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第18話 初出勤で初騒動


 翌朝、俺たちは皆より早く起き出して、こっそり森まで出かけた。

 しばらく街に滞在すると伝えたら、イーは呆れ顔だった。


『なんだ。勢い込んで出発したわりには、なかなか先に進まないんだな』

「人間の世界には色々あるんですよ」

『いや、お前ができれば仲間を待ちたいと思っている気持ちは充分、承知している』


 そうなんだろう。俺は今もどこかで、セインたちが迎えに来てくれるのを待っている。

 その道の向こうに、ひょっこりと彼らの明るい笑顔が見えるんじゃないかって。

 クロフターの街にいれば森の周辺の出来事はイーたちから聞くことができる。

 神がリリスを通して、この国に留まってもいいと伝えて来たのは、案外、彼らと合流せよと言う思し召しかも知れなかった。


 スーたちはどうか分からないが、四人が俺の眷属なのは間違いない。

 俺が心から信頼を寄せる頼もしき騎士たち。

 彼らを待ちたいと願う気持ちもクロフターの街に留まると決めた判断材料になっていたんだろうか。

 多分、そうなんだろうな。


『ともかく、ルーが問題ないと思うなら俺たちは構わない。お前は自分がすると決めた事をしろ』


 そう言って貰えるのは有難い。

 俺とスーは皆に不審がられないように早めに宿に戻った。

 もともと、荷物なんてほとんど持って来ていない。ナップザックに詰めて肩に背負えば終わりだ。


 同じ街の城壁の外から中に移動するだけなので、宿の人に軽く挨拶しただけで出発する。昨晩、酔い潰れた人の中で起きて来られた人だけ、頭を押さえたりしながら見送ってくれた。

 さしものベーヤー家も自宅は貴族街ではなく、下町でも北西にある閑静な住宅街に位置していた。


「ウェスト・グレバー通りの五番地……って、ここかな?」


 昨日、教えて貰った場所へと向かう。

 通りに面したその家は二階建てで、煉瓦造りの集合住宅みたいな作りだった。いわゆる、西洋とかファンタジーとか言われて思い浮かぶような建物だ。


 玄関前の短い階段を上がって、俺は手が届かなかったので扉についているノッカーをスーに鳴らして貰う。

 そこまで待たずに扉は開いた。

 パリッとした従僕らしき服装に身を包んだ男性が扉の隙間から顔を見せた。年は三十歳いっているかいっていないかくらいだろう。

 俺たちが口を開く前に、せっかちそうに顎をしゃくられる。


「旦那様から聞いている。ルルと、あんたがスーさんだな? 入れ」


 俺だけ呼び捨てなのは恐らく、侍女見習いなので彼の後輩にあたるからだろう。

 扉をくぐった先は広々とした吹き抜けの玄関ホールだった。

 しっかりと磨き込まれた黒檀の床。嫌味でない程度に質がいい調度品。正面の階段は突き当りの踊り場から左右に分かれて二階に続いている。


「次からは裏口に回れよ」


 従僕の男性が小さく呟く。それもそうだ。俺はこの家の従業員として雇われたのだ。お客様気分で訪れてはいけなかったのだ。


「すみませ……」


 俺が謝罪を口にしようとした時だった。

 何かボールのようなものが二つ、俺たちに飛んでくる気配がした。

 俺は驚いて棒立ちだったが、スーの不意をつけるわけがない。サッと左右の手を伸ばしてスーはそれを受け止めた。

 ひとつは上手く勢いを殺してキャッチしたようだが、もうひとつがベシャッと音を立ててスーの手を濡らす。なんだかベチャベチャした液体に塗れた左手を持ち上げて、スーは自分の掌をペロリと舐めた。


「卵だね」


 はぁ? なんで上流階級にも近しい商人の家の中で卵が飛んでくるんだよ?

 俺は呆気に取られて、それが飛んできた元らしき階段の上部を見上げた。

 従僕の男性がカッと顔を顰めて怒鳴る。


「お嬢様!」


 そこに立っているのが、噂のミリアお嬢様に違いなかった。

 確かに聞いていた通り、年の頃は四歳程。肩くらいまでのこげ茶の髪はウェーブを描いて頬の横でクルンと丸まっている。あどけない顔立ちで、容姿は可愛い部類に入るだろう。

 だが、薄いアーモンド色の瞳を怒りに染めて俺たちを睨みつけてくる形相は、とてもじゃないが可愛いとは言い難かった。


「なんなのよ! なんで受け止めちゃうの!!」


 甲高い金切り声を上げてミリアは、もうひとつ、手に持った卵を振りかぶって俺に向かって投げた。

 後ろでは十二、三歳くらいの侍女風の女の子がオロオロと、お嬢様、とか呟いていたりするが止める気配はない。

 その卵も難なくスーに受け止められてミリアは地団駄を踏む。

 これは……我が儘なんてレベルじゃないな。傍若無人にも程がある。


「お嬢様、こう言ういたずらはお止め下さいと、あれほどお伝えしたでしょう!」

「ケネス、うるさーい!!」


 かんしゃくを起こして怒鳴るミリアを見上げながら、俺は腹の底からフツフツと湧き上がってくる怒りを感じていた。

 俺がどうしても許せないのは、食べ物を粗末にする奴と、人を傷つける奴だ。この子は、同時にそのふたつをやってのけていた。


 前日に父親であるベーヤー氏から、新しいお世話役が来ると伝えられたのだろう。

 それが気に食わなかったミリアは、いびって追い出すためにか、ただ単に鬱憤の捌け口にか、こんな嫌がらせを思いついたのだ。

 それもケネスと呼ばれた使用人の口ぶりからすると、一度や二度ではなさそうだ。


 人にはしていい事と、悪い事があるだろ!

 この家には、そんな簡単な事もこの子に教える人間がいないのか!

 俺は怒りに任せて足を踏み出すと、ツカツカと階段を上って行った。呆気に取られた様子で、止める人は誰もいない。

 スーはいつも通りのん気な顔で、卵で汚れた掌をペロペロと舐めているばかりだった。


「来なさい」


 俺はミリアの前に立ち塞がると、その腕をむんずと掴んで引っ張った。


「やー! なんなのよ、あんた!」


 ミリアは腕を突っぱね、足を踏ん張って抵抗しようとしたが、俺だってこんな恰好をしているが男だ。四歳前の女の子くらい引きずり降ろせる。

 抵抗むなしく階段から降ろされて、ミリアは唇を内側に折り込み、頬を膨らませた。後ろから慌ててバタバタと使用人の女の子が階段を下りて来る音がした。


「調理場はどこですか」


 低い声でケネスに聞くと、彼はようやくハッと我に返った。


「お、おま……お嬢様に何をするつもりだ」

「勿論、ご自分がなさった事を、身を持って知っていただくつもりですよ」

「勝手な事を……お嬢様から手を離せ」


 ケネスは俺たちの方に手を伸ばそうとしたが、その前に間に入ったスーにサッと阻まれる。

 これ以上、彼に尋ねても埒が明かなそうなので、後ろの女の子を振り返る。


「調理場に案内しなさい」


 上司であるケネスの方をチラチラと伺いながらも、女の子は俺の眼光に気圧されるように小さく頷いた。

 逆らえば何か罰が待っていると言わんばかりに、女の子が急いで先に立って小走りで駆け出す。

 彼女について足を踏み出す俺の後ろから、ケネスの怒号が追いかけてくる。


「戻って来い! こんな事をして、どうなっても知らんぞ!」


 俺は足を止めず、ミリアを引きずったまま顔だけを彼に向けた。

 この侍従だっていい年をした大人なのにミリアのする事を止められず、きちんと叱る事もできていない。同罪だ。


「私の雇い主はベーヤー氏です。私を止めたければ彼を連れて来なさい」


 グッと呻いて固まったケネスは、信じられないものを見るような目つきで俺を見下ろした。


「やだー、やー! ケネス、助けてー、お願い!」


 連れて行かれたら殺されるとでも思っているのか、ミリアの悲痛な声が玄関ホールに響き渡る。

 俺はもはや後ろを振り向かず、暴れるミリアを引きずってズカズカと廊下を歩いて行った。


 

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