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第37話 カフェオープン!


 いよいよベーカー氏が手がけるカフェのオープンの日となった。

 俺は横から口出ししてただけで店作りには関わっていなかったので、ここまで早かったような短かったような不思議な気持ちだ。


 店名は『カフェ・プティ・プラトー』……小さなお盆って意味の名前にした。

 数組が入るといっぱいになってしまう小さな店舗だが、貴族街にも近い広場寄りの立地なので内装には凝っている。

 ちょっと高級なホテルのバーみたいな雰囲気だ。


 オープン初日はたくさんの人で賑わった。

 この日は招待状を持っている人しか入店できなかったので、華々しく活気溢れる店内を羨ましそうに眺めながら、いつから自分たちも購入できるのかと尋ねる人が何人もいたほどだ。


 俺とミリアもおめかしをして、店頭で招待した子供たちを迎えた。

 パンケーキを食べた人たちは誰もが驚きに目を丸くして、そして笑顔になった。

 これだよ。俺が見たかったのはこんな光景だ。

 俺は笑いさざめく人たちを眺めながら、たったひとつの思いに囚われていた。


 マルティス。君をここに呼びたい。

 あの日、別れる時、新しいスイーツを用意して待っていると伝えた。その約束を、せめてここで果たしたい。

 パンケーキを食べたらマルはどんな笑顔を見せるだろう。

 それともまた感動で泣き出したりするのかな。


 叶わぬ願いを胸に隠して、俺は来る人、来る人に笑顔で接客を続けた。

 興味本位なのか偵察のつもりなのか、子供たちについて来た商人たちは、兄弟や姉妹みたいに仲の良いミリアたちを見て少し気まずそうだった。


「このたびはどうも、お招きに預かりまして……」


 などとベーヤー氏と二言、三言、何か挨拶を交わして帰って行く。

 人が新しいものや余所から来た人に拒否反応を示すのは、ただ未知のものが怖いから、それだけだ。

 見知って言葉を交わしただけでも、進展があったと言っていいだろう。

 すぐには無理かも知れないが、これが足がかりになるといいなと俺は考えていた。


 その日のお昼過ぎ頃、お伴の人につき添われて一人の老人が現れた。

 まだ肌寒い日もある春の走り。品のいい薄手のスプリングコートを着込んで、山高帽を被り、良く磨かれた杖を手にした老人は見るからに富裕層の人間だった。

 招待状を送ったものの来店するとは思っていなかったのか、老人を認めたベーヤー氏は珍しく驚いた顔をしていた。

 彼自ら、老人を迎え入れて席に通す。


「これはこれは、ノークス老。ご来店いただき恐縮です」

「フン。このようなものを寄越されて来ぬわけには行かないだろう」


 席についた老人は無造作にひょいと手に持っていた紙をテーブルの上へ放った。手に取ったベーヤー氏はほんの一瞬だけ言葉を失った。

 それはミリアの手書きの招待状だった。


 俺やベーヤー氏が知っているミリアの招待状は子供たちに向けたものだけだ。

 お店で待ってるから、もし良かったら来てね、おじーちゃん。と、たどたどしくも可愛らしい子供の字で書かれたそれを受け取って、確かに無視できる人は少ないだろう。


 きっとユリアさんだ。本物の招待状とすり替えたんだ。

 その光景が容易に想像できて、口元に笑みが込み上がってきてしまう。


「む、娘がいたずらをしたようで……」


 しどろもどろに口を開くベーヤー氏を遮って、老人がカツーンと杖を鳴らす。


「御託はいい。さっさと品物を出さんか。この店は飯屋なのか? それとも店員とお喋りをする店か?」

「失礼致しました。只今、お持ち致します」


 すぐに表情を取り戻して、ベーヤー氏は深々と頭を下げて給仕に指示を出した。

 よほどの重要人物なのだろう。貴族なのだろうか? それにしては、着ているものがそこまで高価そうではなく庶民的だが。

 俺はミリアを促して彼に挨拶をさせに行った。

 自分が書いた招待状が机の上にあったので、ミリアには老人が誰だか分かったようだ。俺が教えたお辞儀をするのも忘れて、つぶらな目を見開いてジィッと彼を見上げていた。


「じゃぁ、あなたがへんくつで、ごうつくばりのおじいさんなの?」


 こっ……この子はいきなり、何を言いだしてんだッ!

 店内が一瞬で凍りつく。

 老人は目をキラリと光らせて、顎に手を当てた。


「ほぅ? そんな事を誰が言っていたんだね?」

「お母様よ。悪狐だから、会ったら言動に気をつけなさいって。そうだわ。ミリア、お行儀よくしないといけないんだったわ」


 そう言ってミリアはやっと思い出した様子で、スカートの両裾をつまんでちょこんとお辞儀をした。


「初めまして、おじーちゃん。今日はパンケーキの店にようこそ」


 遅い。遅すぎるよ、ミリア。

 そしてユリアさん、ミリアになんて事を吹き込んでくれたんだ。

 静まり返った店内で、他の人がどういう顔をしているのか、恐ろしくて振り返る事もできない。俺はミリアの後ろでひたすら引き攣った笑顔を浮かべていた。

 けれど、ミリアは老人や周囲の反応にはまったく気づいていない様子だ。

 物怖じせず老人に近づいて行くと、テーブルに備えつけられたメニュー表を指さす。


「何を頼んだの?」

「何を……とは?」

「パンケーキはね、色んな味があるのよ。ミリアは苺がおすすめ。お祭りでスーと食べたの」

「スー?」

「スーはルルのお姉さんよ。ミリアにはお兄ちゃんしかいないの」


 このくらいの年齢の子供の話は突拍子ない。老人がどこまでミリアの話を理解したのか不明だが、彼は特に不快な様子を見せることもなく、指ひとつで給仕を呼びつけた。


「今から注文を変えられるなら、苺味のものを出してくれるか」

「もっ、勿論で御座います」


 給仕は慌てた様子で厨房に走って行った。

 自分の意見が通ったからか、ミリアはキャッキャッと嬉しそうに笑った。その顔をじっくりと見下ろして、老人がミリアに声をかける。


「良かったら、このじじぃと一緒に食べるかね?」

「うん、いいよ!」


 ミリアは即座に頷いて、何のためらいもなく老人の膝にぴょんと飛び乗った。

 さしもの老人もこれには戸惑って、目をぱちくりさせた。仕方なく、ミリアが落ちないよう腰に手を回している。


「おじいちゃんはお名前、なんて言うの? 私はミリア!」

「ルパート。ルパート・ノークスじゃ」

「じゃぁ、ルパートおじいちゃん。パンケーキが来るまで、いっせーのーせっ、してあそぼ!」

「いっせーの……?」


 完全にミリア劇場だ。俺はもう止めるのは諦めて、ミリアの好きにさせる事にした。

 これ以上、事態が悪くなるような事もないだろう。ここがどん底だ。

 前世ではお馴染みだが、いっせーのーせは数人で拳を握って、いくつの親指が上がるか数を当てるゲームだ。まぁ、二人でもできない事はない。


「ミリアが教えてあげるね!」


 得意満面でミリアはルールを説明していた。

 じゃんけんをして先攻後攻を決める。


「じゃぁ、ミリアからね! いっせーの、いち!」


 活力に満ち溢れた子供であるミリアの指は掛け声に合わせて一本だけ勢い良く上がったが、老人はピクリとも動く事ができなかった。


「えへへー。まずはミリアがいち抜けだね……どうしたの? おじいちゃんの番だよ?」

「いっ……いっせーの、に……」


 気恥ずかしかったのか、老人が口の中でモゴモゴと呟きながら、ミリアと同じように親指を一本上げる。しかしミリアは真剣な顔をして拳をぎゅっと握ったままでいた。

 子供は反射神経が違うな。

 ミリアがにへへ~っと笑いをもらす。


「いっせーの、ゼロ!」


 いきなりの掛け声に、またしても老人は動く事ができなかった。


「ゼ、ゼロもあるのか……」

「ミリアの勝ちだよ! も~、ルパートおじいちゃん、弱すぎ~。もっと、本気出してよね!」


 ミリアに怒られてノークス老は、う、うむ、すまぬな……と、やはりモゴモゴと答えていた。

 パンケーキなんてそんなに焼くのに時間はかからない。ましてや最重要人物なら、誰を置いても真っ先に出てきてもおかしくなかったのに、いつまでも席には商品が届かなかった。

 ひとしきり、ミリアが満足するまで遊びが続く。


 

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