第18話 幸せな日々
俺の朝は早い。
ほとんど日の出と同じくらいだ。
とは言え、その頃には城内のおおよその人がすでに起きて仕事を始めている。
言い直そう。
前世に比べると俺の朝は驚くほど早い。しかしこの世界では普通か、少し遅いくらいだ。
起きたらまず用意されているタライの水で顔を洗う。
それから侍女に服を着せて貰う。
別に服くらい自分で着られるのだが、一度そう言った時にローズが釣り目がちな目尻を更に釣り上げて、
「ご自分で?」
と低い声で呟いたので、それ以来、俺の中では言ってはいけない事なのだと処理されている。
朝ご飯を食べ終わった頃、エラムのじーさんがロバに乗ってパカパカと城への坂を登って来る。
エラムはまだ足腰もかくしゃくしていて元気だが、城の前の急斜面だけはしんどくなってきたらしい。
「ふん。そんなよぼよぼの身体で登って来させていると知れたら、俺の体裁が悪いだろ。いい加減、城に住んだらどうだ。どうせ部屋は余ってんだ」
「なんと陛下、よぼよぼとは心外な。儂はまだまだ若い者にも負けませんぞ!」
こんな感じで父様が遠巻きにここに住めばいいと言った事もあるのだが、せっかく家があるのだからとエラムは未だに城に通って来ている。
この二人、ほんとに仲がいいんだか悪いんだか良く分からないんだよね。
城の召使いも通いと住み込みは半々くらいだ。大体、若い人は住み込みが多く、中年になると通いになってくる。やはり家族ができるからだろう。
ローズみたいに家族全員で城に住んでいる人はごく少数だ。
外に出たついでにエラムを迎えに行くと、丁度、馬丁にロバを預けているところだった。
俺は歩く、あまり急がないようにしている。幼い身体は頭が重いからかバランスが悪く、慌てるとすぐにこけてしまうからだ。
「先生、おはようございます」
「おぉ、殿下。おはようございます」
父に呼ばれてからエラムは毎日せっせと城に通って来るようになった。たまには休んでもいいのに、と思う熱心さだ。
まぁ、そうは言っても勉強ばかりしていたわけではない。
幼児の身体はまだまだ疲れやすく、睡眠も大量に欲したからだ。
初顔合わせからしばらくの間は、勉強は一日二回、約三十分ずつだけだった。
正確に時間を計る時計もないこの世界、エラムはたびたび時間をオーバーして講義を続けたがったが、乳母のローズが断固としてそれは許さなかった。
ハ〇ジに出てくるロッテンマイヤーさんみたいな厳しい顔をして、ローズは部屋の隅で三十分間、背筋をピシリと伸ばして立っている。
そして時間になったら話の途中だとしても、俺を抱き上げてきっかりと去って行くのだ。
授業を遮られて激昂したエラムと口論になった事も一度や二度ではない。
「本日のお勤めは終わりましたので、どうぞご帰宅下さいませ、ブロムベルク様」
「融通の利かぬ頭でっかちの女め!」
「まぁ、元宰相様にお褒め頂いて光栄でございますわ」
「褒めてなどおらぬわ!」
とまぁ、毎日こんな感じだ。
後で気づいたのだが、どうもローズは俺の体調を心配していたらしい。
母ソフィアの病気が俺にも受けがれているかも知れないと疑っていたようだ。それで無理をさせたくないと思っていたのだろう。
そんなローズの懸念をよそに俺はスクスクと成長した。
授業はいつしか三十分から一時間になり、二時間になり、その内、丸々半日を費やす事も珍しくなくなった。
勉強の後は決まってローズに連れられて母に会いに行く。
委員長タイプのローズと、ぽわぽわした少女のような母だが、意外と仲はいい。
子を持つ母親同士、気が合うのか、たまに俺を放ってキャッキャと会話を弾ませていたりする。
もちろん俺も伊達に大人の記憶を持っているわけではない。
そんな時の女性たちは、触らぬ神に祟りなし。俺は口を挟まず隣で静かに勉強の復習をするのだった。
ローズが母の部屋をノックすると、すぐに侍女が出てきて部屋に通される。
母様の部屋は、いつもほんのり薬湯の匂いがする。
母は調子のいい日は起きて俺を待っている事もあったが、寝込んでいる時も多かった。
それでも俺が来るとベッドに座ったままでも、大きく腕を広げてニコニコ顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、ルーク」
「母様、こんにちは」
軽く頭を下げて挨拶をすると、脇に控えている侍女が小さく、可愛いすぎるわぁ、とか呟いて身を悶えさせた。
母は、俺がちょっと舌ったらずな喋り方で大人顔負けの話をするのを好むので、できるだけ可愛らしく聞こえるよう演技している。
ローズが俺を抱き上げてベッド脇にちょこんと座らせると、母に頭を抱きかかえられてスリスリと頬ずりされる。
当たっている!と思うかも知れないが、実はセーフだ。
あまり発育が良くなく授乳もしなかった母のそれは、さほど大きくない。
「今日は何を勉強したの?」
「歴史を習いました!」
うんうんと誇らしげに頷いて母は俺の頭を撫でた。それから始まる長話を嫌な顔もせず聞いてくれる。
「南方の国、サスキートが攻め込んで来た時の逸話を知ってますか? 時は建国二十三年。エズワルド王とその息子たちは、カシナ平原に軍を並べたんです。まだ当時は騎士団がなく、今の傭兵団の前身である民兵だけで構成された寄せ集めの軍隊だったんですけどね。その強さは今と遜色なくて……」
俺の悪い癖だが、話し始めると興奮して早口になり、人が興味あるのかとか聞いているのかいないのか気にせずどんどん喋り続けてしまう。
途中でハッと我に返って、しまったと母の顔を見上げるが、いつだって母は気にせず続けて?と言うように首を傾げて微笑みを返してくれた。
「どうしたの、ルーカス? 続きを教えて?」
青白い母の顔の横で、白金の髪が揺れる。
自分の母でなくても守ってあげたいと思わせる人だ。
絵画から抜け出してきた美少女のような母に笑顔を向けられると、俺の胸は締めつけられるようにドキドキと高鳴った。
前世では女性とつき合うどころか、成人してからはまともに喋った事も少なかったのだ。
母とは言えこんな美少女が側にいて、(息子としてだけど)無条件の愛情を注いでくれるなんて。三十代半ばで若くして死んで、こんな幸せな生活が待っているとは誰が想像できただろう。
転生万歳!
それから、たまには公務の間を縫って、父が顔を見せる事もあった。
「おーぅ、ルーカス。あのクソジジイに絞られてるんだってな」
そんな事を言いながら、俺の頭をグリグリと手荒に撫でてくる。
そのクソジジイを呼んだのは貴方でしょうよ、という言葉をグッと飲み込む。
父はあれだ。大まかな部分では尊敬してるけど、普段は適当にあしらっている。
俺や兄を溺愛しているので、内心、そんな事を考えていると知られたら大泣きされるだろう。もちろん、そんなはめになったら鬱陶しいから口に出したりはしない。
「痛い、痛いですって、父様」
手酷く頭を撫でてくるたちに抗議すると、隣で豪快にガハハと笑い声が響いた。
「なんだルーカスは、このくらいで。ひ弱だな」
父はやめるどころか両手を拳に丸めると、こめかみの辺りを挟んでウリウリと押しつけてきた。
対抗して母もツンツンッと俺のほっぺを突ついてくる。
こーの、似たもの夫婦め!
「やめて下さいってば!」
俺が父の手を振り払ってむくれると、二人分の笑い声が部屋に響く。
もしかしたら隅に控えているローズがいつにも増して固い表情で唇を引き締めているのは、笑いをこらえているからかも知れない。
こんな風に俺の幼少期は、人とはちょっと違いながらも優しい父母と家臣の元で、おおむね穏やかに過ぎていったのだった。




