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第20話 噂話

 

 その内に、ひとつの村で少し違う噂話を聞いた。


「あっちの村に怪我をして退役したんだか、脱走兵だか知らないが、若い兵士が住み着いたって話を聞いたよ。あれは今年の春だったかねぇ、それとも冬だったか。ねぇ、お父さん」

「わしゃぁ、なんも知らん」


 のらりくらりとした老夫婦の話は噂の域を出ておらず内容も曖昧だったが、藁にも縋る思いで翌日、訪ねてみる事にした。


 教えて貰ったその村……と言うか集落っぽいところは俺が落ちた崖の側にあったので、今まで訪れた事がなかった。山岳連合に近い場所へはあまり近寄らないようにしていたのだ。

 他の村と同じように、そこは全部で八軒しか家が建っていなかった。本当に小さな村だ。どれも家って言うか小屋って言うか、建材も不揃いでいびつな建物ばかりだ。

 城の馬小屋の方がまだ立派に見える。


 怪我をした兵士って……もしこの国に残るとしたら誰だろう。セインかアレクだろうか。

 あの二人、あぁ見えていいとこの坊々だからな。こんなところで生活できるんだろうか。

 掃除や洗濯なんか自分でした事ないだろうし、料理だって野外ならともかく日々の家庭料理は作れないだろう。水汲みとか畑仕事とか想像した事もないに違いない。


 それでも。俺は願うように小さな村の入り口に立っていた。

 誰でもいいよ。もし俺を探してくれてるんなら、一刻も早く会いたい。


 逸る気持ちを抑えていつも通り、スーに適当な民家のドアをノックして貰う。

 出てきた女の人は俺たちを胡散臭そうにジロリと睨みつけてきたが、スーの白い髪を見て態度を和らげた。

 どうやら村々に出没して物々交換を要求してくる子供たちの噂を聞いていたみたいだ。

 最初の村の人よりはまだ好意的に話に応じてくれる。


「えっとねー、お肉もあるし、お魚を干したのもあるよ」


 のん気に籠の中を見せているスーが恨めしい。

 スーが演技できると思えないので、俺はあまり詳しい話をしていなかった。スーにとっては普段と同じ、パパに内緒で遊んでいるだけのつもりなのだ。

 そんな事、分かってたけど、おばさんとスーの話が長くて苛々する。


 俺が教えたからか、スーにとっては同じだけ交換するって言うのが大切みたいだ。

 同じって言っても数とか量じゃないらしい。価値観はちょっとスーじゃないと分からない。


 スーは最初に提示された条件では絶対に首を縦に振らない。大体、ぼったくりだからだ。

 気持ちを見透かすようにニコニコしながら人の顔をジーッと見上げている。

 徐々に相手がいいものを見せてきてもまだ頷かない。

 このくらいなら出してもいいかなと相手が思った時に限って、


「うん、それでいいよー!」


 なんて、元気いっぱいに笑って納得するのだ。野生の勘なのか、匂いで人の気持ちが分かるのか、どちらにせよ凄い能力だ。

 あと多分、スーは人が嘘をついているかいないか嗅ぎ分けられる。

 嘘って言う概念がよく分かっていないようだが、前に、


「あの人、変な顔してたね?」


 とか言ってきた事がある。俺たちが子供だと侮って騙そうとしてくる奴に会った時だ。勿論、スーがそんな奴にへつらうわけがない。そんな時はさっさと話を打ち切るだけだ。

 なので交渉はスーに任せていて問題ない。

 おばさんとスーが話している間、俺は後ろでじっと佇んでいるしかなかった。


 なんて言って切り出そうかな。

 あんまりマーナガルムの事に興味持っているように見えて、俺の正体に気づかれても困るしな。

 でももし村に住み着いているのがアレクかセインなら、別にバレてもいいのか?

 いやいや、期待し過ぎるのは良くない。そうとも限らないし、それにもし四人の内の誰かだとしても国に帰りつくまで俺の正体がバレない方がいいに決まっている。


 うずうずと俺は落ち着かない気分でおばちゃんとスーのやり取りを聞いていた。

 いつもより長くかかったように感じたが、おばちゃんは悪い人ではなかったようで実際は普段よりスムーズな交渉だったようだ。


「はい、じゃぁこれとこれねー」


 スーがおばちゃんに大き目の葉っぱにくるんで蔦で縛っているお肉とかを渡す。おばちゃんはその場で中身を確認して、うんうんと頷いた。

 受け取ったものを部屋の中に置いて、おばちゃんが交換の品を持ってくる。どうやら子供服を貰ったようだ。


「冬はこの辺りも騒々しかったんでしょう? 近くまで軍隊が来たんだってね? おばちゃんも狼国の王様を見た?」


 軍隊や王様に興味のある子供を装って尋ねてみる。


「あたしは見てないけどね、確かに村の人が森の近くで王子様を探している軍人を見たって話だよ。かわいそうにね。まだ小さかったんだろう? そんな子が崖から落ちて生きているはずがないのにね」


 おばちゃんは、やれやれと嘆息しながら首を振った。子供服があるくらいだ。自分の子供と重ね合わせているのかも知れない。


「若い人がこの村に住み着いたって言うのも、その頃なの?」

「あぁ、兵隊さんの事かい? 言われてみればその頃だったかねぇ」


 自分が住んでる村の出来事のはずなのに、他人に興味がないのかおばちゃんの返答は曖昧だ。家が八軒しかないんだから誰もが顔見知りどころか家族みたいに良く知っていてもおかしくないのに。

 詮索されないのは有り難いが、こう言う時はもどかしいな。


「その人、今日も家にいる? 何か交換してくれるかな」

「怪我してる人は大抵、家にいるよ。そうだね、外から来た人なら、なにか珍しい物を持ってるかも知れないねぇ。ほら、あそこの村長さんの家の離れに住んでるよ」


 おばちゃんは村で一番大きな家の横の小さな小屋を指差した。

 って言うか、こんな村でもやっぱり村長さんはいるんだな。こんなところだからかも知れないな。普通の村と違って人間関係が希薄だから、責任者を決めておかないと何かあった時に揉めるのだろう。


「ありがとう! 行ってみるね!」


 俺は居ても立ってもいられず、おばちゃんにお礼を告げるなり、タタッと走り出した。


「あっ、ルー、待ってよ」


 品物を受け取っていたスーは慌てて籠に貰った服をしまって、俺の後を追いかけてきた。

 教えられた家に走って辿り着いたけど、俺は二の足を踏んで家の周囲をウロウロと歩き回った。


 中が見えればいいのにな。

 小さな家は窓の板戸もぴったりと閉じられていて、様子を窺う事はできなかった。

 これじゃ昼間なのに家の中は真っ暗なはずだ。こんなところに本当に人がいるんだろうか。

 カタリと物音もしないので無人かも知れないなと思う。

 窓に嵌められた板戸の間から中が見えないかなと、そーっと背伸びをした時だった。


「あなたたち、そこで何をしているの?」


 後ろからきつい口調で声をかけられて、ビクリと振り向く。そこには十二、三歳くらいの女の子が立っていた。

 女の子……だよな。多分。スカート履いているし。濃い茶色の前髪が目より下まで伸びきって顔を覆っていて、顔はほとんど見えない。女の子は誰かのお下がりのお下がりっぽい、いかにも貧乏な農村風の古びた服を着ていた。

 髪も顔もあまり洗っていないのか薄汚れている。と言うか、この世界の大抵の人はこんな感じだ。貴族だって屋敷に日本みたいな湯船がある風呂を持っている人なんていないのだ。


 女の子はボサボサに伸びた前髪の合間から、あからさまな敵意を見せて俺たちをキッと睨みつけてきた。

 こんな辺境の村だ。用心深い人は多いが、今まで子供の俺たちに拒絶反応を示す人はいなかった。同じ子供同士だからだろうか?


「えっと……ここに若い軍人さんがいるって聞いてね? 珍しいものを持ってるかも知れないって……」


 攻撃的な人にあまり出会った事がなかったのでびっくりして、俺はタジタジとしなくてもいい言い訳をした。

 理由の分からない敵意ってどう対処したらいいのか分からない。しかも女の子だし。


「そこには大変な怪我をして除隊してきた人が住んでるの。人と会うのは嫌がるから、遠慮してくれるかな」


 女の子は鬼気迫る表情でグイグイと俺たちに迫って来る。俺は気迫に押されてジリッと後ずさった。

 なんだかこの女の子の言い方じゃ、ここに住んでいるのはマーナガルムの人っぽくない。やっぱりそんな上手い話があるわけないか。

 それでも俺はまだ一抹の望みをかけて、口の中でモゴモゴと言い足した。


「もしかして俺の知り合いかも知れないって思って……」

「そんな事あるわけないじゃない!!」


 俺の言葉を遮って、女の子は激高するように声を放った。


「ここにいるのはあたしの許嫁なの。あたし、十五歳になったら、この人のところに嫁ぐんだから!」


 あぁ、失敗した。スーだ。この子、スーを見て怒ってるんだ。

 俺は身内みたいなもんだし見慣れているから気にしていなかったが、スーは見た目だけはびっくりするくらいの美少女なのだ。

 そんな子が自分の好きな人を訪ねて来たらそれは嫌な気持ちになるだろう。

 無関係な人だって分かっても、もしかして取られてしまうかも知れないって警戒して当然だ。


「あまり騒ぐとせっかく寝てるのに起きちゃうから、出てってくれるかな!?」

「ご、ごめんね……」


 騒いでいるのは女の子一人だったのだが、そんな事を言えるはずもなく、俺はほうほうの体でその子の前から逃げ出した。

 女の子は俺たちが村から出て行くまで、ずーっとこちらを睨みつけて来ていた。

 よっぽどスーに警戒心を抱いたんだろう。

 悪い事をしたな。


 もうこの村には来ない方がいいかも知れない。あまりにもレキストの街に近すぎるし、うっかり正体に気付かれて騒動になっても大変だ。

 よく分かっていない様子で、スーはのんびり俺の後ろをついて来ている。


「すごくうるさい子だったね?」

「そんな事、言うもんじゃありません」


 スーは人の美醜なんて見分けがついていない。大体、女の人と男の人を区別できているかも不明だ。スカートで見分けている感じがある。

 俺にはあの女の子の気持ちが少し分かるような気がする。顔のいい奴なんて爆発してしまえって思ってた時もあった。今でもイケメンは俺の敵だ。セインとアルトゥールだけは違うけど。


 久しぶりに兄さんの事を考えたら、寂しくなってきた。

 早くアルトゥールにも会って、真相を聞きたい。

 アルトゥールはもうすぐ十二歳だ。別れて一年近く経つので、随分、大人びただろうな。優しい兄はずっと俺の身を案じてくれているだろう。


 できれば夏になる前には森を出たかった。夏なら旅をする人も多いのでその中に紛れられる。遅くとも涼しくなる前には国に到着したいものだ。


「見て見て、あの人、こんなものくれたよ」


 スーは俺の気持ちも知らず、屈託なく戦利品を見せてくる。


「スカートじゃん。スー、そんなもの履くの?」

「ううん。スーはズボンがいい!」

「じゃぁ、なんで貰ったの」

「えっとねぇ、村にはもう女の子が一人しかいないから着る人がいないんだって」


 もしかしなくてもそれ、あの女の子のお古かよ。あのおばちゃん、あの子のお母さんだったのかな。

 まぁいいや。そんな機会があるか分からないけど、スーに女の子の恰好をさせた方がいい時が来るかも知れない。持ってて悪いもんではないだろう。

 俺はその後、スーが話しかけてきても上の空で、おざなりな相槌を打ちながらとぼとぼと森へ帰った。



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