第17話 夜空を見に行こう!
薬草学以外に俺が楽しみにしているのが天文学だった。
この世界は科学が発達していないからか、迷信というか、前世の常識では信憑性に欠ける学問がいくつか信じられている。
その内のひとつが天文学だが、これは前世のようにただ星を観測するのではない。
なんと気候や星の動きから未来の予測、つまり予言をするのだ。ほとんど占いだ。
科学的な根拠に基づいていないかというとそうでもない。夕焼けの次の日は晴れるとか、月に傘がかかったら翌日雨とか、そういうのは前世にもあったからなんとなく分かる。
ただ、赤い星は凶兆とか、流星は吉兆とか、太陽と黄道の位置関係がどーのこーのとかはもう眉唾ものだな。
けれど寒空の下、毛布に包まって暖かいお茶を飲みながらエラムから星座の話を聞くのは嫌いじゃなかった。
夜学の日はたっぷり昼寝をして夜に備える。
日が暮れかける少し前に薄暗い塔をせっせと登る。
この世界の夜は暗い。
森は闇に沈み、家の灯りもない。ほとんどの人が暗くなったら寝るのだ。
前世の記憶が戻った当初はあまりの真っ暗さにビビった俺が一人で寝るのを嫌がったものだから、あまり我儘を言わないルーカス殿下の微笑ましいエピソードとして未だにニマニマとした笑みとともに家臣の間で語られることもあるとかないとか。
それはさておき。
城にいくつかある見張り台の篝火以外は、近くに置かれたカンテラの灯りひとつ。
頭上には空いっぱいの星が溢れんばかりに広がる。
これは前世では見る事のなかった光景だ。街が眩しくて星なんかほとんど見えなかったからな。
降るような星空、とか言うけど、手を伸ばしたら本当に掴めそうなほど大きく輝いて見える。
見飽きない光景だ。
星の配置も前世とは違う。
俺でも知っていたオリオン座や北斗七星なんかの星座がないのは寂しいが、この世界にも星座の概念はある。
そして月はなんと七個もあるのだ。
うん、まぁ、この時点で地球以外決定だね。今まで月が出るまで起きてなかったから、エラムに教えられるまで知らなかった。
位置関係上、一度に見える月は二つか、多くて三つ。
大きさや色の違う月が夜空に輝いているのを見上げるのは不思議な感覚だ。青や緑、ピンクの月なんてのもあるのだ。
しかも地球に比べて月がでかい。
これこそ、まさにファンタジーという光景でワクワクする。
「さて、今日は時の神リュシケーの持つ天秤の話をしましょうかの。まず、尻尾星をご覧なされ」
エラムが北の空を指差す。
北天の中心で明るく輝くのは、マーナガルムの尻尾星だ。
月の軌道と重なることが少なく、北天から位置もほとんどずれないので夜空の目印になっている。
別名、旅人の星。
前世で言うところの北極星だな。
旅人や船乗りはこの星を頼りに方角を定めるらしい。
マーナガルムは海に面してないから船乗りはいないけど。
この尻尾星を基点に、夜空を駆けるマーナガルム神、大狼の星座がある。
まぁ、季節によっては頭の辺りが山に隠れるので、地面にめり込むマーナガルム神になっちゃうのだが。
「尻尾星と右肩の星を繋いで、まっすぐに伸ばすと大鷲座の翼星に当たりますな? それから更に同じ程の距離を伸ばしたところにあるのが天秤座です」
エラムの話を聞きながら、手元の星座盤と照らし合わせて頷く。
天秤座ならあまり占いとかに疎い前世の俺でも名前くらいは知っているが、もちろん前世とはだいぶ話が違う。
「リュシケーは季節と時を司る神。そして、その天秤は人の寿命を計ることができると言われております」
ただし、その天秤が人に対して使われる事は一度もなかった。
誰でも自分の寿命を知って気分のいい人はいない。中には死ぬまで精一杯生きようと思う人もいるかも知れないが、ほとんどの人が迫り来る死に怯えてしまうだろう。
使わないものがなんであるんだって思うが、神話にツッコミしたって仕方ない。
ある日、若い神が恋人である人間の女に唆されてリュシケーの天秤を持ち出した。
女は神をも魅了する自分の美しさに自信があり、どうしてもその若さと美しさを保ちたいと思っていた。
そこで神の寿命を天秤で計ってみたらどうなるのか知りたいと、若い神に強請った。
恋人にいい顔を見せたかった神アクトゥルは自分の寿命をどんどん天秤に乗せていった。
人と違い、ほぼ無限の時を生きる神の寿命はどこまでもどこまでも天秤を傾け、ついには戻らなくなってしまった。
アクトゥルが慌てている間に、女は彼の寿命を盗んでどこかに去ってしまった。
話を聞きつけた天上の神々は怒り、アクトゥルを寿命のある人間へと落とした。彼は死ぬまで羊を飼って地上で生きたという。
その時に傾いて戻らなくなってしまった天秤が、もう人の手に触れられないようにと空に上げられて星座になったのだそうだ。
エラムの語る声を聞きながら夜空を見上げる。
確かに言われてみると星の並びが傾いた天秤に見えなくもない。
「そして女は永遠の命を持ったまま、今も死ねずに地上を彷徨っていると言われております」
夜も更けて次第にうとうととしてきた俺は、最後の方の話を半ば夢うつつに聞いていた。
なんだか怖いっていうか、寂しい話だな。
ただ単に人の愚かしさと、大それた願いを持つとどうなるかという教訓を伝える寓話なんだとは思うけど。
恋人に騙された神様はその後、どんな気持ちで地上で生きたんだろう。
そして彼の寿命を盗んで、今も生き続けていると言われている女性は幸せなんだろうか。
所詮、おとぎ話って言ったらそうなんだろうけどさ。
神話とか昔話ってのは、なぜか切ない話が多い。そういうところは前世と一緒だな。そんなことをうつらうつらと夢心地に考えた。
「おや、殿下。もう眠たげですな」
「うーん。眠くなってきちゃいました。ごめんなさい、先生」
「それでは今日はお開きにしましょうかな」
帰りは召使いに運ばれている間に寝てしまい、知らない内に自分の部屋で寝かされていたのだった。




