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第38話 甘いものが繋ぐ縁


 その内に老人もコツを掴んで、少しは勝てるようになってきた頃だった。

 ようやくベーヤー氏が手ずから運んできた皿に乗っていたのは、例のスフレパンケーキだった。


 スフレパンケーキは時間がかかるので、招待客の多い今日は出す予定になっていなかった。ミリアが相手をしている間に時間を稼げると踏んだのだろう。

 急遽、調理を変更してベーヤー氏が作らせたに違いない。

 今頃、コックたちは腕を引き攣らせているかも知れない。


「あ、お父様!」

「ご注文のストロベリーパンケーキで御座います。どうぞ、果物とクリームをパンケーキに乗せてお召し上がりください」


 少しずらして皿に並べられた二枚のパンケーキの上には、とろっと白い生クリームがかかっていて小さく切った苺が散らされている。

 見た目も美しい一品だった。


「わー、ふわふわパンケーキのほうだー! ミリア、これが一番好き!」


 期待した目で、ミリアがノークス老の顔を見上げる。

 老人は静かにパンケーキを切り取って、そして最初は自分ではなくミリアの口にフォークを運んだ。

 遠慮なんてするはずもなく、ミリアがぱっくりとパンケーキに食いつく。


 モグモグと味わっているミリアを見下ろして、ノークス老も一切れ、パンケーキを口にした。

 ごっくんと口の中のものを飲み込んで、ミリアが欠けた歯を覗かせて満面の笑みを見せる。


「やっぱり、みんなと一緒に食べるのが一番おいしーね!」


 ミリアは……一人きりで食事をする子供だった。

 父母はほとんど家におらず、兄は顔を覗かせない。

 友達もいない。

 使用人が一緒に食事をしてくれるはずもなく。

 それが今では、こんなに笑顔に囲まれている。

 ノークス老も、ほんのりと口の端をわずかに上向けた。


「そう……だな。誰かと食べるから、か……」


 ひな鳥のように口を開けて次を待つミリアに、もう一切れ食べさせておいて、老人ももう一口、今度は味わってゆっくりと咀嚼した。

 ミリアを見下ろしていた時とは違う、鋭い眼光がベーヤー氏へと向けられる。


「このようなものがイグニセムで流行っているのか?」

「いいえ。イグニセムにもありません。このクロフターの街がスイーツの発信地になるのです」


 ベーヤー氏は自信満々に即答した。


「このレシピを……無料で公開しようと言うのか? なぜだ? 本国で流行らせた方がお前たちの利益になるだろう? お前は商人ではないのか」


 老人の冷え冷えとした視線がベーヤー氏を射る。だが、彼は一歩も引かなかった。


「私はクロフターに骨を埋める気で参りました。この街が娘の……そして、子孫の故郷になるのです。一族の利益より、街の発展の方が優ります」


 胸を張って答えるベーヤー氏を、老人は面白くなさそうに眺めた。

 それから、父親とノークス老のやり取りをキョトキョトと見上げているミリアにもう一口食べさせてから、自分もパンケーキをぱくつく。

 永遠とも思える時間が流れたのかと思った。

 実際には、小振りのパンケーキを二人が食べ終わったのは、さほどの時間ではなかっただろう。


「おじーちゃん、おひげにクリームついてる」


 ミリアがおかしそうに笑い声を上げる。


「む……どこだ?」

「ミリアが拭いてあげるね!」


 ナプキンでミリアに口を拭かれる老人は、どこにでもいるおじいちゃんのように見えた。

 ミリアをストンと床に下ろして、老人が立ち上がる。

 すかさず御つきの人が帽子を差し出す。


「おじーちゃん、もう帰っちゃうの?」

「あぁ、食べるものは食べたからな」

「パンケーキおいしかった?」

「そうだな……」


 帽子を頭に乗せながら、口の中の余韻を味わうようにノークス老が目を閉じる。

 次に瞳が見開かれた時、彼の視線はベーヤー氏に注がれていた。


「ハンネス・ベーヤー。次の水曜の午後は予定を空けておけ」

「お望みとあらば、毎月、空けさせていただきます」

「フン。まずは会合に、スイーツとやらを用意しろ。このパンケーキとは別の、だ。話はそれからだ」


 恭しく頭を下げるベーヤー氏の前で、カツカツとステッキの音を響かせてノークス老は店の入り口へと向かった。

 店舗を出る前に、老人が振り向く。


「……イグニセムにもないと言ったな? それでは、お前はこの着想をどこから得たのだ?」


 ベーヤー氏はにっこりと、顔いっぱいに笑みを広げて答えた。


「女神が夢の中で微笑まれたのです」


 はぐらかされたのかと思ったのか、老人は眉間に皺を寄せたが、結局、それ以上は何も聞かず店を出て行った。

 最後までまったく、俺には目をくれないままだった。


 恐らく、ただの給仕か何かだと思われていたのだろう。

 この世界の上流階級の人たちにとっては、本当に召使いは空気みたいなものなのだ。

 俺を侍女として雇うと決めた時、ベーヤー氏はそこまで考えていたのだろうか。

 近くにいるベーヤー氏を見上げる。


「ところで、今の方、どなたなんですか?」

「商人ギルドの会長ですね」


 あっさりと答えが返ってくるが、俺は驚きに思わず口を押さえた。

 それじゃぁ、あの人が、ベーヤー商会に嫌がらせをしていた張本人なんじゃないか。それはユリアさんが悪口を言うはずだ。

 って事は、今、ベーヤー氏は商人ギルドの会合に招かれたのか!

 先程の二人の会話の意味に気づいて、俺は今度は顔を輝かせてベーヤー氏を見上げた。力強い頷きが返ってくる。


「一歩、前進です」


 まだ店が軌道に乗ったわけではない。

 ベーヤー商会が商人ギルドに迎え入れられるかも分からない。

 だがミリアの笑顔と、ベーヤー氏の覚悟と、スイーツの力が一人の人間の心をこじ開けた。


 自分の事のように喜びが沸き上がってくる。

 男の姿だったら、よっしゃぁ!とか叫んで拳を突き上げていたかも知れない。

 けれど今の俺は、お淑やかな侍女見習いのはずだったので。

 身体の横で小さくガッツポーズをするに留めておいた。


 共犯者の微笑みで、ベーヤー氏が目配せをしてくる。

 次の会合までに新しいスイーツを考えないといけないって事だな。腕が鳴るぜ。あのじーさんを唸らせるには、何がいいだろうな。

 思案しながら振り向くと、ミリアは何が起こったか分からない様子で首を傾げていた。


 この後、俺はクロフターの街で数年を過ごす事になる。

 その最初の日々は、こんな風に幕を開けたのだった。



 To be continued...



ついに7章も終了しました。

ここまで長らくおつきあいいただきありがとうございます。

しばらくお休みに入ります。たびたび休止ばかりですみません。

また再開しましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

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