偽らざる気持ちを冗談だと思ったのか、アルトゥールは破顔する。それでも浮かない顔の俺を覗き込んで、兄は微笑みながら言った


「それでも僕の言葉を信じられないなら、マーナガルム神に誓おうか? 僕はルーカスが剣を向けてこない限り、決して君と争ったりしない」

「それなら僕は、兄上を絶対に傷つけません!」


 その瞬間だった。

 急に世界がセピア色に染まった。


「「え……?」」


 お互いに顔を見合わす。

 夕方に近いと言ってもいくらなんでもおかしい。

 この世界では明るい内に夕食を食べて、夕暮れ前には寝る準備をするのだ。まだまだそんな日が落ちる時間じゃないはずだ。


 やけに周囲も静まり返っている。

 辺りを見回すと、セピア色の世界の中で、人足たちは時が止まったように動きを止めていた。

 息もできない程の静寂の中、どこからともなく荘厳な声が響き渡る。


『その誓い、聞き届けた』


 いつの間にか空中に浮かんでいた淡い光がふたつに分かれて、俺とアルトゥールに向かってくる。

 防御なんてする暇もなかった。

 光はスーッと俺とアルトゥールの胸元に入り込んで消えた。


 それと同時に周囲の音がドッと返ってくる。

 人足たちの喧騒。

 鳥の鳴き声。

 風の音。


「ハ……ッ!」


 俺も兄も、忘れていた息を大きく吸い込んでむせる。

 肺が苦しい。

 光が吸い込まれていった胸元をギュッと握る。


 こんな……こんなことがあるなんて。今のは本当に神の、マーナガルム神の声だったのか?

 神がいることは良く言い聞かされていたが、それはただの概念だと思っていた。神に会ったという人はいなかったからだ。

 何か魔法のような不思議現象のことを神の力だと、そう言っているのかと思っていた。

 アルトゥールも胸を押さえたまま、今まで見た事がない顔つきで俺を見つめていた。


「本当に……お前は神に愛されているんだな」


 兄の表情が怖くて、俺は乾いた笑いを浮かべる。


「兄上が先に誓ったんですよ!」

「そうか。そうだったな」


 俺の下手くそな誤魔化しに、アルトゥールもふっと表情を緩めた。

 冗談にでも紛らわせていないとどうしようもないほど、二人とも取り乱していたのだ。

 お互いに顔を見合わせて大きく溜め息をつく。


「とにかく、この事は二人だけの秘密にしよう」

「そうですね。あまり事を荒立てたくありません。父様や母様に話したら大事になりそうです」


 同意を示して頷く俺に、兄はまた改まった顔つきをした。


「どうかしましたか?」

「いや、荒立てるとか、難しい言い回しを知っているんだなと思って。たまに本当に年下か分からなくなる事があるよ」

「ハハ……ハハハ!」


 笑って誤魔化しておこう。

 父様に続き、アルトゥールにも言われてしまった。

 本当に気をつけないと。


「さぁ、そろそろ行かないと。ルーカスも夕食の時間だろ?」

「そうですね」


 兄に手を引かれて立ち上がる。


「館の改築が終わって帰って来たら纏まった時間が取れると思うから、その時にまた話そう」

「そうだ、兄上。その改築の話なんですが……」


 そうそう。元々は西棟の改築に合わせて暖房を入れないかって話をしたかったんだった。

 エラムには止められたが、正妃や兄にだって悪い話じゃない。むしろ東の方は暖かいのにこちらは、なんて難癖つけられるのを防げるだろう。

 今日を逃せば工事が進んでしまって言うタイミングを逃してしまう。

 せっかくアルトゥールに会えたので、俺は断熱材や床暖房の話を手短にした。


「え? その話、今、ここでする? まったく、ルーカスはブレないね……まぁ、母上もこの国の冬は厳しいらしいから暖かいにこしたことはないけど……うーん」


 アルトゥールは顎に手を当てて渋い顔をした。やっぱりあっちの棟だと、俺はあんまり好かれていないんだろうか。


「なんなら兄上が考えた事にしてもいいですよ」

「それは無理があるでしょ! いいよ、うん。職人には話をしとく。母上には、あー……視察の間に伝えておくよ」

「有難うございます!」


 ガバッと勢いよく頭を下げる。

 アルトゥールはフフッと目を細めた。


「ルーカスは、いつもルーカスだよね」

「それってどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。じゃぁ、またね」


 いつもの優しい兄の顔に戻って、笑いながら手を振るとアルトゥールは西棟に戻って行った。

 それを見送って、俺も自分の部屋に戻る。

 夕食の時間に遅れたため、ローズの嫌味を聞くはめになってしまったが。


 ぼんやりとご飯を食べながら、俺は誓いの言葉を口にした時のことを考えていた。

 神が本当にいる世界。

 異世界。

 そんなところに生まれたんだと思う。


 以前の俺ならきっと有頂天になっていただろう。

 だが、思い出しただけで今はブルッと背筋が震えてしまう。

 あれはそんな生易しいものではなかった。

 話を冗談で誤魔化してあまり触れないようにしたが、アルトゥールもきっと同じように感じたのだろう。


 人が触れてはいけない領域。

 直感がそう告げている。

 誓いを破ることは絶対にないと言い切れるが、破ればきっと俺もアルトゥールもただでは済まない。そんな気がする。

 多分、死よりも恐ろしい災厄が降りかかってくるのだろう。


「はー……」


 行儀悪いが、スプーンを口に咥えて椅子の背もたれにダラッと背を預ける。

 早まったことをした。

 なんでまた後先考えず口にしちゃったんだろうな。

 今後は絶対、神になんか誓うもんじゃない。

 守るのが容易い誓いだったのが幸いだ。


「ルーカス様? もうお召しにならないんですか?」

「あ、いや、食べます、食べます!」


 慌てて身体を起こして食事を口に運ぶ。

 この世界で初めて超常現象を体験した一日は、そんな風に終わっていった。



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