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第20話 家政婦長様

 

 扉の方でパンパンッと手を打ち鳴らす音がして、俺たちはハッと部屋の入り口に視線を向けた。


「なんですか、騒々しい。貴方たちは仕事もせず、何をしているのかしら?」


 そこに立っていたのはスラリとした長身を侍女服に包んだ、三十歳手前くらいの女性だった。

 濃い茶色の髪をアップにして、鋭利さを感じさせる細長い瞳が俺たちを睨みつけている。どこかほんのちょっとだけ雰囲気がローズに似ている女性だ。


「ベルタさん、これはその、お嬢様が……」

「言い訳をしない。エルサはお嬢様を部屋にお連れしなさい」

「はい。すみません。ほら、お嬢様、行きましょう」


 エルサと呼ばれた侍女の女の子は、おどおどとミリアを連れて部屋を出た。

 出て行く前、ミリアは俺を振り返って不屈の精神を感じさせる一瞥を放ってきた。その視線は、こんな事くらいでは誤魔化されないからね、と伝えているようだった。

 結構、頑固なんだなぁ。どうにかして、あのエネルギーを別の方向に向けられないだろうか。

 俺の直属の上司にあたるのだろうか。ベルタさんと呼ばれた女性は俺にチラリと視線を向けてから、まだ入り口付近で立ち尽くしていたケネスをキッと睨みつけた。


「あの子がルルさんね。どういう事かしら、ケネス? 来たらすぐ私のところに寄越すように伝えていたでしょう?」

「あ、いや、これは……」

「もういいです。ルルさん、おいでなさい」


 自分で質問しておいて、口を開きかけたケネスを完全無視してベルタさんは俺に向かって顎をしゃくった。

 俺がついて来ているか確かめる事もなく、先に立ってツカツカと歩いて行く。

 指示に従って当然と考えているのだろう。いや、彼女に従えない使用人はこの家には必要ないのだ。


 床に放っていたナップザックを拾い上げて、慌てて後をついて行く。スーも黙って俺の後ろから大人しくついて来た。

 ベルタさんは足を緩める事なく、前を向いたまま俺に伝えてきた。


「私はベルタ。この家の家事を取り仕切っております。他の面々とは、もう顔を合わせましたね? 従僕のケネスと、コックのクロード、それと貴女と同じ侍女見習いのエルサ。この家の召使いは以上です」

「え? 四人しかいらっしゃらないんですか?」

「そうです。お店の使用人はもう数人いらっしゃいますが、この家は四人だけです。ですからもう蜂のように忙しくて。貴女にもしっかり働いていただきますよ」


 執事や下男もいなければ、奥様のコンパニオン、ミリアの乳母や家庭教師もいないのか。他に十三歳の長男もいるんだろ。

 どうやって四人でこの広い家を維持して、なおかつ主人たちの相手をしているんだろう。てゆうか、クロードはコックだから、実質、三人だよな。

 道理でケネスやベルタさんがせかせかしているわけだ。

 彼女は足早に階段を上りながら邸内の説明をしてくれた。


「一階には食堂や調理場、応接室などの設備。二階に皆様の個室があります。使用人については私が食糧庫の隣、男性陣は地下に自室をいただいておりますが、貴女方には屋根裏を用意致しました」


 その言葉通りに彼女は二階の更に先にある細い階段を上ると、その先の扉を開けた。


「こちらで構いませんね?」


 ベルタさんの身体の横から中をひょこっと覗き込む。屋根裏は今まで誰も使っていなかったのか、あまり物はなくてだだっ広い感じだった。それなりに掃除はしてくれたようで埃っぽくはない。

 一番屋根が高くなっている壁際に二段ベッドが設置されていた。恐らくこの向こうに同じ作りの部屋がもう一つあるのだろう。

 個室を貰えるだけじゃなく、スーとは別々のベッドか! 願ってもないぜ。


 それ以外に小さな机と椅子、簡易なクローゼットなんかも置かれている。使用人の部屋としてはかなり上等な方だろう。

 問題ないです、と伝えるべく俺は頷いた。

 さっさと中に荷物を置いたスーは、すちゃっと片手を上げた。


「じゃぁ、ギルドに行って来るね」


 春祭りが終わるまではベーヤー商会での仕事がないので、それまでスーは荷運びのバイトを続ける事になっていた。

 とは言え早々に出て行こうとするのは、どう考えてもベルタさんが苦手だからだろう。

 この裏切り者め。

 人目があるところで文句を言うわけにもいかず、仕方なくニッコリと笑顔で見送る。


「いってらっしゃい、お姉ちゃん」


 帰ったら覚えてろよ。

 スーが出て行くとベルタさんは厳格そうな顔で俺を見下ろしながら、事もなげに言い放った。


「では、服を脱ぎなさい」

「はい?」

「奥様が起きて来られるまでにまだ時間がありますから、その間に採寸を済ませます。なにせ、急な話で侍女服が間に合いませんでしたからね」


 あぁ、俺の身体の寸法を測るのか。なにか変な趣味のお姉様かと思って焦っちゃったじゃないか。

 しかし、裸になったら男ってバレないかな。八歳くらいならまだ男女差は少ないだろうか。ペチャパイの女の子で誤魔化せるかな。

 ヒヤヒヤしながらブラウスに手をかける。


「あ、あの、上だけでいいですか?」

「なんでもいいから早くしなさい。あぁ、下着はいいです」


 さすがに下まで脱がないといけなかったらやばかった。

 ベルタさんはエプロンのポケットから採寸用の紐みたいなメジャーを取り出した。テキパキと俺の身体を計って、よし、と言うように頷いている。


「服が出来上がるまで、しばらくは自前の服で仕方ありません。ちゃんと洗濯はしてありますね? よろしい。これをつけなさい」


 どこで相槌を打ったらいいのか分からないくらい、次から次に喋る人だ。俺が頷くのも待たず、ベルタさんはエプロンを投げ渡した。


「さて、行きますよ!」


 戦闘開始、と言うがごとくベルタさんは前をキッと見据えた。かと思うと、もう部屋を出て足早に階下へと向かっている。

 エプロンの後ろのリボンを結ぶのに手こずりながら、俺も後に続いた。

 ベルタさんは、階段の下の物入れから大きな籠を取り出した。


「この家では人数が少ないので、普通ならその役職がしない役割も受け持っています。クロードは料理以外に、水汲みや食器の管理、給仕もします。エルサは今まではミリアお嬢様のお相手。私も奥様のお相手や、外回りの仕事や洗濯もしています。貴女は非力そうですから最初は補助中心になるでしょうが、どんな仕事を割り振られても、これは侍女の仕事でないと文句を言わないように」

「は、はい……?」


 なんだかツッコみどころが多すぎて、どこに反応したらいいのか分からない。

 俺はこの世界での庶民の暮らしを知らないから、侍女の仕事がどんなものかよく分かっていない。しなければならなくて、なおかつ俺にできる事ならどんな仕事だろうと手は抜きませんとも。


 この人の目にも俺は非力そうに見えるのか。それって同じ年齢の女の子と比べてって事だよね……これでも森では結構、鍛えたはずなんだけどなぁ。

 育ち盛りの時に数ヶ月、寝込んでしまったから成長が遅れてしまっているのかも知れない。

 あまり大きくなり過ぎて女の子に見えなくなったら困るので好都合と言えなくもないが、男の矜持がちょっと傷つく。


 それにベルタさん、使用人がたった四人しかいないのに、今、さくっとケネスの事をすっ飛ばしたな。実は仲が悪かったりするんだろうか。

 ほぼ同年代に見える使用人三人の人間関係を憂いて、俺は心を暗くした。

 自分が仕えるべきミリアがあんな駄々っ子なのに、職場の人間関係も悪かったらやっていく自信がない。これはちょっと早まったかなぁ。


 さすがに百戦錬磨の商人なだけあるわ。これだけの問題を全部隠して契約させるなんて。情報収集もせずホイホイと話に乗った俺も悪いけどな。

 俺が考えを巡らせている間にも、ベルタさんは玄関ホールの吹き抜けに近い二階の部屋の扉を開けた。


「こちらが旦那様の寝室です。今日からベッドメイクを手伝っていただきます」


 ベルタさんに続いて部屋に足を踏み入れる。他人の部屋に入るって妙な罪悪感があるな。

 こっちの世界の上流階級の人って召使いが部屋にいたり、自分がいない間に部屋を片づけられても何も感じないみたいなんだよな。

 小さい頃からそうだから疑問に思わないんだろう。俺は慣れるまでけっこうかかった。


 ベーヤー氏の寝室はいかにも品が良かった。

 四隅に柱が立った天蓋つきのベッドが中央の壁際に配置されていて、窓の側に書き物机。あとはサイドテーブルと小さめの箪笥だけって言う、シンプルな部屋だ。

 書斎や応接室は別にあるみたいだし、ここは本当に寝るためだけの部屋なんだろう。


「隣で奥様がまだ寝ていらっしゃるのでお静かに。ミリアお嬢様のお部屋はエルサがしますので問題ありません」


 奥さんとは別室派か。ウチもそうだったし、寝室が家族あわせて一つって言う貧乏な家でもない限り、この世界ではみんなそうなんだろうな。

 話しながらもベルタさんの手が止まる事はない。ベッドと枕からシーツを剥いで俺に渡してくる。俺は布を適当に折りたたんで籠に入れた。

 なぜか、この家にもう一人いるはずの人が話題に上がらない。静かにと言われたので、ヒソヒソと囁く。


「あの、もう一人いらっしゃるんですよね、ご長男が?」

「あぁ」


 ベルタさんはリネン室から持ってきたシーツを広げながら嘆息のような相槌を返した。俺も手伝って端を持つと、シーツをベッドにピンと張る。

 ベッドメイクが終わってから、ベルタさんは開け放ったドアの向かい側、吹き抜けの先の部屋に視線を向けた。


「お坊ちゃまですか。いるにはいらっしゃいますが……あちらの部屋には手をつけなくてよろしい」


 同じく潜めた声で伝えられる。俺も同じ方向を見やって、ゴクリと息を飲んだ。

 こんなに近くの部屋にいて、長男にも母親にもミリアの叫び声は聞こえただろうに。それでもチラリとも顔を見せなかったのか。一体、どんな家族なんだろう。

 ていうか、奥様はまだ寝てるってどういう事なんだ? もうそろそろ昼近いぞ。


 夜明けとともに起き出すこの世界にあって、こんなに寝坊する人は初めてだ。身体でも弱いんだろうか。

 ひたすらに疑問しか沸いてこないが、ベルタさんから詳細な説明はなかった。

 その後、ミリアの部屋の前でエルサからシーツ類を受け取った俺たちは一階に降りた。一階でも主だった部屋を教えられながら、仕事の内容の指導が続いた。


 

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