第1話 転生しちゃいました
とまぁ、のっけから死にかけているわけだが、それはさておいて。
二度目の人生の話をしよう。
一度目? 一度目は、まぁいいじゃないか。
平凡な家庭に生まれ、平凡に生きて、そこそこの年齢で死んだおっさんの話なんか聞きたくないだろ?
それよりもこっちの方が断然、面白いはずだ。
俺の今の名前はルーカス・アエリウス・エル・シアーズ。
自分でも大袈裟な名前だと思うが、こっちの世界じゃ基本的な名付け方式に従ってつけられた名前だ。普段はルーカスとか、愛称でルークと呼ばれている。
さっきから『今の』とか『二度目』とか何言ってんだと思うだろうが、俺には前世の記憶がある。
この世界ではない別のところで三十ウン歳まで生きた男の記憶だ。
うだつの上がらない中年サラリーマンの記憶が蘇ってきた時は驚いた。
それは俺がこの世界に生を受けて一歳半くらい頃の話だ。
「マンマー!」
「はいはい。ルークはどうしたのかな?」
何かを求めて泣き叫ぶ俺の元に、ニコリと微笑む美しい女の人が近づいて来た。
「あ、ソフィア様……」
「いいの、ローズ。今日は調子がいいから。抱かせて頂戴」
そう言って女の人はふわりと俺を抱き上げた。
グズグズとしゃくり上げていた俺は、その人の胸元に抱き寄せられるとすぐに泣き止んだ。涙に滲んだ目を瞬いて女の人を見上げる。
柔らかそうな白金の髪。白い肌。整った顔立ちだが少し痩せている。
その黄褐色の瞳に映る小さな赤ん坊の俺。
これほど愛おしいものはこの世にないと言うように俺を見つめる女の人と視線を合わせた時、俺は唐突に理解したのだ。
この人がママ=自分の母親だと言う事を。
俺は意味のない叫び声を口から発していたわけではない。母親を呼んでいたのだ。
そして言葉に意味があると認識した瞬間、頭の中に急激に単語が、イメージが、記憶が溢れかえった。
電車……地下の駅……心臓が酷く痛い……ここで倒れたら人に迷惑が……それで俺は馴染みのない駅に降りて……。
降りてどうなったんだ?
ぱっちりと目を開いて知らない女の人たちを見上げる。
……違う。知らない人じゃない。
この人はルーカスの……俺のお母さん。
そしてここは……?
それはなんとも不思議な感覚だった。
まったく見知らぬ人物の記憶が浮かんできたようでもあり。
目覚めたら急に赤ん坊になっていたようでもあり。
でも以前の俺も、この赤ん坊の俺も、確かに俺自身で。
そうか。あの時、駅で倒れた俺はそのまま死んでしまったんだな。自分の身体のことだ。意外とすんなり理解した。
幼子の小さな掌を握ったり開いたりしてみる。
それより、こっちの方が驚きだ。
俺は……生まれ変わったのか?
以前の記憶を持ったまま?
日本でちょっぴり社畜気味だった男はこうして死んで、第二の生を受けた。
その男の記憶を俺は便宜上、前世の俺と呼んでいる。
なんで前世の記憶を急に取り戻したのかはよく分からない。
一歳半しか生きていないこの世界の俺と、蘇った前世の俺の記憶は色水のように混ざり合った。
そして自然、年齢が高く、記憶量も多い前世の俺が主導権を握った。
赤ん坊の俺が消えたわけじゃない。
ただなんかこう、融合してひとつになったのだ。
「あらー、すぐに泣き止まれましたね。やはりお母様だと分かるのですね」
「うふふ。ルーク、お母様ですよー」
俺、ルーカスの母親と、隣に立つ乳母らしき女性は俺をあやして盛り上がっている。
二人はまだ気づいていない。俺の身に起こった緊急事態に。
それは赤ん坊の俺が急に泣き始めた原因でもあった。
生暖かい何かを尻に感じて情けない気持ちになる。
いや、まだ一歳半しか生きていないのだ。
それをしてしまうのは仕方がない。
この状況を目の前の美しい女性たちにどう伝えればいいのか。もう一度泣いたら気づいてもらえるだろうか。でも赤ん坊みたいにギャーギャー泣くなんてみっともない……とは言え俺、今、赤ん坊なんだよな?
あー、尻が気持ち悪い!
とにかくおむつだ。おむつをなんとかして貰わないと、と俺は混乱したまま口を開いた。
「あのー、母上……おむつを替えていただけるとありがたいのですが」
その時の母ソフィアと、乳母ローズの顔は忘れがたい。
それはそうだろう。
ついさっきまでベビーベッドに横になってマンマーだのダーダーしか口にしていなかった赤ん坊が、いきなり流暢に話し始めたのだから。
まぁ俺も突然、前世の記憶が蘇るわ、おむつの中はエマージェンシーだわで、周囲の反応まで思い至れなかったと言う反省点はある。
二人はギョッとした顔で、しばらく俺を見つめて固まった。
「い、今、ルーカス様がお喋りになったんですか……?」
「お、おむちゅ……」
いまさら可愛い子ぶりっ子しても無駄か? 背中をダラダラと嫌な汗が流れ落ちる。
しかしながら俺の母親はお嬢様育ちのせいで天然と言うか、人より考え方が少し……いや、かなり異なっていた。
「まぁまぁまぁ! 凄い、凄いわ、ローズ! ウチの子が……そうだわ。おむつね、早く替えてあげないと!」
「は、はい、只今……」
動転しながらも、なんとか乳母のローズがおむつを替えた後。
サッパリした顔の俺を、母は子供のようにキラキラした目で見下ろしてきた。
ちなみに乳母とは言え妙齢の女性に股間を清められるのは屈辱とはまた違う感情があったのだが、そこのところは語らないでおく。
俺の名誉のために、これ以降、おもらしをした事は一度もないと追記させていただこう。
細い腕が伸びてきて俺は再び母親に抱きかかえられた。
母ソフィアはニコニコ顔で俺を見つめた。
「私の事が分かるのね?」
もはや誤魔化しても仕方ないと俺は観念して頷いた。
「はい、母上」
俺の返事を聞いた母の顔はクシャリと笑い崩れた。俺の身体を自分の頭より高く掲げる。
「凄いわ、ローズ! この子は天才よ!」
母は俺を持ち上げたまま、その場でクルクル回った。
「ソ、ソフィア様! 危ないですよ!」
途中、長いスカートに躓いて俺ごと転げそうになり、際どいところでローズに支えられる。
「ごめんなさい、ローズ。でも嬉しくて」
少し動いただけでハァハァと息を切らせながらも、母は無邪気な笑顔を見せた。
悪魔でも見るような目つきで俺を睨んでくるローズとは対照的だった。